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約束した愛の誓い

 エリアスの不意打ちのような言葉に、クララの心臓が高鳴る。気にかけてくれた喜びと、弱いところを見せてしまった後悔のような気持ちがクララを襲った。指先が僅かに震えたが、瞬時に心を整え手を握り笑顔で答えた。

「大変お見苦しい姿を見せてしまい本当に申し訳ありませんでした。綻ぶ薔薇と身に余る呼び名を頂いておりますのに、呼び名に恥じぬよう精進いたします」

 クララはエリアスに頭を下げた。

 (このまま顔を上げたくない。どんな表情でエリアス様を見ればいいの?)


 エリアスは頭を下げ続けているクララを見つめ言った。

「上に立つもの、求められる姿や立ち振る舞い、本当の自分は何処にあるのだろうと思うことがある」

 エリアスは言った。

 (!!)

 クララはその言葉を聞き喉が詰まる。エリアスのその苦しみを分かち合い解放したいとあの時まで思っていた。今は分かち合うことができなくとも、やっぱり解放したいとそれだけのために生きている。

 全てを忘れても、今でもエリアスが苦しんでいる現実に直面したクララは溢れる思いを止めることが出来なくなった。目の奥が熱くなる。首を絞められたように喉が苦しい。心臓は強く脈打ち、全身の血が悲しみと怒りで煮えたぎる。体の熱を逃すかのように熱い涙が地面にポタポタと落ちて行く。

 (もう止められない)

 クララは頭を下げたままポケットからハンカチを取り出し目に当て涙を抑えた。涙がハンカチに吸収される速度よりも溢れ出る涙が勝る。それでもハンカチを目元から離すことが出来ない。平常心を取り戻すように嗚咽を何度も飲み込んだ。熱い塊が腹の中に落ちてゆく。行き場のないクララの思いは涙となり溢れ続けた。

「……クララ」

 エリアスは小刻みに震え何かに耐え泣いているクララを見て形容し難い複雑な気持ちになった。

「エリアス様、だ、大丈夫です。ちょっと気が緩んでしまって、」

 クララは震える心を抑え、できるだけ感情を表さずエリアスに言った。

 (平常心を保たなければエリアス様に不審がられる。何かを聞かれてもエリアス様が全てを忘れてしまった今は何も答えることが出来ないのだから)


「クララ、セルゲイと何かあったのか?なぜセルゲイはクララの腕を掴んでいたんだ?言い争うような声が聞こえた」

 エリアスは下を向いてハンカチで目を押さえ続けているクララに聞いた。

 (ああ、どう言えば良いんだろう?あの人が聖剣をすり替えたせいで私を愛してくれていたあなたは私を忘れてしまったんです。だから許すことが出来ません。そんなこと、言えるわけがない)

 クララは唇を噛み溢れ出る憎しみのような気持ちを必死で抑えた。セルゲイに二度と会いたくない、殺してしまいたい。クララは溢れ出る激情をできるだけ抑え言った。

「セルゲイとは相性が悪くて。あ、会いたくなくて逃げようとしたら逃げないように腕を、だから……」

 クララはそれとなく誤魔化し言った。

「クララ、セルゲイは幼い頃から私の執事をしている。だから私に対する思いが強くクララに不快な思いをさせてしまったようだな。こうなったのも私が泣いているクララを見てセルゲイに見に行くよう頼んだのだ、だから、セルゲイはクララが逃げないように手荒な真似をしたようで」

 エリアスはそう言い、

「クララすまなかった」

 と謝った。その言葉を聞きクララは怒りで体が震えた。

 (なぜエリアス様が謝るの?エリアス様に苦しみを与えたのはあの男なのに!エリアス様が許しても私はセルゲイを許さない!)

 クララは怒りと涙で濡れた顔を上げ、エリアスを真っ直ぐに見つめ言った。

「エリアス様に謝ってほしくありません。あの人はエリアス様のためだと言って自分の理想をエリアス様に押し付け自己満足している卑怯な男です!私はあの人だけは一生許せない、エリアス様の大切な人だと分かっています、だけど私はあの人だけは絶対に許せないのです。だから関わりたくありません。ごめんなさい、こんな事を言って」

 クララは心の叫びをそのまま口にした。もうどうなってもいいと思えるほどの憎しみを言葉にすると、行き場のない思いが浄化されるような清々しささえ感じた。しかし次の瞬間ハッと我に帰り血の気が引いた。全てを忘れたエリアスにとってセルゲイは信頼する執事だ。それを否定したクララはエリアスの怒りに触れる恐れがある。エリアスと再会してから揺れ動く心を落ち着かせるどころか、逆に揺り動かしとんでもない発言をした。だが、クララはエリアスから忘れられた辛さ以上の辛さを経験する事はもう無い。どうにでもなってしまえと言う諦めに近い気持ちがクララの大胆な発言に繋がった。

