社会不適合者と完全無欠ヒーロー
絶対、僕がなれるはずがない。 僕なんかには縁のない世界。 エリートだとか、正義のヒーローだとか、……お、女の子にモテるイケメン、だとか。
当然、諦めていた。 だって、どんなに望んだってなれないものもあるんだって、そんなの常識でしょ?
ーーーだけど。
ある日、僕の前にヒーローが現れた。 そして、僕に言ったんだ。
「おまえ、ヒーローになれよ」
そして、僕は、【ヒーロー】になった。
◇
僕は社会のクズになる存在だ。
……いやいや、決して自分を卑下しているわけじゃない。 あくまで客観的な意見として。 なぜって?
「あ、おはよーデブ。 臭いから近寄んないでよね」
「きっもーい! 見てあの天パ! わかめみたーい」
「人生楽しいのかなあいつ、オタクなんでしょー?」
これだ。
朝、教室に入り込んだ途端にこの甲高い声たちが僕の耳に入り込む。 耳を塞いだとしても、今度は冷たい目が僕の心を締め付ける。 ……だから僕はイヤホンで耳を塞いで、 視線を床に落として、見なくてもわかる廊下側二列目の自分の席に足を進める。
僕には、【ヒーロー】要素が一つもない。 顔も、勉強も、みんなだめだ。
この街には【ヒーロー】がいる。 説明するのには長いんだけど、要はこうだ。
世界が破滅しかけているここでは宇宙人と呼ばれる侵略者たちに生活を脅かされている。ヒーローは、そいつらから僕たちを守ってくれる。……立った一人で。
強くて、かっこよくて、みんなから認められていて、ほんとにその人は【ヒーロー(英雄)】で【ヒーロー(主人公)】で【ヒーロー(憧れ)】なんだ。
まるで、物語みたいな話だけど、これが僕たちの世界。
つまり僕にはヒーローの要素がなにもない。顔もだめだし、太ってるし、それに成績だってよくない。 だから憧れでしかないそのヒーローの背中を見て、思うんだ。「あぁ、せめてヒーローを応援しよう」って。
「きゃー! 【ヒーロー】だわ!見て!」
ふいに、教室で歓声が上がった。 ハッとつられて窓に目を向けると ビルからビルに飛び移る、紅いマントをまとった、何度も何度も姿を目に刻んだ【ヒーロー】の姿があった。
「………あっ…」
ヒーローが向かう先に気がつく。 大きさはヒーローが飛び移っているビルより2倍くらいある大きさの、〈侵略者〉がいた。
褐色の固そうな皮膚。長い舌。太くて大きく揺れる尻尾。 まるでトカゲが巨大化したみたいなその侵略者は、歩くだけで街を壊している。 ヒーローはそのトカゲを誘導するかのようにビルからビルへ、軽々と飛び移っていく。 トカゲは少しイライラしているように見えた。
「やーんカッコいい~! ヒーロー様の顔、一度だけ見て見たいわあ!」
「絶対イケメンよね! あれでお姫様抱っこなんてされたら、あたし死んでもいいわ!」
「バッカ真樹! あんたにそんなの来るわけないでしょー?」
ヒーローの姿を見ながらクラスの女子は盛り上がっている。 普段ヒーローの顔は目下をマスクで覆い、その上もヘルメットを被っているから顔がまったく分からないのだ。だけど、背もすごく高いし、足も長いし、顔以外で見たとしても【ヒーロー】とは完璧なのだ。
ついに、ヒーローが動いた。 トカゲを空き地にまで誘導すると ヒーローはぐるぐるとトカゲの足元を回り始めた。
「アクロバットストームだ……」
僕は呟く。
これは公式でもなんでもなく、僕が勝手に呼んでいるだけだが、ぐるぐると回り空気を回すことで、地面の砂や塵が舞い上がり、竜巻のようなものを起こして侵略者を空へ舞い上がらせるのだ。……そう。 ヒーローの凄いところは、侵略者であろうと、犯罪者であろうと 殺すことはしないのだ。 これには賛否両論あるみたいだけど、僕はすごくかっこいいと思う。 敵は絶対殺す、なんて絶対正義の法則が、今のヒーローには当てはまらないんだ。
僕の予想通り、ヒーローの回る地面からは茶色い砂埃が舞い上がり、徐々にトカゲを包み込んで行く。 そして、それはどんどん大きくなって、大きな竜巻になった。
「いっつも余裕だよねえヒーロー!」
「すてきーー!」
トカゲが空に舞い上がるときには教室は歓喜の悲鳴で溢れていた。 僕は、どくどくと興奮で高鳴る心臓の音を必死に隠していた。
かっこいい。 かっこいいよ、【ヒーロー】。 僕は絶対なれない、見てるだけの、ヒーロー。
