13
それから数日後の夕飯の後、ユーリが食卓で白い紙を前に考え込んでいるところにでくわした。
なんでも、明日、二週に一度ユーリに定期的に来てくれている食材等の配達の人が来るらしい。
所謂買い物リストを作ってその時に渡しておくことで、次回その品物を持ってきてくれるらしい。
そういえば町で沢山のものを買ってくれたけど、食材はどれも味見量程度で普段食べるのに必要な量は買っていなかったのを思い出す。まあ、それでも持ちきれないほどの種類で結局すごい量買ってたけど。
「ああ、レイ、ちょっと向かいにかけてくれ」
「? うん、わかった」
大人しくユーリの向かいに腰を下ろすと、ユーリが私の顔をじっとながめ、さらさらと紙に何かを書き出していった。
少し待ってみたが、ときどき私をちらりと見ては書き、また顔をみては書き付け、忙しなく手と顔を動かすユーリは何も言わない。何を書いているのだろうと覗き込もうとしても、私にはユーリの書く文字は読めない。
顔になにか付いているだろうか。どんどん顔が傾げていくのを感じる。
そう、町に行ったときに判明したことだが、私はこの世界の文字が読めない。読めないし書けない。
言葉を交わす分には日本語で会話しているつもりでいたから、当然書き文字も日本語だと勝手に信じて疑っていなかった私は、知らない文字の溢れる町にすごく驚いた。
ユーリにそれを伝えた所、貴族でも商人でもない、農民や職人なんかは文字が読めない人も多いそうなので一応大丈夫だと言われた。この世界の識字率はそう高くないらしい。
でも、文字は読めて当然の日本人としては、とても不便だと思う。せっかく町にきたのだから、出来たら本屋さんにも寄ってみたかったのだが、現状意味がないことが分かってしまった。
思わずしょんぼりとしてしまう。
ユーリが頭をぽんぽんとたたいて、慰めてくれた。
家に戻ってきてからユーリがアースの文字を書いてくれというので、とりあえず日本語を書いてみたところ、当然ユーリも読めなかった。見たこともないと言っていた。
そこにバロウがちょうど来たので言葉の件を伝えると、流石のバロウも読めないらしく、少し悔しそうだった。
「アースの文字かー。機会がなかったとはいえ、読めないのは悔しいなー。おれ、アースの文字覚えたいから、レイ教えて!」
「う、うん。それはいいけど……」
「俺にも、教えてくれ。レイ」
「うん、もちろん……」
何だろう。この二人の学習意欲は。
日本語を勉強したって使う所なんてないというのに。
「私もこの世界の本とか読んでみたいし、私にはこの世界の文字を教えてくれないかな?」
「もっちろん! お互いにおしえあいっこしようね「いや、俺が教える」
承諾してくれたバロウにかぶせるように、ユーリが言った。
「レイには、俺が、教える」
「うん。ありがとう、ユーリ」
ユーリと瞳を合わせて微笑めば、ユーリが照れたように目を逸らした。
「へえええ~」
「なんだよバロウ」
「ううん。なんでもなーいなんでもなーい」
そう。バロウがユーリをからかうのは愛情表現のような物で、ユーリも本気で怒ったりはしない。
からかって満足したバロウがふわっと消えて逃げるか、ユーリが軽く一発入れて収束する。
たしか、あの時は消えて逃げたんだったと思う。少し顔を赤らめたユーリはとっても可愛い。
「あ、私、お茶入れるね」
ユーリの目的がはっきりしないのでとりあえず席を立って、神出鬼没のバロウの分と三人分、お茶を入れて、テーブルに置く。
魔法の使えない私でも、ユーリが魔力を込めたブレスレットを作ってくれたので問題なく火をつけたり、お湯を出したり出来るようになっていた。
ユーリのブレスレットは紐を編んで腕に結ぶタイプだ。手触りが柔らかいので肌身離さずつけてても腕に違和感が無い。
中心に小指の爪ほどの大きさの魔力を固めて固体にしたものが編みこんであるので、そこから力を引き出して使う。大きい魔法は使えないけれども、生活用品を動かすくらいなら問題なく使える。
ユーリの瞳と同じ色のきれいな空色だ。これはひとによって色が違っているらしい、その人が持っている魔力の色がそのまま固まるんだとか。あまりにも綺麗で、たまに意味も無くぼんやりと眺めてしまう。
