第六話
柚季と別れ、隼人は一人で森を駆けていた。
「くっそ、まじで誰もいねぇな……どうなってんだよ」
あれだけの受験生、さらには人数不明の赤バッチ所持者。
それなりの人数になりそうなものだが、なぜか出会わない。
首を傾げ、少し焦りを覚えて駆けていたところ。
「どっせぇぇぇい!!」
「うわぁ!」
森の木々の間から、つんつんヘアーの少年が飛び出してきた。
「はっはっはっ! 見ない顔だな! つまり、編入試験の受験者だな!」
「だったらなんだよ」
――強い。
一目見て、彼の強さを推し量る。
隙だらけに見えるが、それでいて警戒は解いていない。
なにより、間合いが絶妙。もし、今この距離から飛び込んだらカウンターで叩き落とされ、逃げようとすれば一足で間を詰められる。
隼人自身より、はるかに長いリーチを生かした、そんないやらしい間合いだった。
「さて、悪いがこっちも必死なんでな。早速バッチを賭けて……っておい! お前バッチねぇじゃん! おいおいマジかよ、もうやられた後かよ……」
隼人を見つけ、一人盛り上がり、その胸元を見て落胆する。
なんとも騒がしい男だった。
「だったらなんだ! お前のその赤いバッチ奪ってこっから合格してやるよ!」
と、意気込んでみたものの。
「いや、こっちも時間ないんでな。悪いがバッチのねぇ相手と遊んでやる暇はねぇのよ」
「逃がすかよ!」
前に進む人間と後ろに進む人間。
振り向く初動がない分、もちろん前に進む方が早い。
相手がこの場を離れようと、重心を動かしたタイミングに合わせ、隼人は全速力で距離を詰めた。
「いいねぇ。受験資格をもつだけはある」
だが、相手は転身せず、重心を低くし迎え撃ってきた。
「なっ!?」
「バッチを奪わなきゃって焦り過ぎだぜ? 焦った奴ほど読みやすい」
そのまま脛を身体全体で払われ。
「くっ!」
身体ごと前に投げ出される。
かろうじて受け身が間に合い、ダメージこそなかったものの。
「……くそっ! 逃げられた」
立ち上がると、そこにはもう誰もいなかった。
隼人は再び走り出す。
まず一つ。どんな形でもいい。一つ、バッチを手に入れなければ勝負の土俵にすら立てないのだから。
その後、1時間駆けまわり。
更に数人。赤バッチ、青バッチと見つけたがもちろん誰も相手にしてくれやしない。
さっさと逃げる者、数手交わしてひるませた隙に逃げる者。様々過程はあれど、結果はどれも一緒だった。
「そろそろ本気でまずいぞ……」
そんな焦りの最中。
「ん? あれって……」
森の中、少し開けた場所に、人が見えた気がした。
近づいてみるとそこには、木にもたれ掛かり、すやすやと小さな寝息を立てる少女が。
しかも。
「薙刀の……!」
試験開始前、会場で皆の目を奪い、試験開始直後、その圧倒的な技で隼人の目を盗んだ少女、その人だった。
「んっ……んん…………ふぁぁぁ。よく寝たぁ」
寝起きのまったりとした雰囲気を纏わせ、少女が目を覚ました。
武術家としてあるまじき圧倒的な隙。
しかし、隼人は目の前の彼女の所作に見とれてしまい、手を出すという発想すら湧いていなかった。
「ん? あれ……君は確か……」
少女が隼人に気が付き、よっこらせっと立ち上がる。
そして、おもむろに隼人に近づき。顔をじろじろとのぞき込むと。
「あぁーやっぱりー。受験者だよね、君も」
「あ、あぁそうだけど……」
「あれ? バッチは? もしかして取られたん?」
隼人の胸にバッチがないことに気が付き、彼女はそう問う。
「いや、君と一緒で最初から持ってないんだよ。だから――」
君と悠長に話している暇はない。そう言いたかった隼人の言葉を遮り。
「ほんと!? いやー仲間仲間。お互いにがんばろうね。めんどくさいけど」
毒気を抜かれる。というかなんというか。
ペースをずっと彼女に握られている。
「あぁ……」
ふと。隼人の頭に一つの案が浮かんだ。
普通は絶対に成立しない。交渉にすらならない。
だが、この彼女とであればもしかしたら。
そんな突拍子もない迷案が。
「な、なぁ。もし俺が君の分の赤バッチを取ってきてあげる。と言ったらどうする?」
自分に一切リスクのない、魅力的なゼロリスクハイリターン。
一般的な感性を持っているのであれば、まず裏があると疑うのが普通だろう。
もちろん、隼人もただでこんな提案をしたわけではない。
この後――
「え? ほんと? それは助かる」
「……え?」
考える素振りなど一切なかった。
ノータイム。即答だった。
「じゃあ、よろしくね」
そう言って、彼女は再び眠りに付こうとする。
「ちょっ、ちょっと待って!」
「えー。なに?」
「バッチは取ってくる。それは約束する! ただ、代わりに俺からお願いがあるんだ」
「お願い?」
「あぁ。君の青バッチ。俺に貸してくれないかな」
これが隼人の迷案。
バッチが無く、戦ってもらえない可能性が高いのであれば、バッチを持っていればいい。
だから借りよう。赤バッチを持ってくる対価として。
だが、隼人自身、こんな提案を受けてくれる人間などまず存在しない、ということは分かっていた。
合格に必要なバッチ。
手元に無ければ合格点まで増やすことも困難なバッチ。
初見のライバルにそんな重要なものを預けることができるだろうか。いや、できない。
断られて当然。
「いいよ。あとで返してね」
と。彼女はバッチを外し、隼人に手渡した。
またもや、ノータイムで。
「……は? え?」
提案した本人が困惑するほどに、簡単に。
「じゃあよろしく!」
ぐっ、と親指を立て、隼人にバッチを託した後は、再び薙刀を抱え、木にもたれ掛かるようにし、彼女は目を閉じた。
「……バッチは終了時間30分前にあの体育館で返すから! 絶対!」
目を閉じた彼女にそう伝えると。
彼女はただ、手を振った。
それを見て、隼人は駆け出す。
青い借り物のバッチを身に着けて。
だが、時間は後1時間。あまり余裕はない。
「とりあえず会場に向かいながらか」
赤バッチ2つと青バッチ1つ。
隼人が奪わなければいけないバッチは後、3つ。