第五話
時刻は午後1時50分。
隼人と柚季は試験エリアの森を奔走していた。
「ねー隼人。この後、どーするの?」
「いいから今は誰かいないか探せ赤でも青でもいい、バッチを持っている人だ」
見つけたとて、自分たちが戦うだけの価値を持たない以上、逃げられる可能性が高い。
それはわかっている。
だが、どう転ぶにせよ、バッチを持っている人間に会わないことにはどうしようもない。
ろくな作戦も思いつかぬままに、2人は走っていた。
「でもさ、人の気配が多い割に出会わないよねー」
それは隼人も感じていた。
所々で人の気配は確かにしている。
しかし、そっち方面に走って行くと、気配が霧散してしまう。
隼人は。
「説明にもあったけど、ルール違反を見張る人間の気配だろ。多分な」
そう判断した。
「そっかー。でもそれなら完全に気配遮断しておいて欲しいよねー。ルール見張るってことは多分先生たちなんでしょ? 出来るでしょ、それぐらい」
などと愚痴を吐きながら進んでいると。
「――上だ!」
隼人の合図で2人は左右に分かれて飛ぶ。
躱した場所に、地面を揺らす衝撃と共に、降ってきたものがあった。
「ちっ、避けやがったか……」
巨人。
まず浮かんだのはその単語であった。
それくらいにでかい、威圧感を放つ男がそこにはいた。
そして、胸には輝く赤バッチが。
よし! 相手から襲い掛かってきてくれた。
隼人がそう喜ぶ間に。
「――しっ!」
バッチを見るや否や、柚季は攻撃に走る。
隼人に目をやっていた巨漢の隙をついて。
到底人が人を叩いたとは思えない重厚な音が当たりに響き、柚季自身、手応えがしっかりとあった。
力を逃された、技を躱された、などではない。最大威力の拳が確実に対象に当たった。そんな手応えが。
「軽いなぁ。女の拳は」
一切のダメージを感じさせない口振りに、柚季はすぐ様距離を取る。
「まじかー。結構いい手応えだと思ったのになー」
「俺は耐久力には自身があるんだ。女の軽い攻撃など聞かんよ」
巨漢は柚季の方に向き直り、構えを取る。
構えはレスリングの様な低い前傾姿勢。
もし、この巨漢に倒されてしまえば、柚季の力ではまず逃げ出せないであろう。
「柚季! やれるか!?」
「勿論! ちょちょいのちょいよ!」
「分かった! ならこいつは任せた!」
それだけ言い、隼人は森の奥へ。
「ガッハッハ! 仲間は逃げたぞ? 可哀想になぁ、1人置いて行かれて」
ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべる巨漢に対し、柚季は。
「……武術家だからね。多対一は無いんだよ!」
先手必勝。
相手が動き出す前に柚季が再び前に出る。
「遅い!」
それを見た巨漢も前へ。
「せいっ!」
柚季の回し蹴りが巨漢の横顔に突き刺さる。
だが、巨漢はものともせず。
「どっせぃ!!」
「うわっ!」
攻撃を受けた顔で蹴りを押し返す。
勢いを完全に返され、柚季は大きく後ろに弾き返された。
「ふん! 速いだけで蹴りも軽い。これだから編入生は嫌いなんだ……こっちは中等部から技を磨いている。ぽっとでの貴様らに席を譲って堪るかよ」
「な、なにをー! こっちだってこーんな小さい時からじいちゃんに鍛えられてるんだからな!」
柚季が再び前に踏み出した時。
「ん!? 貴様、バッチは!?」
胸に光るはずの青バッチ。
あるべきものがないことに、巨漢が気が付いた。
「ないよ! だからあんたから奪ってやる!」
右足を強く踏みしめ、驚いた巨漢の隙をつく左拳。
「ぐぉぉっ……」
どんなに鍛え上げた、耐久力が自慢の肉体であっても一瞬の間を、力を込めていない虚を突かれれば脆いもの。
深々と突き刺さった左拳に悶える巨漢がそれを体現していた。
「よっし! どうだ!」
「くぅ……だが、この程度で俺を倒せると思うなよ!!」
気合とともに、巨漢は立ち上がる。
しかし。
「ぐっふ……はぁ、はぁ、」
緩んだ身体に深く突き刺さった拳は、一撃で巨漢の体力をごっそりと減らしていた。
(くぅっ。この女、この細身のどこにそんな力が……バッチも持たぬこいつと戦うメリットはもうない……だが……)
自分をしっかりと見据える眼光。
先ほど見た素早い動き。
恐らくは。
(逃げるのは不可能……)
その判断に至った。
「手ごたえはあったのに……ほんっとにタフだねぇ」
互いに構え、互いを見据える。
巨漢の身体に一切のゆるみは無い。けれども、先ほどの一撃の影響により、振るえる力はそう多くはない。故に――
柚季は相手のタフさに感服しながら、倒す手段を考える。渾身の一撃を耐えられた以上、連撃重視で威力を落とせば、まず弾かれる。掴まれたら終わりの体格差。故に――
――狙うは互いに一撃必殺。
狙いを済ませ、互いの呼吸を読み――動いたのは同時。
巨漢はタックルで捕まえようという算段。
対し、柚季もただ前に。
そして、互いがぶつかる瞬間。
「ぐ……はぁっ……」
巨漢。散る。
数倍はあろうかという体重差を意に介さず、最後まで立っていたのは柚季だった。
「き……きっもちー! あぁー。やっぱり戦うってサイッコー……じいちゃん。全然他流試合とか実戦とかさせてくれなかったからなー。よーっし。学校に入学していっぱい戦うぞー!」
戦いの甘露を存分に味わい。更なるその味に期待を膨らませ。柚季は隼人の後を追う。
もちろん、赤バッチをしっかりと胸に輝かせて。