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私の婚約者は、攻略対象ではないはずですが?

作者: 蒼乃つむぎ
掲載日:2026/09/06

「アリシア。僕は、彼女を愛している」

目の前にいる婚約者の言葉に、私はしばらく何も言えなかった。

レオン・アシュフォード。

幼い頃から婚約を交わし、いつか夫婦になることを疑ったこともなかった人。

今日は学園の卒業パーティ。

本来なら、レオンの隣にいるのは私のはずだった。

けれど今、彼の隣にいるのは別の少女。

淡い金色の髪に、宝石のような瞳。

神殿が突然現れた彼女を『聖女』と認定してから、すべてが変わってしまった。

「私もレオン様を愛しています」

そう言いながら聖女は涙を浮かべ、私を見る。

「どうか、私たちの仲を許してください!」

「アリシア・ハートウェル。君との婚約を破棄する」

私は、レオンを見つめた。

「……本心ですか?」

「ああ」

迷いのない返事だった。

これは彼の本心ではない。

それでも、胸の痛みが消えるわけではない。

私はドレスに隠している薬瓶を、そっと握りしめた。

そして――覚悟を決める。



いつもと変わらない朝だった。

「できましたよ」

アリシアはカップに緑色の液体を注ぎ、レオンの前に置いた。

レオンはカップを手に取り、香りを確かめる。

「うーん……今日もすごいな。いや、独特な香りだ……」

ここは、薬学を専攻するアリシアのためにレオンが贈ってくれた温室だ。

中には様々な薬草や花が植えられ、アリシアが一つひとつ丁寧に管理している。

温室で薬茶を飲むことが、二人の日課だった。

「しかし、ここも随分と賑やかになったね」

「レオン様のおかげです」

アリシアが必要とする薬草は、レオンがどこからともなく探し出してくる。

珍しい薬草を見つければ、子供のように嬉しそうな顔で彼女へ贈るのだ。

「君の努力の賜物だよ」

アリシアは膨大な薬学の知識を持っていた。

薬草同士を掛け合わせ、既存のものにはない効能を生み出す腕を見込まれ、王宮の研究所からも何度も声をかけられている。

「そういえば、本当に研究所からの誘いを断るのか?」

「はい」

アリシアは迷いなく答えた。

「研究員の代わりはいくらでもいます。でも――」

アリシアは、まっすぐレオンを見た。

「レオン様の妻は、私にしかなれませんから」

「……それは間違いない」

レオンは嬉しそうに笑い、アリシアを抱き寄せた。

「僕の妻になるのは、君だけだ」

二人は顔を見合わせ、笑う。

互いを愛し合う二人にとって、それは当たり前の日常だった。



「聖女が現れた」

ある日、神殿が突然そう発表した。

最初は半信半疑だった人々も、聖女が見せた奇跡のような癒しの力を目の当たりにすると、次第に彼女へ心酔していった。

そして、聖女が学園へ編入してきてから、少しずつ空気が変わり始めた。

「……周りの、君を見る目がおかしくないか?」

「ええ」

アリシアに敵意を向ける生徒が、日に日に増えていった。

アリシア自身は何も変わっていない。

変わったのは、周囲のほうだ。

そして、その変化は聖女が現れてから。

「とにかく、あまり一人にならないように」

「……はい」

学年の違う二人は、常に一緒にいることはできない。

レオンと離れているときは、変わらず接してくれる友人たちと行動する。

そうして、何とか学園生活を送っていた。

――しかし。

それから徐々に、友人たちの様子まで変わり始めた。

そして十日ほど経った、ある朝。

いつもの時間になっても、レオンが温室に姿を見せなかった。

「何かあったのかしら……」

不安を抱えながら、アリシアは一人で登校した。

そこで――見てしまった。

聖女と並んで歩くレオンの姿を。

「……レオン様!」

思わず駆け寄る。

しかし、レオンが向けてきた視線は――驚くほど冷たかった。

「……何だ」

「……!」

アリシアは、その場に立ち尽くした。

普段のレオンとは、まるで別人だった。

(まさか……レオン様まで?)

レオンはアリシアから視線を逸らした。

「用がないなら話しかけるな」

それだけ言うと、レオンは聖女とともに校舎へ入っていった。

アリシアは、その背中を見送ることしかできなかった。

――おかしい。

昨日まで、何も変わらなかったのに。

「聖女様が現れてから……何か変だわ」

思わず口にした瞬間。

周囲にいた生徒たちが、一斉にアリシアを睨みつけた。

「聖女様を侮辱するのか!」

「嫉妬しているだけでしょう!」

「婚約者に捨てられて当然だ!」

アリシアは逃げるように、その場を離れた。

婚約者が突然、別の女性と腕を組んで歩いている。

どう考えても、おかしいのはこちらではない。

それなのに、誰もがアリシアを責める。

――学園は危険だ。

そう判断したアリシアは温室に籠り、一人で原因を探り始めた。


毒ではない。

薬でもない。

ならば――魔法ではないか。

聖女には、不思議な力がある。

もし、人の心に干渉するような魔法を使っているのだとしたら?

