初恋……だと思う、多分
シャルルティーユは十歳になるまでは女性として過ごしていた。
呪いにかけられ男性へと変わってしまったが、元の性別が女性ということは、呪いが解ければ女性に戻ってしまうということだ。
今でも両親はシャルルティーユを女性に戻すべく、様々な努力をしてくれているため、ある日突然白き魔女が見つかり呪いを解いてもらえる可能性もあれば、ある日突然、自分の意思とは関係なくシャルルティーユの身体が勝手に女性に戻ってしまうことだって、あるかもしれない。
しかしそうなると少々どころではなく不都合なことがあった。シャルルティーユに呪いがかけられていることは家族と一部の人間以外には知られていない。否、認知されていないのだ。
アーガスティンの血統である魔術師と屋敷内のごく一部の使用人たちは知っているが、親戚も、領民も皆シャルルティーユのことを生まれた時からの男児だと思っている。
十歳まで女性として過ごしていたシャルルティーユなのに、何故そんなことになってしまったのか。それもまた白き魔女の呪いによるものだった。
白き魔女に呪いを受けた翌日には、シャルルティーユの両親は王都へと向かっていた。
王都には白き魔女に匹敵しうる、王家お抱えの魔女や魔術師たちが大勢いる。両親はどうにかして彼らにシャルルティーユの呪いを解いて貰えないかと考えたのだ。
しかし王都の魔術師たちは口をそろえて、シャルルティーユに呪いがかけられた痕跡はないと言い張った。
そして十の集いの時、確かに王都へ申請したにも関わらず、なぜかシャルルティーユの性別は男性として処理されていたのだ。唯一白き魔女の魔法が効かなかったのは、アーガスティン家縁の魔術師だけだった。
だからシャルルティーユはこれまで侯爵家の跡取りに相応しい教育を受けて育ってきた。周囲の者はシャルルティーユのことを生まれながらの男性だと思っていたからだ。
そして両親も、もしシャルルティーユが元に戻れなかった時のことを考えて、シャルルティーユに跡継ぎとしての教育を施した。
名も、普段はシャルルと男性名を名乗っている。
シャルルティーユは呪いにかけられた十の歳から十八になるこの歳まで、アーガスティン侯爵家の一人息子、シャルル・アーガスティンとして生きて来たのだ。
事情を知らない人間にしてみれば、シャルルがいきなりシャルルティーユに戻ったとしても戸惑うだけだろう。否、信じてさえもらえないかもしれない。
それにシャルルティーユとしてもずっと男性として生きて来た手前、どれほど女性的な趣味を持っているとはいえ、急に女性に戻ったとして婿を取り、妻として夫に尽くすことが出来るのだろうかという不安があった。
もっと言えば、女性として男性を愛することが出来るのかという不安だ。
シャルルティーユはローズに惹かれている。
それはシャルルティーユが女性に惹かれる性質だということの証明ではあるまいかと。
(まあ、貴族の結婚なんてお互い愛がない場合だってあるけどさ)
シャルルティーユが男性の身体になったのは十歳の時。けれどそれまで自らの性を自覚していたかといえば、あまり気にしてはいなかった気がした。
その頃から刺繍は好きだったが、同じくらい外で駆け回ることも好きだった。しかも男性になってからすでに八年が経っている。今ではシャルルティーユの意識は、女性よりも男性としての意識のほうがやや優勢なくらいだ。
ようするに、生来女性として生まれたにも関わらず、シャルルティーユには自らが女性であるという自覚が乏しいのだ。
(物心ついてからの年数なんて、きっとこの八年に及ばないんだろうし)
なればこそ、本来ならば同性であったはずのローズに惹かれてしまうことも致し方のないこと、とシャルルティーユは捉えているのだ。
と、同時に、身体が変わることによって性の指向も変わる可能性があるならば、女性に戻ってしまえば問題なく男性を愛せるようになるのかもしれないとも思ってしまう。
しかし、そうなった場合、今のローズへの想いはどう変化してしまうのか。シャルルティーユはそれが怖かった。
(また友情に戻るのかな……。それとも、このまま?)