「……折角朝の気持ちの良い散歩の時間を壊してしまい申し訳ありません。……失礼します」

 クララはエリアスに頭を下げ立ち去ろうとした。これ以上ここにいても何も良いことはない。今のエリアスの思想は以前とは違い、エリアスはクララを愛していないのだ。

「クララ、待って」

 エリアスは立ち去ろうとしたクララの手を握った。エリアスはクララがセルゲイを悪く言った事に不思議と拒否感はない。そんな自分に驚きつつもエリアスはこのままクララを行かせたくなくその手を握った。

 あの日以来初めて触れたエリアスの手。冷たくなった指先にエリアスの暖かさが広がる。その暖かさは以前と何一つ変わらない。先程までの怒りや悲しみがサッと引いてゆくように感じた。

 (わたしを唯一幸せな気持ちに出来る人は貴方です!)

 心の中でそう叫びクララは立ち止まった。エリアスへの愛が溢れ出そうになる。クララは黙ったまま唇を結んだ。


「……クララ、来週このナバスに聖女様が来る。セルゲイはイエンチェ帝国のエルザ姫か、世界にただ一人の聖女様かを私の妻にと考えている。クララはどう思う?」

 エリアスは背を向けているクララに聞いた。

 クララはエリアスに握られている手を振り払うように引っ込めた。

 (……何故こんな残酷なことを私に言うの?)

 折角止まりかけた涙がまた溢れてきた。家臣としては喜ばしい結婚。それを聞いて泣くなどあり得ない。

 (背を向けたままで良かった)

 クララは感情で声が震えないよう、悲しみで体が震えないよう全身に力を入れ、流れ出る涙を飲み込みエリアスに言った。


「……エリアス様が思うように選んだら良いのですよ。どちらもエリアス様と対等な方、誰一人反対する者はおりません。大丈夫です」



「……では、何故私の心臓の上にクララ・タピアという文字が書いてある?ナイフで傷つけ、消えないように」

 エリアスは言った。


 その言葉を聞いたクララは息が止まった。エリアスの瞳は苦しみと悲しみと戸惑いに揺れ、絞り出すように言ったその言葉にクララへの愛の片鱗が見えた。


 エリアスはクララを忘れたくないと自らの体を傷つけ、一番に大切な心臓の上にその名を刻んだ。万が一クララを忘れたとしても消えないその名に疑問を抱くように、クララを気にするように。


 クララはエリアスの深い愛を全身で感じた。エリアスに忘れられたことに深く傷つき泣いた日々。エリアスを思い出し泣かない夜はなかった。深い絶望と孤独、そして後悔。もっと早くこの気持ちを、エリアスに伝えていれば良かったと。

 けれどエリアスはクララが思う以上にクララを愛していた。万が一が起きた時の為にエリアスはクララの為にその身にその名を刻んだ。どんな気持ちでクララの名を刻んだのだろうと、想像するだけで心臓をギュッと鷲掴みされたようになり息ができなくなった。


 (エリアス様!エリアス様!)

 クララは心の中でエリアスの名を叫び続けた。


 降り注ぐような大きな愛に応えたい!今すぐに!


 あの日の約束を果たす時


 クララは流れ出る涙をそのままに、震える唇を開き大きく息を吸い込んだ。


「エリアス様、約束を、」


 クララはエリアスの方を振り向き言った。エリアスは涙に濡れたクララを見つめ息を呑んだ。

(私は何かを、なくした)

 エリアスはクララを見つめ胸が詰まる。

(理由はわからない。だけどクララ・タピア、彼女の涙は見たくない)


 クララは薔薇の精霊ロサブランカを呼び出した。エリアスは驚きの表情を浮かべロサブランカを見ている。

 ロサブランカは悲しげな表情を浮かべ二人を見つめる。


「ロサブランカ、私の愛を全てエリアス様に捧げます。この命尽きるまで」


 クララはロサブランカにエリアスへの愛の誓いを結んだ。


 涙で濡れた顔を隠すことなく、エリアスへの溢れる感情を隠すことなく暗闇に差し込んだ一筋の光に人生の全てを捧げるクララの言葉にエリアスの心臓が大きく波打った。


 クララはナイフを取り出し指を切り滴る血をフランシスカの薔薇の上に落とした。その瞬間周りが輝き一瞬にして全ての薔薇が咲き乱れた。ロラブランカはクララの頬にキスをし、エリアスの額にキスをし消えた。


 エリアスは驚いた表情をしクララを見つめていた。クララはフランシスカの薔薇を手折り、万感の思いを込めエリアスに渡した。エリアスの瞳から涙が溢れている。だが、それはクララを思い出してくれた涙ではない。理由のわからない苦しいほどの感情がエリアスの心の中に湧き出ていた。


 クララは薔薇を握り呆然と立ち尽くすエリアスと、その美しい瞳から流れ出る涙を見つめ、一礼し、その場から去った。


 

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