人魚の島
「ようこそ、人魚の島へ」
潮の香のする初夏の昼前、島に降り立ったハンスが最初に目にしたのは、船着場の柱に渡された大きな横断幕だった。
歓迎の手旗を左手に持った若い男が近寄ってきた。
「人魚の島へようこそ。ご宿泊ですか? 」
あまりにも観光地然とした島の様子にハンスはあっけに取られ、すぐさま言葉が出なかった。
「それともお食事? 良いお店をご案内しますよ」
神秘性のカケラもない笑顔で、男が続ける。
「あ、いや、予約しているのだが」
ハンスは胸ポケットから予約カードを出した。
「ええ、承っております。ハンス様。宿へご案内いたしますね。お荷物を」
男がハンスの持つ皮のトランクに手を差し出した。
「自分で持つから構わない」
港から伸びるメインストリートと思しき通りを、ハンスは男に付いて歩く。
石畳の道の両側には食堂やパン屋などが軒を連ね、人通りもちらほらあり、よくある田舎の港町だ。店先の木箱には、祭りの準備か、果物や菓子を並べ始めている。
「貴男も人魚祭り目当てで? 」
「ええ、まあ」
「この島は人魚以外何の取り柄もない島ですからね、目当ては人魚しかない」
島では今日「人魚祭り」が開催される。
かつてこの島の若者と人魚が愛し合い、島に危機が訪れた時に人魚が島を救った。その人魚は今でも年に一度、入江に近い岩に現れ、島民は人魚を讃える祭りを行なうのだ。
「あれは」
右手に見える丘の中腹に古い教会のような建物がある。
「島の教会です。と言っても、カトリックの教会とは違いますよ。この島の女神ラメル様を祀るラメル教です」
「ラメル教? 」
「ええ。この島が人魚の島と言われる所以、人魚の女神ラメル様を祀っているのです」
そこまで話したところで宿に到着した。
さほど大きくない宿の入り口を入ると一階に受付があり、その横では土産物が売っている。階段を上ると客室がある。
「ご予約の時に説明は聞いておられると思いますが、当宿は素泊まりですので、お食事は村の食事処をご利用ください。隣の食堂か斜向かいの居酒屋をお勧めしますよ」
案内された部屋に荷物を置くと、ハンスは窓際に立った。
窓を開けると、通ってきた石畳の道が眼下に見える。目の前の建物に遮られ、海は見えない。
「どうせなら海が見える宿を作ればいいのに」
ハンスは貿易商の事務仕事をしていた。ハンスがこの島に来たのは、雇い主である貿易商の指示である。
「まず、島に本当に人魚が来るか確認する。可能ならば人魚の肉を手に入れ持ち帰る。またはその方法を探る」
それがハンスに課された任務だった。貿易商は顧客に人魚の肉を売るのだと言っていた。
「人魚など本当に存在するわけがなかろう。況してやこのような田舎の島」
ハンスは全く気乗りしなかった。
「人魚など探していないで、地道に働いていればいいのに」
早く仕事を終え帰りたいと思った。
人魚祭りの前に島を探索するつもりだったが、昼食の時間だと気づいた。
宿の隣の食堂に入ると、中は思ったより広かった。大きな木のテーブルがいくつも置かれ、漁師風の男たちが騒がしく食事をしていた。
端のほうのテーブルに座って店内を見回すと、壁に掛けられた板切れに、メニューが書いてある。
人魚のおすすめ野菜スープ。人魚のローストビーフ。人魚のサンドイッチ。人魚の好物プディング。
「……」
安っぽい観光地そのものだとハンスは思った。
「面白いでしょう。皆、人魚に便乗して商売をしているのですよ」
突然、先ほどの宿の案内の男が向かいの席に座ってきた。
「思ったより価格が高いのですね」
「祭りの期間だけですよ。観光客からぼったくるんです。普段はこの半額くらい」
「ジョニー、商売の邪魔はやめておくれ。ぼったくりなんて人聞きが悪い」
年配の女性店員が注文を取りに来た。
「ははは、邪魔だなんて。僕は人魚サンドとコーヒーを。何にします? 」
「同じものを」
ジョニーと呼ばれる男は人擦れした笑顔で話す。
「隣の宿に泊まっているのでしょう? 僕も同じです。いえね、しばらく滞在するので、いくらか宿代を安くしてもらう代わりに、先程のように手伝いをしているのですよ」
「なるほど。ではこの島には長く? 」
