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3/5

オッサン、小学生を学ぶ

前回からのあらすじ。

俺の名前は田中幸司。45歳。

目が覚めたら俺は......女子小学生になっていた!?

みゆきとして生まれ変わってはじめてのブルマを経験した。

たくさんのドキドキと温かさに触れた。

今度はいったいどんなドキドキに出会うだろう。

薄暗闇の中、時計の針とパソコンのキーボードを叩く音だけが響く。

カチ、カチ、カチ……。カタカタカタ……。

蛍光灯の白い光の下、モニターの青い光が疲れきった顔を照らしている。

「………」

言葉を発する気力も、もうない。

無機質な音だけがオフィスの空気に吸い込まれていく。


何時間こうしているだろう。

外はもう真っ暗だ。

今日も帰れそうにない。きっとこのまま会社に泊まりだ。


(しんどい……つらい……もういっそ楽になりたい……)


――カチ、カチ。


室内に響く時計の音がやけに遠く聞こえた。

意識がゆっくりと霞んでいく。

そのとき、背後に“何か”の気配を感じた。


(……誰かいるのか?)


とっさに振り返ろうとした。


ピーーーという無機質なエラー音が脳内に響く。

モニターが真っ赤に染まり、空間がぐにゃりと歪んだ。

言葉を発する間もなく、世界は闇に塗りつぶされた。


意識がプツリと途切れた。

************************************************************



「……っ!」

がばっと起き上がった。

胸がどくどくと鳴っている。

暗い部屋。今の夢は……あれは……俺?



「んー……なに? おしっこ?」

隣から柔らかい声がした。

振り向くと母親が眠そうにこちらを見ている。

寝ぼけまなこのまま優しくそう問いかける。


「あ……うん」


「じゃあ、いこっか」

起き上がろうとする母親を見て慌てて手を振った。

「だ、大丈夫。ひとりで行けるよ」


「ほんとに? じゃあ怖かったら戻っておいで」


母親の声に背中を見守られながら廊下へ出た。

真夜中の家は静まり返っており、時計の針の音がやけに響く。

その音が妙に先ほど見た夢の景色とシンクロした。

トイレに灯りをともした後も妙な不安が消えず、ふと鏡に映る自分を眺めた。


(……なんだよ今さら)


鏡に映る俺は……おびえていた。


さっきの夢。思い出すだけで胸の奥がざわつく。


会社、残業、終わらないタスク。

机の上の冷めたコーヒー。

全部俺の“負の人生”そのものだった。


(あんな世界には、もう戻りたくない)


トイレを済ませ手を洗いながらもう一度鏡に映る”みゆき”を見た。



(今のほうが……ずっと幸せだ)


トイレから戻ると母親がまだ起きて待っていてくれた。


「大丈夫だった?」


コクンとうなずくと母親は少し笑みを見せた。


「ひとりで行けてえらいね。でもね、いつでも起こしていいのよ」


そう言って布団の端を広げる。


「こっちおいで。一緒に寝よう?」


少し迷ってから小さくうなずき、母親の布団に入る。


(……正直、少し照れる)


子どもの体だけど、心はおじさんだ。

でも拒むのもなんだか違うような気がした。

何より先ほどの夢のせいで不安な気持ちが消えていなかった。


(甘えよう。今だけは)


布団にもぐりこむと母親の腕がそっと回される。

柔らかく温かくてシャンプーのいい香りが俺をそっと優しく包み込んだ。


「怖い夢でも見た? なんか、うんうん唸ってたわよ」


そう言いながら頭を撫でてくれる。


(やわらかい……あたたかい……)


胸の奥がじんわりと溶けていくようだった。

どこか照れくさいけど嫌じゃない。

こんな安心感いつ以来だろう。


「……おやすみ、みゆき」


意識がふわりと遠のく。


心の中の暗闇が穏やかな光に包まれていく。

そんな気がした。


************************************************************



ジリリリ……。

目覚まし時計の音で目が覚める。


(……朝か)


