第2章 ヒロインと謎の美形【1】
父と兄と一触即発の朝食を終え登校の時間になると、屋敷の門の前に二台の馬車が停まっていた。兄ハーヴィは前の馬車に乗り、アリストはマリーウェザーを後ろの馬車に促す。ハーヴィがマリーウェザーと同じ馬車に乗ることを拒否しているのだろう。
マリーウェザーとアリストが乗車すると、馬車は学校に向かって出発する。ハーヴィとは学年が違う。学校での接点はそれほど多くないだろう。
「相手が嫌いだからって馬車を二台も用意するなんて、お貴族様は贅沢な暮らししとるのう」
「ハーヴィはマリーウェザーお嬢と最低限の関りしかしません。同じ馬車でも気まずかったでしょう?」
「せやな。こら都合がええわ」
にやりと笑うマリーウェザーに、お嬢、顔、とアリストが指摘する。マリーウェザーは前世の頃から「悪いことを考えていると顔に出るのですぐわかる」と言われていた。それは今世でも引き継がれているようだ。
「差し当たって、味方になりそうなのは?」
「マリーウェザーの伯父貴のファリントン伯爵なら味方してくれるかもしれません。小さい頃からマリーウェザーを可愛がってくれている人です」
「ほな今日の放課後、さっそく会いに行こやないの。連絡を取る手段はあるんか?」
「それなら任せてください」
アリストは両手を宙に向けて体の前に構える。手のひらから淡い光が発せられると、それは糸のようになり絡まり合った。アリストの手の中に小さな鳥が形成され、アリストはそれを馬車の窓から空に放った。
「いまのはなんや?」
「“報せ鳥”という魔法です。伝書鳩のようなものですね」
「ほ~ん。ほな、ウチも魔法が使えるんか?」
「もちろん使えますよ。魔法の使い方は簡単です。イメージすると使えると思っておけばいけますよ」
魔法の存在しない世界に生きていたマリーウェザーには、漫画の主人公のような魔法が使えるのだとしたら、と心が躍ることだった。アリストの報せ鳥を見たところ、どうやら練習が必要なことらしい。それはこれから学ぶのだろう。
「おそらくお嬢にはチート能力があると思います。異世界転生には付き物ですから」
「ほお」
マリーウェザーはあまり小説を読まないが、異世界転生とチート能力がセットであることはなんとなく知っている。そう考えていたところで、あることが頭に浮かんだ
「ってことは、ヒロインさんも持ってる可能性があるんか?」
「その可能性が高いです。なので、どんな手を使って来るかわかりません」
アリストが冷静なのは、初めからその可能性が頭にあったようだ。アリストがオタク気質だったことはマリーウェザーも知っている。朝食前に聞いた乙女ゲームの知識に加え、異世界転生についても熟知しているのだろう。
「できる限りの策を考えなあかんな。頭を使うのは苦手やねんけどなあ」
「とにかくファリントン伯爵に相談しましょう。ドリー・ハートナイトとの接触は可能な限り避けてください。どんなことをして来るかわかりません」
「わかった。ウチも無駄な殺生はしたくないからな」
「あと、聖百合女学園のいろはお嬢でお願いしますよ」
「けったいやのう。ここでそんな経験が活かされるとはなあ」
「あと……」
「まだあんのかいや」
「常に手で教科書を運ぶようにしてください。手が空いている状況を作らないように」
「なるほどな。お前も策士やな」
「お嬢を守るためですよ。この世界のことは知り尽くしています」
執事見習いのアリストである分、その顔付きは涼やかに見える。それでも、その表情は以前と何も変わっていない。
「頼りにしてんで、たー坊」
彼のことは父も信用していた。もちろん、いろはも。この世界でも、彼はマリーウェザーのために尽力することを惜しまない。周囲から疎まれている現状、アリストだけが頼りだった。
* * *
王立魔道学院は、聖百合女学園の三倍はあろうかというほど巨大な校舎であった。アリストから聞いた話では、この街だけでなく近隣の町からも貴族の子息子女が集まって来るらしい。その生徒数は千を超えているのかもしれない。どこを見ても貴族らしい生徒で溢れる光景に、マリーウェザーは眩暈がしそうだった。
マリーウェザーとアリストが校門を潜ると、周囲にいた貴族の子息子女たちがふたりを振り向いた。それから、ひそひそと声を潜めて囁き合う。ハーヴィが、マリーウェザーの学院での評判は最悪だと言っていた。おそらくなんらかの噂で持ち切りなのだろう。
「正面切って憎まれ口を叩けるもんはおらんようやな」
マリーウェザーは周囲を観察しつつ呟く。アリストも平静を装っているが、冷静に状況を見極めていた。
「そりゃ侯爵令嬢ですからね。いまはお嬢の心証も悪いですし」
「これだからお貴族様は。陰でこそこそすることしかでけへんのや」