「そうなんです。十日ほど前に来て、本当はこの人魚祭りに合わせて来るつもりだったのが、一週間、間違えてしまってね」
「それは難儀なことで」
「ええ、まあ仕事のうちと思えば。人魚祭りの由来はご存知で? 」
「ええと……、いえ、私はただ、年に一度、この島に人魚がやってくるとかで、雇い主に人魚の存在を確かめてこいと言われただけで、詳しくは。貴方は? 」
人魚の肉を手に入れる任務については黙っていた。
「僕はね、旅行関係の仕事をしているんです。世界中を回って面白い場所を見つけ紹介するのが僕の仕事でしてね、人魚の島についてはかねてより有名で、ここ数年は毎年訪れて取材しているのですよ」
「この島って、そんなに有名なんですか? 」
「ええ、不老不死を求める金持ちたちには」
「不老不死? 」
店員が、木製の皿に盛られたバゲットサンドを二つ、テーブルに置いた。
見たところ、人魚とは何の関係もなさそうな普通のチーズサンドだ。
「聞いたことありませんか? 人魚の肉を食べると不老不死になるという」
「はあ、なんとなく」
もちろんハンスも知っている。それで雇い主の貿易商が求めているのだ。
「でもね、この島の人魚は特別なんです。誰にも食べられていないんです」
「え、どういう意味ですか? 」
「今まで人魚を捕まえたという噂を聞いた場所にいくつか行ったことがあるんですがね、大概は既に皆で食べてしまったか、売り飛ばされた後でした。この島のように、人魚を食べもせず捕らえもせずというのは珍しい。ええ、本当に珍しいのですよ」
「本物の人魚なのですか? 」
「さあ、どうでしょう。それを今夜の人魚祭りで確かめてごらんなさい」
「はあ」
「この後、ご予定は? 」
「ええと、祭りの時間までこの辺りを散策しようと思っていますが」
「よろしかったら教会へ行ってみませんか? 人魚伝説を詳しく聞けますよ」
成り行きでハンスはジョニーと教会に行くことになった。
なだらかな丘の道を上っていくと、低木樹に囲まれた庭の先に石造りの建物があった。
庭の奥にはこじんまりとした畑があり、いかにも田舎の教会といった風情だった。
教会の入り口は、ずいぶんと古そうな木の扉がきっちりと閉じられている。
「おや? いつもは開け放たれているのに」
ジョニーが扉を引いて中に入ると、入ってすぐのところに机があり、冊子と土産物らしい菓子と「寄付はこちらへ」と書かれた木箱が置かれている。
礼拝堂には数人の女性が、白いレースのストールを纏った若い女性を取り囲んでいた。
「すみません、今日は人魚祭りの準備で……なんだ、ジョニーじゃないかい。聖女様は忙しいんだよ。わかってるだろ」
その中のひとりが、いかにも漁師の妻らしい口調で言った。
「ええ、聖女様は祭りの主役ですからね」
おそらく輪の中心にいる女性が聖女様なのだろう、とハンスは思った。
ジョニーはハンスを振り返った。
「仕方ありませんね。帰りましょう」
言いながら冊子をハンスに手渡した。
ハンスは小銭を出そうとしたが、ふと、土産物に目を止めた。
「人魚のビスキュイ」
「ああ、それは聖女様と村の女たちが教会維持の収入源にと作っている焼き菓子ですよ。よろしかったらおひとつ」
どうせ人魚の肉など手に入りそうもないし、雇い主の社長と秘書、それから受付嬢にもお土産に買っていくか、と、ハンスは焼き菓子の紙包みを四つ、手にした。
他に木彫りの人魚像もあったが、一瞥しただけで手には取らなかった。
「全部でいくら? 」
ジョニーは中の女性を見る。
「菓子がひとつ二ペンス、全部で八ペンス、冊子はおまけにつけとくよ」
リーダーらしき女性が商売慣れした風に答える。
「ありがとうございます」
ハンスは小銭を寄付金箱に入れた。
丘を下ったところで、ジョニーは「これから仕事があるから」と言った。
「いつもは二日に一度、船が一往復するだけなんですがね、祭りの前後は午前と午後に夕方、それから日帰り客のために夜も船を出すんですよ」
「忙しそうで何よりですね」
「ええ。祭りはこの先の、大きな商店のある角を曲がった海岸で行ないますので」
そう言って彼はハンスを残して港のほうへ去っていった。
祭りが始まるまで多少の時間がある。
ハンスは一度、宿へ戻ることにした。
