私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は、親友から「貴女の婚約者、私が貰うから」と言われ、実際に彼から婚約を破棄されました。なにが「真実の愛は、残酷なものなのよ」だ。私を裏切った代償は高いですよ。お覚悟を!
◆1
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は、今日も車椅子を押しながら庭園を散歩しつつ、お年寄りの女性が昔話をするのを、ひたすら聞いていた。
「昔はこんなことがあったのよ」
と、今生きている人が、ほとんど忘れてしまっている珍しい話を聞くのを、私はとても楽しんでいる。
二十歳になったばかりの年齢の割に、地味な趣味と思われるかもしれないけど、これは私の仕事でもある。
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は、王国史料編纂所の職員で、史料収集官という肩書を持っている。
それゆえ、「歴史の証人」から「昔話」を聞き取ることも、重要な職務なのだ。
九十歳になる白髪の上品な老貴婦人が、車椅子から私の方を振り向き、微笑みかける。
「昔は親が決めた方と、いきなり結婚したものよ。
私もお相手の顔を見たのは、結婚式のときが初めてだったの。
信じられないでしょう?
今は幼い頃から顔馴染みとなった者同士で婚約なんかして、それから結婚でしょ?
羨ましい。
かえって私のようなおばあちゃんには想像もできないわ。
今の若い方たちは、学園に通えて、舞踏会やいろいろなサークルや趣味の会など、たくさんあっていいわね。
私たちの世代の女性は、恋愛することなんて、もってのほかだったのよ。
貴女もお若いんだから、そういうお話、あるんでしょ?」
「私、恋愛はちょっと……。
でも、学園の卒業生たちの集いがあるんです。
その集まりの幹事を一年間、任されることになってしまって。
今晩、その幹事同士の会合があるんです」
「まあ、卒業生たちの集いですって?
それは楽しみね。
良い男性が見つかったら、私にも教えて頂戴ね」
「ええ、ぜひ。
でも、私には望み薄かと」
「そんなこと、ないわよ。
貴女、可愛いんですから」
「若いから、そう見えるだけですよ」
私のことを「可愛い」と言ってくれた人は、今まで誰もいなかった。
銀髪で、青い瞳をしている私は、「綺麗だ」「理知的で美しい」と言われたことはある。
けれど、それは「可愛げがない」という言葉の裏返しであることを、私は知っている。
◇◇◇
その夜、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は、街中の高級カフェに足を運んだ。
平民も利用している店ではあるが、主に貴族のご令嬢が長話するのに重宝している。
そのカフェで、親友と待ち合わせをしていた。
「ごめん。待った?」
「遅かったじゃない、シャロン。
とりあえず、サラダと紅茶、頼んでおいたから」
「ありがとう。
じゃあ、二人だけだけど、白鳩会の幹事会、始めましょう」
王立学園の卒業生の集いは、学園の紋章にちなんで「白鳩会」と称されていた。
主に、卒業生同士の情報交換を兼ねた、舞踏会や行楽行事を催している。
白鳩会が、他の貴族関係の集まりやサロンと決定的に違うのは、自由な雰囲気にある。
学園時代は貴族同士、身分に関係なく、各学年ごと対等に口を利いていた。
白鳩会には、そうした学園時代の、分け隔てない気風の名残がある。
おかげで、大勢を集めて舞踏会やパーティーを開く全体集会とは別個に、例えば公爵令嬢と男爵令嬢とが気軽に趣味を語り合うなどして、仲良くなった者同士で、自由に小さな会合を開いたりする。
そうした様々な集まりを管理し、運営する役目を担うのが、幹事だ。
今年の幹事は、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢と、もう一人、私の親友リリー・ギレアム子爵令嬢が担うことになった。
「リリー、ごめんね、巻き込んじゃって」
「良いわよ。
シャロンこそ、お仕事、忙しいんでしょ?
私はいつも通り、パーティーに顔出すだけなんだから。
ちなみに、シャロンが、私を幹事に推薦した理由ぐらい、わかってるわ。
パーティー経験豊富な私が幹事をした方が、飲み物や食べ物の手配もしやすい。
どういったパーティーにするか、コンセプトも決めやすい。
そういうことでしょ?
さすが、シャロンは賢いわね」
「ありがとう、リリー。
それにしても、女性が二人って。
男性も幹事になってほしいのに……」
「良いんじゃない?
私たちだけで、好きにメンバーを選べるんですもの。
ブ男は最初から排除。連絡すら入れるつもりはないわ」
「それはちょっと、酷くない?」
ふふふ、と私は親友と差し向かいで笑い合う。
亜麻色の髪をなびかせ、褐色の瞳を輝かせる、リリー・ギレアム子爵令嬢は、私の幼馴染であり、親友だ。
私は内向的で書物の虫、彼女は社交的でパーティー三昧。
性格がまるで違う二人だけど、だからこそ長く付き合う親友でいられたのかもしれない。
男どもに幹事を押し付けられた際、私は幼馴染のリリーも幹事にするようお願いした。
彼らは「誰を幹事に加えようと構わない」と言い、幸い、リリーも二つ返事でOKしてくれた。
実際、リリー・ギレアム子爵令嬢のコミュ力は凄まじいものだった。
学園時代、「付き合っている男を切らしたことがない」と豪語するほど、男にもモテた。
そんな彼女も、学園卒業後の今は、実家で「花嫁修行」をしている。
ちなみに、我がサビーヌ王国の貴族にとって、貴族令嬢の「花嫁修行」は実質、屋敷でお茶会を開いたり、舞踏会に参加しまくったりして、多くの貴族令息、令嬢たちとコネを作っていくことを指す。
これは貴族令嬢にとって、ごく一般的なことで、私のように、学園を卒業するやいなや、職場で仕事をする方が珍しい。
「学園卒業後、すぐに働くのは、実家が貧しいから」と決めつけられる傾向があるからだ。
現に、私の知り合いで、卒業後に働いているのは、たいてい男爵家や準男爵家、そして騎士爵家の令息、令嬢くらいで、私のような伯爵家の令嬢でありながら働いているのは皆無に等しい。
それゆえに、私が卒業生の集いである「白鳩会」の幹事に選ばれたのだろう。
働いている令嬢に呼びかける役割を期待されているのだ。
一方、週に三、四回は何処かしらのパーティーに顔を出すリリー・ギレアム子爵令嬢は、集まりを明るく賑やかにしてもらうことを期待されていた。
私は幹事になったので、仕事を終えたあと、週に三、四回はリリーと顔を合わせて、次に開催する舞踏会などのプランを話し合った。
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は、白鳩会の催しのための会場を借りたり、様々な人たちに招待状を書いて発送する役割を担う。
一方、リリー・ギレアム子爵令嬢は、お酒や料理を注文したり、開催する舞踏会ごとの特色を決めて、パーティー全体をコーディネートしてくれる。
社交界に疎い私には、到底できない芸当だ。