◇
放課後。
授業が終わり、掃除当番でもなかった僕がカバンを背負って教室から出ようとしたときだった。
「デブ、あのさぁ」
ふと、クラスの女子に呼び止められた。 ビクッとしつつも、振り返る。 ……あ、
「頼みあんだよね」
田中真樹。 クラスの女の子のリーダー的な存在で、クラスでもいつも皆の真ん中に囲まれている女の子だ。 亜麻色の肩まで伸びたくるくるとした髪とか、二重で長いまつげに縁取られた目だとか。確かに、すっごくかわいいし、スタイルもいい。……だけど、僕は、苦手だ。
「な、なに?」
「あたし今日ヒーローの活躍見に行くからさぁ、あんた、ゴミ捨てやってくんない?」
彼女は髪を指で巻きながら、僕の顔を見ないで言った。 ……また、か。拳をギュッと握りしめて僕は口を開ける。
「……わかったよ」
「まぁあんたに選択権なんてないんだけど。 よろしくねー」
用は済んだ、とクラスのアイドルはさっさと背を向けて友人たちと帰ってしまった。 僕はしばらく俯いていたが、ゆっくりとゴミ箱に向かって歩き出した。………そして、見てしまった。
〈デブ〉〈わかめ〉〈ブタ〉〈ヒーローに倒されちまえ〉
そんな、見たくない、聞きたくない言葉たちが連ねられた大判の紙が、ゴミ箱の一番上に置かれているのを。大きい字、小さい字、赤い字、青い字。 それは次々と目に飛び込んでくる。
「な、なんだよ、これ……! なんなんだよ………っ」
田中真樹。 あの子はこれを分かっていて僕にゴミ捨てを頼んだ、いや、命じたのだ。 あの整った綺麗な顔が浮かんで、それから吐き気がこみ上げてきた。 ……なんなんだよ。 ちょっと太っているだけで、顔がだめなだけで、なんで。 僕が、僕が。
「僕が一体……君たちになにをしたって言うんだよ……っ!」
ぼた、ぼた、と、顔を伝って涙が紙に落ちた。 悔しかった。悲しかった。心が割かれたみたいだった。
その紙をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に突っ込むと、ゴミ箱を引っつかんで僕は廊下に飛び出した。 そして走り出した。
そういえば、 ひとつだけ。 僕にも自慢できることがある。僕は他の人よりなにもかもが劣っているけれど、ただ一つ、走るのだけは早かった。 それはもちろん太っているせいもあったけれど、前にぐんぐん進んでいるときは後ろを振り返らずにいられたから。 だから、走るのは好きだった。
とにかく、走った。ゴミを集めるところまで。 鼻水とか、涙とかぐちゃぐちゃな顔を食いしばって、走った。後ろから悪口だとかいやな言葉だとかそんなクラスメイトの声が追いかけて来る気がして、前のめりになりながら走った。
僕の学校のゴミ捨て場は外にあり、それも校舎からは割と離れているために誰もゴミ捨てをやりたがらない。 そのために押し付けられて行ったことも何度もある。
今頃、田中さんや、そのクラスメイトたちはヒーローの活躍をみているんだろう。 悪口だとか、ゴミ箱の押し付けだとか、そんな正義な行動をしなくてもヒーローを崇める。 …いや、もしかしたら、彼らにとっては僕は悪なのかもしれない。 ……そうだったら、僕がこらしめられても、仕方ない…のかも?
カッ
しまった。
そう思った瞬間、僕は外の石に躓き、ゴミ箱を抱えたまま、そのまま大きく倒れこんだ。 地面に当たる痛みに備えて目を閉じる。
ガシッ!
なのに、衝撃は訪れなかった。かわりに力強く僕の肩を抱えている暖かさに包まれた。
「…えっ?」
ゆっくりと、目を開けた。
「大丈夫か? 少年」
低くて、力強くて……すごく、あたたかい声。 その声は間違いなく僕の目の前の人から発せられていて、僕の目がおかしくないんだったらその人はーーー
「…ヒー…ロー?」
紅いマント、同じく紅いヘルメット。 それは間違いなく僕が毎日見ていたヒーローだった。
◇
「なん、なのよこれ………っ」
それしか言えなかった。 瓦礫の山に囲まれながら、あたしは驚愕する。 炭素の焼ける匂いと、人々の悲鳴。 絶対正義と謳われた、代替わりをした【ヒーロー】の地球側死者0人の誉れ高き肩書きが、いま、崩れ去って行くようだった。
ねとり、と粘液で覆われた液体型〈侵略者〉が、あたしに近づいてくる。足が、全然動かない。あれ、おかしいな、あたしこんなに臆病だったかな…?