ハンスは宿のベッドの上で先ほどもらった冊子を広げてみた。
「ラメル教会」
海の絵が表紙を飾っている冊子のページを捲っていく。
「昔々、嵐の後、ひとりの人魚が島の浜辺に打ち上げられました。島の若い漁師は人魚の美しさに魅了され、弱った人魚を介抱し、やがて二人は愛し合うようになりました。その人魚は、ラメルと呼ばれていました」
文章と海や人魚の挿絵がある。
「二人の間には子も産まれ、島の村で穏やかに暮らしていましたが、ある日、この島に人魚がいると知ったどこかの国の貴族が兵隊を率いて島へやってきました。人魚の肉を食べれば不老不死になるという伝説があるからです」
「兵隊は島の民を縛り上げ、人魚を差し出さねば村に火をつけ皆殺しにすると脅しました。村長は大変困りました。そこへ人魚ラメルが現れました」
「人魚ラメルは、自分の身を捧げるからこの村には手出ししないでほしい、と言いました。さらに、人魚の血を飲めば傷が癒え病も治り疲れが取れる、兵士全員に自分の血を混ぜた酒を振舞ってほしい、と言ったのです」
「貴族は、人魚ラメルを自分の国へ連れ帰ることにしました。そして人魚ラメルの腕に傷をつけるとその血を絞り、酒に入れて皆で飲みました。するとどうでしょう、酒を飲んだ貴族と兵士たちは、次々と倒れ、死に至りました。実は、人魚の血は人間にとって猛毒になるのでした」
「難を逃れた島の民は皆、人魚ラメルを讃えたのですが、人魚ラメルは、自分がこの島にいては再び同じようなことが起きる、皆に迷惑をかけたくない、と言いました。そうして人魚ラメルは夫と幼子を島に残し、年に一度、幼子に会いに来る約束をして海に戻ってゆきました」
「それ以来、人魚ラメルは約束通り年に一度、島へやって来るようになりました。人魚ラメルは幼子に子守唄を聞かせ、また海に戻っていきます。年に一度のその日、島民が海岸で歌い踊り人魚ラメルとその子を慰めたことが、人魚祭りの始まりです」
「村を救った人魚ラメルを島の民は忘れません。教会を立て、人魚ラメルを女神として讃え、崇め祭ることにしました。それがラメル教です。今では人魚ラメルは島の民だけでなく、島を訪れる人々にも幸運をもたらす女神として敬われています」
読み終わったハンスはしらけた気分で冊子を閉じた。
人魚の存在など、況してや不老不死になるなどというお伽話をこれっぽっちも信じていなかったハンスの心にはまるで響かなかった。
社長の「休暇旅行のつもりで行ってきたまえ」という言葉を思い出し腹立たしく思った。このような田舎の島でバカンスも何もあるものか。
西の空が茜色に染まり始めた頃、ハンスは通りに出た。
通りには露店が並び、観光客らしき人たちが店先を冷やかしながら歩いていた。
海岸へ向かう角には目印の看板が建てられ、案内人が道行く人に声をかけている。
「さあ、人魚祭りの会場はこちら、人魚祭りはこちら。もうすぐ始まりますよ」
浜に降りると、定間隔で立てられたトーチに火が灯され、浜辺の露店からは飲み物や魚のフライの匂いが漂っている。
海には村人の漁船が、不審な船が入ってこないように警備しているらしく、ゆっくりと水上を行き来している。
ハンスがフィッシュフライなどをつまみながらジョニーの姿を探しているうちに、だいぶ暗くなってきた。
「まだなのだろうか」
突然、近くで太鼓が鳴らされた。
砂浜に設置された即席ステージには、クラリネットを口にした男が二人と小太鼓を抱えた男などがいる。
「レディース&ジェントルメン」
集まった人々が、声の主に注目する。
「村長のスミスです。今年も無事、人魚祭りを開催することができました。さあ、海の恵みに、天の慈愛に感謝を」
村長の言葉が終わると、太鼓がリズムを刻み出す。
いつの間にか現れた、白い布のドレスに足下まですっぽりと包まれた女性が歌を合わせる。ハンスが先ほど教会で見た女性だ。夕闇に溶けてしまいそうな白い頬と柘榴色の唇から溢れ出る歌声は、海の精霊のようだった。
「あれが聖女様ですよ」
ハンスの後ろにいた女性が連れに説明するのが聞こえた。
彼女の歌に寄り添うように、クラリネットの控えめな音が聞こえる。
「人魚ラメルの登場です」
村長が静かに浅瀬の岩を示す。
