第十五話
「来る……!」
リクは額に汗を浮かべた。
コンソールが赤く点滅し、警告音が耳に響き反響する。
「とてつもない魔力のうねりよ!」
クラリスが杖を持ち直し、金色の瞳を森へ向ける。
リリィが呼吸を整える。
「リク、準備して!」
森の奥で紫の光が瞬き、中級魔獣の群れが這い出す。
小さな体に高圧の魔力を宿し、鋭い針と羽音で戦場を満たした。
「数が多い!」
リクは短剣を手に持ち、コンソールを展開する。
クラリスが詠唱を始めた。
《燃えよ、天の紅蓮。空を覆い、熱を孕め》
《焔よ、雫となりて地を穿ち、すべてを焼き払え》
「今ここに紅き豪雨を――《クリムゾン・レイン》!」
火の雨がスプライトの群れを焼き尽くしたが、歪みから新たな魔獣が湧き出した。
スプライトの針がローブを裂き、クラリスが顔を歪める。
「魔力が、持たないわよ……!」
リリィが聖句を唱え、聖光の盾を広げる。
「みんな、まとまって!」
聖なる光がスプライトの突進を弾くが、数が多すぎる。
村人たちはバリケードの陰で農具で応戦し、エリが松明を振った。
ガロンが槍を握り締める。
「リク、なんとかしろ!」
歪みから呪術兵の小隊が現れ、黒いローブと骨の仮面で霞を吐いた。
杖を振ると腐臭を放ち、スプライトと共に村を圧迫する。
リリィの魔力が呪術兵の霧に弱められ、エリとトマスが応戦した。
バリケードが軋み、木片が飛び散る。
「このままじゃ……押し切られる!」
リクは力強く声を張り、コンソールを叩いた。
「魔力譲渡実行!」
少年からクラリスに魔力が流れ込む。
「リク、ナイスよ!」
クラリスが詠唱を始める。
《怒りは列を成し》
《千の焔は息を合わせ》
《燃ゆるは空》
「薙ぎ払え――《フレイム・ヴォリー》!」
大量の火矢が展開され、スプライトと呪術兵を薙ぎ払った。
静けさが訪れ、少年は息を吐く。
その瞬間、光が収束し、森の奥から重い足音がこだまする。
漆黒の鎧の男が現れ、骨の杖を握っていた。
背後の狼、上級魔獣の群れは紫の魔力を放つ。
「マジックイーターか……こんな時に……!」
クラリスの金色の瞳がきらめき、指先から赤い魔力が薄く漂った。
「クラリス、ずいぶん疲弊してるじゃないか。研究も碌にできぬ裏切り者が幹部に選ばれた程度で、このざまか?」
語気は低く、戦場を凍りつかせる。
「我が名はゼラード。魔王ヴァルスの命により、鍵を頂く。抵抗は無意味だ」
ゼラードが杖を振ると、狼たちが爪で土を蹴散らしながら殺到した。
ガロンとエリが飛び出す。
リリィも聖光を放ちながら走る。
リクは歯を食いしばった。
「あの狼もきっと魔力回収は効かない……どうする?」
少女が杖をしっかりと持ち直し、弱々しく立ち上がった。
「赤き焰よ、刃と化し、敵を裂け――《紅焰刃》!」
小さな炎の刃が放たれるが、狼が飛びつき、丸呑みにする。
その体がさらに大きくなる。
「愚か者め。マジックイーターの前では無力だ」
ゼラードが嘲るように唇を歪め、骨の杖を掲げ魔獣をけしかけた。
「くそっ、立て直すぞ! ガロン、リリィ、奥へ退避しろ!」
少年がクラリスの手を取り、村の裏手へと急いだ。
村の北側、丘陵地帯の外れ。
雑草の獣道を抜け、背後からゼラードの足音と殺気が迫る。
「このままじゃ、捕まる……!」
少年は彼女の腕を支え、急な坂を急登した。
やがて、苔むした石塀と崩れかけた柵が見えてきた。
「……ここなら、戦える」
廃屋は、沈黙の中で彼らを迎えるように口を開けていた。
廃屋に押し込まれたクラリスは、壁にもたれて座り込み、汗で濡れた赤髪を額に張り付かせ、肩をわなつかせる。
「……魔力が底をつきそうよ」
リクがコンソールを開く。
「魔力があればいいのか?」
少女は血まみれのローブの裾を握りしめる。
金色の瞳が、少年を見上げ――その奥に、痛みと覚悟の色が出る。
「そうね……今だと一発撃てるかどうかってとこよ」
少年は落ち着いた声で言った。
「……ちょっと考えがある」
「……また何か変なことしようとしてる?」
「……上手くいくと良いんだけどね」
クラリスはしばらく黙り込み、少年をじっと見つめた。
その視線の奥には、疑念と――わずかな期待があった。
やがて、小さくため息をつく。
「なら……まあ、やってみなさいよ。リク、頼んだわ!」
少年がコンソールを展開し、指を滑らせていく。
「クラリス!」
リクは彼女に手を重ねる。
「魔力譲渡実行」
クラリスの金の瞳が再び力を宿す。
「……少し回復した。けど、これでも一発が限界ね」
「十分だろ」
少年がふっと笑みを浮かべた、その刹那――
ギィンッ!
