現実と夢の狭間で
翌朝、エリアスから昨夜のセルゲイとのトラブルの内容を聞きたいと連絡があった。クララは絶対に城に行きたくない。エリアスにも会いたくなく、セルゲイは次あったら殺してしまおうと思うほど嫌だった。
だから丁重にお断りをし、有無を言わさずタピア領地に帰ってしまった。執事のクリフトンは、
『このような無礼をなさるとは嘆かわしい!』
と、言葉通り嘆いていたが、嘆きたいのはクララの方だった。
エリアスに涙を見られた。
(あんなに頑張ったのに一番見られたくない人に……。あのセルゲイのせいよ!!)
クララは落ち込んだ気分を変え、ケイシー伯爵との約束を果たす準備を始めた。忙しく過ぎゆく日々、クララの毎日は充実していたが、それでもあの日の出来事が心に暗い影を落としていた。思いだしたくなくとも思い出すエリアスの姿。そしてセルゲイ。やりきれない気持ちに押しつぶされそうになる。
(私が死んだらエリアス様は私を思い出してくれるだろうか?そしてこのループを終わらせてくれるだろうか?)
そう考え何度もナイフを握る。けれど、あの日クララを助けるためダーインスレイフを使ったエリアスの涙を思い出しナイフを落とす。二年経ってもクララは立ち止まったままだ。
けれどある日の夜、エリアスを思い出し泣き出したクララを慰めるように紫色の魔法石が輝いた。その光は暖かい。
(公爵家の魔法石とは全く違う色。この魔法石はミラネス王家にとって誰なんだろう。何故私についてきたのかしら)
クララはその魔法石を見つめるたびにセリオを思い出した。そして次第にその魔法石を、
『セリオ様』
と呼び始め、その魔法石にだけは自分の気持ちを素直に言うようになった。それ以来クララはまた、笑えるようになった。
それから月に一度の帝国会議があり、クララは再び城に向かうことになった。
クララは城に向かう馬車の中で魔法石に話しかけた。
「セリオ様、セルゲイに会ったら私、許せない気持ちが爆発しそうで……。誰もあの日のことを覚えていない現実が本当に……辛い」
クララはそう言って魔法石を見つめた。魔法石は返事をするようにキラキラと輝いた。その優しい光を見たクララはふと、あの図書室を思い出した。
「セリオ様、図書室に行けば、本物のセリオ様に会えますか?私は、セリオ様にお会いしたい」
クララはいつも味方でいてくれたセリオを思い出し唇を噛んだ。
(これから会議に出席するのに泣いたらダメだわ。エリアス様にこれ以上泣き顔を見られたくない)
クララは両手で顔を覆い心を整えるよう息を吐いた。
(大丈夫、いつも通り苦しい心に蓋をして前を向いて笑えば全て上手くいくわ。涙は一人になってから)
クララはいつものようにエントランスで馬車をおり城に入ろうとした。しかしその時、頭を鈍器で殴られたような痛みを感じ倒れそうになった。見えない神の力をクララは肌身で感じた。
エリアスが全てを忘れてからこの帝国は神の力が強くなった。クララはエリアスを苦しめる神を憎んでいる。一人になった今も神との契約を終わらせ、このループに終止符を打ちたい。その思いを持って生きている。そんなクララは神にとって危険な思想を持つ人間であり、一刻も早く排除したい人間だ。エリアスが完璧な皇帝として歩み始めた今、クララがここに足を踏み入れることを嫌がっている。大きな圧力でクララをこの城から遠ざけようとしている。
(神は私をこの城に入れたくないんだ)
クララはっきりとわかった。排除したいということは、神も完璧ではないと言う事。必ず何かがある。何か方法がある!
