第三話 "あの子" 後編
僕は、腰を低くして下から覗き込んできた彼女に気付いて、我に返る。切れ目横長な彼女の目の中の瞳は、僕の目に焦点を合わせていた。彼女は無邪気に不思議そうに僕を見ていたのだ。
僕は空想トリップしていたのだ。それも結構長い時間。
至近距離で彼女の顔を見ることになって、心臓がばくばくする。顔に熱が昇っていく気がする。
だから僕は、びっくりするようにわざとらしく声をあげて、彼女から背を向ける。リュックを下ろして、手袋を外し、スマホを取り出し、SNSの僕たちのグループページを開いて彼女に渡した。
「ふーん。ありがと。う~ん、どうしようかしら?」
彼女は、ばさり、と、結んでいた髪の一部を解いた。彼女の顔の右横に、2本のベーコンエピがすっと垂れた。
なんか既視感があると思ったら、それはギリシャの女神風の髪型だった。
先ほどよりも濃い、フレッシュな香りが僕の鼻をつく。堪らなかった。でも、そんなこと考えているとは思われたくなかったので、内心必死で、顔芸をした。素面の顔芸を。
彼女は僕にスマホをポンと返し、考え始めた。ランニングを切り上げて合流するかどうかを。彼女は僕たちのグループの中で最もマイペースだった。協調性というものがあまりなかった。理解していないわけではないようで、肝心なところでは外さなかったけれど。だから、こう言えばいいだろうか。彼女は僕たちのグループの中で最もマイペースに振る舞っている、と。
まあ、みんなの意見が分からないわけではない。というのも、みんなはコツを掴んでいないだけだ。読み取る優先順位があるのだ。彼女の場合、仕草や間ではなく、言葉。彼女が選んで発した言葉そのもの。それが至上意思なのだ。
迷っているということは、押せばいける? 来てくれる? そう思った僕は迷わず押した。
彼女の手を握り、
「行こっ」
そう言った。彼女がこういった、迷った素振りを見せたときは、任せる、という意思表示なのだと、僕は数か月の付き合いで分かってきていた。
僕以外の他の奴らは全く分かってないらしいけれど。彼女は表情が変わらないから。声色を変えたりしないから。だから、分からないらしい。
でも、僕には分かった。だって彼女の気持ちはちゃんと表現されているんだから。言葉に、しっかりと、示されているのだから。僕だけはそのルールを理解しているのだ。なんとなく。ちょっと恥ずかしくなった。心臓のばくばくが激しくなる。
それでも、顔に出さないように、抑える。真っ赤にはなってない筈だ、僕の顔は。それに今日は寒いから、ちょっと赤くなっていても寒さのせいだと判断されるだろう。きっと。
彼女は嫌ならきっと、手を振りほどく。彼女はそういう人だ。そうならないからこれは、肯定、ということなんだろう。