外から扉が叩き割られ、崩れた板が床に散らばる。
「安っぽい隠れ家だな、クラリス。お前にはお似合いだ!」
くぐもった声が、扉の外から響いた。
ゼラードだった。
少女の眉がわずかに跳ねる。
少年はコンソールを展開し、コードを入力し始めた。
「……さあ、出てこい。追いかけっこはもう終わりだ」
足元の狼が低く唸りをあげる。
「鍵を渡せ、クラリス。魔王の新世界を完成させるその力、貴様ごときが持つ資格はない!」
少女は唇を噛む。
「リクは、絶対に渡さないわ!」
クラリスは廃屋から飛び出した。
金色の瞳に怒りと覚悟が燃え上がる。
「こっちだって、ただ逃げるだけじゃないわよ!」
彼女が杖を握り締める。
火矢が次々と放たれ、空を駆ける。
マジックイーターがいくつかを呑み込み、残りがゼラードを直撃した。
爆ぜる音と巻き上がる業火――
暗い煙が立ち込め、視界を遮る。
「やったか!?」
少年が息を呑み、煙の向こうに目を凝らす。
風が吹き、煙がわずかに薄くなる。
次の瞬間――
「この程度で倒せると思ったか? 貴様の後釜として、俺が魔王の新世界に名を刻む!」
その瞳は異様な雰囲気を放っていた。
「ずっと見ていたぞ、クラリス。貴様が大した研究もせず、魔王に見初められたあの夜に幹部へと登り詰め、俺を差し置いて寵愛を受けた屈辱を! 俺の召喚術が、貴様の後釜で試されるなんて耐えられん!」
ゼラードの瞳が瞬き、少女を睨み据える。
「貴様のせいで、俺の忠誠も試されている! 諦めて鍵を渡せ!」
紫の魔力が骨の杖を軋ませ、マジックイーターが再び唸りを上げた。
クラリスは少年を庇うように前に出る。
「リク、逃げなさい! あなたが魔王の手に渡ったら終わりよ!」
少年の脳裏に過去の記憶が閃いた。
仲間に見捨てられ、追放された記憶。
冷たい視線、孤独な足音。
「もう誰も見捨てない。クラリス、お前を絶対に守る!」
リクがコンソールに最後のコードを叩き込み、覚悟を決める。
「間に合ったぜ……! 譲渡コードを書き換えて無限供給に拡張できたはず!」
コンソールが赤く点滅する。
《対象:クラリス》
《魔力無限供給プロトコル:演算完了》
《警告:魔力過負荷》
《警告:制御不能のリスクがあります》
《実行しますか? はい・いいえ》
「クラリス――」
リクは彼女を見て、笑った。
「……骨は拾ってくれ!」
指が「はい」を選択する。
その瞬間、音が消える。
ただ、白い空間が――爆発するようにクラリスから放たれる。
風が巻き起こり、廃屋の瓦礫が舞い上がる。
コンソールがアラート音を響かせる。
クラリスの赤髪が風に逆巻き、金色の瞳が烈焰のように煌めいた。
彼女の体に、果てしない魔力が脈打つ――
「力が、流れ込んでくる……!」
灼熱の奔流が影の狼の群れを焼き払った。
だが、コードエディットの代償により、歪はさらに拡がり、無数のマジックイーターが吐き出されていく。
その様子を、ゼラードは愉悦に満ちた顔で見下ろす。
「その程度の力で覆せるものか! 貴様ごときが魔王の力を汚すな!」
少女は自信を覗かせた。
「ゼラート。無限に魔力があったらどうする? あたしはね、こういうことしちゃう」
そして、空中に詠唱を描きはじめた。
《灼けた地の胎動》