7時ちょうど。

隣にいたはずの母親はもういない。

逆側で寝ていた父親の布団も空だ。


「みゆき起きたー? 顔洗ってからいらっしゃい」

キッチンから母親の声が聞こえる。


布団を抜け出しながら昨夜を思い出す。


(途中で少し起きたけど……ぐっすりだったな)


子どもの体ってやっぱりエネルギーの使い方が違う。

俺はまだ眠い目をこすりながら洗面所へ向かった。


顔を洗う。ひんやりした水が気持ちいい。



朝食のテーブル。

トーストに目玉焼き、そして牛乳。

父親は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。


「おはよう。ちゃんと眠れた?」


エプロン姿の母親が俺のぶんのトーストを運んできてくれた。


「夜はひとりでトイレ行けたんだって?えらいなぁ」


両親の何気ない言葉が全部あたたかい。


(俺も昔こうやって褒められてたんだろうな)


思い出すと自然と笑みがこぼれた。


昨夜の不安な夢が消えていくような気さえした。



「ほら。みゆきも早く食べて」

「はーい」


そのときふと父親のマグカップに目がいった。

(……コーヒー飲めるかな?)

興味本位でひとくちだけ。


「うぇっ!にがっ!」


たったひとくち、それもちょっと飲んだだけなのに

まるで劇物でも口にしたかのような苦みが口全体に広がった。


「ちょっと!それはお父さんのでしょ!」

「はっはっは、みゆきにはまだ早いぞ」


牛乳を一気に飲み干す。


(コーヒーってこんなに苦かったっけ!?)


二人とも大丈夫?と口では心配しつつ、その顔は笑っていた。


(……ってことは、ビールも無理か。いや、そもそも飲んじゃダメな年か)


そんなくだらない考えが頭に浮かんで思わず俺も笑ってしまった。



歯を磨いて制服に着替えランドセルを背負う。


鏡の中の俺はもうすっかり“みゆき”の姿としてここに立っている。


そうだ。俺はここにいる。



「おーい、みゆき、いくぞー!」


玄関から父親の声。


「はーい!待ってー!今行くー!」


新しい朝の光が、扉のすき間から差し込んだ。


(あの悪夢の世界とは違う――


 ここにはちゃんと“あたたかさ”がある)


「いってらっしゃい!」


見送る母親と夢の中の自分に向かって言う。


「行ってきます」


小さく息を吸って今日も新しい一日を踏み出した。



****************************************************************************



父親と手をつないでマンションを出た。

外は清々しい朝の光に包まれている。

空気が澄んでいて新しい風が体中に流れ込んでくるようだった。



(こんなに気持ちのいい朝っていつぶりだろうか)



青空の下、父親と並んで歩く。

通学路の両脇には田んぼが広がっており、遠くの山が朝日で金色に縁取られている。


(東京じゃこんな景色見たことなかったな)


出勤途中の車が静かに通り過ぎていく。


さすがに舗装はされているが、道は細く風がすぐそこまで吹き抜けている。


(……いいな。こういう朝)


大きく息を吸い込んで深呼吸をする。


気持ちいい。父親と並んで歩きながら朝の空気を味わった。



少し歩くと駅と学校へ分かれる交差点に出る。


「じゃあここでな。今日もがんばれよ」


父親が手を離す。


「うん……お父さんもいってらっしゃい」


正直“お父さん”と呼ぶのはまだ少し照れくさい。


(前は“オヤジ”だったからな……言い間違えないようにしないと)


父親が笑って駅の方へ歩いていく背中を見送りながら、

手のひらに残る温もりをぎゅっと握りしめた。



「――あ!みゆきちゃん!」


その声に振り向くとあかねちゃんが全力で手を振っていた。


「おはよー!」


朝日のようにまぶしい笑顔に少し照れながら「おはよー」と手を振り返す。



「みゆきちゃんって、おうちこの近くなんだね!」


駆け寄ってきたあかねちゃんは俺の手をぎゅっと握る。


だから近いってば。


「ねぇねぇ、学校終わったら一緒に遊ばない?」


まぶしい笑顔に一瞬まばたきを忘れる。


「え?あ、うん……」


押しの強さに完全にペースを持っていかれる。


「じゃあ約束ね!」


うれしいような、くすぐったいような。

そんな何とも言えない気持ちが胸の奥で混ざり合う。


二人並んで歩く。歩きながらも話は絶えない。


「体育、楽しかったね!」


そ、そうだね。


「算数みゆきちゃんは得意?」


うん。苦手ではないよ。


「ねぇねぇ昨日のマンガみた?」


お父さんと一緒にニュース見てたかな。


ほんと朝から元気だなぁ。


だけどその笑顔につられていつの間にか俺も笑っていた。

足取りが軽くなり、あの夢の不安もどこかに消えていた。


(……そうだ。今を、楽しもう)


