第2章 ヒロインと謎の美形【3】
王立魔道学院は広い。授業のたびに教室を移動するらしい。いろはが通っていたお嬢様校もそれなりに広いと思っていたが、すべての授業が同じ教室で行われた。規模が大きく変わるようだ。
次の授業は三階の教室で行われる。周囲を見回すと、マリーウェザーのように手で教本を運んでいる者はいない。先ほど見掛けた収納魔法を使用しているのだろう。前世では当然のことであったが、なんとなく鬱陶しく感じる。
アリストの指示もよくわからない、と考えていた瞬間――
「きゃあっ!」
真横から悲鳴が聞こえた。振り向くと、見覚えのある少女が階段を転げ落ちていく。先ほど教室で見たドリー・ハートナイト男爵令嬢――ヒロインであった。
「ひ、酷いです……セイヴクイン様……」
二階の廊下に落下したドリーは、涙をぽろぽろと溢しながらマリーウェザーを見上げる。
「階段から、突き落とすなんて……!」
「は?」
「ドリー!」
厳しい声に振り向くと、ウォルター王太子が駆け寄って来ていた。ウォルターはドリーのそばに膝を降り、鋭い視線をマリーウェザーに向ける。
「マリーウェザー! なんということをするんだ!」
ウォルターに支えながら起き上がったドリーは、縋るように泣いている。
「階段から突き落とすなんて、怪我をしたらどうするんだ!」
「私がそのようなことをするはずがありません。いえ……」
マリーウェザーは冷静な声で言う。隣のアリストも厳しい表情をしていた。
「できるはずがありません。私の手は教本でいっぱいなのですから」
「体で押したのだろう!」
「そんなことをしたら、私も一緒に転げ落ちてしまいますわ」
なるほど、とマリーウェザーは心の中で独り言つ。アリストが言っていた意味がようやくわかった。こうして両手を教本で埋めれば、階段から突き落とされたというドリーの主張を否定することができるのだ。
「私が憎いのはわかります……けど、階段から突き落とすなんて、あんまりです……!」
「言いがかりはよしたほうがいい」
不意に聞こえた穏やかな声に振り向く。紺色の長髪の男性が階段の下を覗き込んだ。マリーウェザーよりひとつ分、身長が高く、端正な顔立ちをしている。
「フレイライ殿下……!」
ウォルターが顔をしかめる。その名がマリーウェザーの脳内に浸透すると、この男性が隣国から留学に来ているフレイライ王太子であることを思い出していた。
「彼女はこの通り、手が教本でいっぱいだ。体当たりで突き落としたとしたら、私がその様子を見ていたよ。その子は自分で勝手に転んで落ちただけだ。早く医務室に行くといい」
ウォルターは苦虫を噛み潰したような表情になり、目を見開くドリーの手を引いた。ドリーは無用な騒ぎを起こした。これ以上にここに居ても損をするばかりであると悟ったのだ。
ふたりの姿が見えなくなると、マリーウェザーはフレイライ王太子を振り向いた。
「ありがとうございます、殿下。お陰様で助かりましたわ」
「いいんだ。ああいった言いがかりをつける人間は放っておくとよくないからね」
穏やかに微笑み、フレイライは去って行く。隣国のフレイライ王太子であることは思い出したが、マリーウェザーは彼が自分に接触した理由がわからなかった。
「フレイライ王太子は隠し攻略対象なんです」
マリーウェザーの胸中を読み取ったようにアリストが言う。
「もしかしたら、断罪の場で助けてくれるかもしれません」
「そうなんか」
「悪役令嬢の断罪イベントで他国の王子が助けに入るのは、ラノベでよくあることですからね」
「なるほどな」
アリストの言うラノベがどんなものであるかはわからないが、フレイライ王太子の行動はまさしくそれに当て嵌まっているように思える。
「けど、隠し攻略対象なら、フレイライもまたドリーが好きになるんちゃうか?」
「そうならないのがラノベの定番です。あの様子では、好感度は高くないみたいですし。いまのうちに味方につけておくといいかもしれません」
「なるほどな」
アリストの言うことがすべて理解できたわけではない。だが、いまはアリストの言うことを信用するのが賢明だろう。
「それにしても、たー坊の読み通りやったな」
「階段から突き落とすのはよくあることですよ。だから手を埋めておいたんです」
「策士よのう」
これでアリストの知識にある程度の信憑性が生まれた。マリーウェザーにそう思わせるには充分な出来事であった。
「あんな感じで、ドリーは何かとマリーウェザーを悪者にしようとします。これ以上、ドリーの罠にかからないよう注意しましょう」
「せやな。あの王子も気になるけど、とにかくファリントンの伯父貴のところに行ったほうがいいみたいやな」
「そうですね。いまはとにかく味方を増やさないと」
「せやな。ウチを敵に回したことを後悔させてやらんとな」
くく、と低く笑うマリーウェザーに、周囲にいた生徒が怯えた表情を浮かべる。お嬢、顔、と短く言うアリストは、呆れた色を湛えていた。