実際、リリーは大人の男性相手にもハキハキと指示を出し、言い寄ってくる男どもはさらりと躱す。
そういった男女の駆け引きがヘタな私は、リリーの振る舞いに感じ入ってばかり。
そんなリリーにとって、理想の結婚相手とは、どんな男性なのか。
興味を持った私は、ストレートに訊いてみた。
「リリー。貴女は、どんな男性と結婚したいの?」と。
すると、リリー子爵令嬢は、明け透けに答えてくれた。
「私、結構、守備範囲が広いのよね。
だから、若いうちに適当に遊んで、オトコを見る目を養わなくっちゃ、と思ってるの。
髪色は何色でも構わないけど、やっぱ爵位が高く、ゆとりのある男性と結婚したいわ。
あ、もちろん若い男性に限るわよ。
私より五歳以内の年上か、年下の男性じゃなきゃ、絶対にイヤ。
そうでなければ夫と思えないもの」
「それのどこが『守備範囲が広い』のよ?」
「言われてみれば、そうね。あははは」
二十歳ともなると、「早く結婚しろ」「良縁をあてがってやる」という周囲からの圧力は相当強くなる。
貴族令嬢にとって、結婚して子孫を残すことは義務といえるからだ。
でも、私の親友リリーは、自慢の亜麻色の髪を掻き上げながら、そうした大人からの圧力を軽くいなしてしまう。
数多くのパーティーに顔を出してコネを広げていっては、「若いうちに適当に遊んで、オトコを見る目を養う」と嘯くことができる。
私には、とても出来そうにない態度だ。
だから、私、シャロンは、リリー・ギレアム子爵令嬢が大好きだった。
そんな親友リリーと、幹事会と称して、二人でお茶を愉しんでいたとき。
新たに白鳩会に参加したいという男性、パークス・ザボン男爵令息について話し合うことになった。
最近、流行している「写真」で全身像を撮って、幹事会に向けて紹介文を送ってきた。
リリーは紹介文に軽く目を通してから、写真に映る全身像を凝視した。
「金髪に碧色の瞳ーーあら、随分と逞しい身体付きをしてるわね。
貴族用の礼服の上からも、中身が筋肉質だっていうのが窺える。
そういえば、彼、割とイケメンだし、貴女のクラスでは目立ってたわね。
でも、なんか、表情が暗くない?
辛気臭いっていうか……。
このヒト、長く実家から離れて外国に行っていたのは知ってるけど、それだけ。
事情が良くわかんないけど、彼、シャロンのこと、良く知ってるって紹介文にあるわ。
どういう男性?」
「名前はパークスっていうんだけどーー自信家で陽気なヒトだった」
「うん、紹介文に名前が書いてある。
私もちょっと訊いたことがある。元カレの友達だったから。
パークス・ザボン男爵令息ーー学園を卒業するとすぐ、遠い外国に旅立ってしまったっていう……」
彼、パークス男爵令息は若気の至りというヤツで、遠い外国で発生したゴールド・ラッシュに飛び入り参加し、一攫千金を夢見て、金鉱探しに出向いていたのだ。
彼の友人たちが声を掛け合って旅費をカンパして送り出した。
盛大な壮行会パーティーを開いたものだった。
なのに、何もできずに帰ってきた。
おかげで彼、パークス・ザボン男爵令息は、帰国して以来、肩身の狭い思いをしていた。
リリーは扇子で自らを仰ぎながら吐き捨てる。
「いやねえ、落ちぶれちゃって。
辛気臭くて嫌だわ」
たしかに、写真を見ただけなのに、かつての陽気さは失われて、自信をなくしているように見える。
でも、私は首肯しながらも、少しばかり彼をフォローした。
「かつては、パークスも羽振り良かった。
ウチのクラスでは、同級生の間でも人気者だったのよ」
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢には、もう少し彼との因縁があったけど、それはリリーには言わないでおいた。
じつは、彼、パークス・ザボン男爵令息が国内に居残っていれば、私の婚約者になっていたかもしれなかったのだ。
父親同士が親友だったからである。
伯爵と男爵と、身分に差はあったけど、父同士で馬が合い、身分を超えた親しみを感じ合っているようで、「互いの子供を結婚させよう」という約束を交わしていた。
我が家には兄、デギン・ドーリス伯爵令息がいるから、私はいつ嫁に出されるかわからない。
対して、彼、パークスの実家ザボン男爵家の子供は、男ばかり。
勢い、私がザボン男爵家に嫁ぐことが、お父様、ガイウス・ドーリス伯爵の頭の中では、ほぼ決まっていた。
が、私のお母様、マイン・ドーリス伯爵夫人が、パークスとの縁談を強硬に反対した。
理由は、じつに殺風景で、現実的なものだった。
まず、パークスの実家の爵位が男爵で、格下なのが気に入らない。
加えてパークスは身分をわきまえず、対等な調子で伯爵家の娘である私、シャロンに向かって語りかけるし、話す言葉の端々から、身分不相応な野心が感じられる。
そんな男に、娘のシャロンを預けるのは不安、我がドーリス伯爵家にまで難が及びかねない、とお母様は言うのだ。
もっとも、パークスの、こういった人物評は、じつは学園の仲間も共有していた。
ただ、母にとっては不安材料になる内容が、仲間内では、カッコ良いものに映っていたことが大きな違いだ。
そうした野心を尊ぶ意識は若者特有のものらしく、お父様、ガイウス・ドーリス伯爵も、私とパークスとを縁付かせることにためらいを覚えていた。
すると、母、マインの予測通り、彼、パークス・ザボン男爵令息は、学園を卒業するやいなや、ゴールドラッシュに釣られて、実家から出奔してしまったーー。
それから二年後ーー。
かつてカンパを呼びかけた、パークスの友人たちも、今では彼から離れていった。
彼、パークス・ザボン男爵令息が金鉱を掘り当てたら、便乗して儲けようと思っていたのに、アテが外れたからだ。
でも、私は自信満々だった彼が、意気消沈するさまを見るのは心苦しかった。
だから、私だけは、パークスを元気づけてあげようと思ったのだ。
そうした私の気遣いが、将来、悲惨な結末を生むとは、思いもせずに……。
◆2
白鳩会のパーティーに、彼、パークス・ザボン男爵令息を正式に招いた。
皆に受け入れられたと思ったのか、パークスは元気を取り戻したようだった。
実際、彼、パークスが、カクテルを片手に語る冒険譚は、面白かった。
砂金をザルで濾し取る苦労話。
何十年も金鉱を掘り続ける人たちの話。
ゴールド・ラッシュに群がる人々を相手に、水を売ったり、破れにくいズボンを売ったりした者が一番、儲けているという話。
蛮族の襲撃から逃げる話ーー。
盛況の内にパーティーを終え、数日も経たら、パークスの持ち前の陽キャが、完全に復活した。
白鳩会で乗馬大会を催したら、障害物競走でパークスは優勝した。
さらに、(貴族令息たちからの強い要望に応えて)狩猟大会を行っても、彼が優勝した。
相変わらず、パークスは屈強な肉体を誇っていて、馬も上手に乗りこなす。
彼が語る冒険譚では、いくらか話を盛っていたようだけど、乗馬の腕や、獲物を探す能力に長けていることは十分証明できた。
その結果、親友のリリー・ギレアム子爵令嬢が、声を弾ませることになった。
パークスが、来年、特別近衛騎士団に入団する内定書を手にしたからだ。
「ねえ、シャロン。
パークスったら凄いのよ!
