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銀の月 改稿版  作者: 紅月 実
第三話  対決
11/25

対決(一)☆イラスト有り

和泉ユタカ 様よりシムのイラストを頂きました!

ありがとうございます!

*イラストの著作権は和泉ユタカ 様にあります。無断使用や複製は固くお断りします。

2014.10.08

 自らを取り囲む雰囲気が変わった事に気付いたのか、泥まみれのイノシシがのっそりと立ち上がる。

 狩りの開始は囮の二人に任されていた。獲物正面の樹上にいたシムとミアイは、視線を交わして同時に枝を蹴った。シシ王の左右へ分かれて着地すると、そのまま沼の周囲を跳び回った。移動する範囲も速度も不規則だ。幹を蹴って横から背後へ跳んだと思えば沼の縁をぐるりと半周する。

 シシ王は悠然としているように見えるが、耳を動かす度に先端の長い飾り毛が激しく揺れる。ちゃんとシシ王の注意を引きつけてられているらしい。そろそろ徐々に遅い動きを交えて、こちらを捉えられるようにしてやる頃合だった。



挿絵(By みてみん) 


 人を敵と見なして襲ってくるヒグマをこのやり方で何度も狩っていた。相手の行動を誘って『止め』のために隙を作るのだ。シシ王に通用するかどうかは分からないが、何某かの反応はあるはずだ。

 まずミアイが急制動を掛けて姿を晒す。続いてシムもミアイから距離を取って動きを止めた。片方に対峙すれば残る一方が正面から外れる位置である。シシ王が二人を認め、そして────。

 シムとミアイに動揺が走る。シシ王の迷いを感じたのだ。この状況で何を躊躇う必要があるのだろう。自分たちは狩る側と狩られる側なのだ。しかもこの立場は容易に入れ替わるかも知れないのに。

 ほんの一呼吸ほどの空隙の後、真っ先に気を取り直したのはシムだった。腰の後ろから短刀ナイフを抜いて構えたシムにシシ王が向き直る。ミアイより武器を持ったシムを危険だと判断したのだ。泥に浸かった四肢に力が入る。


 イノシシは突進して相手にぶつかる事が多い。向かって来るなら避けてしまえば良いだけだ。背に跨れれば急所のどこかを狙う事も出来るだろうと、口の端に余裕の笑みを浮かべたシムは軽く腰を落とした。何があっても対処出来る自信があるのだ。

 しかし、シシ王はその場で吠えた。声に込められた怒りと威嚇に大気が震える。こだまは悪意、いや、敵意に満ちていた。通常の音ではない何かが自分の中で跳ね返り、暴れ狂っているようだ。『聖地の王』を獲物にしようとした自分たちの殺気が何倍にもなって返って来たのだろうか?

 全身の毛が逆立ち、血が逆流しているような嫌な感覚だった。気力と共に身体の力も吹き飛ばされてしまいそうだ。


 ミアイはがくがくする膝を意思の力で押さえ込んだ。吠え声が治まり目に入って来た光景に息を呑む。地面に這いつくばったシムに向かってシシ王が走り出した。

 シムを踏み潰すつもりだと悟ったミアイの腿が瞬時に大きく膨らんだ。右足で思い切り地を蹴る。恵みの力で強化された筋肉が身体を矢のように撃ちだした。爪先に抉られた大地の窪みを残してミアイの姿が刹那消える。ほんの瞬き一つの間だけ姿を現した時には、既に左足に貯めた〈祝福〉で真横のシムに向かって次の跳躍をしていた。


 二つ目の窪みを刻んだ一跳びでシシ王の進路からシムをさらった。ミアイの肩が地面にこすれた。痛みを堪えてシムの頭を胸に抱え込んで庇う。その先ではカクが待っていた。動きが完全に止まる前に二人の襟首を掴んで起こす。ミアイはすぐさま樹上に跳んだが、シムは立ち上がれなかった。

「おい、しっかりしろ!」

 乱れた呼吸と泳ぐ視線。苦しげな表情と全身の震え。掴んだ腕も脱力していた。地上で動けなければ好いように狙われる。安全な樹上へ非難させる必要があった。




 ミアイがシムに飛び付くのと同時にテンとヤスは地上に降りた。シシ王の注意を引き付けるべく囮を引き受け、それを見たカクが本来の囮二人を助けに入ったのだ。

 瞬時に祝福ちからを集めるなど、囮と同じ能力を止めに求めるのは土台無理である。体捌きに神経を使い、シシ王の注意を引き付ける事に重きを置く。それは〈咆哮〉への用心にもなっていた。相手の気を引き深入りせずに退く。動き続ければあの力の的になるのも避けられる。

 気迫で圧倒すれば相手の気力をくじく事は可能だが、あの能力はそんな生易しいものでは無いようだ。離れた樹上に居た二人でさえ手足が萎えそうだったのだ。余波であれだけの威力があるのなら、まともに喰らったシムは平気だろうか。

