姉と妹
起きていきなり「おはよう」よりも当たり前のように母親に言われた。
「今日もマチちゃんの所に行くんでしょ?」
この台詞を聞いて思った。
何だか俺が毎日マチの所に通いつめているような言い方だ。それじゃあまるで俺がマチに尽くしている(=パシリ)みたいじゃねーか!!
そう思ったハジメは、本当は今日も仕事前に行くつもりだったが変に意地を張った。
「…行かない」
「え?どうして??」
どうしてと聞かれても…
「他に用があるから…?」
ハジメは嘘をつくのが下手で疑問形になってしまう。
「そうなの?マチちゃんに食べて貰おうとせっかくたくさんカレー作ったのに…」
とあまりにも残念そうに言う母。
ちょっとした反発心で言っただけなのに…、ハジメは母親の落ち込みように心が痛んだ。
(何で俺がこんな罪悪感感じなきゃいけねーんだよ!!)
罪悪感にかられているハジメをよそに母親はチラッとハジメの方を見る。
(そろそろかな?)
母親はどうすればハジメを動かせるか良く心得ていた。
「分かった!用事の前にマチの所に持ってくよ」
「本当に!良かった〜。ついでにミキちゃんの所にも持って行ってね」
「え…」
行くと言ってしまった手前、断れないハジメ。
「いや…でも…」
それでも何とか断ろうとしたが、
「じゃあ、よろしくね」
と反論させない笑みで母親に言われた。ハジメは諦めるしかなかった。
こうしてハジメはいつも母親の手の平の上で転がされている。これもひとえにハジメが素直で良い子という事だ。母親はそういうハジメの優しさが好きでそして上手く利用している。
さっき母の口から出たミキとはマチの姉の事である。この2人は反りが合わないのか仲が悪い。そしてハジメは何故かミキが苦手だった。
ハジメにも姉がおりミキはその姉と同級生で、お隣りさんで上下同い年。
仲良くならない訳がない。
何度となくミキと一緒に過ごした事はあるが、実のところハジメはミキと一度も話した事がなかった。
「何故か」と聞かれたら「話す事がなかった」という事なんだろうが……
それ以前にミキは何を考えているのか判らない。あまりにも無表情で無口だ。ハジメには怒っているようにしか見えなくて恐いという恐怖心が植え付けられてしまっている。
マチが可愛い系だとしたらミキはキレイ系で、だから余計に黙っていると迫力があって恐い…。
だから何時間も前からハジメは、近藤家のドアの前でチャイムを鳴らせずにいる。そんなだからすれ違う住人に変な目で見られる。
(このままじゃマチの所に行けないし、仕事に遅れる…)
そう自分に言い聞かせハジメは意を決してチャイムを押した。ドアの向こうからチャイムの音が聞こえてきた。
(よし!ちゃんとチャイムは鳴った)
この団地は古いから時々チャイムを鳴らしても鳴らない時がある。
とりあえず住人が出て来るまで待つ。
待ち続けるハジメ。だが待てど待てど部屋の住人は出て来ない。
(いないのか…?)と思い、そうならさっきまで悩み続けていたのがバカらしいと言わんばかりに憂さ晴らしでチャイムを鳴らす。段々ハジメは調子をこいてチャイムを鳴らしまくる。
「何バカみたいに怖じけづいてたんだろ…たかがお隣りさんにおかず届けるだけじゃね〜か」
安心して笑っていると、いきなりドアが開いた。
「うるせーよ!!1回鳴らしゃあ分かんだよ!!!」
(だったら最初に鳴らした時に出て来て下さいよ〜)とは思いつつ、ハジメはいないと思い込んでいた為にビックリし過ぎて持っていた鍋を落としそうになり、それを庇いながら尻餅をついた。
「何のようだ?天気が良からイタズラ心が疼いてわざわざお隣りさんに嫌がらせに来たのかテメェは…」
(ひぃぃ〜!意味が解りません〜(涙))
恐い!!ハジメはあまりの迫力に泣きそうになった。恐くてミキの方が見れない。
「相変わらずだな…。はぁ〜…」
(ため息!?)
