表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の月 改稿版  作者: 紅月 実
第三話  対決
12/25

対決(二)

 シシ王の周囲を飛び跳ねるミアイは軽業師のようだった。初めこそ独りの曲芸だったが、今では合いの手も入る。ミアイの動きに合わせてカクが姿を現しては消えるのだ。 

 鬱陶しい人間が増えた事でシシ王の怒気が強まった。その目はいつでも踏み潰してやると言っているようだ。姿を見せずともわざと気配を漂わせるカクのせいで、ミアイだけを警戒していられなくなったのだ。


 しかし、動き続けているミアイには疲労が溜まり始めていた。強い陽射しと滑る泥、立ち昇る熱気。持久力の低い囮役の彼女は、急速に体力を奪われて肩で息をしていた。撹乱のために不規則にしていた動きも単調になりつつある。踏ん張りの利かないぬかるみを無意識に避け、固い地面を足場に選ぶようになっていた。

 乾きかけの泥が鎧の役目を果たし、ミアイの力では跳躍の勢いを借りても傷を負わせられなかった。焦りが精神力を削り、更に体力の消耗をも早めた。


 陽動がてら鉈を振るうミアイと違い、シシ王の背後から足を潰しに掛かっているカクも同様だった。全力で攻撃していても表面を削るので精一杯なのだ。

 攻撃の矛先を替えたカクは、踏まれる危険を冒して足元へ飛び込んだ。死角となる背後から泥面すれすれを薙いだ。狙いは肉の薄いすね

 だが、直前で気付かれて先が房になっている尾に阻まれる。叩かれた肩と耳がじんと痺れた。痛みを無視して一旦距離を取り、今度は尾の動きに注意しつつ腿に鉈の峰を打ち付けた。不満げに唸るシシ王は後ろ脚を曲げ伸ばししていた。

 悔し紛れに思い切り引っぱたいたのが存外効いたらしい。ならばと鉈にこだわらず、同じ箇所に体重を乗せた蹴りを見舞う。乾いた泥が砕けて破片がぱらぱらと落ちた。ほくそ笑んだカクは木立の陰で次の機会を待った。


 僅かな隙をついたミアイが大地と木の幹を蹴った。二段跳びで加速した姿が刹那消え、シシ王の頭上に倒立するような姿勢で現れた。両手でしっかりと牙を掴むと、衝撃でシシ王の首が捻じ曲がる。更にしなやかな身体のばねを使って脚を大きく下に振れば、泥に沈んだ前脚の片方が浮いた。このまま引き倒して腹を出せれば急所は狙い放題だ。

 倒れて! と、心の中でと叫ぶが、『春の女神』はミアイの声を聞いていなかったようだ。力比べはシシ王に軍配が上がった。浮いた前脚を再び泥中に深く埋め、頭を振ってミアイを振り払う。投げ出された彼女を守るように二本の矢が地面に突き立った。

 しかしシシ王は特異な能力ちからで空中のミアイを追撃する。輪郭が揺らいで威嚇の声が放たれた。




 空中で咆哮を受けたミアイは体勢を立て直せなかった。萎えた手足でかろうじて受け身を取る。だがそこに運悪く石があった。肺の裏を強かに叩かれて中の空気が全て押し出される。背中の痛みと呼吸出来ない苦しさが思考と手足の自由を奪った。


 〈咆哮〉はテンの背筋にも悪寒を残した。ミアイは彼の直下で無防備に横たわっていた。目の縁を掠めた矢にシシ王の動きが止まった。

 時を逃さず地上に降りて抱き起こす。ミアイが笛のような音を立てて息を吸い込んだ。一時的に麻痺していた筋肉が必要としている空気を求めて動き出したのだ。

「跳ぶぞ!」

 テンは小さな身体を強く抱き寄せ右手のナイフを口に咥えた。もつれる足でミアイも足元を蹴る。筋力強化が間に合わず、枝を掴んだテンの肩に嫌な痛みが走った。眉根を寄せて痛みに耐える。樹上で待機していたカクが間髪入れずにミアイを引き上げた。足の一振りでテンも枝に飛び乗った。

 その時、一際大きな叫びが辺りに響いた。皆がはっとしてそちらに顔を向ける。声はシシ王のものだったのだ。



―― ◇ ――



 強硬手段に出たミアイが失敗し、タカの放った矢は惜しくも外れた。しかし、シシ王は次の行動に迷ったらしく動きが鈍った。

 この好機を見逃すヤスでは無かった。背後の死角から飛び出して一直線に駆け寄った。泥のね飛ぶ音にシシ王の耳がぴくりと動く。握り合わせた両の手に握った大降りの短刀ナイフを渾身の力で後頭部に叩き付けた。怒りと苦痛に身をよじるシシ王は野太い悲鳴を上げた。

 狙った位置よりもずれた事を心の中で舌打ちしながら、ヤスはナイフに固執せず距離を取る。鍔元まで刺さったナイフは収縮した筋肉のせいで微動だにしなかったからだ。鉈を抜き、熱い泥の中で身悶えする王を酷薄の瞳でめ付けた。



―― ◇ ――



 助け上げられたミアイは、空気を求めて肩で息をしながら己の身体を確かめた。〈咆哮〉を浴びた割りにはシムに比べて軽く済んでいた。手足に力が入らないのは動き続けていた疲労と呼吸が出来なかったせい。背中の痛みは筋肉のもので他に異常は無い。冷静に自己診断が出来た事はまだやれると言う自信に繋がった。

「肩は平気なの?」

 自身の事よりも二人分の重みが一気に掛かったテンの肩が気になった。テンは右腕の動きを確かめると左手にナイフを持ち替えた。

「少し痛むだけだ。俺は両効きだ。……問題無い」

 ミアイは腕の動きを目で追うだけでそれ以上は訊かなかった。沼田場に戻ろうとするミアイをテンが止める。その声には決意が滲んでいた。

「ここからは俺とヤスが出る。お前は下がれ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