クララ・タピア
「クララー!!」
エリアスは、扉の向こうに消えたクララを追って音のない世界に入った。その瞬間、強烈な紫の光が世界を包んだ。エリアスはセリオの魔法が発動されたとわかった。時間が巻き戻ったのだ!
エリアスは神殿の前に戻っていた。
(またここから始められる!)
急ぎ再び神殿に入るとクララが聖女クルスにナイフを向けそれ以上近づいたら聖女を殺すと言っている。時間は巻き戻されたが、音のない世界の光を浴びたエリアスは記憶を失っていない。
「ああ、クララ、、」
エリアスはクララが生きていることにこれ以上無いほどの喜びを感じた。溢れるクララへの愛、生きているクララを目の前にしてエリアスは涙をこぼした。体の震えは悲しみから喜びの震えに変わり、流れ出るその涙を止められない。
(聖女に心臓を刺されながらも私のために、あの扉を開けてくれた愛しい人。もう絶対に失いたくない、失うわけにいかない!)
エリアスは、はやる心を堪えゆっくりとクララに近づいた。慌てるわけにはいかない。この緊迫した空気を揺るがすわけにいかない。愛しい人が死んでゆく姿を再び見ることは耐えられない。
クララはエリアスを地下に誘導したいが為、後退り、地下に近づく。クララには巻き戻された時間の記憶はない。
もう、手を伸ばせばクララに触れられる。目の前にクララがいる。堪え難い悲しみをその目に宿すクララを目の前に、エリアスの緊張は頂点に達した。
(今すぐにクララの手を……)
エリアスがクララに向かって手を伸ばそうとしたその時、
「エリアス様、助けて……」
聖女クルスが声を震わせ涙を流し、エリアスを見つめ言った。聖女は震える手をエリアスに向けて伸ばし、切なげな瞳をエリアスに向ける。必ず助けてもらえると確信しているような瞳だ。
記憶を奪われた時、エリアスは聖女と結婚しようとしていた。しかし記憶を取り戻した今、聖女クルスはエリアスにとってクララを刺した憎き相手にしか見えない。身の毛がよ立つほどの嫌悪感がエリアスを包む。
(よくもクララを!!)
エリアスはその場を凍らせるほどの冷たいオーラを放ちながら嫌悪感を露わにし懇願するクルスに言った。
「聖女クルスよ、よく聞け。私はクララ・タピアを深く愛している。誰よりも」
エリアスは胸の傷をクルスに見せた。クルスはエリアスの言葉を聞き伸ばしかけた手を止め目を見開いた。そして心臓の上にクララ・タピアと書いてあるその傷を見たクルスは希望なき奈落に突き落とされたような現状に体をブルブルと震わせた。
先ほどまで一緒にいたエリアスが突然変貌してしまったのだ。クルスは伸ばした手をパタンと落とし、その指をゆっくりと握りしめた。
クララはエリアスの言葉を聞き、何が起きたか理解できない。頭の中は混乱し真っ白になった。だが心がエリアスの言葉に反応した。それと同時にクララの視界は滲み、ポロポロと大粒の涙を頬に落とす。
エリアスはクララに拘束され動けないでいるクルスから視線を外し、祭壇に置かれていた聖剣ミスティルテインを手に取った。クララがエリアスのために手に入れたミステルティン。剣を握るとエリアスの周囲が輝き出した。エリアスの魔力が剣を伝わりミスティルテインも光りを放つ。エリアスは完全に覚醒した。
その様子を見たクルスはクララの腕の中で暴れ出す。一連の流れに呆然とするクララの腕を振り払いクルスはエリアスの足元に縋りつき言った。
「エリアス様!愛しています!どうか、どうか目を覚まして!」
エリアスは足元に縋り付くクルスを見下ろした。その瞳は激しい憎悪の炎が見える。全てを焼き尽くすほどの強い瞳をクルスに向けエリアスは言った。
「愛していると言われこの心動くと思うか?厚かましいにも程がある。お前を心の底から憎んでいるのに」
その言葉を聞いたクルスは衝動的に胸からナイフを取り出した。先ほどクララを刺したナイフだ。クルスはエリアスから受けた憎悪をそのままクララに向けようとクララを見た。その瞳は嫉妬と絶望で澱んでいる。
「クーララ・タピアァー!!」
クルスが顔を歪め叫ぶ。神の使いとして活動していたクルスは所詮人間だ。クララに対する強烈な嫉妬とエリアスに対する異常なまでの執着にその本性が出たのだ。
「クララー!!お前みたいな人間にエリアス様は渡さないわ!!」