ここでならもう一度やり直せる気がする。


あかねちゃんの手をぎゅっと握り返した。


「どうしたの?」


あかねちゃんの微笑みに


「ううん、なんでもない」


と返す。


「へんなのー!」


二人で笑い合う。


学校が近づくにつれクラスメイトの姿がぽつぽつと見えてきた。


「あ、あかねちゃんとみゆきちゃんだ!」


おはよー!と手を振ってくる子に手を小さく振っておはよう返しする。


にぎやかな声が広がって、二人の周りに小さな輪ができる。


昨日のような戸惑いはもうない。


「おっはよー!!」


人一倍元気な声が聞こえると同時に誰かにいきなり抱きつかれる。


「ひ、ひぃっ!?」


びっくりして裏返った声を出す俺からその子をあかねちゃんが引きはがす。


それを見ながらわぁっと笑い声が広がった。


(今日も一日頑張ろう)


始業のチャイムが鳴るまでその笑い声は響き続けた。



************************************************************



みんなとわいわい喋りながら教室に入る。

始業の時間が近づくにつれ一人また一人と増えてその喋り声が大きくなっていく。


昨日とは違い、その騒がしい教室の空気にも少し慣れてきた気がする。

窓から差し込む朝日が黒板の縁を照らしていて、チョークの粉がふわりと光の中に舞っていた。



担任の星野先生が「おはようございます」と入ってくる。


白いブラウスに膝丈のスカート。優しい笑顔。

昨日も思ったけれど――本当にきれいだ。かわいい。


(そういえば……今の俺って、女の子なんだよな)


ふと昨日の放課後を思い出す。


先生と二人きりで過ごした時間。

あのとき思いきって甘えてみてもよかったんじゃないか?

抱きしめてもらって。髪を撫でてもらって――


(……って、なに考えてんだ俺!)


「みゆきさんどうかしたかな?」


先生が不思議そうに首をかしげている。


「え、あっ、い、いえっ!」


慌てて前を向く。


(落ち着け……完全に変な子になってるじゃないか!)



1時間目は国語の時間。


「じゃあ今日はひらがなの練習をしましょうね」

配られた教科書にはやさしい線で描かれた絵と丸い文字。


『あ』――ありさん。

『い』――いぬ。

『う』――うさぎ。


子どもたちが声を揃えて読み上げる。

(勉強ってこんなに穏やかな時間だったっけ……)


俺の中で勉強は「苦行」そのものだった。

でもここにはそれがない。

子どもたちの声がまるで音楽みたいに心地よく響く。

(みんなこんなに楽しそうに“学んでる”んだな)

その光景に笑みを浮かべつつ、俺はノートにひらがなを書き綴った。



2時間目は算数だった。


黒板の前に立つ先生が。


「みんな〜今日は“ひきざん”をやってみましょうね」


チョークで描かれたのは、丸いりんごが5つ。


「5このりんごがありました。3こたべたら、のこりはいくつでしょう?」


先生が言い終わるのも待たず


「はーい!!」


教室中が我先にと一斉に手を挙げる。


(なんかかわいいな……こういうの、なんだか懐かしい)


その様子のすべてが懐かしい。


次の問題はーはい!はい!はい!はい!


手を挙げるみんなの中から先生が誰にしようかなーと見渡す。


にこにこ顔の先生を見ながら、きれいだな、かわいいなと見とれていた。



「じゃぁ……みゆきさん、わかるかな?」


その瞬間心臓がドクンと跳ねる。


目が合った人は手を挙げてなくても当てる。そういえばそんなシステムもあったよな......


