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銀の月 改稿版  作者: 紅月 実
第三話  対決
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対決(三)

 この場に居るのは獣も人も常なる存在ものではなかった。周囲に満ちる生命の息吹きを己に取り込み、感覚や肉体を強められるだけの〈自然の恵み〉を授かった存在たち。持てる力の全てを使って相手を捻じ伏せようとしている。

 場を支配しているのは巨大な獣。そしてそれを狩ろうとする人間。張り詰めた空気の匂いを確かめるように獣の大きな鼻が神経質に動く。


 獣は改めて目の前の二本足にんげんは危険であると判断した。まだ肉体に老いの欠片も感じられない若い雄たち。命に満ちた身体から敵意を剥き出しにしているこの雄たちは、他の二本足よりもずっと危険だ。

 住み慣れた縄張りは同種族の若い雄に追われたが、この新しい縄張りは守り通してみせる。縄張りは戦って勝ち得るもの。挑んで来るのなら退けて自分のものだと教えてやらねばならない。



―― ◇ ――



 なたを持つヤスとナイフを構えたテンがシシ王を挟んで対峙している。緊迫した雰囲気を破ったのは人の方だった。テンが手首の一振りでナイフを順手に握り替えた。腰を低く落として一気に距離を詰める。

 迫る二人を避けて王が小刻みに位置を変える。小山のような巨体が身軽に飛び跳ねる度に泥水が辺りに飛び散った。


 『止め』の使う大振りのナイフは特に大きく短刀に近い長さがある。突き刺すならばナイフが好い。本来藪や小枝を切り払うための鉈は、重心が先端にあるので刀身の重さを利用して叩き付けて使う。切っ先は尖っているが、しなりが大きく湾曲しているので突き刺すには不向きだった。

 手にした武器でお互いの動きが予測出来る。泥に注意しながらも二人はシシ王から目を離さない。下手に距離を取れば〈咆哮〉で動けなくされて良いように狙われてしまう。もしそうなっても、シシ王を出し抜いて横合いから助けるなど、そうそう出来るものではないのだから。


 恵みの力が加わった逞しい筋肉の鎧は、男たちの蹴りをも跳ね返す。頭部を狙いたいのは山々だが、張り出した牙は恐ろしい武器であると共に、急所を守る役目も果たしていた。王には怯む気配すら無いが、打撃が痛みとして届いているのを期待する。蓄積した痛手が動きを鈍らせるのを待つしかないのか。

 そんな中でまた一つヤスが傷を増やした。左腿に打ち付けた鉈が裂け傷を穿うがつ。ぱっくりと開いた傷口からは白い脂肪が覗けた。大きさの割りに出血が少ないのは皮と脂肪しか傷付かなかったからだ。


 叫びを轟かせながら王が巨体を揺する。真横から蹴り込んだテンが首の一振りで跳ね返された。空中で上体を捻ってナイフを投げる。しかし目元を狙った銀光は大きく外れ、顎を掠めて泥に消えた。

 腹這いで着水しても勢いで滑り続ける。手足をついて泥の上を滑る姿は後ろ向きに進む飴坊あめんぼのようだった。両足を伸ばして速度を落とし、離された距離を詰めるために再び走り出す。低い姿勢で走る手には既に鉈が握られていた。弧を描くように右正面へ回った。毛深い耳が蹴立てる水音を追っていた。

 横から正面へ周り切る前にテンが唐突に軌道を変えた。牙に身体ごとぶつかる!


 ゴツッ! と、鈍い音がした。その響きが消える前に王が顔を振って鉈を払った。しゃくり上げる牙を大きく仰け反って交わし、テンも負けじと鉈で殴る。牙と共にシシ王の 誇りプライドを叩き折りたかった。

 牙の折れた雄は振る舞いが卑屈になり縄張りを持たなくなる。『はぐれ』として他の雄からは追い立てられ、決まった餌場が無いので雌とつがう事も出来ない。イノシシの雄にとって牙は強さと誇りの象徴なのだ。

 見世物小屋の出し物のように見映えの良いものではない。獣も人も泥まみれで必死に戦っている。これは種族を超えた雄同士の意地の張り合いだった。




 正面のテンに気を取られているように見えて、王は背後の注意も怠っていなかった。その証拠に太い鞭のような尾を絶えず振り回している。不用意に近付けば先刻のカクのようになる事は容易に想像出来た。何より、直接見られていないにも関わらず、ヤスは突き刺さるような敵意を感じていた。

 適度な距離を保ち、冷静に王とテンの動き窺った。タイミングを合わせ、鋭い呼気と共に体重の乗った打撃を浴びせた。先の物とそっくりの裂け傷は、濃茶の地に二本目の白い線を刻んだのみ。未だ筋肉を断つまでは至っていない。

 三度距離を取って呼吸を整える。派手に切り結んでいるテンも少しずつ押され始めていた。長引かせるのは不利だと言う思いがひしひしと湧き上がる。ヤスの青銀の眼光が鋭さを増した。

「……次で決める」



―― ◇ ――



 テンの無謀な行動にタカは開いた口が塞がらなかった。あんな恐ろしい真似をよくやる気になったものだ。相手の存在自体が非常識なのだから、賭けに出るのもむ無しか。ならば自分も賭けてみようかと思った。問題は何に賭けるかだった。

 賭け運が無いのは痛いほど知っているタカである。戯れでならそこそこ勝てるが、金を賭けると何故か大負けしてしまうのだ。

 今の自分に出来るのは離れた場所からの援護だけ。弓やソマイで仲間の手助けをし、目を狙えと言われていた。しかし、射程の短い携帯用の弓でそんな離れ業が可能なのはお伽噺の英雄だけだ。賭ける気など起きなかった。

 いつもなら〈絆〉を使って兄と緻密な連携が可能なのだが────。

 そして、ふとある事を思い付いた。暫し思考を巡らせると、タカにしては珍しい表情を浮かべた。ふてぶてしく笑う姿はどこの山賊かと疑いたくなる類のものだった。



―― ◇ ――



 立ち昇る熱い湯気に混じってイノシシ独特の匂いがしていた。唸りを上げて振り回される牙を交わし、踏み込んで牙をなたで打ち払う。鉈を受け流した王はそのまま腕に噛み付こうとする。熱い泥の中で、テンはシシ王とのせめぎ合いを繰り返す。

 呼吸が荒いのは気圧されているからだ。体術に自信はあるものの獣相手に人の定石は通用しない。身体に宿る〈恵み〉と操る〈祝福〉も余人より強いと自覚していたが、己の能力が児戯に等しいと思えてしまうほどに、『王』の何もかもが型破りで圧倒的だった。


────それでも…………。

 痺れる指に力を込めて柄を握り直した。

────絶対に…………。

 鉈を振り被って王に肉薄する。

────退かない!

「うがああああぁっ!!」

 テンが吠えた。

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