表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の月 改稿版  作者: 紅月 実
第一話  夜明け
3/25

夜明け(二)☆イラスト有り *動物解体描写有り 

霧明 様よりミアイのイラストを頂きました!

ありがとうございます!

*イラストの著作権は霧明 様にあります。無断使用や複製は固くお断りします。

2014.09.01

 今日の狩り運は上々だった。午前のうちに中型のシカを目視し、心持ち北寄りに東を指し示したかしらに従って組衆も無言で囲い込みに入った。

 枝を蹴って移動していた小集団から二つの人影が抜け出した。その二人は地上に近い下段の枝へ移った。別の二人が下段後方へ動く。

 横から見ると、中段に残った二人を頂点とした三角の狩り用の隊形である。先行する二人が最も低い最下段の枝へ移動した。


 その時先頭の片方が足を滑らせた。踏み切らずに枝を通り過ぎたので緩やかに下降する。しかし、足を滑らせた当人は落ち着いていた。

 両手を伸ばして目前に迫った枝を掴む。足下の地上を後ろの仲間が駆け抜けた。枝を中心に一回転して手を離し、五メートルの高さから危なげなく着地する。大きく膝を曲げて腰を落としたのは、衝撃を吸収すると同時に次への準備だった。

 〈祝福〉で瞬時に強化された足の筋肉が超人的な跳躍を可能にした。一跳びで仲間に追い付くとそのまま最後尾に加わった。


 獲物の視界では『囮』が低い枝を移動しつつ、時にはからかうように併走していた。後方からは追い立てる役目の『横手』が続く。

 そしてシカを下に見ながら中段の枝を移動していた『とどめ』の二人が、お互いの間隔を狭め、滑らかな動きで下段の枝に移動したところで森が途切れた。


 森の中にぽっかりと空いた小さな空き地だった。先回りした囮が、空き地を抜けて再び森へ入ろうとするシカの進路を塞いだ。シカが横に跳ねる。そこには大振りの短刀ナイフを握った止めが待ち構えていた。受け止めるように抱き竦めて首の付け根に刃を突き立てた。

 一突きで頚動脈を断ち切られたシカが大きく痙攣する。間髪入れずに足で胴体も押さえ込むと、全身を使って組み伏せた。ナイフの柄を首飾りにしたシカは徐々に弱り、空を蹴っていた蹄も少しずつ力を失っていった。

 蹴られないよう念を入れて背中側に回ったもう一人の止めが、シカの上に膝を乗せて手早く後ろ脚をまとめて縛った。前脚まで縛り終えてから、やっと力を抜いた男は立ち上がった。筋肉の盛り上がっていた腕の緊張が解けていく。




「はい、一丁上がり。お疲れさん」

 愛想良く宣言したのは一人で囮をした若い男だった。艶のある黒髪を首の後ろで結び、くるくるとよく動く青い瞳の持ち主である。

「一人で囮をさせちゃってごめんね。シム」

「オレは全然構わないけど、ミアイは平気? 足をひねったりしてない?」

「それは平気。……鳥の糞でも踏んじゃったかな」


挿絵(By みてみん)


 黒髪の少年は己と同じ役割の相棒を気遣った。赤みの強い暗褐色の癖っ毛と鳶色の瞳の若い女は肩を竦めた。

 『囮』は瞬発力と敏捷性に秀でた者が向いている。機動力を活かして獲物の進路を誘導するのだ。ミアイとシムは外見から受ける印象通りの素早さを備えていた。この二人の「本気」には組の誰もが追い付けなかった。



「ちゃんと仕留められたんだから問題ないだろ。……なあタカ?」

 甘く整った容貌の男が隣を仰ぎ見た。うんうんと頷く金髪の巨漢の名はタカ、汗の滴る褐色の髪を掻き上げた美丈夫はタカの実兄のカクである。

 癖の強い金髪が鳥の巣のように見えるタカは、一つ年上の兄よりもずっと背が高かった。いや、背丈も肩幅も、胸板や腕までが太く大きい。『村』でも彼を見下ろせる者はほんの数人しか存在しない。

 同じ両親を持つ兄弟だというのに、顔立ちも身体つきも全く似ていない。二人とも瞳は青いが色合いは異なっていた。


 しかし彼らの間には〈絆〉があった。比喩ではなく〈自然の恵み〉の発露の一つをそう呼ぶのだ。離れていても意志の疎通が可能で、相手の居る方角やおよその距離も分かる能力である。兄弟姉妹、親子など。特定の近親者間に見られるその能力ちからこそ、彼らが兄弟たる目に見えない証だった。

 二人は狩りにおいて獲物を追い立てる『横手』をしていた。




 そこへ突き出した拳を合わせて狩りの成功を無言で祝う二人が加わった。この二人は小さな空き地の隅で獲物を枝に吊るしていたのだ。逆さにしておけば首の傷から血抜きが出来る。