「あなた。あたしのことを、大した研究してないって言ってたわよね?」
《紅の珠は膨れ上がる》
「魔王軍と人間の勢力圏が、一夜にして書き換えられた事件」
《輪は回りて連なり》
「超戦略級超魔法――あれ、あたしの研究なのよね」
《核は魔を飽くまで呑む》
「魔王軍元幹部は、たたき上げじゃなれないのよ?」
《燃ゆるは意思》
「ふふ……でもよかったじゃない。晴れて二階級特進ね」
「そんな……空中に詠唱……ありえない……」
ゼラードが青ざめる。
「今ここに顕現せよ――《バーニング・オーバードライブ》!」
詠唱と共に、紅蓮の烈焰が戦場を呑み、熱波が空気を歪ませる。
マジックイーターが咆哮し、炎に喰らいつくが、強大な魔力がさらに増幅した。
闇の獣たちは魔力供給に耐え切れず連鎖的に破裂し、爆炎が次々と咲き乱れる。
そして――
歪が紅の魔力と熱に呑み込まれた。
空間が軋み、ねじれ、焼けて崩れ落ちる。
大地が焦げ空間が圧縮し、膨大な魔力圧が解き放たれた。
クラリスが魔法陣を展開する。
「リク、伏せて!」
青白い防御結界が二人を囲む。
直後、爆発が辺り一帯を飲み込む。
ゼラードの鎧が砕け、召喚術の骨の杖が地面に転がり、黒煙に飲まれる。
「主よ……!」
焦げた大地に静寂が訪れ、リクは肩で息をした。
クラリスが膝をつき、汗で濡れた髪が額に張り付く。
「やった……勝った……」
少年が息を呑むが、煙の向こうで雷鳴が轟く。
魔力無限供給の奔流が空間を歪ませ、漆黒の影が姿を現す。
魔王ヴァルスだった。
紫の双眸が闇の中で輝き、星を呑む深淵のようだった。
その姿は、鎧ともローブともつかぬ黒い衣が、風もないのにたなびいていた。
衣の裾には、コードの羅列が浮かび、やがて闇に溶けた。
「リク=アーデン、さすがは鍵だ。こうも速くコードの書き換えに成功するとはな。だが、まだ無駄が多く、効率が悪い。我が元に来れば、その鍵の真の力を教えてやろう」
空間を歪めるように、重く冷たくこだまする。
空気が凍り、草が灰へと変わった。
クラリスは怯えに引きつった頬で息を呑む。
「……なぜ、魔王が……ここに……」
少年は茫然と立ち尽くし、ヴァルスの双眸に射抜かれる。
その視線は、魂の奥底を抉り、過去と未来を同時に見透かすかのようだった。
胸が恐怖で締め付けられ、呼吸が浅くなった。
《異常検知:神力密度急上昇》
《神域アクセス:成功》
《世界修正プロトコル:実行》
《警告:空間安定性低下》
コンソールが不穏に脈打ち、警告の赤が少年の顔を照らす。
黒ずんだ大地に霧が這い、砕けたゼラードの鎧が蠢き始めた。
肉と骨が不気味に絡み合い、脈動する。
ゼラードが這うように手を伸ばす。
「魔王……私は……まだ戦えます……!」
だが、声に恐怖が宿っていた。
ヴァルスの指先がわずかに動いた瞬間、黒い魔力がゼラードを締めつけ、彼の体は音もなく、ヴァルスの衣の裾に吸い込まれた。
不気味な唸りは、世界が呻いているようだった。
「リク。また会おう」
時間が停止したかのように、風も音も消え、黒影だけが広がった。
彼の存在は、この世界の法則をねじ曲げ、書き換える力そのものだった。
そして、歪が再び空を裂き、ヴァルスの姿は消え去る。
森の奥で紫の光が瞬き、遠雷のような低いうなりが、次なる嵐を予感させた。




