1 公開婚約破棄
「リリエンタール侯爵令嬢、お前のようなつまらない女とは婚約破棄してくれる!」
「まぁ、よろしくてよ」
大規模なガーデンパーティー。花々が咲き誇る庭園に、ラインハルト・ブリュッケンの大声が響いた。王都西方に広大な領地を持つブリュッケン公爵家の次男坊は、女性達が固まっているあたりへ、鼻息荒く人差し指を突きつける。先ほどまで賑わっていた会場は一瞬にして静まり返り、令嬢たちの視線が一斉に注がれた。
だが、ラインハルトが指差していた場所とは異なる、予想外の場所から声がした。
「な、なんでお前はそんなに影が薄いんだ! 私の隣に立っても華がない! 流行の観劇も小説も知らない、話題も提供できない、ないないづくしではないか! 無能が!」
「えぇ、ですから婚約破棄――承りましたわ」
きょとんとした顔で見上げるのは、エレオノーラ・アルハイタム・フォン・リリエンタール。侯爵家の長女で、母はこの国の王女である。母譲りの空色の瞳と美貌は人目を惹きつけるのに、妙に存在感のない娘だった。
ラインハルトがさらに口を開こうとしたその時、エレオノーラの前に二つの影がすっと立つ。双子の妹、セレナとカミラである。姉と違って眩いプラチナブロンドを持ち、揃って鋭い視線を突きつけた。
「お姉様をいじめないでください」セレナはおっとりと、しかし強い声で。
「つまらないのはあんたの頭でしょ!」カミラはちゃきっと言い放つ。
ラインハルトはたじろぎ、会場の空気がざわめき始めた――そこへ、涼やかな声が割って入る。
「今をときめく挿絵画家 E.A.Vale を拒絶なさるとは、さすが公爵家の次男坊様。時代の流れが見えないとは、お目が高いこと」
姿を現したのは、エレオノーラの母にして、この王国の元王女オクタヴィア。プラチナブロンドの髪を優雅に結い上げ、大きな空色の瞳が鋭くラインハルトを射抜く。今年四十になったはずだが、その美貌はいささかも衰えていない。今は国王の特別秘書官として働き、女性が公職に就く先駆けとして時代の象徴とされている人物だ。
「わたくしのエレオノーラ、セレナ、カミラ――帰りますよ」
「はい」「「はい」」
母に肩を軽く抱かれ、エレオノーラは一度もラインハルトを振り返ることなく歩み去った。堂々と、まるで勝者の行進のように。
ただ、双子だけはくるりと振り返り、声を揃えて――
「べー!!」
と舌を出した。
四人が会場を去った後、ようやくざわめきが戻る。
「今の……E.A.Valeって仰っていたわ!」「ええ、新聞で話題の挿絵画家!」
「女性が絵を描くだなんて、聞いたこともありませんわ!」
残されたラインハルトは顔を真っ赤にし、去っていった方角を睨みつけながら、子供のように地団駄を踏むのだった。
◇◇◇
翌日――
『号外! 謎の挿絵画家 E.A.Vale、その正体は侯爵令嬢だった!』
朝の王都に号外がばら撒かれ、新聞売りが声を張り上げる。
「女性が筆を執るなど前代未聞!」と嘲る記事もあれば、「新時代の象徴」と称える紙面もある。
王都の街角はその話題で持ちきりとなった。
「まさか、あの流麗な線を引くのが女の手とは……!」
「ふん、女が描いたものなど、すぐに底が割れるさ」
「いや、Vale氏の絵は新しい。時代が変わるのだ」
――こうして、エレオノーラの名は一夜にして王都中に知れ渡ったのである。