綺麗な君であれ
宮治華蓮 (みやじ かれん)
この物語の主人公。
焦げ茶色の髪に染めている女子高生。
低身長で体型がふっくらしているため体力が無い。
優等生を目指す努力家な一方、クラスメイトとは仲が良い。
佐々木楓 (ささき かえで)
黒髪ロングが似合う。高身長でスラッとした体型なため、自他ともに認める「美しい女の子」
正体は人間を食い、華蓮を襲った化け物である。
華蓮のことはお気に入りらしい。
白い天井が見えた。
蛍光灯の光がぼんやり滲んでいて、焦点がなかなか合わない。鼻の奥には消毒液の匂いが残っている。空気はひんやりとしていて、どこか無機質だった。
ピッ……ピッ……ピッ……
一定の間隔で機械音が鳴っている。静かな部屋の中で、その音だけが規則正しく続いていた。
体を動かそうとする。
けれど、思うように動かない。腕も脚も、まるで重い布団の下に押さえつけられているようだった。
(……あれ)
華蓮はゆっくり目だけを動かした。
右を見る。
白いシーツが視界に入った。自分の胸の上まできちんとかけられている。
その時になって、ようやく理解する。
(……ベッド?)
どうやら自分は、病院のベッドに寝ているらしい。
その瞬間、機械音とは別の音が耳に入った。
小さな、かすかな音。
すすり泣き。
押し殺すような泣き声だった。
女の子の声だ。
華蓮はゆっくり左を見る。
ベッドの横の床に、制服姿の女子高生が膝をついていた。華蓮の手を両手でぎゅっと握り、俯いたまま肩を震わせている。
長い黒髪が前に垂れて、顔が隠れている。
蛍光灯の光を受けて、その髪は驚くほど艶やかだった。さらさらと滑るように背中に流れている。
(……綺麗な髪)
華蓮はぼんやりと思った。
誰だろう、という疑問より先に、その整った髪に目を奪われていた。
気づくと、華蓮の手は強く握られている。
温かい。
その温もりに応えるように、華蓮は無意識に指に力を込めた。
ぎゅっと握り返す。
その瞬間。
女の子の肩がびくっと震えた。
ゆっくり顔を上げる。
そして華蓮は目を見開いた。
楓だった。
けれど、いつもの楓とはまるで違う。
整った顔は赤く腫れていて、目元は涙でぐちゃぐちゃだった。アイメイクは崩れ、頬には乾きかけた涙の跡が残っている。
長い時間泣いていたのが、一目で分かった。
楓の目が大きく見開かれる。
「……っ!」
次の瞬間、楓は慌てて立ち上がった。
ベッドの横にあるボタンを何度も押す。
ナースコールだった。
「すみません!起きました!華蓮が起きました!」
声が震えている。
それから楓はまた華蓮の手を握った。
「ごめん……華蓮……」
掠れた声で何度も謝る。
「ほんとにごめん……」
華蓮の頭の中は混乱していた。
(……なんで?)
どうして私は病院にいるの?
どうして楓がこんなに泣いているの?
頭の奥に、ぼんやりした記憶がよぎる。
森。
古い神社。
長い廊下。
そして――
何か恐ろしいもの。
けれど、はっきり思い出そうとすると、霧の中みたいにぼやけてしまう。
その時、病室のドアが開いた。
白衣の医者と看護師が入ってくる。
医者は小さなライトを取り出し、華蓮の目の前に近づけた。
ぱっと光が差し込む。
思わず目を細めた。
医者は瞳の反応を確認してから、うなずく。
「うん、意識が戻ったね」
ライトをポケットにしまう。
楓はその言葉を聞いて、ほっとしたように息を吐いた。
そして、震える声で華蓮に言う。
「ご、ごめん……華蓮……」
言葉が詰まりながらも続ける。
「わ、わたしが……森に行こうって言わなければ……」
「崖から落ちることなんて……なかったのに……」
華蓮の思考が一瞬止まる。
崖?