 カクと同じくすらりとした長身の二人は黒髪だった。短髪がヤス、もう一人がこの狩り組を束ねるかしらのテンだ。


 強い意思を感じさせるヤスの灰青色の瞳は、明るい陽差しの下では銀色に見えるほど色が薄い。短く刈り込んだ髪や高い頬骨、鷲鼻と細い顎。何もかもが冷ややかで威圧的だった。

 しかし意外な事に、先ほどのシムと同様ミアイを心配して怪我の有無を尋ねている。大丈夫とにこやかに答えるミアイを見て、薄い唇が安堵に緩む。煌く眼光は刃物のように鋭いが、ヤスは決して冷淡ではなかった。


 テンは肩に掛かる髪を邪魔にならないよう首の後ろで結んでいた。獲物を仕留めたのもこのテンだった。長めの髪が瞳を一層暗く見せていた。

 獲物や組衆の動きを全体的に捉える『止め』は頭に割り当てられる事が多い。テンも例に漏れず、ヤスとともにその任に着いていた。




 一様に日焼けしたこの若者たちは〈狩り人〉と呼ばれていた。細身に見えるのは敏捷さを殺さない鍛え方をしているからだった。彼らの身体には実質的な筋肉がみっしりと付いている。肉体強化を基本とした様々な異能力を使いこなすために、何年も掛けて心身を鍛えた結果だった。

 地上ではシカよりも速く走り、樹上ではリスのように軽やかに木の枝を渡る。常人には持ち得ない身体能力を有した森人たち。有事の際は自治領を守るために兵士としての訓練も受けていた。

 世界に満ちる〈自然の恵み〉を自身の肉体に反映させて得る異能力ちから。その素質を持つ者だけが狩り人になる事を許された。無事に訓練を終えた若者は数人ずつ集まって『組』と呼ばれる小集団を作る。

 狩り組は森の一部を縄張りとして領主から借り受け、その狩り場の中で日々の糧を得ていた。




「……今日の解体当番は誰だ?」

 少々間延びした口調でタカが問い掛けた。途端に陽気だったシムの表情が曇った。シムが渋々と名乗り出る。彼はこの作業が苦手なのだ。

「へまをした埋め合わせにわたしが代わるわ。一人で囮をさせちゃったでしょ」

 小躍りしながら喜ぶシムを横目にミアイが肩を竦めた。ふいに懐かしさが込み上げたのだ。


 彼らテン組は数ある狩り組の一つで、『囮』、『横手』、『止め』が二人ずつの計六人で編成されていた。シムを除いた男衆は皆同じ年頃で、唯一の女衆ミアイは彼らより三、四歳年下だ。シムはミアイよりも更に一つ下だった。

 しかしこの組に一番最後に入ったのはミアイだった。ある出来事がきっかけで女ばかりの組から男五人のテン組へと移った。

 その初日も横手の最後尾で狩りをし、腕試しとして獲物の解体を指示された。それから二年が経っていた。




「ちょっと向こうまで行って来るわ」

 意味するところを察したテンは無言で頷いた。ミアイは枝から枝へと高速移動する『樹渡り』を始めた。空き地が見えない所で枝を降りると、足元の地面を這うように生えていたヒメイチゴを手早く摘んだ。そのままぶらぶらと歩いて、周囲に点在する野生の木の実を収穫した。決められた場所で用を足して『まな板』へ戻った。


 男たちは獲物のそばで小休止していた。運動能力の高まりに伴って体温も上がるので大量に汗をかく。狩りの後は昂ぶった気持ちと身体を鎮めるのだ。袖無しの胴着とズボンで狩りに出るのが普通なのも、風通しの良い衣服なら滲んだ汗が乾いて体温を下げるからだ。

 ヤスとカクが色を塗った小石とサイコロを使って遊戯ゲームに興じていた。普通は金を賭けるのだが、小枝を折ったものをやりとりしてただの時間潰しとして楽しんでいた。タカがそれを見ており、テンはナイフの手入れをしていた。


 ミアイは血の染みた地面を避けて獲物に近寄った。傷からはもう血は流れておらず、すぐ解体に入れる状態だった。

 まどろんでいるシムの脇に小袋をそっと置くと、全体が三つに分かれた手の平大の葉を数枚テンに差し出した。この蔓草は皮膚の痒みや炎症に効能がある。森に入れば虫に喰われるのは珍しくはないが、シカダニに一度噛まれると強い痒みが何日も続く。

