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銀の月 改稿版  作者: 紅月 実
第五話 王狩り
25/25

王狩り(五)☆イラスト有り

yamayuri様よりイラストを頂きました!

ありがとうございます!

*イラストの著作権はyamayuri様にあります。無断使用や複製は固くお断りします。

2014.11.03

 六人の若者が王狩りの印を賜ったその夜、無数の篝火で煌々と照らされた村の広場で巫女が踊っていた。粛々とした太鼓のリズムが舞いを先導する。民のために舞った巫女へ惜しみない賛辞と拍手が送られた。


 広場の端に、背もたれの無い腰掛けと長卓テーブルを横に連ねた主賓席が用意されていた。領主と同席する栄誉に預かっているのはもちろん、『王狩り』の首飾りを着けた六人である。

 椅子の上に立ったガリが両手を広げて注目を集め、己の両脇に座っている宴の主役らを立たせた。村人たちが一斉に組の名を叫び個人の名を挙げて褒めちぎった。暫し待って民を静めた領主が新たな慶びを告げた。


 この数日と言うもの、『王狩り』の顛末は擦り切れるほど繰り返し話の種にされていた。中でも獣王から仲間を救った美談の主人公、ミアイの評判は鰻登りだった。そして何と、今度はそのミアイが〈癒し〉の力を開花させたと言うではないか!

 祝いの言葉が熱狂的に送られる。衆目を集めるのに慣れていないミアイは困ったように俯いていたが、ガリに促されて少々強張った笑顔で手を振った。

 舞の衣装から飾り気の無い貫頭衣ドレスに着替えたティーアが、守るように彼女の横に立った。今後、ミアイが巫女の元で力の使い方を学ぶ事を示唆していた。

 居住まいを正したテスが再び民を静め、何時如何なる場合でもミアイに〈癒し〉を求めてはならじと厳命した。非常に有益な異能力ではあるが、その代償は当人の命だ。ミアイ本人にも、巫女の許可無く使ってはならないときつく言い含めてあった。例えそれが死に瀕した患者に対してでも、だ。


 言葉が染み入るまで暫し黙していたガリが頬を掻いた。堅苦しい表情が砕けたものに変わり、宴の開始を宣言した。ガリも平服にテスの首飾りを着けただけの略装なので無礼講だ。楽師を指差したティーアが早い拍子で手を叩く。手拍子に導かれて太鼓に笛、鈴に大小の弦楽器が陽気な楽曲を奏でた。

 楽の音に合わせて広場に大きな二重の輪が出来た。内側と外側、それぞれ男女に分かれて輪を作る。ティーアが浮き浮きと踊りに加わった。そこには美しくも威厳ある巫女ではなく、祝い事を楽しむ若い娘が居た。内外の輪が何度も入れ替わり、一連の踊りが終わると一歩右に動いて新たな相手パートナーの手を取る。




 獣王の肉は集まった者全てに行き渡るよう平等に分け与えられた。

 細切りにされた腸が大鍋に漂っていた。椀に盛られた肉厚の臓物は、噛むと旨味がじゅわりと広がる。溶け出した肉気が一緒に煮込まれた根菜にも染み込んでいた。濃厚な煮込みを吹いて冷ます姿があちこちで見られた。

 骨付き肉スペアリブが焼かれる匂いは食欲中枢を大いに刺激した。巨大なあばら骨から剥ぎ取られた小片が配られる。一口分しかないがちゃんと味が分かる大きさだ。縁起物などそれで十分だった。


 今夜のために潰した家畜の肉と、祝い事に欠かせないシカ料理がたっぷり用意されていた。目玉であるシシ王の肉を先に受け取ってから、こちらで本格的に腹を満たすのだ。細切りにした腸を油で揚げて塩を振ったものは歯応えが良く、金串に刺して焼いたものは焦げたタレが芳しい。

