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銀の月 改稿版  作者: 紅月 実
第四話 月光-ツキヒカリ-
20/25

月光(五)

「二人とも楽しそうだ」

 そう言うタカ自身も嬉しそうだった。

「上手く行って良かったぜ……。それにしても、ミアイに巫女の素質があるとは思わなかったな。なあ?」

「……そうか? あれはシムを救いたいというミアイの気持ちと、死にたくないというシムの気持ちが合わさって、たまたま良い結果になっただけだと思う。ただの偶然…………。幸運だったんだ」

 ミアイがシムの耳を噛んだのは、悪戯をした子供の尻を叩くのと同じなので誰も気に留めていない。水際で遊ぶ仲間を見る三人はのんびりと座っていた。

 カクだけは「大事な獲物が流されたら困る」と、一人獣王の見張りに戻っていた。どうせ場に居なくともタカを介して様子は伝わっている。大事な用件の時だけ直接顔を見て話せば良いのだ。


「ロープに突っ込んで切ったらお前の皮を剥ぐぞ!」

 聞こえてきたカクの声に皆が苦笑した。庇ったタカが言い添える。

「ほんとは兄貴も凄く喜んでるんだ。安心してついあんな言い方になっちまってるだけで────」

「ああ、分かってる。それは俺も……、俺たち全員が安心して、良かったと思ってるさ」

 何時に無く穏やかに、生命を謳歌する仲間に目を留めたままテンが言った。ヤスは黙って片方の眉を上げて見せただけだったが、タカにはそれで十分だった。

 ミアイは暫くシムに付き合うつもりのようだ。〈月〉は手の平を返すように容易く使える力では無いので、誰かが新たに獣化して消耗するのは得策では無い。既に力を発動したミアイが力の発散役に適任だった。


 照り付ける夏の陽射しが肌を焼く。汗を拭い、身体に水を掛けて涼を得る。元気そのものの友を見ながら時折言葉を交わしていた三人だったが、ぽつりとヤスが呟いた。

「…………なあ、テンよ」

「うん? ……どうした?」

 声を掛けたものの先が続かないヤスをテンが促した。

「あー……、いや……、その、何だ」

「? 言いたい事があるならはっきり言え」

 渋い表情で見返していたヤスが疲れたように息を吐いた。

「気付いているのか?」


「……何の事だ? ミアイを巫女にと言うのなら無理だと思うぞ。巫女には特殊な性質の力が要求されるのはお前も知って────」

「そうじゃ無くてだな……。お前自身は自覚があるのかって聞いてるんだよ」

「……さっぱり分からん。どういう事だ」

 しきりに目をしばたかせたテンが詰め寄る。ヤスは友でもある己の組頭をじっと見ていたが、諦め顔でもういいと目を逸らした。


「おい待て。分かるように説明しろ」

「自分で考えろ」

 ヤスはそっけなくあしらうがテンは収まらなかった。身を乗り出してヤスを問い詰める。

「いきなり変な事を言い出したのはお前だろう! 思わせぶりに途中で止められたら気になって仕方がない。……言え!」

 仏頂面のヤスは肩に置かれたテンの手を振り払った。獲物の担ぎ棒が擦れて皮膚が破けたところを掴まれたのだ。ヤスを含めて荷運びをした者は同様の傷が両肩にあり、内出血もしている。生命に関わらなくとも痛いものは痛い。


「優しい目をしてる。……と思ったんだよ」

「…………………………は?」

 下唇を突き出した不機嫌な表情とそぐわない内容だ。意表をつかれたテンは間の抜けた返事をした。

「阿呆面してないで口を閉じろ! お前が優しい顔をしてたと理由を言ったぞ。後は自分で考えろや!」

 テンを突き放したヤスは、背後でずっとおろおろしていたタカをちらりと見やる。目が合うとばつが悪そうに俯くが、タカにも余計な事は言いたくなかった。不承不承と言った体で居住まいを正すテンは困惑していたが、近付いて来るミアイとシムを見て表情を和らげた。




