地球最後の一人
20XX年世界は滅んだ。
世界各地で謎のウイルスが勃発し医師,科学者,研究者,さまざまな者たちがその全力を尽くし、ウイルスの感染を止めようとしたが全ては無駄であった。
ウイルスを研究する当の本人達がウイルスに倒れた時、人類はウイルスに対する敗北を理解し、それぞれの神々に救いを祈った。
だが祈りも虚しく人類はその数を減らし、もはや人口は世界に数える事ができるほどしかいなくなっていた。
そんな中、日本のある地区に住む数人の家族が生きていた。
この時、生き残っている者たちの中で家族が生き残っていた者はこの家族だけであった。
他に生きている者といえば皆、生き残る為にカプセルの中に閉じこもり深い眠りにつく事で、いつかウイルスが居なくなった時に目を覚まそうと言うのだ。
だが彼らの命も風前の灯だ。
彼らの眠るカプセルを動かす電気も、電気会社で働く者が全員血塗れになって倒れた今、電気が止まり予備電力が尽きるのも時間の問題だろう。
そうなれば彼等はカプセルの中で眠るように死ぬだろう。
さて話を戻そう、この世界で唯一生き残っているこの家族、八成家の父と母と兄妹の四人はなんの偶然かそれとも必然なのか、全員が遺伝的にウイルスの抗体を持っていたのだ。
だが彼らの命もまた風前の灯だった。
そこらかしこで人が血塗れとなって死んでいるこの世界で、食料が尽きようとしていたのだ。
それもそうだ、世界がこのような状況になる寸前に人々は、己が生き残る為に食料を奪い,盗み、既に彼らの周りには食料と言う物は全て喰らい尽くされていたのだ。
彼等もそうやって飢えを凌いでいたが、とうとう限界が来たのだ。
一家の柱である父,八成一二三が食料を探しに家を出てから数日、いつまで経っても帰らない父に痺れを切らした兄,八成拓哉は見てしまった。
家の外の惨状を出来るだけ誰にも見せないようにしていた優しい父は、家から数時間歩いた路上で血塗れで倒れていた。
ウイルスの症状だ、身体がまず動かなくなっていき、皮膚層の溶解が進み、その溶けた皮膚から血が噴き出す事で全身を血達磨へと変える、そしてその出血でゆっくりと死ぬのだ。
乾燥した血から空気感染するこの病に抗体を持っている筈の父がその症状を出している事、そして残り少ない大事な家族を失った事に拓哉は絶望し空に向かって泣き喚いた。
それでも込み上がる涙を乱暴に汚れきった腕で拭い去り、父の死体に近づく事で拓哉は気づいた、父は最期の瞬間まで家族のために頑張っていた事を。
父はその腕に食料を抱えていた、大事に…大事に…まるで子供を抱き上げるように食料の入った包みを抱えていたのだ。
拓哉はその事に更に涙を溢れさせながら父の死体から食料の入った包みを拾い上げた。
何故か大事に抱えられたその包みは拓哉が拾い上げる際にはすんなりとその腕から離れたのだ。
拓哉はその包みを持ち我が家へと帰った。
父の死体に触れて感染する訳にはいかなかったのだ。
父の死とウイルスの抗体が不完全である事を家族に告げた拓哉は、すぐに自室に入ると布団の中に篭りこれ以上涙で身体の水分を失わないように懸命に目を瞑った。
暫くして眠りについた拓哉は夢の中で父の姿を思い出す。
休みの日は疲れた身体に鞭を打ってボールで遊んでくれた、平日は帰って来た時に出迎えに行くと嬉しそうに微笑んでくれた、あの父はもう…居ないのだ。
また哀しみに沈もうとした拓哉にいつの間に部屋に入ってきたのか妹の八成由美がソッと布団の中に入って来る。
布団の中に入った由美は泣いているのか、スンッスンッと鼻音を鳴らしていた。
泣いている由美の身体を抱きしめ、拓哉は何も言わずにその頭を撫でた。
それでも妹は泣き止まない。
だが諦めずに由美の頭を撫でていた拓哉は、気が付けばそのまま眠っていた。
目を覚ますと由美は腕の中で冷たくなっていた。
ここ数日の間、水分を取って居なかった事が原因だ。
血管内で水分不足が原因で血がドロドロとなって凝固し、血液を心臓が送れなくなったのだろう。
冷たくなった由美の死体を抱きかかえ、拓哉はその肩に顔を埋めて泣き叫んだ。
それは、もはや常人の泣き声ではなく、狂った者の叫びであった。
由美の遺体を布団の上に残し、拓哉は母,八成愛華を探しに部屋を出た。
どんな顔でなんと母にこの事を話せばいいのだろう?