 卓の上に並べられている様々な料理を各自で取り分けた。付け合せの野菜に肉汁混じりの脂が滴る。井戸で冷やした胡瓜や赤茄子トマトなどは丸のままざるで置かれていた。トウモロコシの甘パンに子供たちが群がる。切れ目の入った小さめのパンは、中に様々な蜜煮ジャムが塗られている。

 思い思いの場所で適当に食べるので、煮込み料理は少なめだ。


 振る舞い酒を煽り、味も量も申し分無い料理にかぶりつく。滅多に無い飲酒許可に、早くも酒を過ごした者が大声で歌い始めた。音の外れたどら声に野次が飛び、周囲の笑いを誘う。だが、野次られた本人は気にした風も無く、豪快に笑って再び杯を傾けていた。

 本来、村の掟では飲酒を禁じてはいない。正確には秩序を乱すのを禁じてはいるだけなのだが、暗黙の了解として酒を飲まない。

 酔って注意力散漫な状態で肉体を強化し、高速移動したらどうなるか。泥酔して暴れる男衆を取り押さえるのにどれだけ手を焼く事か……。それ故にこういった特別な場合を除いて、公共の場では飲酒を自粛しているのだ。




 領主を含む主賓には特別な酒肴としてシシ王の睾丸と肺が供された。上等の腰肉フィレのような睾丸の薄切りは、軽く茹でて刻んだ香草を巻いてある。念入りに下茹でされた肺は気管支と肺腑に分けられていた。肺は弾力があるが、気管支は軟骨のような歯触りだ。果実から作ったほんのりと甘い酢を始め、何種類ものソースが用意されていた。


 特等席は横一列に並んだテン組の中央にガリが陣取っていた。領主の右側に頭のテン、更にその右にカク、シムと続き、ガリの左からミアイ、ヤス、タカの席となっている。シムにシャウナが、ミアイにはティーアが見張り兼付き添いとして同席していた。

 テンたちの前には祝いを述べる者が列を成し、話しついでに酒を注ごうとする者も多い。しかし、ミアイは酒どころか食欲も殆ど無い状態だ。今も本心では横になって休みたいところだが、王狩りのお披露目なので無理をして座っているのだ。


 村へ凱旋したその日。薬を飲んだシムは夜半までに熱が下がったものの、大事を取って安静にするべしと儀式当日まで治療所に軟禁された。そして、シムと入れ替わるようにミアイの具合が悪くなった。

 女性としての周期が乱されたミアイに月の物が訪れたのだ。常に無いほどの低調ぶりで寮に戻る事すら出来ず、治療所の一室でずっとぐったりしていた。尤も、村に居るほうが巫女の目が届くので都合が良かったのではあるが。月の障りなら数日で持ち直すだろうと予想し、王狩りの儀は二日後と定められた。


 その後は領主以下、村の顔役たちは宴の準備や手配でおおわらわだ。狩り人の伝令があちこちへ走り、それに伴って頻繁に人や荷馬車が出入りした。マリダポールや近隣の農村からも大量の食材が運び込まれた。

 特に問題の無かったテン組の男たちも捨て置かれた訳ではない。準備に狩り出される事はなかったものの、記録を残すために王狩りの仔細をうんざりするほど幾度も話すはめになった。

 


―― ◇ ――



 テンは、人々が酒や料理を堪能し踊りに興じている様子を、どこか遠くの出来事のように眺めていた。薄い布越しに見ているような現実感の欠如は、飲み過ぎた酒のせいだろうか。

 始めに出された獣王の煮込みと炙り肉を食べ終える頃には、テーブルの端に挨拶待ちの長い列が出来ていた。『王狩り』の印へ皆が目を止める。通り過ぎる沢山の人、人、人。見知った顔も有れば、名前すら知らない顔も有った。型通りの受け答えをし、杯へ注がれた酒に口を付けた。