「や、やだ、やめてよ、ねえ!」
見回しても 【ヒーロー】は、 いない。
◇
「ヒー、ロー?」
僕は驚愕する。 まじまじと、ヘルメットとマスクで覆われたその顔を見る。 間違いない、【ヒーロー】だ。
「なんだ? その顔。 ぐちゃぐちゃじゃないか、男のくせに。」
ヒーローはその腕で僕の顔をぐしぐしと拭う。 は、鼻水…! 憧れのヒーローの前で、鼻水…!! そ、それよりもだ!
ヒーローの声を、初めて聞けた…!僕は嬉しさと感動で呆然と立ち尽くしていた。 だ、だけど。
「どうしてここに!?」
ヒーローは忙しい。 世界に何人といないこのヒーローは、〈侵略者〉が現れるたびにそこに飛んでいっては倒しにいくのだ。 だから、まちがっても街中ですれ違ったりなんかはしない。 僕みたいな、政府関係者でもない人間には絶対関われないひとなのだ。
「それが……ははっ、ちょっと怪我しちまってな。 ちっと、休憩ってわけ」
「怪我!? ヒーローが? だ、大丈夫なの?」
ヒーローが怪我をするなんて、初めて知った。 そして、少し離れてヒーローの体を見ると。 ………あっ。
「血が……! 血が出てる…っ」
赤いマントで隠されていたが、ヒーローの脇腹と太ももあたりのスーツがざっくりと切られて血が流れていた。 それなのに何事もないかのようにヒーローは僕を抱えながら姿勢よく立っている。
「こんなのは大したことじゃない。 でも問題は………」
ちらっと、ヒーローは腕を見る。 手袋とスーツの隙間に何かあるみたいだ。僕には見えない。 少し焦っているみたいだけど、表情は頑丈なヘルメットに隠されてさっぱりだ。
「困ったな…… このままじゃ」
「どうしたの?」
「君にいってもな……うーん」
「ぼ、ぼくじゃだめなら先生を呼んでくるから! それだったらーー」
ドォン!!
突然、空が真っ白な光に包まれた。 なにかが爆発した音。それからすぐに押し寄せてくる熱風。
「うっ、ぐッ……!」
「伏せろ!!」
足を踏ん張る僕を抱え込んでヒーローが地面に転がり込む。 瞬間、僕の頭があったところに大きな瓦礫が飛んで行った。 ……ギリギリ、ヒーローが助けてくれたんだ。ありがとうと言う前に ヒーローはすぐに立ち上がり、爆発があった方角を見つめる。
「街の方だ。 ……政府があるところまで…」
僕もハッとした。そういえば、田中さんがヒーローの活躍を見に行くって言ってた。 街の政府直属の管理資料館に行けばこれまでのヒーローの活躍を映像で見ることが出来るし、リアルタイムでも見られる。 もし田中さんがそこにいったんだとしたら。 田中さんに連れられたクラスメイトがいったんだとしたら。
………。
待てよ、と 僕の中の誰かが声を上げる。
あんな奴ら、気にする必要があるこか? と。
でも、クラスメイトだぞ。 いつも一緒に生活して、同じ空間を共有してる。
一緒に? 同じ空間? はは、それはお互いの認識じゃないだろ? 思い出してみろよ。 あいつら、さっきお前にどういう仕打ちをしたか。
グッ、と僕は歯を噛みしめる。 たしかに、あんなのはクラスメイトじゃない。 それに、まだいるのかも決まったわけじゃない。 ……もし。もし助けたとしても、またいつもの日々が始まるだけだ。 それなら、いっそこのままーーー
いや、だめだ。
僕はドロドロした嫌な感情を振り払うと、真っ直ぐヒーローを見て言った。 どんなに嫌いでも、嫌な相手でも、……いなくなってしまったら和解することだってできない。 だから、僕は。
「ヒーロー、助けて!」
ん? と腰に手を当てたままのヒーローが振り返る。 赤いマントが僕を促すようにばさっと大きくはためいた。
「僕の……僕の“友達”を助けて! 【ヒーロー】!」
声が震えていた。 迷いと、それから後悔。 そんなのも混じっていた。 だけど、僕は言い切った。
ーーーーーだが。
「悪いな、ムリだ」
「!?」
憧れの【ヒーロー】から返ってきたのは予想だにしなかった返事。 ムリ? そんな言葉がヒーローの辞書にあったのかと、僕は心から驚いた。
「む、無理!? ……どうして!」
「誤解するな。 やらないんじゃなく、出来ないんだ。 これを見ろ」
そう言うと、ヒーローは袖をまくり、僕に手首を見せてきた。
「……?」
そこには数字があった。 妙な縁取りをされた、手首に刻まれた数字。 ……そこには。
「ぜ、0……?」