「若衆で教えられるのに、この蔓草の事はみんな忘れちゃうのよねえ」

「段々と皮膚が強くなってダニに喰われなくなるからな」

 礼を言って受け取ったテンは、指先で揉み潰した葉を腕の内側や腹に塗り付けた。ミアイはカクとヤスにも葉を渡した。


「ん……? ベリー?」

 ささやかな土産を見付けたシムはまだ眠そうだ。

「獲物を捌いている間のおやつよ」

 〈恵み〉の力で身体能力を強化する狩り人たちはみな食欲旺盛だ。酷使される身体を維持するには滋養のある飲食物をたくさん必要する。女としては小柄なミアイでさえ狩りに出た日は大の男の倍以上食べる。甘味と適度な酸味のある果実は貴重な栄養源だった。


 枝に飛んで細縄ロープの結び目を解くとカクとタカが近くにある大きな岩の上に獲物を運んだ。皆が『まな板』と呼ぶこの岩は、表面に多少の凹凸があるものの上部はほぼ平らで卵型をしていた。表面が濡れているのは酒で洗ったからだ。

 地面から露出している部分はミアイの手首から指先までの長さよりも厚みがある。大型のシカでも乗せられる大きさなので、解体時の作業台に使われていた。


 ミアイは地面に膝をついて準備を始めた。二本のナイフと砥石、食料を入れるための袋も横に置く。

 獲物は既に白っぽい腹を上にして寝かせてある。そこへ屈み込んで腹の皮に切れ目を入れた。血抜きが終わっているので出血も殆ど無い。時折逆手に持ち替え柄頭を軽く叩き、焦らずに手順を踏む。

 邪魔にならないようずっと脚を押さえていたタカが獲物の下半身を引き寄せた。岩からはみ出した後ろ脚をぐいと押し広げる。骨盤に押し出されたはらわたが浮いた。


 内臓を取り外すときはシムが前脚を押さえていた。ミアイはそれを手際良く切り離してヤスの差し出す水筒の水でゆすいでから袋に入れた。腸の始末後はまず水で、次いで強い酒できれいに手を洗う。

 獲物は腑分けの間に、今度は頭を上にして枝に吊るしてあった。次は皮を剥ぐのだ。全体に切れこみを入れて少しずつ剥いで行く。

 首の部分が終わると、タカが皮を両手で掴んで少しずつ下に剥がす。ミアイは皮に肉を残さないように、先細の小刀ナイフで肉の表面を撫でるだけで良かった。皮を剥ぎ終わると胴体をおおまかに切り分け、かさばらないよう頭や脚を落とす。関節を露出させるために周辺部の肉を切り取った。




 おおよその解体が終わったところで、皮で一まとめにした臓物をヤスが村の換金所に持って行った。傷みやすい臓物は自分たちで処分しまう事も多いが、早めに持ち込めば食堂が優先的に買い上げる。今時分の持ち込みなら夕方には旨い煮込みになっているはずだ。

 ミアイはその間に昼食用に残した前脚に取り掛かった。使い慣れた小刀で骨から肉を削ぎ落としていく。


 仕事を終えたミアイは肉を取った後の骨を目の高さに上げて検分した。己の仕事に満足して肩の力を抜いた。

「終わったわ」

 テンが昼食用の肉と骨を袋の一つにしまった。水筒でミアイの手を洗わせると、食べ物の傷みを防ぐ効果があるドミネラの葉に載せた血の塊のようなものを差し出した。

「特権の分け前だ」


 それは一口大に切り分けられた肝臓だった。仕留めた者は権利としてその場で一切れ───時には全部───を食べるのだ。ミアイは濃い血色の小片を口に放り込んだ。肝のねっとりした舌触りは好きではなかったが、時折無性に食べたくなるのも自覚していた。噛まずに丸呑みするのを見てテンが苦笑する。

「ヤスが戻るまで休め」

 ミアイは喜んでかしらの言葉に従った。稼ぎに直接関係する獲物の解体は神経を使う作業なので、どっと疲れが押し寄せる。樹の根元に座ると幹に背中を預けた。水を飲んで肝の後味を流し、カクが投げ渡した袋のベリーで口直しをした。

 そして、忘れないうちにとナイフの手入れを始めた。その小刀ナイフはミアイにとって、とても思い出深い物だった。割れてしまった木製の鞘は去年交換したばかりだ。


 ふと、先ほどの狩りを思い出したミアイは興奮で背筋がぞくぞくした。

 『囮』のシムの確実な誘導、『横手』の堅実な追い込み、『止め』の完璧な動き。全ての呼吸がぴったり合った絶妙の連携は、止めの二人が中段から下りてからが特に見事だった。

 止めが地上に下りるタイミングが重要だった。初めてテンたちの狩りを見た時には圧倒されたが、今は己もその一端を担っていると思うと嬉しかった。そう、今のミアイはテン組の一員なのだ。二年前のあの日から、彼女の運命は動き出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