近いうちに、近衛騎士団員になるって。
しかも、王家直属の特別近衛騎士団の探索メンバー!
本来なら、伯爵以上のヒトじゃないと任命されないって話よ」
興奮していたのは彼女だけではない。
その日は、本来ならリリーとだけ会う予定なのに、リリーの後ろに、喜色満面のパークス・ザボン男爵令息が立っていた。
「君に感謝の言葉を伝えたくて。
リリーに無理を言って、幹事会に同行させてもらったんだ」
彼、パークスは、喜びのあまり、私に抱きついてきた。
「シャロン! 君が白鳩会に迎え入れてくれたおかげだ。ありがとう!」
その日以来、彼、パークス・ザボン男爵令息も幹事メンバーの一人となった。
その結果、私、シャロンと親友リリー、そしてパークスの三人で、ワイワイと賑やかに会合を開くことが多くなった。
そうして幹事会を重ねること一ヶ月ーー。
夏も終わろうとする頃、彼、パークスが、私に言い寄ってきた。
月明かりの下、幹事会を終え、誘われるままに公園を散歩している最中のこと。
突然、パークス・ザボン男爵令息が片膝立ちになって、私に指輪を捧げた。
まさかのプロポーズだった。
「シャロン・ドーリス伯爵令嬢。
俺は君に深く感謝している。
君だけが、嫌われ者の俺に、優しくしてくれた。
好きだ。
君と一緒に居ると、気分が安らぐ。
まずは婚約をしようじゃないか。
これからの人生、共に生きていこう!」
私は面喰らって、慌てて指輪を突っ返した。
「待って。嬉しいけど……」
彼はそれでも笑顔を崩さず、
「待つよ。婚約ともなると、いろいろあるだろうから」
と言って、指輪をケースにしまい、懐に入れた。
そう。
パークスが言うように、彼と婚約するとなると、「いろいろある」のだ。
じつは私は懸念していた。
親友リリーが、彼、パークスを、密かに気に入っているのがわかっていたから。
◇◇◇
パークスから求婚された次の日の幹事会ーー。
早めにカフェに行って待っていたら、案の定、リリーがパークスより先にやって来た。
「あら、シャロン。今日は早いわね。どうしたの?」
パークスが来る前に話しておかなきゃ、と気が急きながらも、私は簡潔に伝えた。
「私、パークスから求婚された」と。
私からの報告を受け、リリーは両目を見開く。
そして、両手を合わせて、歓声をあげた。
「それは素敵じゃない!
もちろん、お受けしたわよね?」
私は窺うような目つきになった。
「良いの?」
「もちろん!」
リリーは明るく白い歯を見せる。
私は正直、戸惑っていた。
「リリー。貴女、パークスを好きなんじゃ……」
「ないない!」
リリーは笑いながら、大きく手を振る。
そして、私の背中をバン! と叩いた。
「頑張って。応援するわ!」
私は拍子抜けな気分になった。
が、同時に、
(「案ずるより産むが易し」って、ほんとうかも……)
と思い、胸に手を当て、深い安堵の溜息を漏らした。
次いで、私は両親に、パークスから求婚されたことを伝えた。
パークスが私と婚約する意向を持っている、あとは私の返事待ちだ、と。
私の報告を耳にした途端、お父様は両手を広げて椅子から立ち上がった。
「良かったじゃないか!
