《三日月》《ベランダ》《初雪》
「あぁ、ロミオ!あなたはなぜロミオなの?」
じゃあ、どうして美里はジュリエットを演じているんだ。
ここはとある高校の演劇部のステージである。
今は練習中なのだが、本番さながらの緊張感が舞台裏にも伝わってくる。
そう、舞台裏にだ。
「あぁ、ジュリエット。どうしてお前はジュリエットなんだ」
あぁ……どうしてその台詞を言ってるのが俺じゃないんだろうなぁ!!
舞台のヒロイン、ジュリエット役の相原美里の透き通るような声がハッキリと聞こえてくる。
ロミオ役は……知らん!エキストラAにでもしとけ!!顔を見たくないわ。
ちなみにさっきから突っ込みまくってる俺は渡辺達也。
ジュリエット王女の国の村人Bをやっている。
役名すらろくに与えられてない俺って…
相原美里との付き合いは赤ちゃんの頃からである。家が近所で親同士もとても仲のよい『幼馴染み』という関係で18年間生きてきた。
しかし俺は美里のことを、まぁ……その、なんだ……好きなのだろうなぁ、たぶん。
しっかり意識し始めたのは高校に入った頃なのでおよそ二年前、高校の入学式の日、その日の彼女は俺の知っていた美里ではなく、何もかもが違って見えた。
ブラウン色に染まりうなじで結ってあるポニーテール、綺麗に上を向いている睫毛、、リップによって淡いピンクに染まった唇。
体格、性格は今までと全く変わりなく見えるのにそれを感じさせないくらいに彼女は僕の全く知らない人に変わっていた。
逆に、コイツは本当に美里か?と疑いたくなるくらいに。
同じ制服を着ているのに他の女子なんて視界に入らず美里だけを常に捉えて、目を逸らすことができなかった。
それは、僕以外の他の男子にもそう見えたことだろう。部活内の男子だけでも美里押しの奴らはかなりいる。
少し遠いところに入学したため、同じ中学の人は美里だけだった。
入学式の帰りに「これから通学は二人きりだね、よろしく、達也」なんて笑顔で言われたら……恋に落ちるしかないじゃないか。
その時から僕の彼女に対する認識が『幼馴染み』から『憧れの人』変わったんだ。
ガタン……ガタンゴトン……。
『憧れの人』とは言っても生まれた時からのご近所さんなんて言ったらほとんど『兄弟』や『姉妹』みたいなものだ。
今さらこの関係を壊すのは非常にためらわれる。
そんな俺の心の葛藤に対して彼女はというと――
「がたんごとんー」と電車の真似をしていた。少し様子を見ていると自分で言って可笑しくなったのか、あははっ、と笑っていた。
……やべぇめちゃくちゃカワイイ。
いつからこんな生き物になってた?と改めて疑問に思いながら顔を赤らめてしまった恥ずかしさを紛らわすように俯き、美里の額にでこぴんを食らわせてやった。
部活の時間は美里を見れるという喜びもある(もはやストーカー?)が、なにしろロミオとジュリエットは二人の会話だけで話が展開していくと言っても過言ではない作品であるため、エキストラAとの無駄に息のあった掛け合いにムカつく日々を過ごしている。
「お嬢様、あなたへのこの想いをこの果樹の頂きを銀色に飾る、あの月にかけて誓います」
エキストラAが話す。ちくしょうカッコいいなぁ。
顔はイケてるんだよ。顔だけはな!
「ああ、月などにかけてお誓いにならないで、月は移り気なもの、夜ごと月ごとに形が変わるではありませんか。あなたの心が月のように変わりやすくては困りますわ」
美里もそんな長い台詞よくスラスラと言えるよな。
「では、なにに誓ったらよいのですか。」
「誓いなど一切なさらないで! でも、もしお望みなら、尊いあなたご自身にかけて誓ってください。あなたが正に私の信仰する神様ですもの、そうすればわたくし信じますわ。」
舞台の役であるとはいえ美里がそんな台詞を他の男に言うのは本当に嫉妬をしてしまう。
全く……ロミオ自身でさえもダメ男で誓うモノがなくなったとしたらいいのに。
でも、それはないかな。
劇中のロミオはさることながら、現実のエキストラAも相当良い奴で、美里と二人でよく『美男美女のお似合いカップル』と皆に持てはやされている。
それはもう、村人Bの俺なんか眼中に入らないくらいに。相手にならないくらいだ。
帰る時間にはすっかり暗くなってしまう季節である。
「雪の降るのはもうすぐだろうな」
とか電車を降りて歩き出した時に言ってみると、
「どこかの国では初雪の降ったときに気になる人に電話するものらしいよ?」
と独り言のようにつぶやかれた。へぇー。とこちらかも気の無い返事で返しておく。
え?それはなんだ?電話してほしいのか?チャンスなのか?最初からだが美里の考えてることは理解できない…。
なんとなく気まずくなったその場を取り繕うように空を見上げると、満月とはほど遠い三日月が見えた。
そうして、ふとその日の練習のことを思い出した。
「ジュリエットも酷いよなー、満月みたいにロミオの気持ちも変わっちゃうなんてさ」
すると彼女は
「そうだよね、私だったら好きな人の気持ちが月みたいに変わっちゃうとか絶対思わないのにな」
「まず、そんなこと誓ってほしいものなのか?」
「それは、ちょっとは憧れちゃうよ」
絶対ないけどねー、と言い訳のように呟きながら美里は言った。
女なんてそういうものなんだな……なんて思った直後、ふいに強い風が俺たちの後ろから吹きつけてきた。
「あ…、うわぁ、ほら、見て見て!」
急に彼女はとても興奮し始めて
「……きだ!!雪だよ!!」
と叫んできた。
背中をバンバン叩いてくる。
「痛いっ、痛いから美里さん」
俺の抵抗も空しく叩き続けてくる。
よく目を凝らすと確かに雪が降ってきた。俺の顔にも白く冷たいものが当たった。
「俺は楽器じゃないんです。」
「達也がガキ?そんなことないってー」
いや、もうハイテンションすぎて訳がわからないから。
少し経って落ち着いたのか「ごめんごめん」と謝ってきてくれたが、満面の笑みは隠しきれてない。
「いいけど……そんなに嬉しいか?」と聞くと、
「嬉しいに決まってんじゃん!!」と言い返された。
「だって、誰かから電話が来るかもしれないじゃん?」
それを知ってるのは恐らく俺だけだろう?