 作り笑いで祝辞を述べ、すぐに隣のガリへ向き直る村人の何と多い事か。好きなはずの酒は時間が経つごとに苦痛になるばかりだった。それでも本心からの言葉だと思えれば杯を受け、自分から酌を返す事さえした。

 狩り人ならば誰でも一度は夢に見る『王狩り』になった。誰かが共に祝ってくれる事がとても嬉しかった。隣にいるギゼも心底祝ってくれた一人だ。

 テンとカクの間にはちゃっかりとギゼが居座っており、陽気に飲んで食べていた。媚を売ったつもりは無かったのだが、生き胆の特権を分けてから、ギゼははっきりとテンに好意的な態度を取っていた。少々くすぐったいが、懐かれたらしいと感じていた。


 そしてまた一人、真実まことの祝辞を伝える者が訪れた。ぴんと伸びた背筋、堂々とした物腰と日焼けした肌。道具や鉈を帯びていなくても一目で狩り人と見て取れる。見事な金髪を首の後ろでまとめた女衆だ。

 シム、カクと順繰りに祝いの言葉を伝え、テンの前に立つ。抱えていた小樽を置いて居住まいと正した。右手を胸に当て、手の平を上に向けた左手を前に出す。相手に対して敬意を示す仕草である。テンは静かに右手を重ねた。


「心からの祝いと慶びを『王狩り』の組頭殿に伝える。……私にも介添えをさせて欲しかったが、非番で狩り場に居なかったのだから仕方ないか」

 悔しそうにちらりとギゼを見たのはエレラだ。村でも一目置かれるエレラはロウ一族の長の娘だ。女にしては肩幅も広く、顎の輪郭ラインもがっちりしているが、中々の美形だ。勝ち気な気性を感じさせる眉は黒くくっきりとしており人目を引いた。


「随分と飲んでいるようだが、私の酒は受けてくれるか?」

「喜んで受けよう」

 テンは隠すように握り込んでいた空の酒杯をエレラに向けた。注がれた酒を一息に煽る。滑らかな喉越しの上物だ。別の機会に味わったなら、鼻に抜けるふくよかな香りをもっと楽しめただろうと残念に思った。

 その様をじっと見ていたエレラがつと顔を伏せた。言い辛そうに口篭る。

「その……、生憎と父は具合が悪い。今夜は私が父の名代としてここに来たんだ」

「何と! 伯父上の容態は悪いのか。従妹いとこ殿」


 表情に翳が差したテンを押し退けてガリが大げさに割って入る。今は亡きガリの母はエレラの父バリノフの妹だ。そしてエレラの兄弟は誰も異能力を得ていない。唯一狩り人として〈祝福〉を発露した彼女がロウの家長を継ぐのだ。

「……足が酷く痛むので、祝いの席に出られない無作法を貴方に侘びておくよう、言い付かっております」

 エレラは嘘の付けない真っ直ぐな性情だ。彼女の態度から言い訳に違いないと直感したテンは、知らぬ間に卓の下で拳を握り閉めていた。怒りで身体中が震える。テンのすねをガリが軽く蹴飛ばした。はっとしたテンには素知らぬ振りで、ガリはエレラと話している。従兄妹だけあって二人の髪色はよく似ていた。


「ふむ、そうか、伯父上も年だな。……おっと、これは失言だった、すまない。伯父上には無理せず養生するようにとだけ伝えておいてくれないか」

 テンはこの仕打ちはエレラのせいではないと己に強く言い聞かせた。少しずつ手の震えが収まっていく。

「……俺からもよろしくと伝えてくれ」

「父の無礼を許して欲しい。すまない、テン」

 エレラも一応は安堵したようだ。一礼したエレラは、今度はミアイの前に立った


「そんなに怒るな、満更嘘って訳でも無いんだ。あの膝では、愛すべき伯父上は数年も経たずに我が従妹姫に跡目を譲るだろうよ。……ロウの次期まとめ役はお前を嫌っていないようだし、もう少しの辛抱だ」