おまえは〈花嫁修行〉を無視して、すぐ就職したから、私が縁談を用意しないといけない、と思っていた。
でも、もとより、私はザボン家の息子と縁付いてもらいたかったから、どうしたものかと悩んでいた。
それがーー。
まさに『案ずるより産むが易し』とは、このことだ!」
お父様のガイウス・ドーリス伯爵は、私が思ったのと同じ格言を口にして、涙を流して喜ぶ。
母親のマイン・ドーリス伯爵夫人も、いきなりの婚約話を歓迎してくれた。
「パークスと結婚したら、貴女は男爵家に嫁ぐことになるのよ。
今までより格式が落ちるけど、それは理解しているわね」
「わかってる」
「そう。だったら、良いの。
パークスも来年、堅い職業に就くそうだから、私も婚約に反対しないわ。
ーーそれにしても、不思議ね。
二年間もこのサビーヌ王国から飛び出していた男が、王家直属の近衛騎士になれるなんて。
よほど王族の方に気に入られたのかしら?」
私は、パークスが特別近衛騎士団に入れた経緯を知っている。
だが、親に話す必要もないし、なによりパークスの名誉のために、言葉を濁した。
「あの人、馬も乗りこなせるし、いろいろと如才ないから……」と。
このようにして、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢とパークス・ザボン男爵令息とが婚約するための外堀が埋まっていった。
誓っていうけど、この時まで、私、シャロンは、彼、パークスから「求婚をされた」と様々な人に報告をしただけ。
まだ、そのプロポーズを受けるかどうかは、正直、決めかねていた。
それなのに、私よりも、パークス、そして何よりドーリス伯爵家とザボン男爵家、双方の親たちが積極的に、私たちを婚約させようと動き出したのである。
その結果、二週間後には、私、シャロンとパークスは、親族の前で婚約を発表することになってしまった。
婚約発表の際、彼、パークス・ザボン男爵令息は、本心から嬉しそうにしていた。
そして私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢を抱き締めて、皆が見ている前でキスをした。
いきなりだったが、私にとって、それはファースト・キスだった。
◆3
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢が、パークス・ザボン男爵令息と婚約してから三日後ーー。
庭園のテラスで、史料編纂所職員として、「歴史の証人」からの聞き取りをしている際、私の婚約が話題となった。
頻繁にお話を伺っている老貴婦人が、私の手を取って、嬉しそう微笑みかける。
「聞きましてよ、シャロン。
婚約なさったんですってね。
おめでとう!」
「ありがとうございます」
「学園の卒業生の集まりで、良い男性と巡り会えたんですってね。
素敵だわ。
私たちの頃にはーーほんの50年前には考えられなかったことですもの」
老貴婦人は、私以上に気分を高揚させていた。
「私、若いお二人を祝福したい。
なにか私にできることがあったら、これからも、なんでも言ってね」
打算のない純粋な祝福の言葉を、初めて受けた気がした。
嬉し涙が出た。
◇◇◇
それから三ヶ月もの間ーー。
婚約発表して以降、リリー・ギレアム子爵令嬢は、私たち二人を気遣ってくれた。
その結果、毎週のように、私、シャロンと彼、パークスの二人でデートを楽しんだ。
週に一回の幹事会は、当然、リリーを含めた三人で開く。
それが終わった後、私はパークスとデートを繰り広げたのだ。
初めのうちは恥じらいながらも、距離が縮まっていく感じがした。
王都の街中を散策し、海辺の公園を歩き、博物館にも足を運んだ。
ところが、ある日を境に、次第に彼との距離を感じるようになった。
彼から、宿泊所を兼ねる酒場に入店するのを勧められたが、それを拒否したことがあった。
そのときの彼は、何も言わなかったが、非常に不愉快そうに舌打ちをしていた。
以来、デートの度に、彼は何か言いたそうにしていたけれど、
「どうしたの?」
と、私が尋ねると、
「何でもない」
と答えられてしまう。
気もそぞろなデートになってしまった。
でも、こうした週に一、二回のぎこちないデートが、三ヶ月ほど続いた。
その間、いつもリリーが励ましてくれた。
「妬けるわね。
私も早く良いヒト見つからないかな」
何を想像しているのか、ニヤニヤといやらしく口の端を綻ばせている。
残念ながら、私の身持ちは固いので、彼女の期待に沿えるような話はできない。
私、シャロンは、ただ深く吐息を漏らして、
「リリーが想像するようなコトは何もないわ。
それに、最近、パークスと、どうも気持ちが通わない……」
と愚痴ったら、
「もっと積極的に行きなよ。応援してる!」
と、リリーはあっけらかんと明るく励ましてくれた。
でも、秋も半ばに差し掛かった頃ーー。
定時にパークスが幹事会に来ていなかった。
どうしたんだろうと思っていると、リリー・ギレアム子爵令嬢が、いきなり席を立って宣言した。
「ごめん、シャロン。貴女の婚約者、私が貰うから」
突然の発言であった。
リリーが言うには、彼、パークス・ザボン男爵令息が今日、幹事会に来ていないのは、気を利かせてくれたからだという。
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢が、親友リリーの勧めに応じて、身を退くことができるために。
目を白黒させて、私は親友に問い返した。
正直、事態が掴めない。
「それって、何?
パークスが貴女に求婚したの?
でも、私という婚約者がいるのに、それは……」
そういえば、最近、パークスは私に対し、よそよそしくなっていた。
何かあったのか、と私は訝しく思っていた。
そんな私を前にして、親友リリー・ギレアム子爵令嬢が、得意げに胸を張る。
「当然、私から迫ったのよ。
パークスは、私からのプロポーズを受けてくれたわ」
「どうして、そんな……。
リリー、貴女は、私を励ましてくれていたのに」
私の親友じゃなかったの!?
と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
正直、パークスと恋愛気分を味わうのは楽しかった。
彼の笑顔も好みだった。
すっかり、自分はこの人の妻になるんだ、と思い込んでいた。
それなのに、親友と思っていた女性に、婚約者を奪われた。
問題は心理的ショックだけではない。
貴族令嬢たる者、婚約までしていながら、相手から破棄されると、いろいろと厄介だ。
今まで水面下で関わった大勢の人々にーー双方の両親や一族、王国史料編纂所の職場仲間や上司、そのほかやんごとなき方々にまでーー迷惑をかけてしまう。
それに、そんな大人たちに、自分が親友に婚約者を奪われた事実を、弁明して回らなければならない。
その事実に吐き気がした。
伯爵令嬢として、これ以上ない屈辱だった。
押し黙る私の目の前で、親友だったオンナが滔々と捲し立てていた。
「貴女の隣にいるときにも、彼、パークスからの熱い視線を感じていたの。
ああ、この男性、私を好きなんだ、ってわかったわ。
だから告ったの。
貴女から絶対に彼を奪える、と思ったわ。
ごめんね。
でも、これが愛。
真実の愛は、残酷なものなのよ。
私も、ずっと彼を素敵だと思っていたわ」
良く言うわよ。
貴女が、彼のことを、
『いやねえ、落ちぶれちゃって。
辛気臭くて嫌だわ』
と吐き捨てたことを、私はしっかり覚えている。
私はリリーに詰め寄った。
「私はパークスと正式に婚約しているのよ?
どれだけの方々に迷惑をかけるのか、わからない貴女じゃないでしょ?
それなのに……」
リリーは平然としたもので、扇子を広げて口許を隠した。
「婚約は結婚とは違う。
気が変わっても不思議はないわ。
それに、部外者にいくら迷惑をかけようと、愛があるんですもの。
仕方ないじゃない。
そもそも、貴女が好きな〈歴史〉ってのも、こうして動いていくものなんじゃないかしら。
彼、パークスも言っていたわ。
〈歴史〉は自分で作るものだって。
小難しい顔をして、調べるもんじゃない。
生きている私たちが決めていく、現実の積み重ねが歴史になっていくのよ」
明らかにリリーは、自らの演説に酔い痴れていた。
そして、涙を溢れさせながら、甲高い声を張り上げる。
「私たち、愛し合ってる。
将来を誓い合ったの。
私たち、結ばれる運命だったってわかったわ。
真実の愛なの!」
私は呆れた。
なに、陶酔しちゃってるの?
