王と臣下
くしゃりと、濡れたような黒髪を掴みながら、彼は笑う。
「……『理外の獣』と、呼ばれていたよ」
全てを歪め、捻じ曲げて、忘却へ追いやり。世界に守られた存在。
「理の外だなんて言葉、何て言う皮肉なのだろう。……僕は君の影で、相対する存在で、……結局は、理そのものに縛られた駒に過ぎなかったのか」
ずっと、君を見ていた。彼は呟く。
「僕はね、弥子。常に君の傍に居た。君から離れた傍から忘れられていくだけでね。目の前にいる限りは、違和感の無い幽霊のようなものだった。耐えることは出来たよ。ただ僕は其処にいて、そしていなかった。それは恐ろしい孤独だった。……かつて僕が『君たちにした事』を、全て話したら、果たして君たちは僕を赦すだろうか?……後に残らない事を良い事に、跡を残そうと必死だった僕の行いは、たくさんの人を傷つけた。……いや、それすら、無かったことにはなっているのだけれど」
世良信也の虚ろだった『本質』は今や確かな形を与えられた。私と相対したことで、私が『救世主』に至った事で。
でももう、救う世界がどこにも無い。
「声が聞こえていた。ずっと。殺してくれと。死にたいのだと。僕にはそんな事は出来なかった。僕は……皆の事が好きだったから。余りにも愚かに映ったよ。何度も、何度も、初めからやり直して、同じことを繰り返す自分自身にも。どんな風に接しても、全てを忘れてしまう君たちも。希望なんて、とうに尽きていた。……それでも、君が居たから」
世良信也は泣いていた。
「君が言う通り、僕たちは何度も出会っている。数えきれないほど。繰り返してきた。君が僕に気が付いたのは初めての事じゃない。その度に、君は僕を救うと言ってくれた。……僕は君に殺されるのを待っていた。世界は僕に殺されたがっていたし、僕はそうはしたくなかった。だから、君に殺されたいと願っていた。ずっと。ずっとずっと君に、殺される為にここまで生き永らえてきた」
膝を折って。祈るように。悔いるように。
「……僕は世界を救いたかった。本当だ。この気持ちは……『本質』は嘘じゃない。
でも、もう、声が聞こえないんだ。彼の声も、彼女の声も。でも……でも世界は滅びていない……」
「ええ。私が『屈服』させたわ」
「……弥子、これが君の答えなのか」
世良信也は顔を上げる。その表情は。そこにある感情を読み取る為に、私は世良信也の顔を食い入る様に見つめた。
ああ、何て綺麗なのかしら。絶望、では無いのね。元々、希望なんて、あなたは抱いていなかったから。世界を救うなんていう嘘でやっと埋まったはずのあなたの空虚が、またあなたを内側から喪わせているのが見える。
「……ええ。ありがとう。ずっと、見てみたかったの。あなたに絶望はあげられなかったけれど、せめてその喪失をゆっくり味わって。……堪らないでしょう。救われるって」
世良信也は微笑んだ。それはとても優しくて、私の心を十分に満たすものだった。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
人間の人生は何を持って決まるのか?あぁ、そこにはたくさんの答えがある。身分?容姿?性格?資質?それとも、予め決められた道を辿るような、運命?
あぁ、下らない。私は、その答えに応えてあげることが出来る唯一の存在。
旧校舎の裏という、何の面白みも無いところに呼び出した私を前にして、愛おしい『臣下』達が集まる。
私は、じっくりと彼らの顔を見渡した。素晴らしい『駒』達。
「……まさか、『裏返った』ままの奴がまだ居たとはな」
大屋鳥直光がほとんど睨みつける様に飯塚直美を見つめるが、彼女は平然とした表情で彼を見返している。
「……私は元に戻ろうと言う気は無いわ。私達が、自分達の意志で決めたの。どんな形であれ、どんな結果であれ、私達は『王』の為に生きる。私は託された。だから彼らの分も、『王』にお仕えするだけ」
「……『本質』が『忠心』の奴が言う事だ。言葉通りの意味だろうけどな。まぁ、今更お前も、俺と仲良しでやっていくつもりも無いだろう?」
「当たり前でしょう。私はあなたを『王』だなんて認めないから」
「はいはい。俺だって自分を『王』だとは思ってねえよ」
私は大屋鳥直光に向かって首を傾げる。
「……あら大屋鳥君。そうなの?」
大屋鳥直光は私の視線を受けて気色ばんだ。
「……俺はやっぱり『毒矢』です。あなたを守る、道具でいい。……そう俺が、望んだんです」
「そう」
「……それに、何より、『そいつ』とはあくまでも敵同士でいたいもので」
指さされた彼は、うっとおしそうに大屋鳥直光の指の先から一歩立ち位置を変えた。
「……人を指さすのは失礼だとは習わなかったのか?」
「『魔王』に礼儀作法を教わるとは思わなかったよ。お前こそ、厚顔無恥という言葉は習っていないのか?よくもまぁこの場に顔を出せたものだ」
「……僕はもう『魔王』じゃない」
「ならその『本質』はなんだ。『救世』すら喪ったお前のその虚の中に、あるはずの無いものが見えるぞ」
世良信也は片眉を上げて大屋鳥直光を見つめる。
「……やっぱりお前のような出来損ないでも『観察者』の末裔か」
「何だと!?」
「やめなさい、大屋鳥君も世良君も。そんな話をする為にここに集まったわけでは無いのよ?」
私はわざと、大屋鳥直光と世良信也の腕を掴んだ。
「……!!!?」
「……!!!!」
固まってしまう2人を見て自然と笑みが零れてしまう。
私が『本質』を使うことは、きっともう無いだろう。
もう、誰も『服従』させることも、『屈服』させることもするつもりもない。
「いい子ね」
顔を赤らめる2人を見て、私は大いに満足する。『本質』を使わずに、私自身の力で。他人を思うがままに操ることの、心地よさといったら。
私が、『本質』ではない私自身で、彼らを従わせるのだ。
それが本当の『王』というものなのだから。
「・・・・・・まだまだ、『駒』は足りないけれど。あなたたちさえ居てくれれば、きっと大丈夫」
私は愛おしい『臣下』たちに微笑みかける。
「……皆、私を守って。私の為に、戦って、生きて、そして死んで欲しいの」
私に、笑顔が返される。
「もちろんです『王』よ」
「……『毒矢』はあなたの為に」
「……それが君の望みなら」
私は目の前の『駒』達を眺める。そして、私自身を。とっておきの『駒』を進める。
「……なら、私はあなた達を守るわ。あなたたちの為に、戦って、生きて、そして死んであげる」
言葉を失った皆を見つめながら私は笑った。声を上げて。こんなに、楽しいことなんてないもの。
……人間の人生は何で決まる?私はその答えを知っている。答えは「自分自身」。
目の前にただ広がる世界を見つめる。かつてはたくさんの意志がそこにはあった。今はただ一つ。そこにあるのはたった一つの希望だけ。私は、未だ救われないたくさんの人たちを思う。
あなた達が望むのなら私は。
「さぁ、皆。思いのままに、生きましょう」
そして、今度こそ本当に、世界を救ってあげましょう。
私の言葉に、傅いたままの『世界』が、わずかに軋んだ。




