迷走するなってほうが無理だ
――その先。
それは恋人や夫婦の営みというやつだ。
(だってさ……それをしちゃったら、本気で男性として生きて行くことになるよね? というか、もう戻っちゃ駄目でしょ)
ローズのことは大好きで、恐らく愛している。それは友人としての想いではなく、特別な相手に対する想いだと、シャルルティーユは思っている。しかし、実のところ、心の奥底ではその恋が成就することを恐れてもいるのだ。
もしローズとの恋が成就すれば、シャルルティーユはもう女性に戻ることは出来ない。元に戻れば、異性として想いの通じた相手を裏切ることになってしまう。
(私がもう元には戻らないと、吹っ切ることができれば……)
だがそれすら出来ないのが、今のシャルルティーユだ。
いっそ、もう絶対に元には戻らないと確定してしまえば、堂々とローズに想いを打ち明けることが出来るのではないかと、最近ではそんなことばかりを考えてしまう始末。
一体全体、自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、シャルルティーユには一向にわからなかった。
またもや考え事に没頭してしまったシャルルティーユの心内を知ってか知らずか、ローズが目を丸くして、シャルルティーユの手元を覗き込んできた。
「すごいね、シャル。その刺繍、もうそろそろ完成しそうだね」
ローズの視線を追って、シャルルティーユは己の手元を見た。
現在シャルルティーユはクッションのカバーにしようと思っている布に、刺繍を施していた。青を基調とした糸を使い、幾何学模様を刺繍したものだ。
「うん。あと二、三日かな。出来上がったらプレゼントするから、待っててね」
「いいの! 嬉しい」
ローズのこの喜ぶ顔が見たくて、シャルルティーユはこれまでに手ずから作った様々な物をローズに贈って来た。はじめてローズに贈ったものは、シャルルティーユがローズの名を刺繍したハンカチだった。
それ以降、刺繍にとどまらず、レース編みのリボン、ハーブから作ったポプリ、剣の房飾りと、様々なものをローズに贈っている。そのどれをも、ローズは喜んで受け取ってくれた。決して、男性のくせに、などと言ったことは一度としてなかった。
(使用人の中には、私のこの趣味に関して眉を顰める人もいるけど……)
シャルルティーユの趣味は周知のことだけれど、その趣味を女々しいと陰で言っている者もいるのだ。だがローズは違う。いつも、シャルルティーユの手先の器用さを褒めてくれる。素敵な趣味だと言ってくれる。そのことが、シャルルティーユにはとても嬉しかったのだ。
シャルルティーユは持っていた針をピン・クッションに刺し、小箱へと仕舞った。ローズがここへ来たということは、きっといつものお願いをするつもりなのだろうと考えたからだ。
「もう終わり?」
「うん。根詰めていると疲れちゃうから」
「じゃあ……シャル。ちょっと相手してくれない?」
期待の眼差しで見上げて来るローズを見て、シャルルティーユは微笑んだ。
「もちろん。身体が凝り固まっていたところだったから、丁度良い」
***
シャルルティーユが剣よりも針が好きなように、ローズは針よりも剣を好んでいた。
女性だから力ではシャルルティーユに劣るとも、ローズの剣の腕前はなかなかのものだった。
(いや……。なかなかどころじゃないか。私よりよほど強いもんな)
可愛く美しいだけではなく、ローズは剣も強い。
剣を振るうローズは女性ではあるがとても格好良く、シャルルティーユなどはいつも見惚れてしまい、そして気がつけばローズに負けているのだ。
(いっそローズが男性だったら良かったのにな)
そうは思うも、それはシャルルティーユが呪いにかかることなく女性のままであり、そしてローズも男性に生まれていたらという、どちらも仮定の話でしかない。
それに、男性になることで今のローズの可愛らしさや美しさがもしなくなってしまったら、シャルルティーユは少々、否、とても悲しいだろう。
つらつらと考え事をしていたシャルルティーユが我に返れば、いつの間にか目の前にはローズのかざした剣があった。
視線のすぐ先でキラリと光る銀色の輝きに、シャルルティーユは唾を飲み込んだ。
「シャル……考え事をしながら剣を振るうのは危ないよ?」
ハッとして己の正面を見つめれば、ローズが美しい眉を寄せながら、シャルルティーユを睨みつけていた。
しかしそんな表情もシャルルティーユにとってはただ可愛らしいだけで、何ら威嚇の効果はない。
「……ごめん」
シャルルティーユはにやけそうになるのを堪えて、ローズに謝った。ローズがシャルルティーユのことを心配してくれていることは確かなのだ。にやけていては申し訳ない。
シャルルティーユの言葉に、ローズはふ、と息を吐いた。
「……ううん。謝るのは私のほう。さっきは私のために、まだ考えが纏まっていなかったのに、刺繍を途中で終わりにしてくれたんでしょ?」
「違うよ。ローズの言う通り、さっきは呪いのことを考えてた。でも、それは考えても仕方のないことだろ? ローズが来てくれて丁度良かったんだよ」
「シャル……」
ローズが一瞬だけシャルルティーユの瞳を見つめ、ゆっくりと瞬きをした。
「……戻れるよ、シャル。きっと戻れる。私に出来ることがあるならば、何だってするよ」
「……うん。ありがとう」
ローズはシャルルティーユのことを考えてそう言ってくれたのだろう。けれどローズの言葉に素直に喜べない自分がいることを、シャルルティーユは気付いていた。
(ローズはいつも、励ましてくれる。私が元に戻りたがっていると、思っているんだろうな……)
まだ呪いにかけられたばかりの頃は、シャルルティーユもそう思っていた。いつかは戻る。きっと戻れる。だがその想いは、いつの間にか何処かへと消えてしまっていたのだ。
否、完全に消えたわけではないだろう。だがローズからの励ましに対し、素直に喜べない程度には、今のシャルルティーユは迷っているのだ。
だからシャルルティーユは少々強引に話題を変えた。これ以上この話題が続かないように。
「それより、ローズ。また腕を上げたんじゃない?」
シャルルティーユがそう言えば、ローズは輝くような笑顔を見せた。ローズの笑顔はまるで花が綻ぶような、美しく可憐な印象を与える。
それにとても素直だ。
「本当⁉ 嬉しいな!」
(ああ……! 可愛い! 無邪気……!)