「電話が来るなんてものすごくロマンチックじゃない?」
「はぁ……そうなのか」
「だから今日一日はドキドキしたまま過ごせるじゃん!」
わからないな、女という生き物はわからない。
「だから……じゃあね!!」と言って美里は一人で走って帰ってしまった。俺と彼女の家なんてほとんど真横に位置していて歩いてすぐなのに。
俺以外誰も見たことが無いだろう笑顔を思いだしたら、心臓が張り裂けそうになったよ。
ドクドク、ドクドクと早鐘のよう打って俺の体温を上げていく。
やるしかないんじゃない?電話するしかないだろう。チラチラと雪が降ってきても、不格好な三日月だけは綺麗に見えていた。
prrrr、prrrr
なかなか出てくれない。
prrrr、prr……ピッ、五回目の着信で電子音と共に
「もしもーしっ!!達也!?こんな夜にどうしたの?」
という、美里の声が聞こえてくる。わかってるくせに…
「よく聞け、美里!ベランダに出てろ!一分で行くから!」
そういって一方的に電話を切った。
はぁ、はぁ。全力走ってきたせいで、彼女の家の前で情けなくも膝に手を付いてしまっている。
「二分遅刻だよー?」
「ははは…厳しいなぁ、美里様は」
「なんか言ったー?」
「いやいや、なんでもないさ」
「あはは、ところでさ…何の用かな?」
なんとか息を整え美里を正面に見据える。
美里がベランダに立ち俺は彼女を見上げるように立っている。
これはまるで――
「まるでロミオとジュリエットみたいだね」その通りだ。
いや、ちょっとは狙っていたのだけど。
「寒いな、雪も降ったしさ、元気かい?」
「そうだねー、初雪に誰かさんから電話も来たしね」「そりゃあよかったな。気でも持たれてるんじゃない?」
二人してあははと笑い合う。
しかしすぐに、
「…あんまり、はぐらかさないでよ?」
と少し泣きそうな顔をして美里が言った。
さすがに待たせ過ぎたな。
「ジュリエットはさ、満ち欠けする月みたいにロミオの気が変わるとか言ってたけど、俺の気なら絶対変わらないよ」
「うん、それで?」
「初雪に電話来ないかな?なんて言われたらそりゃあするよ」
「達也はしてくれたね」
「お前といるとめちゃくちゃ楽しいよ」
「知ってる、私も楽しい」まだダメか?もう、言えることなんて無いよ。
「何年前から、想ってると思うんだ」
「それは知らないよ」
「さすがに出会ってからとはいかないけど、高校入ったときからだ」
「じゃあ、私の勝ちだね。私は小五の時からずっとだよ?初恋だよ?」
え…マジか。さっきの電話の話で少しは気があるのかもしれないとは思ったけど、さすがにそんな前からずっとだとは気付かなかった。
つか、それは本当に恋愛感情だったのか?
「それは…ありがとう」
「あはは、それでも言ってきてくれたのは達也でしょう?」
そういって微笑む。
天使かよ。可愛すぎるわ。
結局、言えてない。俺はなんも伝えてられてない。
ぐずぐずしてたせいで先に女から言わせるという、男にとって恥ずべき失態をしてしまった。
「美里っ」
「んー?」
膝をつく。腰を曲げる。頭を下げる。もう格好なんかつかない。
だったらせめて、俺たちらしく、演じよう。村人Bだって高嶺の華に想いを寄せる。
俺らしく、お姫様を楽しませよう。
彼女を見上げる。
「あぁ、美里。どうしてお前は美里なんだ」
ある初雪の降る夜の物語だ。
ロミオとジュリエットな台詞は実際にあります。
初雪に電話と言うのも確か台湾か韓国辺りであるようです。