涙まで流しちゃって。
被害者は私なのに。
前々から、隠れて付き合ってたのね。
それなのに、幹事会の後、私を励ましてたってわけ?
「デート、頑張って!」って。
絶対、私のこと、陰で笑ってたでしょ?
「堅物が恋人気取りしちゃって。しかも婚約ってか。笑える」って。
私、貴女のこと、長年付き合ってきた親友と思っていたのにーー。
私は泣きたい気持ちになった。
パークスの心変わりよりも、長年の、幼馴染の親友を失う悲しみが心の中に広がっていく。
それなのに、裏切って婚約者を奪った女の方が、感情を昂ぶらせて泣いている。
「真実の愛」だの、「私を許して」だのと口走りながら。
そんな姿を見ていると、「ははは」と、自然と笑いが込み上げてきた。
あまりのバカバカしさに、呆れてしまったのだ。
「あははは!」
私、シャロンは、腹を抱えて笑い始めた。
すると、リリーは泣き止み、不思議そうな顔をして、私が笑うのを見ているのだった。
◆4
そして翌日、白鳩会主催の舞踏会にてーー。
リリー・ギレアム子爵令嬢が、彼、パークス・ザボン男爵令息の手を取って壇上に昇り、発表した。
「私たち、付き合っています!」と。
リリーから背中をバンと叩かれて、パークスはうなずいて、朗々とした声をあげる。
「俺、パークス・ザボンは、シャロン・ドーリス伯爵令嬢との婚約を破棄する。
そして、リリー・ギレアム子爵令嬢と、新たに付き合うことにした!」
ここでリリーが横槍を入れる。
「すでに元婚約者のシャロンは了承済みよ。
笑って私を祝福してくれたわ」
得意げな笑みを浮かべる元親友ーー。
私、シャロンは、肩をすくめた。
(笑ったからって、祝福とは限らないのに……)
それにしても、私の立場がない。
舞踏会に参加した貴族家の令息、令嬢たちは皆、壇上の二人を見てから、いっせいに後ろを振り向き、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢の顔色を窺う。
皆、憐憫の情を顔に浮かべていた。
正直、私は恥ずかしくて死にそうな気分だ。
対して壇上の二人は、独りで恥入る私とは対照的に、私に見せつけるようにベタベタと身体を寄せ合い、イチャつき始める。
やがて、楽団によって音楽が奏でられると、壇上で、リリーとパークスの二人は踊り始めた。
リリーはパークスの手を握り締め、自分の胸ごと身体を押し付けながら、
「皆様、ご覧ください。これこそ愛のダンスです!」
と明るい声をあげた。
あまりに堂々とした略奪婚約で、皆が呆気に取られ、非難の声すら起きなかった。
見ていられなくて、私、シャロン伯爵令嬢は、仕方なく会場の隅っこに身を寄せる。
そして、手にしたカクテルをあおった。
すると、何人か、白鳩会の仲間たちが近づいて来て、言いにくそうに語りかけてきた。
彼らは私が白鳩会に誘った面々だった。
金髪巻毛のアイク騎士爵家令息は、碧色の瞳に怒気を宿しながら告白する。
「じつは、かなり前から、僕はあの二人が付き合っていることに気づいていた。
婚約者がいるのに、不実に過ぎる。許せない!」
カイト男爵令息も、灰色の瞳を閉じて、大きくうなずく。
「でも、貴女が気付いていないようなので、どうしたものかと頭を悩ませていたんだ」
彼らによると、パークス・ザボン男爵令息は、金髪を掻き上げながら、以前、言っていたそうだ。
「シャロンには感謝してる。
ほんとうだ。
仲間の輪に入れてくれたんだから、ありがたいと思っている。
だから、婚約まで申し込んだんだ。
だけどーー。
シャロンの趣味も、性格も、初めから俺はあまり好きではなかった。
子供の頃はもっと可愛げがあったのに、成人した今ではすっかり可愛さが失われて、シャロンは古ぼけた書物とばっかりにらめっこしている。
一方で、リリーは一緒にいて、とても楽しい。
女性として華があって、パッと華やかな気持ちになるんだ。
可愛いし、色気がある。
仕草も女らしい。
リリーは、ドレスや宝石を身にまとって、キラキラしてる。
そういう女らしさっていうものが、やっぱり男の目から見ると素敵に見えるんだよね。
シャロンは賢さと信頼を感じるけれども、それだけ。
リリーの声は鈴の音のようで、いつもコロコロと笑う。
笑い声が楽しいんだ。
一緒にいて、とても軽やかな気持ちになる。
それに引き換えシャロンには、俺の心が湧き立つこともない。
その一方で、俺はいつもリリーのそばにいたいと思っているし、結婚したいっていう気持ちにもなっている。
こんな気持ちは初めてだ。
女性っていいなって思って、ますます好きになってしまったんだ。
シャロンのことは頭が良くて、しっかりしてて、信頼できた。
だけど、愛する妻としては、物足りないと思うんだ」と。
カイト男爵令息は、往時を思い出し、痩せた体躯を震わせて、吐き捨てる。
「だから、僕は、半月ほど前の舞踏会で、パークスに忠告したんだ。
『だったら、そう言って、シャロンとの婚約を解消してやりなよ。
愛がないのに付き合い続けるのって、彼女に対して失礼だろ!?』と。
すると、パークスのヤツは言ったんだ。
『でも、シャロンには何かと世話になってるし、フッちゃうと可哀想だろ?