魔力は使えばは消費される物なので毎日ユーリが魔力を込め直してくれている。
毎日お願いするのは申し訳ない反面、これで家事を手伝えればユーリの負担を少しでも減らせられるかと思えば嬉しくなってしまう。
毎日使っていればくるくる回す式のコンロにも蛇口にももう慣れた。
ユーリと手を合わせたときの感覚を思い出して、マナを使う。そのたびに気恥ずかしい感覚に襲われるのにはいまだに慣れない。
当初二つしかなかったダイニングテーブルには椅子が一つ増えていた。
私がここにきた次の日にユーリが作ってくれた物だ。三人の席は特に決まっていないが、ユーリの向かいにもう一度座りなおして、ユーリの前に一つ。空いている椅子に一つづつ、カップを置いた。
「あー、お茶がしみるねえ」
「老人か」
気付けばバロウが湯気の立つカップを持ってずずずとお茶をすすっていた。
いつの間に現れたのか、全然気がつかなかった。
バロウが紙と私を交互に見ながら突っ込みを入れた。
「ユーリ、今回の注文、量多いね!」
「そうか? 三人分ならこんなもんだろう」
「いや~、量も多いし何より種類多い! いつも最低限しか頼んでなかったのにそんなに頼んじゃって~。またレイに色んな物を食べさせてあげたいなんてユーリったらまったく~」
「え、私のため?」
「あー、まあ」
「あ、ありがとう!」
「この世界の物を実際に見てみないと覚えられないだろうから、な。色んな料理覚えたいんだろ?」
「うん! ユーリ、ありがとう」
「いや」
最近のバロウはこの口調にはまっているのか、にやにやしながらこんな感じの語尾を延ばして話すので、まるで噂話大好きな親戚のおばちゃんのようだ。しかしユーリも繰り返されるバロウのからかいに平然と流すようになってきた。
慣れってすごいと思う。
「レイも、欲しいものあるか?」
そういえば、日本にもあったような食材がこっちにもあるのかもしれない。それがあれば、今の私でもユーリたちにご飯を作ってあげられるかもしれない。
お野菜はともかく、調味料なんかがあれば。
「うーん、お米とか、お醤油とか、お味噌とか、ないかな? あとできれば、味醂とか」
流石に鰹節とか出汁昆布とかないだろうと思いつつ、調味料を聞いてみた。ああ、顆粒だしとかコンソメとかあったら便利なのに。
「うーん。悪いが、聞いたことないな。バロウはわかるか?」
「アースの食材だよね? コメなら聞いたことあるけど、他のは俺もわかんない。シュレインならもしかしたら知ってるんじゃないかな~」
「シュレイン?」
「ああ、明日来る予定の行商人だ。そうだな、もしかしたらシュレインなら知っているかもしれない。明日聞いてみよう」
お米はあるのか。出来たらいただきたいです。
ユーリは伝える前にもうコメ、と書いてくれていた。読めないけど呟きながら書いていたから多分書いてくれたと思う。ありがたいです。
ほかの調味料もあるといいけど、ここは異世界だし、名前が違っていたらそもそもうまく説明できる気がしない。お米は正しくコメだったし(まだ見てないからもしかしたら違うものかもしれないけれど)とりあえずシュレインさんに期待して、眠りについた。
「こんちわーす、まいどどうも、配達でーす」
翌日お昼過ぎ、いつものようにごはんを食べて私は片付けを、ユーリはテーブルで読書を、バロウはソファでだらりと寝そべっている所に、のんびりとした声が投げ込まれた。
そのまま、とんとんとドアを軽く叩くノックの音が響いた。
「どーもでーす」
現れたのは、焦げ茶の髪に飴色の瞳の青年だった。顔立ちは普通。どこにでも居そうな地味な顔立ちをしている。
この世界の基準でいえば、やや整っている、ということになるのだろうか。
朗らかな表情を浮かべて、家の中に入ってきた。
「ユーリさん、荷物の確認をお願いしまーす」
「ああ、今行く」
「あ、シュレイン! おれの! おれの頼んでたやつはちゃんと忘れずに持ってきてくれた?」
「バロウさーん、ばっちりっすよー。王都の人気店の新作スイーツっすよね?」
仲がいいのだろうか、打ち解けた様子でバロウとも言葉を交わし、手馴れた様子で持っていた箱を食糧部屋に運び入れていく。