医者が横で眼鏡を押し上げながら説明を続けた。
「左腕と右足のふくらはぎの損傷が特に大きかったです」
落ち着いた声だった。
「筋肉や組織に大きな傷がありましたが、手術で修復を行いました」
華蓮は自分の腕を見る。
白い包帯がしっかり巻かれている。
脚も同じだった。
医者は続ける。
「リハビリは必要ですが、回復する見込みはあります」
「後遺症が残らないよう、こちらも全力を尽くします」
楓はまた涙をこぼしていた。
華蓮の手を握ったまま、何度も謝る。
「ほんとに……ごめん……」
華蓮はぼんやりと天井を見る。
頭の奥で、さっきの記憶がかすかに揺れる。
神社。
長い廊下。
恐ろしい何か。
けれど――
(……きっと)
崖から落ちた時に見た、ただの夢だ。
怖い夢。
あんな化け物が本当にいるわけない。
そう思うと、少しだけ安心した。
華蓮はゆっくり目を閉じる。
ピッ……ピッ……ピッ……
機械の音だけが、静かな病室に規則正しく響いていた。
入院してから、二週間が過ぎていた。
最初の頃はベッドから起き上がるだけでも息が切れていたのに、今では松葉杖や車椅子を使えば、なんとか病院内を移動できるまで回復している。
それでも体はまだ重い。歩くたびに、腕や脚の奥がじんわりと鈍く痛んだ。
「ふっ……ふっ……」
華蓮は廊下の手すりに手をかけながら、ゆっくり体を前へ運ぶ。
消毒液の匂いが漂う長い廊下。白い壁と白い床がずっと続き、蛍光灯の光が冷たく反射していた。昼間なのに静かで、遠くから看護師の足音やストレッチャーの車輪の音が聞こえるくらいだ。
華蓮はこっそり周囲を見回した。
(……よし、今のところ誰もいない)
実は、こっそり病室を抜け出してきたところだった。
理由は単純。
病院のご飯があまりにも美味しくない。
味が薄いとか、量が少ないとか、そういう問題じゃない。とにかく食欲が湧かないのだ。食べていると、なぜか気分まで沈んでくる。
だから華蓮は決めた。
購買へ行こう。
もちろん許可は取っていない。
けれど、もし見つかったとしても言い訳はある。
「リハビリがてら散歩していました」
そう言えば、きっと怒られても軽く注意されるくらいで済むはずだ。
一か八かの小さな冒険だった。
松葉杖を突きながら廊下を進む。
その途中で、ある病室の前を通りかかった。
中から話し声が聞こえる。
(……家族かな)
病院ではよくある光景だ。見舞いに来た家族や友人が、ベッドの横で話している。
華蓮は気にせず通り過ぎようとした。
その時だった。
「全く……何度目ですか?楓殿」
聞き覚えのある声がした。
華蓮の足が止まる。
(……今、楓って)
思わず振り向く。
ドアは少しだけ開いていた。完全には閉まっていない。
そして中からもう一つ、聞き慣れた声がした。
「颯殿そんなに怒らないでくれよ」
楓の声だった。
華蓮の心臓がどくん、と強く跳ねる。
聞き耳を立てるのは良くないことだと分かっている。
でも――
どうしても気になった。
華蓮は廊下の壁にそっと体を寄せ、息を潜める。
中では、華蓮の担当医である岩田がため息をついていた。
「はぁ……初めてではないですか?」
眼鏡の奥の目を細めながら言う。
「あなたが人間を食い殺さなかったの」
その言葉が、空気を凍らせた。
華蓮の頭が真っ白になる。
(……え)
思考が止まる。
何を言われたのか、理解するのに数秒かかった。
人間を食い殺さなかった?
その言葉が、ゆっくり頭の中で反響する。
その瞬間、神社の記憶がよみがえった。
長い廊下。
追いかけてくる気配。
そして――
自分に迫る異形の影。
(……違う)
あれは夢だったはずだ。
崖から落ちた時の、ただの悪夢。
そう思っていた。
けれど今、胸の奥で何かが繋がり始めている。
華蓮は賢い。
理解する力が早い。
だからこそ――
理解してしまう。
だけど、心がそれを拒もうとしていた。
(……そんなわけない)
中では楓が椅子に座り、脚を組んでいた。
病院とは思えないほど気楽な姿勢だ。
「あー、でも今回は本当に危なかったんだよ」
軽い口調で言う。
「我ながらよく我慢したと思う」
その言葉に、岩田は額を押さえる。
「あなたはもう少し上手くやった方がいい」
「色仕掛けは上手いと思いますが」
楓はくすっと笑った。
「褒められたのかな、それ」
椅子の背にもたれ、楽しそうに続ける。
「でも、この体結構気に入ってるんだよね〜」
指先で自分の髪をくるりと弄ぶ。
さらさらの黒髪が肩を滑る。
「可愛いし、便利だし」
その言葉に、岩田は静かに息を吐いた。
そして低い声で言う。
「……今回、目撃者は居ませんでしたけど、目撃者の処理はいつもこちらがやっています」
楓は肩をすくめる。
「いつもありがとうね〜」
「目撃者を精神病院に送ったりしてくれて。助かってるよー」
その言葉に、岩田は何も返さなかった。
ただ眼鏡の奥の目を細める。
この人は全く反省してないなという呆れ混じりにため息をつく。
そして楓は笑った。
楽しそうに。
冗談でも言っているみたいに。
部屋の中の二人の空気は妙に落ち着いていた。
まるで、何度も繰り返してきた会話みたいに。
ドアの外で――
華蓮の手が、手すりを強く握りしめていた。
指先が白くなる。
胸の奥が冷たくなっていく。
さっきまで、ただ購買へ行こうとしていただけなのに。
今、世界が少しだけ――
違う形に見え始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
拙い文章で読みずらいかもしれません。
続きは書きたいと思っています。