実際、リリーもシャロンの親友だから悩んでるみたい。
だから、このまま、曖昧な関係で良いんじゃないかな。
時間が解決するまで様子を見てれば良いんじゃないの? 知らんけど。
まあ、誰であれ、女の子から好かれるってのは気持ちが良いもんだ。
幹事会の後、彼女とデートするのも、それなりに楽しい恒例行事みたいなもんさ』って。
そのくせ、リリー子爵令嬢が『婚約発表して』とおねだりしたら、君との婚約を破棄してーー」
私は苦笑いを浮かべる。
パークスなら、いかにも言いそうなセリフだったからだ。
そのときの状況が目に浮かぶ。
今度は女性陣ーーテリア子爵令嬢とナタリー男爵令嬢が、告白してくれた。
リリー・ギレアム子爵令嬢が、扇子でパタパタと自らを仰ぎながら、次のように言っていた、と。
「仕方ないじゃない。
いつの間にか、彼、パークスのことが、好きになったんだもの。
シャロンに、パークスとの婚約を後押ししたのは、間違いだった。
でも、パークスが私に靡いてくれて、チャンス到来!
一気に身体の関係に持ち込んだのよ。
知ってる?
シャロンってば、婚約者だっていうのに、まだパークスとはキスしただけ。
そんな奥手だったら、私がいつでも奪えると思ったわ」と。
そこで、テリア子爵令嬢が、閉じた扇子を差し向けて、リリーに問うたらしい。
「親友に悪いと思わないの?」と。
すると、リリーは口に手を当てて、あっけらかんと笑ったそうだ。
「親友に悪いと思わないのかって?
思わないわ。
だって、誰を娶るかを決めるのは彼、パークス自身なんだもの。
彼が私と離れ難くなったら、それで勝ちってわけ」
そこで、ナタリー男爵令嬢が、黒い瞳を輝かせて、疑問を呈した。
「貴女、パークスから求婚されたとき、シャロンを応援してたって聞いたけど」と。
すると、リリーは、真面目な顔つきで答えたそうだ。
「正直、マジで婚約するとは思わなかったの。
だって、彼女、ウブでしょ?
実際に、一度、婚約指輪を彼に突っ返しているんだから、婚約に応じないと思った。
でも、結局、親同士の繋がりの濃さってヤツで、ほんとうに婚約しちゃった。
ビックリだよ。
でも、彼、パークスの想いは私にあるっていうのに、シャロンったら、彼にまとわりついて、〈恋愛ごっこ〉してるんだもの。
笑っちゃった。
しかも、私に恋愛相談までしてくるのよ。
マジでウケる。
嘲笑ってるみたいだって?
そりゃ、そうよ。悪い?
彼女、成績も家柄も私より上だけど、女力では断絶、私の方が優秀ってのを見せつけてやりたかった。
それに、彼、パークスにとっては、爵位の継承の点で言っても、私と結婚した方が利点があるのよ。
私、リリー・ギレアムは一人っ娘。
私と結婚すれば、パークスは婿入りして『ギレアム子爵』になれる。
一方で、シャロンの実家は伯爵家だけど、家督はお兄さんが継承するから、パークスはシャロンと結婚しても『ドーリス伯爵』にはなれない。
シャロンが『ザボン男爵夫人』に格落ちするだけ。
ね、つまんないでしょ?
だから、絶対、パークスを、私の許に引き留めることができる、そう確信したわ。
おほほほ!」
ここで再び、アイク騎士爵家令息が、拳を握り締めて身を乗り出す。
「だから、シャロン、早めに君に、アイツらの魂胆を教えておかないと、と思ったんだ。
だけど、普段、真面目な君が彼と手を繋いでいるとき、満面に笑みを浮かべていただろ?
だから、僕にはとても言えなくてさ」
テリア子爵令嬢は、扇子を広げて口許を隠す。
「私は何度か、舞踏会の折に、シャロン様に忠告しましたわよね?
『親友って言っても、他人だから』とか、
『オトコなんてのは、一皮剥けばガッつく猿も同然なんだから、繋ぎ止めるには身体を餌にしないと』とか……」
私、シャロンは、肩をすくめるしかない。
たしかに、そう言ってたかも。
でも、私は、一般論として、聞き流していた。
もっとハッキリ言ってくれないと、わかんないでしょ?
(いやーーそんなこと言ったら、〈聞き取り役〉としての職業が向いていないと白状するようで、ちょっと気恥ずかしい)
私はパン! と両手を合わせ、親切心で私に告白してきた仲間たちに、労いの言葉をかけた。
「皆の気を揉ませて、悪かったわ。
皆さん、好きに飲んでちょうだい。
今回は私の奢りよ!」
わあああ!
私を中心にして、五、六人の貴族令息、令嬢で盛り上がる。
やがて、その明るい気運は、舞踏会場全体に波及していく。
その頃には、壇上で踊っていた二人の動きも止まっていた。
こっちで盛り上がっているのを勘違いしたのか、パークスが、
「仲間が賛同してくれて嬉しいよ!」
と、明るい声をあげた。
リリーも彼の手を握りながら、嬉しそうに言い添える。
「ほんと、私たちは幸せね。
シャロンが身を退いてくれたおかげだわ。
ねえ、シャロン。
私たち、どんなことがあっても、親友だよね?」
壇上で、元親友が、明るく笑っている。
が、口の端が嘲りで醜く歪んでいるのを、私は見逃さなかった。
実際、
「貴女も彼氏を作りなさいな。応援するわよ」
と、要らぬ台詞を口にして、上から目線で勝ち誇っている。
ニヤニヤと笑っていた。
私を惨めだと蔑んでいるのだ。
その一方で、リリーと恋人手繋ぎをしているパークスは、自分の婚約者が隣で、どういう表情をしているか気づきもせず、会場の参加者に向けて声をかける。
「これから大人相手の説得があるから、大変なんだ。
ぜひ、白鳩会で、僕たち二人を応援してもらいたい」と。
そこで、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢が、壁際から進み出る。
群衆を掻き分けて前に出ると、壇上に向かって声をあげた。
「私、シャロン・ドーリスから、パークス、リリーのお二人に、祝福の言葉を捧げたく思います」と。
その途端、会場は静寂に包まれ、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢の声だけが響き渡るようになっていた。
◆5
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢が、銀髪をなびかせて皆の前に進み出て、
「パークス、リリーのお二人に、祝福の言葉を捧げたく思います」
と発言した。
その言葉を耳にして、周囲の貴族令息、令嬢方が目を丸くする。
壇上にいる、リリーとパークス、裏切り者の二人も、顔を引き攣らせていた。
(ふん。
私が呪詛の言葉でもぶつけると思った?