どうしていればいいのかわからなくて、ユーリの傍に寄ると、箱を運搬しているシュレインと目が合った。
途端にシュレインが持っていた箱を取り落とす。
がしゃーーーーん。
「あーーーー!!」
箱が開いて、中からいくつかの白い野菜とともに、透明な箱に入った繊細なお菓子が零れ落ちた。
「おれの、おれの、うおおおー―――」
そこにすかさず駆け寄り、落ちた衝撃で割れてしまったお菓子を抱えこんで泣き出した。
バロウの頼んでいた物があれだったのだろう。
シュレインは私を見つめたまま、瞬きも忘れて固まっている。
……どうしたんだろう。少し右にずれてみる。視線も付いてきた。
左にずれる。やっぱり視線も付いてくる。
後ろに何かあるのかと振り返ってみても、いつも通りキッチンとテーブルがあるだけだ。
顔を戻しても視線はやっぱり合ったまま。
とりあえず、なんだかよく分からないのでユーリの後ろに入ってみる。これでとりあえず視線は遮られたはず。
私がユーリの後ろに入ると、ユーリは私をシュレインの視線から隠したまま、体をひねって私を見下ろした。
そのまま軽い笑いを漏らして、シュレインの前に移動した。
「シュレイン? おい、目開けたまま寝てるのか?」
「っっは!!」
ユーリが目の前で手を振ると、シュレインは突然覚醒した。その勢いのまま自分よりも高い位置にあるユーリの胸倉をつかんでぐらぐらゆする。
ユーリ、すごい揺さぶられてるけど大丈夫だろうか。あー、表情筋動かしてないけどすっごい迷惑そうな顔してる。
「なんか! 今女神みたいな美女が見えたんすけど!!」
「ユーリさん! 前回来た時はいなかったっすよね?! なんすか! だれすかあれ! ほんとに人間すか!」
ばちん、と大きな音がして、火花がはじけた。
シュレインの目の前で。
……え!?
シュレインの目の前ということは、当然ユーリの目の前でもあるわけで。
「ユ、ユーリ!? 大丈夫?!」
慌ててユーリの背中からでて正面に回った。
顔を手で覆って仰け反るユーリ。その手をそっとはずしてもらって顔を覗き込めば、ユーリの完璧な美貌には傷一つ付いていなかった。
「ああ、驚いただけだ」
「そっか、良かった」
安堵のため息を漏らすと、火花の元凶から恨みがましい声が上がっているのが聞こえてきた。
「シューレーイーン……」
「うえっ! バロウさん! 申し訳ないっす! 悪かったっす!」
シュレインをまとわり付くように火花がばちばちはじけている。
頭を抱えてうずくまるシュレインに怪我はなさそうだ。床とか家具にも火はついていない。どうやら音と衝撃だけで燃え移ったりはないらしい。そんな現象を起こしているバロウは、粉々になった砂糖菓子を握り締めて猛烈に怒っていた。いや、泣いていた。
「ゆるさなーい……ゆるさなーい……」
「ごめんなさいごめんなさーい!!」
なんだか収集が付かなくなりそうなところで、止めにはいるべきかと悩む。
どうしたらいいのか分からなくてユーリを見上げれば、なんだか分からないがやけに嬉しそうにしている。
「ユーリ? あの、あれ、どうしたらいいかな? 止めたほうがいい?」
「ああ、放っといて大丈夫だ。あれはバロウがからかっているだけだからな。それより、納品の確認してくるから、悪いんだがお茶を入れといてもらえるか」
「うん、わかった」
とりあえず放置で問題ないのだろう。
いいのかとも思うが、慣れてそうなユーリが言うなら間違いない。
ユーリは涼しい顔で二人を通り過ぎたし、私はお茶をいれよう。うん。そうしよう。
「え、ユーリさん? 僕を見捨てるんすかあ? あ、あれ、さっきの美女?! やっぱり居たんすかあ!? ああ、バロウさんそろそろ勘弁してほしいっす!!」
「返せー……甘くてきれいなお菓子を返せー……」
放置、して、いいんだよ、ね……
ちょっと自信なくなりながらも、涙流しながら番町皿屋敷よろしく恨みがましくシュレインに向かっていくバロウの勢いがすごいので、ちょっと止めに入れそうに無い。
わ、私、しーらない。
こんなに間が空いてしまってもブックマークを外さずに居て下さる方がいて、本当に感謝しております。
ありがとうございます。
そろそろ主人公にエプロンを付けさせてあげたい。