第二十九話
「――ようやく、この時が来たか」
ヴァルスは力を失っていた。
次の瞬間、彼の兜は粒子となって砕け散り、風に溶けた。
現れたのは、疲れ果てた男の顔。
眼差しに深い悲しみを湛えた瞳、乱れた黒髪、青白い肌に刻まれた皺――それは長年の孤独を物語っていた。
リクの呼吸が止まった。
「三浦先輩!」
その喊声が戦場を切り裂いた。
フラッシュバックし続けたあの記憶。
地球での記憶が重なり合い、電撃のように閃く。
仲間たちが少年に振り返る。
レオンの笑みが凍り、クラリスの杖を握る手がわななく。
「リク、どうした!」
レオンが叫ぶ。
ヴァルス――三浦一翔のクールな仮面の裏に人間らしい光が宿る。
少年の頬に涙が流れ落ちる。
「この人は……三浦先輩は……俺の世界の職場の先輩だった人だ……」
リリィが目を丸くする。
「……よくやった、リク。いや、よく頑張ったな、凌空」
「先輩……やっぱり先輩だ! ……なんで、言ってくれなかったんだ!」
一翔はかすれた声で答えた。
「俺は、この世界の神に召喚された転移者だ」
その語気には微かな震えが混じった。
少年の視線を避けるように、彼は目を細めた。
「この世界に引きずり込まれた瞬間、神託が降りてきた。転移者を封印しろ。さもなくば、存在を消すと」
彼の指が、漆黒の鎧に刻まれた傷をなぞる。
「最初は抗った。だが、神の力はあまりにも強大だった。従うしかなかった」
一翔の眼差しに深い輝きが宿った。
「転移者を封印するたび、心が砕けた。俺と同じ、故郷を奪われた者たちを閉じ込めるのは、自分自身を殺すようだった」
彼は天を見上げる。
「そんな……」
「ここに来てすぐにクリスタルを見なかったか? あそこに封印されているのが転移者たちだ」
一翔の顔に、微かな苦痛が現れる。
「……本当に……申し訳ない」
「だったら!」
「……神の命令は絶対だった。だが、私は抗った。転移者の時間を止め、神を欺いた。そしてこの状況を変えてくれるものをただただ待っていた。孤独だった。お前なら、その重さが分かるだろ」
少年の視界が潤んだ。
地球での記憶が重なる。
ある夜、コーヒーを差し入れながら、彼は言った。
「凌空、お前のコードは無駄だらけだ。だが、諦めないその心。嫌いじゃないぞ」
その言葉が、孤独な夜を支えた。
誰も見ていないと思っていた努力を、ただ一人、先輩が見ていた。
その温もりが、異世界でも少年の心を支えていた。
「三浦先輩も……そんな想いで。言ってくれれば……」
「お前のコードエディットを見たとき、俺は確信した。お前なら、神のシナリオを書き換えられる。俺の枷を外し、自由を掴める」
一翔は淡々と続ける。
「リクを鍵に選ぶため……魔王をやっていたのね」
リリィが呼吸を殺す。
「……その通りだ。裏からコードを利用し、神にバレないように動いていた。お前たちが成長できるように、時折だがな」
一翔の視線が、少年と勇者に注がれる。
しばしの静寂のあと、一翔は続ける。
「転移者を元の世界に戻すには、俺が築いた秩序を解き放つ必要がある。スキルも、職業も、すべてを解放し、自由な世界へ導く。それが、お前に与えた力だ」
クラリスが語気を揺らがせる。
「でも、それじゃ……私たちの戦いの意味は? あたしの姉さんはどうしてくれるのよ!」
一翔は首を振る。
「君の姉は生きている」
その言葉が、戦場に響いた。
「えっ」
少女が目を丸くする。
「彼女は転生者の一人だった。あの夜、古文書に触れ、生前の記憶を取り戻してしまった。だから封印せざるを得なかった」
クラリスの手が硬直する。
姉と共に過ごした日々が胸に蘇る。
「俺は彼女をクリスタルに閉じ込めた。だが、死んではいない。すまないと思っている。だが、リクの力があれば解放できるだろう」
少女の目に涙が滲む。
「お前たちの絆は、コードを超える。凌空、お前なら分かるだろ? バグを直すのは、完璧なシステムのためじゃない。誰かを救うためだ」
リクの内に熱い衝動がほとばしる。
「最後に、俺の力を渡す。転移者を解放し、世界をリブートしろ。ありがとう、凌空。俺を……解放してくれて」
一翔の残された魔力が体から溢れ、クリスタルへと流れ込む。
閉じ込められた転移者たちが、光となって失せていく。
長き戦いの幕が、音もなく降ろされた。
一翔の体が粒子になり、風に溶ける。
神域がきらめき、勇者へと膨大な神力が流れ込んだ。
勇者の体が鮮やかなオーラに包まれる。
「レオン、大丈夫か!」
リクが心配そうに叫ぶ。
「……なぁ、リク。今一翔の想いが流れ込んできたんだけどよ。この想いは、俺が引き受ける。お前の勇者としてな」
レオンの言葉に、リクの涙が頬を伝う。
「ああ、レオン。頼んだ」
星が、にじむように瞬いていた。
リクが呟く。
「……終わりじゃない。始まりだ」
柔らかな風が頬を撫で、世界が静かに呼吸を取り戻す。