 エレラの口上に隠したガリの呟きはテンに向けたものだったが、ギゼには聞こえていたようだ。

「……あひが動からいんじゃあ、〈クウォン〉にはなれないれすよね~え、ガリ」

「あー……、その話を蒸し返すのは勘弁してくれギゼ。年寄りどもの耳に入るとまた面倒な事になる」

「そうれすねえ、すみまひぇん」


 呂律の怪しいギゼが言っているのは、バリノフをクウォンに就任させるという件だ。クウォンは狩り人のおさでテスに次ぐ権力を持つ地位だ。武力の要〈狩り人〉を束ね、戦場いくさばでは全権を任される大役である。実力もさることながら、長との強い信頼関係が必要になる。

 しかし、戦が無くなって久しい今日では、街道の治安維持や密猟者の討伐、若衆の訓練を監督するのが主な役目である。政治まつりごとの補佐は執政官が居る事とて、適正な人材が居なければ空位とされる。


 ロウ一族は〈テス〉と同じように異能力に秀でた少数部族だった。しかし数十年前に住み慣れた土地を追われ、テス一族に助けを乞うた。五氏族で協議の末に東ガラットが『領民』として受け入れる事となった。

 当然の成り行きとしてテスとロウの婚姻話が持ち上がり、当時の〈テス〉の二人の子息のどちらかに〈ロウ〉の娘をめあわせる事になった。

 テスの息子のうち、弟がロウの娘を妻に迎えて父の跡を継ぎ、やがて二つの血を受く男子が産まれた。その『弟』がガリの父、つまり先代のテスである。

 現在の東ガラットにサヤナ=テスの末裔すえはガリ一人なのだから、当然〈クウォン〉の地位も空いている。領主の外戚と言ってもバリノフは一領民、一家系の長であって一族テスでは無い。ロウの発言力を強めたい気持ちは分かるが、血筋だからと無闇に優遇出来るものでもないのだ。どれだけ撥ね付けても折に触れて持ち上がるこの件はガリの頭痛の種だった。

 



 俯いたテンと、天を仰いだガリの溜め息が重なる。顔を見合わせて苦笑する二人をギゼがけらけらと笑った。もう一度小さく息を吐いたテンが席を立った。

「なんら、小便か?」

「自分が酒樽になった気分なんだ」

 冗談だと思ったらしいギゼが輪を掛けて笑い出す。酒に強いテンはどれだけ飲んでもギゼのようになる事は無いが、さすがに酒量が多過ぎて水っ腹だ。既に幾度も中座している。

 人が多く集まるので急拵えの厠があちこちに作られていた。すぐに埋め戻せるよう深く穴を掘って板を渡し、小さな天幕で覆っただけのモノだ。一番近いのは役所の裏手にある。入り口に角灯ランタンが掲げられているので、それを目印に背後の森へ入る。


 厠を出て元来た方へ歩く。暗い森から明るい広場への道のりで迷う事は無い。影になった木の幹が宴の風景を切り取って、別の世界の風景を垣間見せているかのようだ。テンにとって友人と言える数少ない存在、気心の知れた仲間たちがくっきりと浮かび上がった。

 ガリは踊りの輪を見ながらギゼと談笑していた。衛士たちの影にいるティーアは、新しい能力に不安を抱くミアイを慰めていた。好物の料理を喜んでいたヤス、シャウナに酒を取り上げられて膨れ面のシム。要領良く酒を飲んでいるように振舞うカクと、馬鹿正直に杯を飲み干すタカ。


 背を向けられているのに、皆が自分を待っていると思えるのが不思議だった。

 其処になら、居場所が有るような気がした。

 此処になら、居ても構わないのだろうか?

 眩しそうに目を細め、顔を綻ばせたテンは光の中へと踏み出した。



挿絵(By みてみん)




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