ローズの子どもの様に素直な反応に、シャルルティーユの胸が疼いた。
「ま、まあ、ローズは元から私より強いけどね」
そんな可愛くて格好いいローズが好きだと、シャルルティーユは改めて思う。
それに――十歳の時にローズに出会って以来、当時は自覚してはいなくとも、シャルルティーユの目にはローズの姿しか映っていなかったのだ。そのローズに対しもし男性だったなら、などという戯言は意味がない。
(あれ? これって、もう答え出てる?)
シャルルティーユが好きなのは、最初からローズだけ。
その想いが友情だった時から、シャルルティーユにはローズ以外いなかった。
(もしかしたら……私は男性を好きになれない性癖なのかな……。え、もしや運命に導くってそういう意味?)
しかし先ほども思ったように、もしかしたらこの身体が女性に戻ったときには、シャルルティーユは男性に魅力を感じるようになるかもしれない。
けれど、ならないかもしれない。
(ああ……わからない。本当に、わからない……。それに……性別のこと以外の問題もあるんだよね)
両親はシャルルティーユをいつか元の身体に戻そうと、必死になって白き魔女を探している。
それは元に戻したいからということもあるが、別の理由もあった。
今のシャルルティーユの男性の身体は呪いによって不自然に変えられてしまったものだ。いくら優秀な白き魔女のしたこととはいえ、この呪いについて何も聞かされていない手前、どういった影響があるのかこちらは何ひとつわからない。
(今のところ、特に不調はないけど……)
極端に言えば寿命が縮んでいるかもしれないし、無事跡取りを作れる身体なのかもわかっていない。
寿命が縮むことも嫌だが、アーガスティン家のたった一人の子どもとしては、跡取りが作れるかどうかは大問題なのだ。
(まあ、無理なら親戚から養子をとれば良いんだけど)
シャルルティーユ自身はそうは思っても、やはり両親や一族が直系の血を残せるなら残したいと思うのは仕方のないことだろうと思う。
だからせめてそのことだけでも聞きだしたいと、侯爵家であるアーガスティン家が総出となって白き魔女を探しているのだ。それはきっと、いつとは言えないまでもいつかは成し遂げられるだろう。
(白き魔女が見つかったのが老人になってから……なんてことにならないよう祈るばかりだよ……)
魔女は基本長生きだ。力の強い魔女の中には、何百年と生きる者もいる。その点、白き魔女の寿命のことはそこまで心配していない。
(うーん、でももしかしたらもう何百年も生きたあとってことも考えられるか)
もしシャルルティーユが跡継ぎを作れる年齢の内に白き魔女が見つからなければ、本格的に養子を取ることも視野に入れなければならなくなる。
というよりは、すでに水面下では養子を取るという話は出ているのだ。
これも両親はシャルルティーユには知られていないと思っているし話しもしないが、実際いつでも養子を取れるように、密かに一族の男子に跡継ぎ教育を施していることを、シャルルティーユは知っていた。
(まあ、それは仕方ない。私も別に反対はしないし。むしろほっとしたくらいだ)
その子はまだ小さいため家を継いでもらうまでにはまだ余裕があるが、もしもの時を考えれば、アーガスティンの家を任せることの出来る者がいるという事実は、シャルルティーユの心の負担を軽くしていた。
シャルルティーユには悩みがいっぱいだ。
ローズのこと、跡取りのこと、そしていつか女性に戻ってしまう己の身体のこと。
特に己の身体のことは、常にシャルルティーユの心のどこかに居座り続けている問題だ。
いつか、元の身体に戻る日が来るかもしれない。
しかしそれはいつかであって、今ではない。シャルルティーユはそうやって己の精神の均衡を保っていた。