 品良く座った銀狼ミアイはテンとヤスを交互に見ている。様子からいつものじゃれ合いとは何か違うと感じ取ったのだ。テンが手を伸ばして濡れた毛皮を撫でる。ヤスも同じように逆側の耳の下を掻いた。

 獣化している時は言葉よりも直に触れるほうが気持ちが伝わる。どちらの手にも悪意が無いのを確かめた銀狼は安心し、二人の手に頬を擦り付けた。

 ふと、銀狼が何かを探すように、テンの腕の匂いを丹念に嗅いだ。そして右の肩先をちろりと舐める。

「ん? ああ、少し痛むが大した事は…………。分かった。ちゃんと診てもらってから固定する」

 鼻に皺寄せ歯を剥き出して威嚇するのに気圧され、痛めた肩の治療を約束するテン。すました顔で牙をしまった銀狼はヤスに向き直った。しっかりと鍛えられた剥き出しの脇腹へ鼻を近付ける。反射的に身を固くしたのを見咎めたテンが眉根を寄せた。


「……痛めたのか」

なたでシシ王の脚を叩いた後にちょっとな。踏まれないところへ落ちるので精一杯だった」

 治療師の診察を受けると確約するまで銀狼はヤスを睨み続けた。タカの匂いも確かめ、満足した銀狼は身を横たえた。

 後からやって来た黒狼シムは不満げだった。まだ遊び足りないのだ。横たわってくつろぐ銀狼に圧し掛かって甘噛みしている。力の有り余る黒狼に付き合った銀狼は少々ぐったりしていた。ヤスが黒狼を身振りで呼び寄せ、太い首を抱え込んでがしがしと撫でた。

「〈月〉を使ってからゆうに一刻は過ぎてる。念のため早めに戻った方が良いんじゃねえか?」




 体調や精神状態に左右されるものの獣化の目安は二刻(二時間)が限界だった。それ以上は時間の経過と共に人としての意識が薄れて行き、最後には野生の獣の本能に支配される。そうなれば人に戻るのはまず無理だった。以後は本能に従い、人が立ち入らない地域────〈聖地〉で生きて行くのだ。

 野生の狼は非常に警戒心が強く、ドルディア山脈に住まう狼たちもその例に洩れない。テス一族が移住して来た当初は森で時折見掛けたらしいが、今では人里はおろか狩り組の縄張りとされている地域にすら下りて来ない。人間を危険視してその匂いのする所へは近付かないのだ。

 避けられている側の異能者たちも自身の移し身の獣を尊び、山の霊気が最も強い一帯を〈聖地〉として守り侵さなかった。人から離れて生きる獣と、獣の姿になれる人。目に見えない不文律で成り立つ関係だった。




 勧めに従って銀狼は森へ向かう。名残惜しそうにそれを見送る黒狼の耳にヤスが何事か囁いた。耳をぴんと立てた黒狼が一直線に湖へ飛び込む。水中から飛び出しての錐揉みや一回転など、再び激しく遊び始めた黒狼を見ていたテンは不安になった。

「……何を言った?」

 ヤスは口の前で指を一本立ててにやりと笑った。テンとタカが苦虫を噛み潰したような表情になる。何となく予想がついたのだ。水から上がった黒狼はとことことカクに近付いて行く。

「おー、もう平気そうだな────。うわっ……、ちょ……、止めろ! こンのクソガキ! やっぱりお前からさばいてやる!」

 目の前で身体を揺すって水滴を浴びせた黒狼にカクが怒りをぶつける。一方ヤスは腹を抱えて笑っていた。脇腹の痛みに顔をしかめたり笑ったりと忙しい。後ろではタカが頭を抱え、「おれに言うな! 文句なら直接言ってくれ!」と兄への繰言を声に出してしまっていた。テンは顔を引き攣らせていたが、すぐにつられて笑い出した。




────こいつがこんな顔をするとは思わなかったぜ。

 声を上げて笑うテンを見ていたヤスは心中で独りちた。ヤスは若衆の頃からテンを知っている。その頃はいつも不機嫌で人との関わりを避けていた。若衆を終えて組頭になってからは、義務と責任を果たそうと気を張っているのも肌で感じていた。無愛想でも根は真面目なのだと感心したものだ。