ミキの一言一言に反応してしまうハジメ。
ミキはしゃがんでハジメに目線を合わせて再度聞く。
「何かよう?」
ミキがしゃがんだ事でハジメの視界にミキが望まずとも入ってくる。
ハジメはそれを見て、余計にミキの方を見れなくなった。
ミキはお風呂に入っていたのかバスタオル1枚を身体に巻き付けハジメの前にいる。
髪から滴る水滴とこの前のマチとは比べものにならないくらい良い匂いが漂ってくる。
目のやり場に困ったハジメは下を向いて両手で鍋を差し出す。
まるで少女漫画でラブレターを渡す少年みたいだ。
「こ、これっ!!は、母上がカレーを…」
緊張のあまり母親の事を母上と言ってしまう。
「あぁ、そりゃどうも」
ミキは鍋を受け取り部屋に入ろうとする。ハジメは任務を終えて安堵していると、ドアが閉まる前にミキが振り向いてハジメの名前を呼んだ。
(名前知ってたんだ)という驚きと初めて名前呼ばれた事への高揚感か、ハジメは自然とミキの方を見る。
「ありがとう」
そう言ってミキは優しく微笑んだ。
ドアが閉まってからもハジメはそこから動けなかった。
あの笑顔はあまりにも衝撃的だった。
自分家のドアが開き、母親が買い物に行こうと出て来る。母親はドアを開けるとハジメが目の前で座り込んでいるのを見て驚く。
「あんた何してんの…?」
(カレー渡すだけでどんだけ時間かかってんのよ…)と母親は呆れ返る。
「ほら、急がないとマチちゃんの所に寄れなくなるでしょ」
母親はマチに持って行く鍋を持たせハジメを追いやる。
ハジメは放心したままマチの所に向かった。
コンコンコン。
いつもならここで「入るぞ〜」と言って勝手に入るハジメだが、今日はノックだけしてそのままドアの前で立ち続けていた。
マチはいつまでもハジメが入ってこないので(ほっとこうか)とは思うものの迎えに行く。
ドアを開けるとハジメは鍋を持ったまま呆けていた。
「何してんの?」
と聞くが、ハジメは答えない。
(どうしたんだろ…コイツ?)
マチはハジメの顔を覗き込むように見る。その時マチから良い匂いがした。ハジメはいきなりマチに鍋を押し付けて、
「何で今日に限って良い匂いなんだよ!!」
と訳の解らない言い掛かりをつけた。
「はぁ?何言ってんの…?」
マチは呆れて部屋の中に戻る。
ハジメはマチから良い匂いがしてきて、さっきのミキの事を生々しく思い出してしまった。
鼓動が尋常じゃないくらい早い…
どうしたんだろ俺−−−
この興奮を治める為にマチにミキとの事を話す。マチはそれをどうでもよさそうに聞く。
「−−んで、初めて俺の名前呼んでくれて、初めて俺に笑いかけてくれたんだよ!!」
それがあまりにも嬉しくて堪らないハジメ。あまりにも嬉しそうに話すハジメを見て、マチは複雑な気持ちになる。
前々からマチにはハジメには聞きづらい疑問があった。それはさすがに聞きづらいから遠回しに聞く。
「前から思ってたんだけど、あんたアイツの事好きなの?」
「え!?」
意外な質問に驚くハジメ。そんな事1度も考えた事がなかった。ハジメはマチにそう言われて考えた。
そうなのかな…?そう言われればそうなような気もするようなしないような………
いくら考えても答えは出ない。マチが続けて言う。
「あんたのアレに対する恐怖心って憧れからきてたんじゃない?嫌われたくないっていう何かそういうビクビク感」
「いや〜、それとは違う−−−」
(とは思うが良く判らん…)ハッキリした答えが出せないから否定も出来ない。ハジメは何とも答えられず押し黙ってしまう。そんなハジメを横目にマチはテレビを見る。
やっぱりいくら考えても答えが出そうにないハジメ。時間が気になってケータイを見てみると出勤間近だった。今すぐ出ないと間に合わない。
「わりぃ、もう行くわ!ミキさんの事は良く分かんねーわ。じゃあまたな」
ハジメは急いで仕事先に向かう。
結局マチは、聞きたかった事は聞けなかった。複雑な気持ちのまま膝を抱えてテレビを見ている。だがマチにはテレビの内容は何一つ入ってこなかった。