君は戻って欲しいと言う
シャルルティーユがこのまま男性でいるとなれば、きっと今まで以上に身を入れて領主の自覚を育てなければならない。
きっと男性の世界は、優しく、少々気の弱いシャルルティーユには辛いものだ。けれど男性でなければ、ずっとローズの傍にいることは出来ない。
白き魔女に出会えたことで、シャルルティーユには可能性が出て来た。
シャルルティーユのこの身体は健康そのものだと白き魔女は言った。まだこのままでいられるかの返事は貰っていないが、もしこのまま男性として生きることができたなら、ローズに結婚を申し込むことも出来る。
ローズに貴族の血が流れていても流れて居なくても、シャルルティーユの身体のことさえ解決したならば、道はある。
ローズにはどこかのアーガスティンとつながりのある貴族へ養女として入ってもらい、しかるべき教育を受けたあと、シャルルティーユの妻となってもらえばいいのだ。
告白すらしていないうちに結婚のことをここまで具体的に考えるのはいかがなものかと思ったが、今のシャルルティーユは自分でも気付かぬうちにかなり興奮していた。
一度は一人で生きて行くと決めたこともあり、期待が大きくなっていたのだ。
けれどそんな未来も、白き魔女が見つかった今となっては、あり得ない未来ではない。
シャルルティーユは期待と願いを込めてローズを見つめた。ローズが今のシャルルティーユのままでいてくれと言うのなら、シャルルティーユはもう迷わない。
もとより、先ほど意図せずして己の口から飛び出した言葉によって、シャルルティーユは己の本心を知ったのだ。
戻りたくない。このままでいたい。
生まれ持った肉体を捨てたいわけではない。
女性として生きることに未練がないわけではない。
けれどローズと共に生きられる可能性に満ちた、男性の身体のままでいたい。
なのに、ローズの口から出て来た言葉は、シャルルティーユにとっては残酷なものだった。
「私は……私はシャルに元に戻って欲しい」
「ローズ……」
冷静でいれば考えが及んだことではあったが、ローズの答えを聞いたときのシャルルティーユの衝撃は計り知れなかった。
だがローズはずっと、元に戻れれば良いと、シャルルティーユを励ましてくれていたのだ。戻れる機会を得たのなら、戻れと言うに決まっている。
ローズの答えなど、最初からわかり切っていたことなのだ。ほんの少しだけ、シャルルティーユが期待をしてしまっただけ。それでも――。
「ローズ……でも。でも私は……元には戻りたくない」
シャルルティーユはどうしてもローズのことが諦められなかった。だがローズはシャルルティーユのことなど、何とも想っていない。それが今の言葉でわかってしまった。
ならばこれからシャルルティーユが言おうとしている言葉は、ローズを困らせることになる。
「どうして、シャル? だってシャルは剣を持って戦うよりも、針を持って刺繍をする方が好きでしょう?」
ああそうだと。シャルルティーユは泣きたい気持ちになった。シャルルティーユは剣が怖い。苦手ではなく怖いのだ。
己が斬られることが怖いのではない。人を傷つけることが怖いのだ。ローズやガスパール以外の相手をするときには、シャルルティーユは本当は心臓が破裂するほどに緊張していた。
そして時につらい決断を迫られる領地経営は、気の良い、気の弱いシャルルティーユではきっと大変なことも多いだろう。
それでも、とシャルルティーユは自分の気持ちをローズに告げる決断をした。きっと言わなければ、シャルルティーユはふっきれない。そんな気持ちのままでは、どちらの未来を選択しても、後悔することになる。
いつ元の身体に戻るとも知れないままでは、告げてもローズを困らせるだけだからと胸の奥にしまっていた想いを。誤魔化していた想いを。
その想いを告げたあと、決して無理強いはすまいと決意して、シャルルティーユは口を開いた。
「私は元に、戻りたくない……」
「シャル……?」
何故なのだと、不思議そうに首を傾げるローズをじっと見つめながら、シャルルティーユは自分の想いを口にした。
「好きなんだ、ローズ。君が好きだ……」
シャルルティーユの告白を聞いたローズが、大きく目を見開いた。そして、すぐに苦し気に顔を歪めた。
(ああ……やはり困らせてしまった)
そうは思ったが、シャルルティーユは言葉を止めることが出来なかった。一度口に出したことで、どんどんとローズへの想いが溢れてきてしまったのだ。
「きっとずっと、子どもの頃から、初めて会った時から好きだったんだ――。ローズの可愛いところが好きだ。綺麗なところが好きだ。でも格好いいところも、実は気が強いところも、怒ると怖いところも、全部大好きなんだ。……元は女性である私にこんなことを言われて、気持ち悪いと思うかも知れないけど、でも私は……」
「シャル!」
強い口調でローズがシャルルティーユの名を呼んだ。
続く言葉を拒否されたのだ。
「待って、シャル……。もういいよ。わかった」
ローズの言葉を聞いたシャルルティーユは泣いた。
堪えようと思う間もなく、涙が溢れて来たのだ。
シャルルティーユの想いは、ローズには届かなかったのだ。
(情けない……。振られて泣くなんて)
しかしぐずぐずと泣き崩れるシャルルティーユに、ローズは慌てて、違うんだ、とシャルルティーユの頬に手を伸ばして来た。
そしてそのまま、両手でシャルルティーユの頬を挟んだ。
「違うんだ、シャル。まったく、私は本当に情けない……シャルを泣かせてしまうなど。これで元に戻りたいなどと、よくぞ考えていたものだ……」
「ローズ?」
(ローズが情けないなんて、そんなことはない。けど、何だろう。ローズ、何か雰囲気が……)
変わっている。
ローズの話し方が変わり、身に纏う空気も、表情も変わっている。
否、この鋭い表情は時々、本当に時々だったが、ローズが浮かべていたものだ。それは、剣を扱っている時に特に多かった気がした。
何かを憎んでいるような、世界のすべてが敵だと思っているかのような、そんな表情。
そして、それは初めてシャルルティーユがローズに出会ったときの表情と同じもだということに、シャルルティーユは気が付いた。
ローズはシャルルティーユの頬から手を離し、その手をまるで力が抜けたかのように真下に降ろした。
そのまま所在なさげに立ち尽くしていたローズは、しばらくして何かを決意したようにシャルルティーユに向き直った。
「……シャル、聞いて。私の本当の名はローズじゃないんだ。私の本当の名は、アンブローズという」
「アンブローズ……」
ローズに教えられた名を、シャルルティーユは繰り返す。
――アンブローズ。
それは男性につけられる名前だった。