 男衆三人をしっかり統率し、数年後にシムが加わった頃には精神的に落ち着いて来たのだろう。以後の変化には驚くばかりだった。シムもミアイも稼ぐ術を失い困っていたのを拾った形になる。人と距離を置きたがる割には、面倒事を背負い込む面白い男だと思った。


 村の中には明らかにテンと一線を画している者たちが居た。言葉や態度で彼を拒絶しているのだ。それがテンの人となりに影響しているのだろう。それなりの軋轢があるのも察していたが、敢えて首を突っ込むつもりは無かった。皆それぞれに事情が有るものだ。

 ヤスには過去より今のテンの方が重要だった。年齢を重ねて人間的に成熟しつつあるテンは、一見物静かで無口かも知れない。だが『王狩り』の最中に垣間見せた激しい一面は、確かに彼の中に存在する。しかも当人はそれを恥じているようで、かっとなって声を荒げた後で落ち込んでいるのを何度となく目にしていた。

 周りには気付かれていないと思っているらしいが、不機嫌にむっつりと黙りこくっていれば、嫌でもそうと分かってしまうだろうに。


 怒りの対象が自分自身なので始めは扱いに困ったが、激昂する機会も随分と減った。段々と感情の起伏が穏やかになっているようだ。

 時間は良くも悪くも人を変える。テンの場合は良い方向に作用していた。暗い色の瞳を眩しげに細め、見ているだけで口元に優しい笑みを浮かべさせる何かが、この男を大きく変えたのだ。

 テンはかなり鈍いので相当苦労するだろうが、それはヤスの知った事では無い。黙って動向を見守り、本人たちの知らない所で話の種にするだけだ。


 笑いの発作が収まるとヤスの腹が鳴った。いつもなら昼食後の午睡を終える午後の二刻(午後二時)に差し掛かるのに、何も食べていないのに気付く。仕方なく水をたっぷり飲んで空の胃袋に送り込んだ。

 村へ戻れば早ければ今夜、シムの体調によっては数日後に祝いの席が設けられるはずだ。その後、王狩りの証を渡された後に公式の祝宴が一度。そちらには他のテスの領地から使者が来るかもしれない。

 王狩りとなれば箔が付く。村の仕事を割り振る際も便宜を図ってくれるので、稼ぎの減る冬や、実りの少ない年でも飢え死にだけは避けられるようになる。ヤスには東ガラットに頼るべき係累が居ない。名誉も大事だが、稼ぎと生活の心配をするのは当然である。


 自覚してしまうとひもじさに拍車が掛かった。好物の鶏肉を油で揚げた物が無性に食べたかった。骨付き肉にかぶりつくのも良いが、骨を取り除いた腿や胸肉を一枚ずつ揚げて切り分けた物も悪くない。考えるだけで口に生唾が湧いた。それを飲み下すと、食堂で必ず食べようと心に決める。

 しかし今夜は宴になるかもしれないのだ。公共の場では飲酒厳禁だが、祝宴なら特別に酒も供されるだろう。それでもヤスは振る舞い酒より、いつも通り食堂へ行きたかった。

 様々な料理の匂いが入り混じり、一日の労働を終えた者たちの喧騒が満ちる場所。その片隅が一番落ち着くのだ。気心の知れた仲間たちとの賑やかな食事は、身寄りの居ないヤスにとって寛げる時間だった。


 熱い湯や油が撥ね、常にどこかしらに赤い斑点のような火傷をしている小さな手が脳裏に浮かぶ。この間は味にうるさい食堂の主人に、ドミネラとウロの実のソースの出来を褒められたと喜んでいた。さっぱりした酸味のあるソースは揚げ鳥の切り身によく合うので、暑い今時期には打って付けだった。

────宴用に作ってくれと頼みに行くか。

 そう考えたヤスの目許が自然に和み、威圧的な冷たい雰囲気が薄れて暖かなものになる。はっとしたヤスが急いで表情を引き締めた。そばの二人はともかく、皮肉と好奇心が服を着て歩いている奴らに感付かれないようにしなければならない。混ぜ返されるのは御免だった。

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