いやそうじゃなくて......


(やば、今目が合っちゃった……)


黒板には8-4=と書いてあった。


顔を赤くしたまま下を向いたまま小さく答えた。


「……4、です」


先生がにっこり笑って手を叩く。


「よくできました〜!」


その笑顔に胸がキュッとなった。急に名前を呼ばれてドキドキした。


照れくさくて顔が熱くなる。


みんなの拍手の音が遠くに聞こえた。



3時間目は音楽だった。



オルガンの前に立つ先生が手拍子を始める。


「♪チューリップのはなが〜♪」


懐かしい童謡が教室いっぱいに広がった。


みんなが声を合わせて歌う。


声が重なるたびに教室の空気が柔らかく震えた。


(歌うのってこんなに気持ちよかったっけ......)


カラオケでストレス発散するために歌っていたアレとは違う。


「うまく歌う」ためじゃなく「うっぷんを晴らす」ためでもない。

「楽しいから歌う」


ただそれだけのことがこんなにまぶしい。


(あぁ……俺、ずいぶん遠いところに来たんだな)


「じゃぁ次はカスタネット叩きながら歌ってみましょう」


先生に言われてみんながカスタネットをカチカチと鳴らす。


なんか楽しいな。こういうのも。


大きな声でみんなと歌うのはちょっと恥ずかしいけど。


俺の歌声もカスタネットの音も。みんなの出す楽しいに少しずつ溶けて混ざり合っていくような気がした。




4時間目は理科だった。



「さあ今日は外に出て“むしのかんさつ”をしてみましょう!」


先生の声に「はーい!」と元気な返事が響いた。


校庭の桜の木の下や花壇のまわりに各々しゃがみこむ。

春の陽ざしがまぶしくて土の匂いが濃く香る。


それらすべてから新鮮さと懐かしさを感じてほっこりした。



唐突にあかねちゃんが手をつないでくる。


「みゆきちゃん一緒に見よ!」


「う、うん……」


小さなダンゴムシを見つけて、あかねちゃんが笑う。


「かわいい〜! 丸まった!」


あれ?女子って虫、平気だったっけ。


ふとそんなことを考える。


どのタイミングだろう。女性が虫を見ると悲鳴を上げるようになったのは。


俺はダンゴムシよりも、隣で夢中になってるあかねちゃんの横顔のほうに見とれていた。



「みゆきさん、何か見つけた?」


先生が少しかがんで声をかけてくる。


スカートの裾が揺れてふんわりいい匂いがした。


「え、えっと、まだ……」


急に話しかけられて驚いたせいか声が少し上ずった。


「そう?じゃあがんばって探してみてね」


その優しい声にまたどきっとさせられ脈が速くなる。


「ねぇーみゆきちゃーん!こっちこっち!ダンゴムシー!」


先生が背中をそっと押しながら「行っておいで」とうなづいた。


押された背中のぬくもりが背中に残る。


(……やっぱりこの先生、反則だ……)



キーンコーンカーンコーン――。



終業のチャイムが鳴り響いた。


「さあ、みんな教室に帰りますよ〜」


先生の声に「はーい!」みんな一斉に元気に返す。



教室に戻ると窓の外から給食室の匂いが流れてきた。


カレーともハンバーグとも違うあの独特な給食のにおい。


(おなかすいた……)


思わずお腹を押さえる。給食なんて何十年ぶりだろう。


(なんか……ワクワクするな)


「今日の給食はなにかなー?」「楽しみだねー」と言いながらみんなも先生も笑っていた。


45歳のオッサンな俺と小学生のみんなの思考が同じになってることに気が付いて


くすっと笑ってしまった。



カバンから給食の着替えを取り出して白いエプロンと帽子をかぶってマスクをつける。


「では行きますよ~」


先生に先導されて、給食係のみんなと給食室へ向かった。


真っ白な服の列が楽しそうな声で行進していく。


給食を目指して。


続く。

不穏な空気からはじまりましたが幸せそうな小学校生活を満喫してますね。


次回。4話 オッサン、小学生に学ぶ


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