まだ自分の中でさえ整理ができていないのに、拓哉には荷が勝ちすぎた、だがそれも杞憂に終わった。
居間に入った拓哉はその場に凍りつき驚きに目を見開いた。
母は首を吊って死んでいた。
居間の天井から下がるローブに首を吊って、ピタリと揺れる事もなく足をだらりと垂らしたその姿は、拓哉にはあまりにも刺激が強すぎた。
あまりの事に頭が狂い、気が付けば拓哉は道のど真ん中で唾液と涙と尿にまみれて笑っていた。
気を取り戻した拓哉は、そこが何処だか知らない場所だと気づいた。
静かに立ち上がり何処へともなくふらりと歩き出す。
頭には自殺した母の姿が度々浮かぶが、あれは夢だと自分に言い聞かせる、何度も何度も頭に浮かんできた拓哉は電柱に頭を打ち付けた。
何度も何度も、頭から血が流れ出した事に気付きまた道を歩き出した拓哉に妹と母の思い出が蘇る。
馬鹿みたいに縄跳びばかりして凄い技を見せては喜んでいた由美の姿、それを見て微笑む母の姿。
苦手な夕食が出た時にブーブー言いながら食べていた由美、それを見て腰に手を当てて怒っていた母。
学校の授業参観に来て、振り向くと手を振ってくれた母とその横に立って笑っていた由美。
また涙が出そうになった拓哉は、お腹殴りつけて痛みで感情を抑えた。
そうやって歩いて行くとふと、見覚えのある景色だと気付いた。
今はそこらにしたいが落ちているが、あちこちで火の手が上がっているが、そうだ…此処はまだ学校に行けていた頃、友達の家があった場所だ。
ふと友達の家があった場所に目をやると其処には何も無かった。
正確には焼けて崩れ落ちた家屋があるだけだった。
確か此処には親友だった幸田美優が住んでいた。
美優は何時も朝になると家まで迎えに来てくれていたんだった。
怒るとすぐに泣く奴だったけど、凄く気の強い奴だった。
偶によくわからない事を言っては、俺が分からないと応えるのを聞いて怒っていたが未だにあれが何故なのかは分からないままだ。
何故なら美優はこのウイルスが広がり始めてすぐに死んでしまったからだ。
葬式には立ち会ったが、誰も棺桶の中を覗かせてはくれなかった。
みんな口々に拓哉には見られたくないだろうから、と言っていたが、見ようが見まいが美優が帰ってこない事には変わりは無かった。
ふと立ち止まっている事に気づいた拓哉はまた道を歩きだす。
知っている場所まで移動来たからにはこっちのものだ。
拓哉は栄養の足りないせいで上手く動かない足を引きずって家へと帰った。
其処には火柱が上がっていた。
隣の家がかなり燃えているところを見るに隣から火が移ったのだろう。
火の手が上がっている家の前で呆然と立っていたが、気がつくと膝から力が抜けて崩れ落ちてしまった。
空を見上げれば真っ赤な雲が目に入る。
何で赤くなったのかは分からないが、美優が死んだ頃には空は赤くなっていたな。
その場で力の入らない体に喝を入れて立ち上がった拓哉はまた街を歩き出した。
行き先などもう無い。
だが歩いて無いと心が壊れてしまいそうだった。
歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて、もうどうしようも無いと気づいた。
何だか体の力が入らない事に気づいた拓哉は手を見る。
人差し指の先が真っ赤に染まっていた。
感染したのだ。
拓哉は安堵した。
これでみんなの下に行ける…
その場で地面に横になる。
咎めるものも誰もいないのだ、咎めるものがいるなら目の前に出てきて欲しい、生きてる人と会いたい。
目を瞑ると家族の姿が、親友の姿が、友達や先生、近所の人達の姿が目に浮かぶ。
そうだ、本当ならば僕は朝、母親の声に目を覚まし。
妹と親友と共に学校に行って友達と馬鹿をやって笑いながら先生に怒られていて。
帰りに近所のおばさんに声を掛けられるのを煩わしく思いながら友達とおばさんを素通りして。
帰り道の途中で友達と別れて家までの道を歩いて帰るんだ。
それで家に帰ると由美がもう帰っていてお母さんと一緒に玄関で僕を迎えてくれるんだ。
その後、由美と一緒にゲームして時間を潰しているとお父さんが帰って来てお土産のお菓子をくれるんだ。
それで由美はお母さんと、僕はお父さんと一緒にお風呂に入ってその後ベッドで眠るんだ。
偶に由美が強い話を聞いてベッドに潜り込んできたこともあったっけ、それで一緒に眠るんだ。
そんな毎日が続いていた筈なんだ。
目を開ければ真っ赤な空が視野に広がる、フッと街灯の灯りが消えた、電気が切れたのだ。
これでカプセルに入っている人達の死が確定した。
僕ももう体は動かない、視界も何だか赤く滲んできた。
きっと僕の身体はもう真っ赤に染まっているんだろう。
僕はまた目を瞑り思い出に乗って最後の時を過ごそうとすると声が聞こえた。
美優の声だ。
「お疲れ……頑張ったね」
「僕は何も頑張ってないよ、美優も死なせてしまったし、由美まで死なせてしまったし、お父さんもお母さんも救えなかった」
「でも…拓哉は頑張ったよ!」
美優は胸の前で手を組んで力強く言った。
分かってるこの美優が僕の見ている記憶の美優だって。
「そうだよ、お兄ちゃんは頑張ったよ」
「由美…」
「そうだな、拓哉は頑張った!」
「お父さん…」
由美とお父さんが僕の背中を叩いて慰める。
何で此処に死んだ筈の二人がいるの?
「そうね、拓哉は頑張った」
「そうだよ拓哉は頑張ったよ!」
「あぁ、拓哉は頑張った!」
「お母さん、みんなぁ…」
お母さんが、友達のみんなが、僕に駆け寄って来て声を掛ける。
みんな僕が来るのをずっと待っていたんだね、待たせてゴメン。
その時、僕は確かに聞いた。
みんなの声が重なり合って一つになり、神様の声になったのを。
「「「「「「おかえり」」」」」」
「みんな……ただいま!」
その日、地球最後の一人が微笑みと共にその生涯を…終えた。