皆が息を呑んで海を見ると、ほんのすぐそこの岩の上に座る人影がある。
ハンスも目を凝らして見ると、背中に背びれのようなものが見えるような気もするが、腰から下は布を巻いていてよくわからない。
人魚ラメルと呼ばれたその人影が、陸地の歌声に応え歌い出す。
「おお、なんと美しい歌」
セイレーンの歌声は、おそらくこのようなものではなかっただろうか。
「心が洗われるようだ」
「優しい気持ちになる」
「もの悲しくもありますわ」
浜辺の人々はうっとりと、聖女と人魚ラメルの歌の掛け合いに聞き入っていた。
ハンスには歌声を楽しむよりも、人魚ラメルが本物の人魚なのかを見定める仕事がある。
「わからぬ」
当然である。これまで人魚というものを見たことがない。
やがて、歌声が消えると、残光のようなクラリネットの音色が響き、岩の上の人魚は暗い波間に吸い込まれていった。
余韻に浸る皆のため息が漏れる中、村長が呼びかける。
「さあ、人魚の女神ラメルに感謝の祈りを捧げましょう。ラメル! 」
村長がワインで満たされたグラスを掲げると、あちこちからも声が上がった。
「ラメル! ラメル! 」
その後は皆、飲めや歌えの騒ぎだ。太鼓とクラリネットに合わせて踊り出す人もいる。
ハンスは騒ぎの輪から抜け出て、宿へ戻ることにした。
ふと、先方の浜の波打ち際から歩いてくる人影を見つけた。
「ジョニー……? 」
歩み寄ろうとしたハンスは、足を止めた。
ジョニーらしき人影は、布を纏った女性を抱えていた。
「女性連れか。おや、あれは、さっきの人魚……? いや……」
ジョニーは女性を抱えたまま、浜の小屋へ向かうと、扉の前に立ち、辺りを見回した。
ジョニーは立ち止まって見ているハンスに気づいた。が、顔を逸らし、女性を抱えたまま中へ入っていった。
宿に戻ったハンスが部屋の明かりを消しベッドに入ってもまだ窓の外の通りは明るく、人の声、船の音が聞こえた。
「結局、本物の人魚だったかどうか、わからなかった。でも、とにかくこれで任務完了だ。明日の昼には帰れる」
旅慣れぬハンスは疲れて眠りに落ちた。
翌朝、朝食のために隣の食堂へ行くと、奥のテーブルからジョニーが手を上げて呼んだ。
「やあ、祭りはどうでした? 楽しめましたか? 」
ハンスが席に着くや否や、ハンスの分のパンとスープが運ばれてきた。朝食のメニューはこれひとつしかないらしい。
「ええ、……」
ハンスが昨夜自分が見たことについて聞くべきか言い淀んでいると、気配を感じたのかジョニーが言った。
「昨夜のあれはね、聖女様を助けるための商売なんですよ」
「商売? 」
「人魚の肉を食べると不老不死になるという伝説、ご存知ですよね」
「ええ」
「実はあれ、ちょっと違うんですよ」
「やはり、不老不死にならないんですか」
「いえ、不老不死は本当のことです。違うのは……」
ジョニーは周りに目をやってから声を潜めた。
「食べるというのは、人魚の肉を食べるってことじゃないんですよ」
「というと」
「下品な言い方ですが、女性の体をいただく、と言えば」
「あ……」
ハンスは眉を顰めた。
つまり、交わるということか。
「でも、人魚は下半身が魚なのでは」
「それもね、人間が想像で作り出したもの。昨夜、見ましたでしょ? 」
「いえ、暗くてあまり」
「人魚は、背ビレこそあれ、足もある。ただし水掻きがついた足ですけどね」
「では、人魚ラメル、あれは本物の人魚なんですか。商売とはどういう意味ですか」
ハンスは自分の顔が紅潮するのを感じた。目的のものを見つけた嬉しさなどではない。
「……貴男は、不老不死になるためにいくらお金を出します? 」
「いや、私は、別に不老不死になどなりたくありません」
「世の中にはね、不老不死になれるならいくらお金を出しても構わないと思う人間が多勢いるのですよ。僕はそういった人の仲介をしているだけ。そうして儲けの幾分かを教会と村に寄付しているんですよ」
「お金を取っているんですか」
ハンスの声が高くなった。
それでは女衒と同じではないか。
「当然ですよ。それに加えて人魚祭りを派手に行なうようにしたら観光客も増え、村もずいぶん潤った。皆が儲かるのです。こんな良いことはないでしょう」