(エリアス様を……救えるかもしれない)
頭がガンガンと痛む、気分も悪い、けれど希望の光が見える。クララは額を抑えふらつきながら北の塔の図書室に向かった。あの部屋がクララを呼んでいる気がし、意識朦朧としながら廊下を歩き、ようやく図書室の前に来た。クララはドアを開け中に倒れ込むように入った。すると不思議な事に先程までの頭痛が治まり気分も良くなった。
クララはこの部屋が以前と何ら変わりなくあり続けてくれる事を心から喜んだ。
「懐かしい」そう呟いた時クララの瞳から涙が流れた。
レオンとしてここにきた時、セリオとリアナがここに居た。クララとしてここにきた時、皆で戦う事を誓った。でも今は一人。皆近くにいるのにとてもとても遠くに感じ、クララは泣き崩れた。
「エリアス様、あの日皆でここで誓ったあの日のこと、私は忘れていません。何度も生まれ変わり繰り返すこの人生、この束縛から自由になろうと、このループを終わらせようと誓ったあの誓い、私は一人でもやり遂げる覚悟をしています。だけど、今は戻らないあの日を思い出し涙が止まりません。寂しいです。悲しいです。何度泣けばエリアス様を、あの恋心を忘れられるのでしょう?」
沢山の思い出がクララの心を通り過ぎる。涙を流すたびに、泣くのはこれが最後だと、最後にしようと……けれど悲しみに終わりはない。ただその状況に慣れるだけで、悲しみが消えることはない。
クララは涙を拭い、いつも座っていたあの場所に腰をかけテーブルにうつ伏せ瞳を閉じた。
静かな図書室。天井のシーリンングファンが、カタカタ、と有機的な心地よい音をたて回っている。
優しいその音にクララの気持ちはいつの間にか落ち着きそのまま眠ってしまった。
『クララ、クララ』
誰かがクララを呼んでいる。クララは夢と現実の狭間でその声を聞いていた。
私は精霊の王。クララよ、この城は水晶の土台で作られている。その土台の下に精霊の王である私が封じ込められ出られないよう魔術に近い神力で封印されている。
黒龍を倒した後、皇帝が即位し、年齢を重ねるうちに神力も日に日に弱くなる。だが、ミラネス王家に子供が生まれ十四歳になると音のない世界で戦いを始め、その子を通じ神力が再び強くなる。さらに公爵家の魔法石の力も加わり私を封じ込めるこの封印が安定する。それを何千年も繰り替えし私が復活しないように神は私を抑え込んでいる。
地下の世界は私の心の世界、あのドラゴン達は精霊なのだ。その精霊を倒す事によって私の力が弱まり神力が強くなる。ミラネス王家は私の血が入っている。そして神の血も。神の血が増すほど魔力が強くなり、精霊の血が強くなるほど召喚が出来る。エリアスはどちらの要素を持っている類まれな人間。私を解放できる唯一の王。
空、海、土の精霊はまだ主人がいない。クララよ、その精霊の主人になれ。その精霊達の祝福は私の心の世界に届く。そして時の精霊を助け、エリアスを地下に……私は待っている。
「クララ……クララ」
(誰かが呼んでいる?)
クララは顔をあげゆっくりと瞳を開けた。目の前にエリアスがいる。しかしエリアスがここにいるなどありえない。きっと夢なのだ。クララはエリアスを見つめ声をかけた。
「あなたはいつのエリアス様?前の?今の?それとも……」
「……前のだよ」
「本当……ですか?……エリアス様。……泣いても良いですか?私はもう泣きたい……ずっとずっと泣きたかった。ずっとエリアス様を待っていました」
クララは感極まって泣き出した。今までの思いを吐き出すように思いっきり泣いた。エリアスは黙ってクララを見つめその髪に優しく触れる。胸につっかえている気持ちが解き放たれ涙となりクララの頬を濡らす。夢なら覚めないで、このままずっと眠っていたい。クララは優しい手つきで髪を触るエリアスを見つめた。
(エリアス様がまた私の髪に触れてくれた。嬉しい髪を切ったのに……?髪を切った……)
クララはふと気がついた。
(私の髪、短い!!これは現実!!)
クララは目を見開き飛び上がった。目の前のエリアスは優しい眼差しをクララに向けている。
「あ、エリアス様、あの、今のは、冗談で……わ、忘れて下さい!!」
クララは頭を抱え図書室から逃げた。