「いつもみたいに突っ込んで行かないようにしてくださいね。この世界のやり方で」
釘を差すように言うアリストに、マリーウェザーは溜め息を落とす。西園寺いろはは何かと喧嘩っ早かった。それは保育園の頃からの習性で、父がいろはを聖百合女学園に入学させたのは、その喧嘩っ早さを改善させる目的もあっただろう。
「要はウチの疑いを晴らせばいいだけやろ。どうせ罪はでっち上げや」
「まさしく。あることないこと噂され、ヒロインを虐めていることになっています」
「それがヒロインさんに仕組まれたことなんやろ。あくどいことするのお」
マリーウェザーはいまだ“ヒロイン”という少女がどういうものかを知らないが、悪役令嬢という言葉が似合うのはどちらか、それを見極める必要があることは承知している。
「生徒たちの認識を変えることはできない。それなら、無実である証拠を集めるしかない。けど、それは御庭番がやってるんやろ?」
「はい。あとは騎士団にも力を借りています」
「ほお、騎士団がおんのかいや」
「セイヴクイン家は大きな家ですから。騎士団はマリーウェザーとの関りが薄いので、悪い印象は持っていないはずです」
そのとき、マリーウェザーは目敏く自分を指差す生徒を見つけた。マリーウェザーが横目で見遣ると、サッと目を背ける。それが睨む形となってしまったため、アリストが軽くマリーウェザーの肩を叩いた。マリーウェザーは肩にかかる髪を払いつつ、ふん、と鼻を鳴らす。
「あとは学院でどうやり過ごすか、やな」
「大人しくしておきましょう」
「わかっとる」
マリーウェザーとアリストは、教室に入るまで好奇の視線を浴び続けた。教室にいる生徒たちはクラスメイトであるためふたりには慣れている様子で、特に囁き合うようなことはなかった。すでに囁き飽きたのだろう。マリーウェザーとアリストは窓際の端の席に腰を下ろす。生徒数に対して教室が大きいようで、生徒たちは自然と中心に集まっていた。マリーウェザーは、聖百合女学園に通っていた頃のことを思い出す。あの頃も、彼女は窓際の端の席に着いていた。誰とも関わりたくなかったからだ。極道の娘というだけあって、積極的に接触して来る生徒もいなかった。いろはにはそれくらいがちょうどよかった。
授業の準備をしていると、賑やかな声が聞こえてきた。ピンク髪をツインテ―ルにした少女が、四人の男子生徒の先頭になって教室に入って来る。その姿に、マリーウェザーは顔をしかめた。
「あれがヒロインさんと逆ハーレムかいな。美形どもをぞろぞろ引き連れよって」
「あの美形たちが攻略対象です」
マリーウェザーに冷たい視線を向けていたハーヴィが、ピンク髪の少女に優しく微笑んでいる。あの少女が、この世界の“ヒロイン”であるドリー・ハートナイト男爵令嬢だ。その隣にいる短い黒髪の青年をアリストが指差した。
「あの黒髪の人がマリーウェザーの婚約者のウォルター王太子です」
マリーウェザーはなんとなく、世の乙女たちが乙女ゲームに熱中する理由がわかるような気がしていた。ウォルター王太子は地位も権力もあり、その上できっと女性に好まれる性格をしているのだろう。あの美形が自分に微笑みかけてくれることで世の乙女たちは心を満たしているのだ。
「あの銀髪がレティス・エヴァン子爵令息。その横にいる金髪がモンディ・シーレスト伯爵令息です」
「なるほどな。イケメン揃いや。けど、この様子やと、あのヒロインさんも反感を買ってるようやで」
マリーウェザーは教室内を見回す。幸せそうな笑顔を浮かべる少女を、周囲の生徒たちは羨ましいような、妬ましいような、はたまた鬱陶しそうな表情で睨み付けている。その視線は好意的なものではない。
「ドリーはあまりにヒロインしすぎているんです。この国を担う王太子に、貴族の令息たちがみんな、ドリーに現を抜かしています。レティスとモンディにも婚約者がいたはずです」
「けど、逆ハーレムも長続きせえへんで」
マリーウェザーはヒロインを眺めつつ、不敵な笑みを浮かべる。ドリーはマリーウェザーを断罪しようと画策している。ただ自分の幸福のためだけに。あの美形たちはそれに利用されているに過ぎない。そんなまやかしは、西園寺いろはには通用しない。
「いまのうちにせいぜい楽しんでおいてもらおうやないの」
「断罪されるのはどちらか、って話ですね」
「後悔させたるで。この西園寺いろはを敵に回したことをな」
聖百合女学園ではいろはを敵に回すような愚かな生徒はいなかった。極道の報復を恐れたのだ。だが、ヒロインはその脅威に気付いていない。気付くはずがない。実に能天気な笑みを浮かべている。きっとこれから思い知ることになるだろう。幼気な少女を“悪役令嬢”に仕立てた罪を。