心そのものに作用しているのなら、解毒薬のように、その効果を打ち消す方法があるかもしれない。

アリシアは、自分と親しい人ほど、変化が現れるまでに時間がかかったことに目をつけた。

(何か共通点があるはず……)


「あっ……!」

共通点。

それは――アリシアの薬茶だった。

薬茶の味が苦手な友人には、香りを楽しめる香袋を渡していた。

そして、レオンには毎日のように直接飲ませている。

だからこそ、レオンの変化が一番遅かったのではないか。

(摂取量によって、効果の強さが変わる……?)

香りだけでは効果が弱い。

けれど、敵意を抱いている相手から渡された飲み物を、わざわざ口にする者はいない。

それに、即効性も必要だ。

「どうすれば……」

アリシアは、必死に考え続けた。


それから数週間。

「……できた」

小さな瓶を手の中で握りしめる。

完成した薬は、魔法によって引き起こされた精神干渉を、一時的に打ち消すもの。

まだ実験段階ではある。

けれど、これなら――。

「あとは、どうやって使うか……」

アリシアは瓶を見下ろした。

そして、もう一つ気になっていることがある。

――なぜ、自分には聖女の魔法が効かないのか。

長期間、薬茶を飲み続けていたレオンには、はっきりと魔法の効果が現れている。

なのに、アリシアには何の変化もない。

その理由だけが分からなかった。



薬を使う場所を探すため、アリシアは久しぶりに学園へ向かった。

そして校舎裏へ回ったとき――

「……!」

レオンと聖女が向かい合っているのが見えた。

アリシアは咄嗟に木の影へ身を隠す。

(今、使うべき……?)

手の中の薬瓶を握りしめる。

しかし、失敗すれば二度と機会はないかもしれない。

耳を澄ます。

「――私、あなただけの聖女になります」


その言葉を聞いた瞬間だった。

頭の中で、何かが弾けた。

――イベント。

その言葉が、突然頭の中に浮かんだ。

「……え?」

全部、知っている。

私は、この世界を知っている。

前世で遊んでいた乙女ゲーム。

『あなただけの聖女』。

平民として暮らしていた少女が聖女の力に目覚め、王子や騎士たちと恋をするゲーム。

そして――侯爵家の跡取りであるレオン・アシュフォード。

彼は攻略対象ではないが、『ビジュが良すぎるサブキャラ』として人気の高いキャラクターだった。

そして、聖女がどれだけアプローチしても、婚約者以外には絶対になびかない。

その一途さに惹かれるプレイヤーも多かった。

だからこそ、レオンを攻略できないのが惜しいという声も多かったのだ。


「……そういうことだったの」

アリシアは、震える手を握りしめた。

ここは――ゲームの世界。

アリシアとしてゲームの登場人物に転生してしまったのだ。

問題は、なぜ今のレオンが聖女に心を奪われているのか。

答えは一つしかない。

「……転生者」

聖女もまた、前世の記憶を持っている。

おそらく、ゲームの主人公である聖女に、別の誰かの意識が入り込んでいるのだ。

そして――

『あなただけの聖女になります』

これは、主人公が攻略対象へ告白するイベントの台詞。

次のイベントは、一週間後。

学園の卒業パーティ。

聖女が攻略対象とともに、その婚約者を断罪するイベント。

もし今、レオンルートに入っているのなら。

断罪されるのは――アリシアだ。

何も悪いことをしていないのに、婚約破棄を突きつけられる。

ゲームでは、それが「悪役令嬢」の役割。

「……使える」

アリシアは小さく笑った。

卒業パーティ。

大勢の人間が集まる場所。

そして、聖女が最も油断する瞬間。

「待っていて、レオン様」

薬瓶を強く握りしめる。

「必ず、あなたを取り戻します」



そして――卒業パーティの日が来た。

学園の大広間には、王子をはじめとした多くの貴族が集まっている。

その中央に、アリシアは一人で立っていた。

向かいには、レオンと聖女。

「アリシア。僕は、彼女を愛している」

レオンの瞳に、かつての優しさはない。

隣にいる聖女が、涙ながらに訴えた。

「私もレオン様を愛しています。どうか、私たちの仲を許してください!」

そして――

「アリシア・ハートウェル。君との婚約を破棄する」

その瞬間。

聖女が、ほんの少しだけ口元を吊り上げた。

アリシアは、それを見逃さなかった。

「……それは、本心ですか?」

「ああ」

胸が痛む。

それでも、アリシアは笑った。

「レオン様」

「なんだ」

「後で、必ず後悔することになりますよ」

アリシアは懐から小さな瓶を取り出した。

「なっ――」

そして。

床へ叩きつける。

パリンッ!