 狩りの女神は機嫌が悪いようだ。しかめ面を止めるまで待つしかなかった。




 カクは力の抜けた身体を抱えるのに手こずっていた。シムの肩越しに沼田場へ目をやると、シシ王とカクの視線がかちりと合った。沼の周囲を走るテンとヤスの間隔が大きく空いていた。二人の間の更に奥。獣王の目には強い怒りがある。見られているとの確信はカクの背筋に冷たいものを走らせた。

 シシ王がカクに向き直った。太い首や背中の毛が逆立ち、立ち昇る何かで獣の輪郭がぼやける。指向性のある〈咆哮〉が再び発せられた。


 カクは咄嗟に跳んでいた。見えない何かが通り過ぎるのを感じて足の裏がチリチリする。反射的な跳躍は飛距離が足りず、真上の枝に指を掛けるので精一杯だった。片手はシムを抱えて塞がっているので掴み直すのも難しい。

 泥水を跳ね飛ばして巨体が走り出した。イノシシは意外に器用である。急制動からの方向転換も、多少なら障害物を飛び越える事も出来るのだ。『奴』が跳べばこの高さでは間違いなく足を引っ掛けられる。二人分の重さを支えるには手掛かりも弱い。不味すぎる状況にカクは頭を抱えたくなった。




 あらぬ方へ走り出したシシ王にテンとヤスが目を瞠る。向かう先にはシムを抱えて宙吊りのカクが居た。止めの二人の絶望的な思考を鋭い音が切り裂いた。

 カクの背後の森から二本の矢が飛来した。軽い音と共に地面に突き刺さったそれはシシ王への威嚇だった。危機感を覚えたシシ王が進路を変えた。巨躯を器用に翻し、地鳴りのような足音と共にヤスへ肉薄する。しかし、大きく後退するヤスを追うと見せて小走りに沼の中央へ戻った。


 冷や汗で滑るカクの手首を小さい手が掴んだ。カクに枝をしっかり掴ませ、ミアイがシムの襟首に腕を伸ばした。脱力した相棒を一息に掴み上げる。片手で難無く己の身体を引き上げたカクが心配そうに覗き込んだ。

「シムは?」

「意識はあるし命に別状はないと思うけど、体がちゃんと動かないみたいね」

「お前は平気なのか」

 ミアイの腕は左肩から肘までが大きな傷になっていた。シムを庇った時に出来た物だが、表面の皮と肉が広範囲で擦過傷になっただけと自己診断を下していた。

「わたしのは掠り傷よ。それよりシムをお願い」

 最後まで余力を残しておくはずの止め役が二人とも引き摺り出されていた。早急に囮を交代する必要があるのだ。




 周囲に注意を払う余裕の無いテンとヤスは、お互いと王との間合いだけに集中していた。ぬかるみぎりぎりで踏み止まってシシ王と睨み合う。

「シムは大丈夫。でも、もう動けない!」

 長いようで短い緊張を破ったのは、良く通るミアイの声だった。凛とした響きが残るうちに本人が地上に降り立った。叫んですぐにその場を離れ、別の場所から現れたのは、もちろん咆哮を警戒したためだ。

 テンとヤスは即座に後方に跳んで気配を消した。代わって相対したミアイを獣王がぎろりと睨む。その姿は沼田場の中央に聳える泥山のように堂々としていた。


 ミアイが静かになたを抜くとシシ王の耳が反応した。歩みから早足へ、早足から駆け足へと速度を上げて行く。王は少しずつ向きを変えてミアイを追った。

 出し抜けにミアイの姿が消えた。予備動作無しで直上に跳んだのだ。狙うはシシ王の巨大な背中!

 首の後ろへの跳躍は避けられ、陽射しで熱せられた泥の中に着地する。しかしそれはミアイも予想していた。横に跳んだシシ王が頭を振った。後ろへ大きく下がって太い牙を空振りさせてから再び首を狙う。

 小山のような腰を蹴り、反動で離れては鉈を構えて前に跳ぶ。ミアイが背後から背中へ飛び乗れば、シシ王は剛毛に覆われた身体を揺すって振り落とす。

 腕を振って空中で姿勢を変えたミアイがシシ王の背に手をついて反対側へ着地し、また地面を蹴った。


 息を吐くにはまず吸わなければならない。咆哮が来る前にも力を溜める一瞬の『間』がある。ならばそんな暇を与えず、常に回り込みながらあの厄介な能力を使わせなければ良いのだ。

 シムが動けなくなった今、囮はミアイだけである。タカの援護とカクの助けがあるとしても、攻めのきっかけは一人で作らなければならないのだ。ミアイは狩り組の仲間を信じて大地を蹴った。

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