「でも、人魚ラメルがそのようなことを受け入れるとは。この島の人は人魚ラメルを崇めているのでしょう? 」
「ええ、崇めていますよ。人魚は島の民全員の貴重な財産ですからね。この先何百年稼いでくれる財産です。資本家がひと度株式を購入すれば毎年配当がもらえるように、島の民は人魚という株式を持っているようなものなのですよ。ええ本当に、ここの人間は賢く合理的なのです」
「そのような言い方は……」
ハンスは非難の言葉を飲み込んだ。
「相手は人魚ですよ? 人間じゃない。それでも他の国のように殺して肉を食べるよりマシでしょう? 」
「おお……」
ハンスは思わず十字を切った。
「人魚と人間の子はね、人魚として暮らせなかったのです。人魚は水の中で呼吸ができるし、海底の国で暮らしている。でも、その子は陸上でしか生きられない体だったのです。人魚が海の国へ去ると、残された夫とその子は不老不死の体でこの土地で暮らさねばならなかったのです」
「不老不死になったのですか。あ、まさか、聖女様がその、」
ふふふ、とハンスは笑った。
「さあね。知りたければ貴男もこの島の住人になるといい。この退屈な島で一生働いて暮らす人生もいいものですよ」
たった二日間滞在しただけでうんざりしたこの島に住み着くなど、あり得ないとハンスは即座に思った。
「聖女様はかわいそうな方なんです。僕がこの商売を始める前はずいぶん惨めな暮らしをしていたそうです。ご覧の通りこの島は貧しく、不老不死の聖女様をこの先何百年も養っていく余裕はありません。娘にひもじい思いをさせないためだったら、母親はなんだってやりますよ」
「まさか貴方は、聖女様も、その……」
ジョニーはハンスの反応を面白そうに見つめた。
「ふふ、聖女様には客をとっていませんよ。外の人間には聖女様が人魚の子なのは内緒です。聖女様を盗みに来られちゃ困りますからね。聖女様がいなくなったらこの島に人魚ラメルはもう姿を現さなくなりますもの。人魚祭りも終わります。ああ、貴男も他言無用にお願いしますよ」
「ええ、言ったところで誰にも信じてもらえません。ああ、もしかして、島の人たちも不老不死の体なんですか? 」
ジョニーはニヤニヤして答えた。
「それはありませんよ。そもそも、不老不死ってそんなにいいものだと思います? 」
「ええと……」
「僕のところに来るお客はね、大金持ちばかりですよ。当然ですけどね。庶民は不老不死なんて望みませんもの。明日の生活を心配しながらこの先何百年も働くなんて、ゾッとしますよ。そう思いませんか」
「そう、かもしれませんけど……。では、夫はどうしたんですか」
「さあねえ……。娘を置いて行方をくらました人でなしですからね。今頃は世界のどこかで、一時の欲情に流され異形のものと交わったことを後悔しているんじゃないですか」
「酷い言いようですね」
「僕はね、不老不死は、分不相応なものを望む欲深な人間に対する罰だと思っています」
「罰、とは」
ハンスはジョニーをまっすぐ見つめた。
「だって、そうじゃありませんか。人は皆、年老いて死ぬ。それが自然の摂理です。逆らって不老不死を願うのは道に反することです。さらにイラつくのはね、僕のところに来たお客は、皆、不老不死になっても永遠に今の生活が続けられると思ってます。本当にそうでしょうか? 今は王様でも大金持ちの貴族でも、十年後には戦争が起きて地位を追われ一文無しになるかもしれませんよねえ。そんな想像力もない人間に、永久に富と地位を抱え込もうとする欲深な人間に、どんな罰が与えられるのか僕は楽しみですよ」
それまでの人擦れした笑顔のまま、ジョニーは言い放った。
「愛する家族も友も先に死ぬ。愛別離苦に耐え、不老不死の化け物扱いされて生き続けられる人間なんて、」
「それはもう、人間ではないんですよ」
その時、入り口から声がした。
「ジョニー、ここにいたのか。直に船が出る。手伝ってくれ」
「今行きます」
ジョニーは立ち上がった。
「貴男が口にしているそのスープ、聖女様の血液が入っていると言ったらどうします」
ハンスは顔色を失った。
「冗談ですよ。それでは、ごきげんよう。良い人生を」
ハンスはスプーンを持つ手を宙に浮かせたまま、ジョニーの背中を見送った。(了)