砕けた瓶から、特殊な薬剤が揮発する。

瞬く間に、広間いっぱいへ広がっていった。

「みなさん――目を覚ましてください!」

突然の異変に、会場は騒然となった。

「毒か!?」

「何が起きている!?」

しかし――

しばらくすると、人々の動きが次々に止まっていく。

「……あれ?」

「私……今まで、何を……?」

「どうして私は、アリシア嬢を……?」

そして、レオンも頭を抱えていた。

「……う……」

アリシアはレオンに駆け寄った。

「レオン様!」

レオンはゆっくりと顔を上げる。

その瞳に――光が戻っていた。

「……アリシア?僕は……」

レオンの顔から血の気が引いていく。

「君に……何てひどいことを」

アリシアは何も言えなかった。


そんな二人を見ていた聖女が、突然叫んだ。

「どうして!?」

会場中の視線が、聖女へ集まる。

「どうして魔法が解けているの!?」

広間が静まり返った。

聖女は震える手を掲げる。

「もう一度……!」

パチンッ!

指を鳴らす。

けれど――何も起こらない。

レオンも周囲の人々も。

誰一人として変わらなかった。

「魔法が効かない……!?」

アリシアは、聖女の前へ歩み出た。

「あなたの心を操る魔法は、私の薬で一時的に打ち消しました」

「あんた……!」

聖女の顔が歪む。

「私はレオンルートが見たいだけなのに!邪魔しないでよ!」

聖女はもう止まらなかった。

「あんたは名前もないモブキャラでしょ!?レオンを独占するなんて許せない!」

聖女がアリシアへ手を向ける。

「消えなさいよ!」

魔力が集まる。

――攻撃魔法。

これを防ぐ手段はアリシアにはない。

「アリシア!」

レオンがアリシアを庇うように、その身を前へ投げ出す。

「なっ……!」

聖女が驚き、一瞬動きを止めた。

その隙を逃さず――

「その者を捕らえよ!」

王子の一声に衛兵たちが一斉に駆け出し、聖女を取り押さえた。

「触らないで!私は聖女よ!私は選ばれた存在なの!」

「人を攻撃するような者を、聖女とは認められない」

「嫌!離して!」

聖女は喚き続けながら、衛兵に連れて行かれていった。

その後ろ姿を見送りながら、アリシアはしばらく動けなかった。

やがて王子がアリシアの前まで歩み寄り――深く頭を下げた。

「……すまなかった」

「そ、そんな……!」

王族に頭を下げられ、アリシアは慌てる。

「この件については、神殿へ正式に抗議する」

「……お願いいたします」

王子は頷き、会場を見渡した。

「卒業パーティは中止とする。詳細については追って伝達する。体調の悪い者はこちらへ」

王子に誘導され、会場にいた人々は困惑しながらも広間を後にしていく。

やがて――

広間には、アリシアとレオンだけが残った。


すべてが終わった。

そう思った瞬間、全身から力が抜けた。

「アリシア!」

床に座り込むより先に、レオンが抱き止めてくれた。

「……レオン様」

久しぶりに見る、本当の彼の顔。

それだけで、胸の奥に張り詰めていたものが崩れていった。

「本当に……すまない」

「……」

「僕は、君を傷つけた」

「……はい」

「許してもらえないだろう」

レオンはアリシアから体を離す。

「それでも、僕は君を愛している」

胸が、ぎゅっと締めつけられた。

「……私も」

アリシアの頬を、涙が伝う。

「私も、レオン様を愛しています」

レオンを愛しているから。

誰よりも大切だったから。

だから、一人でも戦った。

「アリシア……」

レオンが伸ばす手を途中で止めた。

触れていいのか迷っているのだろう。

そんな彼の手を――アリシアは自分から握った。

レオンは苦しそうに眉を寄せた。

「たとえ正式な手続きをしていないとしても……僕は婚約破棄を口にした」

「……レオン様」

「だから、もう一度やり直したい」

レオンはアリシアの前に跪いた。

「アリシア・ハートウェル嬢」

手を差し出し、まっすぐに彼女を見つめる。

「僕と結婚してほしい」

アリシアの瞳に、涙が浮かんだ。

「……喜んで」

アリシアが差し出された手を取ると、レオンは泣きそうな顔で笑った。

そして、アリシアを強く抱きしめる。

「ありがとう、アリシア」

アリシアも、彼の背中へ腕を回した。

「もう二度と、離さないでくださいね」

「約束する」


しばらく抱きしめ合ったあと。

アリシアは、ふと思い出したように言った。

「薬茶の効能もあげておきましたから安心してくださいね」

「……え?」

レオンの顔が引きつる。

「薬茶の効能……?」

「ええ」

アリシアは笑った。

「前よりも、もっと身体にいいものに」

「……きっと、すごい味……風味がするんだろうな」

「何ですか?」

「いいや、何でもない」

二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。

もう、誰にも邪魔されることのない二人の日常。

それはきっと、これからも続いていく。

――今度こそ、永遠に。


お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
聖女は魅了の他にも治療とかの能力もあったのかな。 もしなければ、神殿の人達も魅了させられていたのかも。 聖女も正当なルートを歩んでいたらこのような結果には・・・って無理ですよね。 そもそも、聖女に魅了…
一人でよく頑張ったねアリシア エライとしか言いようがない
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