「そう、それは俺のヒーロー番号。 問題はその下だ。」
促されて 大きく0、と刻まれた数字の下を見ると。 ………ZERO。 英語で、上の数字と変わらない意味を表す言葉が小さく刻まれていた。
「これって…?」
「俺が【ヒーロー】として敵と交戦出来る数。 ……いまは、そう。 0。 つまり、俺はいま〈侵略者〉と戦うことはできない」
「えええ!?」
敵と交戦できない!? 戦えないってことなのか? ……ということは、えっと。 つまり、〈侵略者〉を撃退できない、ってこと…
「ど、どうするんだよヒーロー! このままじゃ…!」
「いや、本来ならもう一人のやつが駆けつけて来る予定なんだけどな。 来ないな、ははっ」
「ははっ じゃないよ!! ますますだめじゃないか!」
絶対、絶命。 こうやって壊滅した都市もあったらしいが、ついに僕の住んでいるここもそうなってしまうのか。 死、という言葉が頭に浮かぶ。 ……死ぬのか、僕は。
「………もうだめじゃないか…」
また、爆発。 視界の隅に映る強烈な光が目の裏側を焼いて、瞬きをするたびに残像がちらちらと揺れた。 諦めたような感情が心に浮かんでは、満たしていく。 ペタっと、僕は地面に座り込んだ。
「そう、落ち込むな少年。 ……なあ、若いってのはいいものだろ。いろんな可能性があってどんな選択肢だって選べる。 ……そうだろ? 」
「………」
座り込んだ僕を見下ろしながら、ヒーローはそう僕に語りかける。
いろんな可能性? ……それは、僕には無関係の言葉だと思った。 どんな可能性があるって言うんだろう。 頭も顔も、人間関係だって、全部人並み以下だって僕に、どんな可能性があるって言うんだろう。
「それなら、君はいま選べるってことだ。 そこで座り込んだまま終わりを待つのか、それとも…」
ヒーローは一度言葉を切り、少し迷っているように黙った後、息を吸い込んで、こう言った。
「それとも、 君がみんなを救う【ヒーロー】になるのか。」
「……えっ?」
驚いて、思わず顔を上げる。
僕が? ヒーロー、だって? まさか、そんなわけがない。
「な、なにを言ってるのヒーロー……冗談なんか言ってる場合じゃないよ…」
「俺は冗談なんか言ってない。 本気さ。いつだってな」
「だって言ってることおかしいよ……ヒーロー? そんなもの、僕がなれるわけないじゃないか…!」
ヒーローってのは憧れだ。 父さんが昔そう言った。 弱いものを守り、強いものに立ち向かい、みんなに認められる英雄。 だから憧れで、尊敬で、【ヒーロー】なんだって。
だったらなおさら、それは、僕なんかじゃない。
僕はヒーローを睨みつける。 憧れてやまなかったヒーローを、見上げながら睨む。
「ヒーローっていうのは強い人のことでしょ…… 僕みたいなのがなれるわけないんだよ」
「君が弱い? なあ、本気でそう思っているのか?」
「思ってるよ! 僕にはなにもない! 顔も、成績も良くないし、みんなに嫌われてるし、悪口だっていっぱい言われるし友達だっていないしーーー」
「なら、 さっきの“友達”ってのは、一体誰のことだ?」
ーーーっ!
息が止まる。 『僕の“友達”を助けて!』 と、僕はたしかにそういったからだ。 ……ぼくには、友達なんて、いないのに……?
「あぁ、たしかにひどい友達だ。 こんなことを書くなんて」
いつの間にかヒーローは僕がぐしゃぐしゃにしたあの紙を広げて目を通していた。 二度と目にしたくないそれを、僕の目は避けて地面に視線を落とした。
「そうだよ……僕に友達なんかいないよ… だって、そんなのを書く人たちしか周りには」
「でも こんなものを書いた奴らを、君は助けようとした。 ……それは、立派な強さじゃないのか?」
「……っ」
そんなのが、強さなんて、そんなわけないって僕は首を振る。 本当のヒーローになれる人なら、一度だって見捨てようとは思わないだろう。 僕は迷った。 散々迷った。 迷い抜いた末に、自分が納得のいく答えを口に出したってだけだ。
「最初から助けようって思ったわけじゃない。 ……自分が殺したって思うのが怖かったから」
「君は弱い。 すごく弱いし、最低だ。 ……だけど、だからこそ【ヒーロー】の素質があるんだよ」
ヒーローがなにを言おうとしてるのが、まったくわからなかった。 ヘルメットの下の表情は僕には読めなかった。
長い小説はあまり書かないのでフラグ回収忘れなどに気をつけていきたいです。