冗談じゃないわ。
婚約者と親友ーー私にとって大事な人だった者の本音が聞けて、むしろラッキーだったと思っているわよ)
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は、背筋を伸ばす。
そして顔を上げ、壇上にいる、元親友と元婚約者に向かって、言葉の刃を突き付けた。
「打算のない、本物の愛ーー素敵だと思います。
ですが、『愛には試練がつきもの』というのも本当のようです。
リリー。貴女の言葉をそっくりお返ししてさしあげますわ。
『真実の愛は、残酷なものなのよ』と。
お二人が私を裏切り、婚約者を私から乗り換えた代償はとても大きく、あなたたちの将来は茨の道となることでしょう。
まず、彼、パークスの実家ザボン男爵家は、総力を挙げて、私との婚約破棄に反対なさるはず。
特にお父上のロイド・ザボン男爵に対して、婚約者の乗り換えについての説得は、ほとんど不可能でしょうね。
私の父、ガイウス・ドーリス伯爵の〈無二の親友〉と自称なさっていましたので。
私の〈親友〉と違って、ロイド様は私の父ドーリス伯爵をやすやすと裏切ったりはしないでしょうし、ロイド様の性格上、リリーのように、〈親友の婚約者を寝取って、得意になるような女〉を激しく嫌悪するに違いありません。
それだけではありません。
パークス・ザボン男爵令息、これで貴方が近衛騎士団に入ることはなくなるでしょう。
貴方が近衛騎士団に入ることができたのは、私が懇意にしている先代王妃マリアンヌ・テラ・サビーヌ様の口利きがあってこそなんです。
『ぜひ貴女の恋人に』と、先代王妃様が用意してくださった役職なのです。
ですから、当然、私、シャロン・ドーリスと別れて、別の女と結ばれようとするなら、特別近衛騎士団に入る件は白紙になります」
王家直属の、特別近衛騎士団の探索メンバーは、歴史史料の保管・運送をすることが役目の一つとなっている。
特に、史料収集のために旅行することが多い、史料収集官の護衛役は、重要な任務となっていた。
だから、史料収集官である私、シャロンが、特別近衛騎士団の人事に口を挟めるのだ。
しかも本来なら、伯爵以上の爵号がなければ勤められない役職だ。
ところが、男爵令息であるパークスが特別騎士団に入団する内定が取れたのは、史料収集官である私が、先代王妃様に探索隊メンバーの増員を要請した結果だった。
つまり、パークスが特別近衛騎士団に入団できるようになったのは、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢が、史料収集官であり、かつまた先代王妃様との強力なコネを持っているからだった。
にも関わらず、パークス・ザボン男爵令息は、あたかも自分の力で入団を勝ち取ったかのように錯覚してしまっていたのだ。
ざわざわ、とざわめきが広がる。
「先代王妃様が!?」
「なんだよ。
パークスのヤツ、自分の力で近衛騎士になったって吹聴してたのに……」
パークス・ザボン男爵令息は、顔を真っ赤にして、大きな身体を震わせる。
リリー・ギレアム子爵令嬢は、パークスから手を離し、距離を取り始めていた。
それでもシャロンは追撃の手を緩めない。
パークスを、さらに追い詰める。
「しかも、パークス様。
貴方は実家、ザボン男爵家から追い出されるのは確実かと思いますよ。
以前、一攫千金狙いでゴールド・ラッシュに参加するため出奔したことにより、貴方はお父上のロイド・ザボン男爵から勘当を言い渡されていましたよね?
それでも、私、シャロンとの婚約により、私に免じて、
『とりあえずパークスの勘当を解いて、様子をみよう』
ということになっていた。
ところが、貴方が、私、シャロン・ドーリスとの婚約を破棄したと聞いたら、お父上のロイド男爵は、さぞお怒りになることでしょう。
再び、勘当されるのは確実ではないでしょうか。
そうなれば、パークス様は事実上の平民落ち、明日からの宿にも困る境遇になるはずです。
それでもリリー・ギレアム子爵令嬢は、彼、パークス様を支え続けるのですね。
ご立派です。
もっとも、パークス様を、ギレアム子爵家に婿入りさせようとしても、もはや不可能でしょうけど。
貴女のお母様であるサリー・ギレアム子爵夫人が、どれほどご立腹なさるか知れませんから。
貴女のお母様、サリー子爵夫人は、以前、先代王妃様主催のお茶会でお会いしたとき、言ってらしたわ。
『自分の娘、リリーを〈花嫁修行〉としてパーティー三昧をさせているのは、立派な殿方をつかまえさせるためですわ』と。
それがこんな、パークスのような不良債権をつかまされるとは。
それに、リリー。
貴女はどれだけご両親の立場を危うくさせているか、ちっともわかってない。
貴女の巻き起こした婚約騒ぎを聞きつけると、貴女のお父上のピック・ギレアム子爵は、即座に私のドーリス伯爵家に詫びを入れに走ることになるでしょう。
私の実家ドーリス伯爵家と、貴女のギレアム子爵家とは、寄親・寄子関係ですもの。
それでも、きっと私のお父様、ガイウス・ドーリス伯爵は、許さないはず。
娘である私に、寄子貴族の娘が侮辱を与えたという事実を、寄親貴族の主人として、看過できませんもの。
結果、ギレアム子爵家は、派閥から外れることになるかもしれません。
しかも、先代王妃様が、私、シャロンのためにお嘆きくださることは確実ですからね。
サビーヌ王家に疎まれたギレアム子爵家の、これからの運命も楽しみなところです。
ぜひ頑張ってみてください。
真実の愛の尊さを、私たちに見せつけてくださいな」
シーーン。
それまで喧騒に包まれていた会場が、今や水を打ったように静まり返っていた。
壇上のリリーとパークスのみならず、舞踏会に参加した令息、令嬢の誰もが、今回の婚約騒ぎによって、ここまで大事になるとは気づいていなかったからだ。
皆が固唾を呑んで見守る中、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は踵を返して、舞踏会場を後にした。
それから、舞踏会がどうなったか、私は知らない。
◇◇◇
私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢の「祝福の言葉」は、翌日からすぐに効果を発揮した。
シャロンの予想通り、リリーの父親ピック・ギレアム子爵は、赤い両目を見開いて激怒した。
娘のリリーに一言も言い訳させず、雷を落とす。
「この、馬鹿娘が!
ザボン男爵家の倅パークスを、おまえの婿として迎えても構わないと思ったのは、ヤツが長年の放蕩にも関わらず、近衛騎士に抜擢されたと聞き、さぞサビーヌ王家と懇意なのだろうと思ったからだ。
だから、儂は婿に迎えるのを許したのだ。
それなのに、これではアテが外れた。
無職の男爵令息ーーしかも親から勘当されたような放蕩者に、娘は預けられん!
