優しさ
私は昨日のことを少し悔やんでいる。素面なのに酔っ払ったときみたいに、攻めスイッチが入ってしまった。
ああ、恥ずかしいぃ。
でもいつまで経っても恥ずかしがっているわけにはいかない。
私はペットにとっての至高を提供する店の経営者。そんな至高の店で赤面のまま店番なんかすれば、自分で自分の店を汚すことになってしまう。でも体が火照って赤面は治らない。
私はとりあえずマスクをして顔を隠した。
少しはまぎれるだろう。
11時くらいになったころ。ある少年がやってきた。
「ねぇねぇ。お姉さん」
少年は私をじっと見つめてキョトンとしている。
「ん?どうしたんだい?少年」
「お姉さんはなんでそんなに顔が赤いの」
「へ?まだ私顔赤い?」
私はいまだに治らない赤面に驚いた。
「お姉さんお熱あるの?」
「だ、大丈夫だよ。心配するな少年。お熱とかないからな」
私は優しく声をかけるが、それでも少年は心配そうにこちらを見続ける。
「お姉さんいつもここで頑張ってるから、休まないと今みたいに体調が悪くなっちゃうよ」
お姉さんいつもここで頑張ってるから?私は少年の言葉にじんときた。
「お姉さん!これあげるよ!」
少年が手に持っていたのは冷却シートのようなものであった。
「これをおでこに貼ると熱が下がるんだよ」
私は少年の優しさに触れ、ほぼ半泣き状態であった。てかもう泣いてた。
「お姉さん泣いてるの?大丈夫?」
また心配そうにこちらを見つめてくる。
「大丈夫だよ。少年。そのおでこに貼るやつちょうだい?」
「うん!はいどーぞ!」
「ありがとう」
私は少年の手に握られた冷却シートをおでこに貼った。
「少年。君が手で握ってたから、あったかくなっちゃってるよ」
私は少し面白くなってきて、つい笑ってしまった。
「え!ごめんなさい。冷たくないと意味がないよね」
少年はがっかりした様子だった。
「いいんだ少年。気にしなくていいんだよ。私は君の優しさで十分元気になれたから」
私は笑顔で返答した。
「ほんと!よかった!」
少年はまた笑顔を取り戻した。
澄み切った瞳で私を見つめ、そしてくしゃっと笑う少年。私は少年の純粋な笑顔に心が洗われた。
「ばいばい!お姉さん!また来るね!」
少年はそう言って、片手をあげるニコライ式挨拶で走り去っていった。
* * * *
にしても今日は暇だな。
というか今この時間が暇だ。
全然人が来ない。
いつもだったら人が来るのに。
ここまで人が来ないのは初めてだ。
私がレジでぼーっとしながら人が来ないことを嘆いていたら、店の扉が急に開いた。
急な来客にビクッとした。
「いらっしゃいまs」
「あんたがシオリね?」
私の言葉を遮って、とんでもない鬼の形相で私の名前を言い放ってきた。
私は突然の来客、さっきまでぼーっとしてたこと、なぜか知られている名前。色々な要因が重なって思考が停止した。
「えっと。あのぉ。すみません。どちら様でしょうか?」
これ以上キレられたらたまったもんじゃないので、なるべく刺激しないように丁寧な言葉遣いを心がける。
「アタシはここの国王の妻。つまり王妃。さらにサーシャの母なのです」
さ、サーシャの母!?