結局のところ自分でもよくわからないのだ。一体どちらの性で生きて行けばいいのか。どちらの性で生きて行きたいのか。しかし――。
(いっそこのまま、女性に戻ることなく、男性として生きられたら……)
それはシャルルティーユの中で日に日に育っていく想いだった。
他人の勝手な都合でコロコロ性別を変えられてしまうなど、まっぴらだという想いもあった。しかし何よりも、ローズのことを想えば、一層その想いは強まるばかりだったのだ。
「どうしたの? シャル。何か考え事?」
己にかけられた問い掛けにシャルルティーユがハッとして俯けていた顔を上げれば、目の前にはローズの美しい顔があった。
わずかに首を傾けているため、さらりとした絹糸のような髪が目の前で揺れ、微かな香油の良い香りが、シャルルティーユの鼻腔をくすぐった。
(ローズ……。可愛い。綺麗。いい匂い……)
考え事をしていたシャルルティーユは、ローズの気配に気が付かなかった。
しかしこんなこともいつものことだった。ローズもシャルルティーユの趣味が刺繍であることは知っている。そして刺繍をしながら考え事をする癖も。そして大体の場合、考え事をする場所には四阿を選ぶことも了解していたのだ。
シャルルティーユが夢見心地でローズを見つめていると、もう一度ローズに名を呼ばれた。
「シャル?」
ローズの美しい宝石のような瞳に見つめられ、シャルルティーユは顔を真っ赤に染めた。
「な、何でもないよ」
「そう? でも最近元気がないんじゃない? ……もしかして、呪いのことを考えていたの?」
ローズに指摘され、シャルルティーユの鼓動が速まった。
シャルルティーユはローズには呪いの事を話していた。ローズには嘘をつきたくないと、両親の承諾も得ずに勝手に秘密を打ち明けてしまっていたのだ。
ローズは呪いの事を知っている。
つまり、シャルルティーユが元は女性だということを知っているのだ。
家族と身内の限られた者しか知らないその事実を大好きな幼馴染のローズが知っている。そのことに幼い頃のシャルルティーユは安堵を覚えていたが、今では妙な焦りを感じていた。
シャルルティーユが元は女性で、たとえ今は男性でもいつか女性に戻ってしまうかもしれないことを、ローズは知っている。
ということは、ローズにとって、今のシャルルティーユはいくら外見が男性だろうと、恋愛の対象外の可能性があるのだ。
いつか女性に戻るかもしれない相手となど、安心して恋愛することは出来ないだろう。
そんな当たり前の事実に気が付いた時から、シャルルティーユはいつか女性に戻ることに関して、揺らぎはじめていた。
(ローズは私の事、どう思っているんだろ。恋愛対象ではないにしても……少しくらいときめいたりしないのかな。見栄えは悪くないと思うんだけど……)
シャルルティーユは己の金色に輝く前髪を指でつまんだ。
侯爵家の跡取りで、淡い金色の髪に紺碧の瞳の美貌のシャルルティーユは、領内の女性たちから人気があった。女性だけではない、柔らかな物腰は、男性にも評判が良い。
ローズも友人としては、シャルルティーユを好いてくれていると感じている。だが、ローズにとって、それは友情の域を出ない感情だろうこともわかっていた。
だがもし、ほんの少しでも男性としてのシャルルティーユを好ましく思ってくれているとしたら――。
(だとしても、今のままではどうしようもないもんな……)
もし、シャルルティーユが実際にローズに想いを打ち明けることが出来、そしてローズがシャルルティーユの想いに応えてくれたとして、しかしその先のことをシャルルティーユは具体的に考えることが出来なかった。
否、意識的に考えないようにしていた。