それに、先代王妃マリアンヌ様のご不快を招くとは。
ったく、リリー。おまえは我がギレアム子爵家を潰す気か!?」
父親ピック子爵が怒鳴り散らす間、母親のサリー・ギレアム子爵夫人は、「育て方を誤ったわ」と嘆き、さめざめと泣くばかり。
結果、リリー子爵令嬢は、屋敷内で監禁同然となった。
そして、シャロンの予想通り、ピック子爵は、即座に、ドーリス伯爵家に詫びを入れることになる。
ところが、ガイウス・ドーリス伯爵の取った処置は、シャロンの予想に比べると、遥かに寛大だった。
「若い者同士のいざこざで、大の大人が騒ぐのも愚かしい。
ギレアム家を派閥から外さないでやろう」
と、ガイウス伯爵は判断したのだ。
ただし、そのための条件を提示するのを忘れなかった。
「リリー子爵令嬢が、他家に嫁ぐのは構わないが、誰であろうと、婿を取ることは許さない。
とにかく、リリーの夫に、ギレアム子爵家を継がせないことだ」
と厳命したのだ。
これを、リリーの父親ピック・ギレアム子爵は呑んだ。
そして、さっそく従兄弟のバウムを養子に迎え、将来、ギレアム子爵家の家督を継がせることに決定した。
一方、パークス・ザボン男爵令息の父親ロイド・ザボン男爵は、当然の如く激怒した。
ドーリス伯爵家のご令嬢と破局したなら、パークスの勘当処分が復活するだけだった。
さらに、パークスは長子権を放棄したと見做され、ザボン男爵家の家督は弟のザック・ザボン男爵令息が相続することと正式に決定してしまった。
家を追い出された傷心のパークスは、リリーの実家ギレアム子爵家に弁明しようと出向く。
だが、門前払いを喰らって、リリーに会わせてすらもらえない。
その結果、例の舞踏会から三日後の朝、パークスは、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢に泣きついてきた。
ちょうど私が馬車に乗ろうとしたとき、駆け込んできたのだ。
「シャロン!
俺が間違っていた。
な、俺とやり直そう。
リリーは俺に会おうともしないんだ」
パークス元男爵令息は、文字通り、私の足下に縋る。
見下ろせば、筋骨逞しい大の男が、涙と鼻水を垂れ流していた。
だが、私、シャロンの同情を誘うことはなかった。
「どの面下げて来たものやら。
また外国にでも行って、冒険なさればよろしいんじゃありませんか?」
そう言い捨てて、シャロンはそのまま馬車に乗り込み、王宮へ出仕して行った。
残されたパークスは、ドーリス伯爵邸の門前で、へたり込む。
シャロンが、彼、パークスの顔を見たのは、このときが最後だった。
翌年、リリー・ギレアム子爵令嬢は結婚した。
パークスとの婚約騒ぎを聞き付けた、バイドル・ボイド公爵、四十八歳から請われて、嫁に行くことになったのである。
好色公爵として名高いバイドル公爵が、突き出た腹をさすりながら、
「そういった跳ねっ返りの小娘を娶るのも、悪くないのう」
と言って、「第三夫人として囲いたい」と申し出たのだ。
実際、この度の婚約横取りの噂が広がっていて、リリー子爵令嬢の評判は地の底まで落ちており、とても真っ当な縁談が見込めない状態になっていた。
だから、ピック・ギレアム子爵はすんなり、禿げ頭の好色公爵の求めに応じたのだった。
身内だけの結婚式が行われ、その間、始終、リリー・ギレアム子爵令嬢は啜り泣いていたという。
ちなみに、リリー子爵令嬢が結婚する頃には、パークス・ザボン元男爵令息は、すでにサビーヌ王国から出奔していて、行方知れずになっていた。
「また金鉱探しに出かけたのでは?」
と人々に揶揄されると同時に、
「我が国には、二度と帰っては来られないだろう」
と噂された。
そして、私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は、いつも通りの日常に戻っていた。
継続中だった、先代王妃マリアンヌ・テラ・サビーヌ様からの聞き取りを再開する。
その日は、車椅子の先代王妃を介護しつつ、シャロンは隣でお茶を飲んでいた。
先代王妃マリアンヌ・テラ・サビーヌは、赤い瞳を輝かせながら、シャロンに提案した。
「今の若い方たちは、学園に通えて、舞踏会など、いろんな出逢いがあって羨ましいと思っていたんですけどーー恋愛するのもなかなか大変なのねえ。
失礼かもしれませんが、私にお相手を世話させていただけません?」
シャロンはカップを皿に置いて、微笑んだ。
「ご冗談を。
先代王妃様からのご紹介を受けたお相手を、私なんかが断れるとでも?」
老貴婦人は、眉根を八の字にして憂いた。
「ほんと、気に入らなければ、断ってくれて良いんだけど……。
そうねーーそう思われても、仕方ないわね。
ごめんなさいね、おばあちゃんだから、こうした斡旋しかできなくて。
でも、恋愛っていうのは、やっぱり運任せっていうか、やり方がわからないっていうか、おばあちゃんの私には信用できなくて。
それとも、シャロン、貴女はまだ、その学園卒業生の集いで、新たな出逢いがあるのを期待しているのかしら?」
私、シャロンは、大きく肩をすくめる。
「お気遣いなく。もう恋愛はこりごりですので。
それに、もう幹事の役目は終えましたので、白鳩会に顔を出すのもほどほどにするつもりです。
ーーさあ、それでは、私個人の話はこれぐらいにして、仕事に入りましょう。
ファントム公爵の呪い事件について、何かお話しくださいませんか?
マリアンヌ様が八歳の頃の事件です。
幼少時ですので、あまり記憶にないかもしれませんが、当時のサビーヌ王国を揺るがす大事件だったので、なにかございましたら……」
先代王妃マリアンヌ・テラ・サビーヌは、白髪を指で弄りながら、往時を想い出し、目を細める。
「そうねえ。
ちょうど飼っていた愛犬ベスが亡くなった頃のことね。
あの時はーー」
ふんふんと私、シャロン・ドーリス伯爵令嬢は相槌を打ちつつ、ペンを走らせる。
普段の穏やかな日々が始まろうとしていた。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。
今後の創作活動の励みになります。
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