第二話 "あの子" 前編
僕は急いで着替えをする。荷物を纏める。スケート場にでも行くのだろう。きっと、結構遠くの。僕は以前気まぐれで買ったスケート靴だ。実はそんなに高くない。8000円程度だ。今はそれくらいの値段でスケート靴を手に入れることができる。錆びないように気をつけて保存していたのもあって、靴のブレードは鏡のように僕の顔を映すのだった。
念のためスキーレベルの防寒装備を整えた僕は急いで家を出て、学校へ向かう。走って向かう。
すると――――
「あれ?」
僕はそう、思わず声をあげた。学校と僕の家の中間地点。そこに公園がある。その前を通りかかったとき、僕は見たのだ。あの子がいるのを。こんなに朝早くに。だから、声が出てしまったのだ。
あの子は特徴的だ。すらりとした長身。今の時代珍しい、真っ黒な、腰に掛かるほど長い、真っ直ぐな髪。肌は雪のように白い。透明感があって、透き通っている。触れれば溶けてしまうのではないかと思うほど。
今日は髪を束ねて纏めている。僕は女の子の髪型にそう詳しいわけではないので、それが何というスタイルかは分からない。彼女の髪は長く、多い。だから、邪魔にならないように纏めきっているのは見事、としか言いようがなかった。
パン屋とかにある、ほら、ベーコンエピ。あれみたいな複数本の髪の毛の束を作っている。そして、それをところどころくくって、最終的に、肩にかろうじて掛からない程度の長さにしているようだった。
街は静まりかえっていて、僕の声はよく響いた。
「あら」
だから彼女は気づいてくれた。僕の恰好を見て、彼女は不思議そうに首を傾げつつ、僕と同じように疑問の表情を浮かべている。
もっとも、僕は少し見上げて、彼女は少し見下ろしているのだが。
あの子はジャージを着ていた。足元を見ると、何をしているか容易に判断がついた。ランニングだ。確か、前、そんな趣味があるって聞いたような気がする。酔っぱらっていたのでよく憶えていないけれど。
あの子は白い息を吐きながら、僕に近づいてきて――
「おはよう」
そう、いつもみたいに、媚びない、女の子にしてはほんの少し、低めの声でそう言った。
「おはよう、雪ちゃん。」
僕たちの間で、彼女は雪ちゃんと呼ばれていた。彼女と仲がいい人は皆、そう呼ぶ。だから、僕もそう呼ぶ。
「こんな朝早くに、そんな恰好で何処に行くのかしら? 雪山でスキーでもするの? 泊まり込みで。後ろのリュック、凄く重そうね」
彼女は微笑みながらそう言った。
「あのバカがさ、『スケートやろうぜっ』ってメッセージ飛ばしてきたから、今から行くとこ。もしかして、雪ちゃん、見てない?」
僕はチャンスだと思い、そう尋ねた。あわよくば、彼女を巻き込みたい。僕は欲望に忠実だった。
「あら? そうなの」
きょとんとしたかと思うと、彼女は何か得心したように目を見開き、
「ねえ、雹君、悪いんだけれど、ちょっとそれ見せてくれない? 私、スマホ、ランニングのときは持って来ないのよ」
僕の横に立った。スノードロップのような上品で自然な、暖かみを持った仄かに甘い。そんな香りがする。本来、酸っぱい匂いがする筈だ。彼女はつい今さっきまで走っていたのだから。僕は惑
っているのだろうか?
「聞こえてる?」
「はいっ! ちょ、ちょっと待って」