「な、なぜこのようなペットショップに?」
「アタシの息子がお世話になってるそうね。息子の頭をなでなでしたり、タメ口で話したり、あんたずいぶん偉そうね?」
王妃の圧がとんでもない。
「アタシの息子とあなたとじゃ、そもそも身分が違う。あんたはもっと身の程を知った方がいいわ。小娘がしゃしゃってんじゃないわよ!」
「私がタメ口で喋るのは、あなたの息子、サーシャに命令されたからです。頭をなでなでしたのも、ほぼサーシャの命令です」
「はぁ。そんなわけないじゃない。意味がわかってないようだから、もう一回言うわね?あんたとアタシの息子、サーシャとは身分が違うの。身分が低すぎて、教育すら受けられないのかしらね?かわいそうに。あっ。だから敬語を知らないのね。それだったら納得だわ〜。とにかく早くこの店を閉めなさい。街の景観を損なうわ」
私は腹の底が沸々と煮えたぎる。そのせいか、全身の血管の位置がわかるような気がした。
「お言葉ですが、あなたのような方は王妃には相応しくありません。人を見下すようなあなたが人の上に立ってはいけないと思います。『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり』この言葉よく覚えてください。あなたのような、身分を気にするような人間は、今後何が起こるかわかりませんからね?私は人を愛します。身分関係なく。あなたとは真反対ですね」
と言い返したいところであったが、相手をこの国の王妃。こんなことを言ってしまったら、間違いなく秒で首チョンパだ。
「は、はい。この街に合う店になるように善処します」
私は反論するわけでも、楯突くわけでもなく、この人の話を全て飲み込んだ。
相手が話が通じないタイプなのであれば、一旦腰を低くしなさい、というおばあちゃんの入れ知恵を活用することにした。
死ぬよかましだろう。
すると私の腰の低さに満足したのか、鼻をふっと鳴らし、嫌らしい性格の悪い笑みを浮かべて、店から出ていった。
性格が捻じ曲がったおばさんのせいで、少年の優しさに触れたばかりの心が、怒りと悲しみでズタボロになった。
* * * *
王妃を名乗るくそばば...じゃなくて、サーシャの母を名乗る不審者が、店を出てから数十分すると、なぜかお客さんが増えたのだ。
すると片手に唐揚げ《ムシャ》を抱えた、ニコライさんが商品を見ることもなく、まっすぐレジの方へやってきた。
「シオリさん。大丈夫だったかい?」
「何がですか?」
「いや、あの王妃に絡まれてたじゃん」
なんと王妃の来店について心配してきたのだ。
「なんか王妃が来るといけないことがあるんですか?」
「シオリさん。あの人と話したでしょ?会話からわかる通り、あの人はものすごく性格が終わってるの。ホームレスを見つけたら蹴飛ばすし、汚れた野良猫も蹴飛ばすし、平民たちに罵詈雑言を浴びせるしで、とにかくとんでもなくやばいやつなんだ。だからみんなあの人を避けるんだ」
「あ!だから今日あんなに人いなかったんですね」
「みんな不快な気持ちになりたくないからね。だから避けるんだよ」
嫌われ者の王妃ってことか。
「ちなみにサーシャの母ってのは本当なんですか?」
「そりゃそうさ。王妃だもの」
だったらなぜあいつから、サーシャのような聖人が生まれたのだ?謎は深まるばかりである。
私はこのおばさんから、サーシャが生まれた謎を解明しようと頭を巡らせていた時、ニコライさんが何かを思い出したか、手のひらに拳を当てて、ある質問をしてきた。
「お店のことについて、何か言われなかった?」
「え、この街に合わないから店を畳んだほうがいい、みたいなことを言われました」
すると私の話を聞いたニコライさんは、急に渋い顔になった。
「ちょっとそれはまずいね」
「ど、どう言うことですか?」
「言いづらいんだけど、あの王妃、目をつけた店を権力で潰していくの」
「マジですか?」
「もしかしたらこの店もなくなるかもしれない。私はなんとか食い止めたいですが、一国民なので私だけの力ではどうにもならないです。誰かもっと影響力のある人に頼むしかないですね。例えばサーバルキャットを抱えてやってくる、あの常連さんとかね」
ニコライさんの言っている、サーベルキャットを抱えた常連さんは、おそらくサーシャのことだ。
「何かあったら、いつでもシオリさんの味方になります。いつでも私を頼って大丈夫です。すぐ駆けつけます」
「ありがとうございます」
ニコライさんはそう言って、いつもの挨拶をして店を出ていった。この店を残したいと味方をしてくれる人が、私の目の前にいる。いつでも頼っていいと言ってくれる頼もしい人がいる。私はニコライさんの優しさに心を救われた。
私の店は絶対に守るんだ。