クルスの腹の底から出る不気味な声にクララは息を呑んだ。顔を歪ませ目を充血させているクルスは破壊された神の像を彷彿させる。神々しく輝いていたクルスのオーラは澱んだ水のように湿り気があり、クララを底なし沼に引きずり込もうとしている。クララはそんなクルスを見て恐怖に鳥肌が立った。血の凍るような恐怖に体が動かない。
クルスは恐怖で動けないクララを見て口角を上げた。クララさえ殺せばエリアスは戻ってきてくれると信じて疑っていない。それほどまでに聖女である自分に価値を感じているクルスは嬉々として神から賜ったナイフをクララに見せた。クララはそのナイフを見て息をのむ。禍々しい光を放ちクルスを飲み込んでゆく神の意志を見たのだ。
クルスが笑いながらクララに向かって歩き出そうとした時、エリアスがクルスの髪を片手で掴んだ。エリアスの表情はない。感情のないエリアスの表情は愛を懇うクルスを微塵にも気にかけていないと誰が見てもわかる。
クルスはそんなエリアスの表情を知らず、髪を掴まれたままくるりと身を翻し愛しいエリアスを見た。
エリアスは眉ひとつ動かすことなく聖剣ミスティルテインをクルスの心臓に突き刺した。
カルロスとグロリアは金縛りにあったように動けずエリアスを見つめている。ダフネは両手を口に当て息を呑んだ。
「エリアス、様、なぜ、、」
聖女クルスはエリアスに殺されるとは微塵にも思っていなかった。
クララは驚きのあまり手に持っていたナイフを落とした。
エリアスは死にゆくクルスを見下ろし言った。
「……時間が巻き戻ったとしても、私の目の前でクララを刺した罪は消えない」
エリアスはそう言ってクルスの髪を離し、崩れ倒れるクルスを見ることもなく目の前で呆然と涙を流すクララに歩み寄った。
クララはエリアスを見上げる。エリアスもクララを見つめる。
クララがエリアスの瞳の中に映った自分を見た時、エリアスはクララを抱きしめた。
「クララ、一人で背負わせ、一人にして、すまない。クララ、クララ……私の愛しい人」
エリアスはクララを強く抱きしめた。
クララは今目の前で起きたことを理解できないでいた。
先ほどまでクララの行動を責めていたエリアスが突然変わった様にしか思えなかった。何が真実で現実なのか混乱している。
「クララ、お前が助けてくれたセリオだ」
エリアスの向こうにクララを優しく見つめるセリオが見えた。
「セリオ様……」
クララはセリオが目覚めた事を知りようやく理解し始めた。
「クララ、混乱するのもわかる。私の魔法で五分、時間を戻したのだ。お前は一度聖女に刺され、それでも地下の扉を開けた。そのおかげでエリアス様が精霊の光を浴び全てを思い出された。思い出したその瞬間に私は時間を戻したのだ。もうクララ、一人じゃない」
その言葉を聞いたクララは涙でセリオが見えなくなった。
「クララ、クララ、クララ!」
エリアスがクララの名前を呼び何度も強く抱きしめた。
「エリアス様……」
クララもようやくエリアスの名前を呟きエリアスを抱きしめた。
「クララ、一人にして、全てを背負わせてしまってすまない。私を責めてくれ。クララを忘れた私を……」
エリアスはクララを抱きしめ、涙に声を詰まらせながら言った。クララはその言葉を聞き全ての重圧から解放されたとわかった。
一人で成し遂げなければ、と、切れそうなロープの上を歩いているような毎日。エリアスを思い出し涙した夜。仲間に支えられた日々。ここぞという時に助けてくれたセリオ。
そして、クララが愛し憧れた、絶対的存在のエリアス。その人が今目の前にいてクララを抱きしめてくれる。クララは夢にまで見たこの現実に押さえ込んでいた全ての感情が溢れ出した。
エリアスに忘れられて本当に辛かった、寂しかった。何度も死にたいと思った。だけどそれ以上にエリアスが抱えてきた苦悩を思うと、何度も生まれ変わり繰り返されるこの忌まわしい神との契約を断ち切る事ができるのは自分だけだと思い直し今日まで来た。今まさにその思いが報われる時が来たのだ。
「エリアス様、エリアス様!」
クララはエリアスの名前を呼びながら胸の中で泣き続けた。エリアスは何言わずクララを抱きしめ続けた。
近くで二人を見ていたカルロス達もあの日誓った、約束を思い出した。そしてエリアスとクララの本当の再会を涙ながらに見守った。
【炎と薔薇】通称【リボン】を読んでくださっている読者様。
この長く拙い文章を読み続けてくださって心よりお礼を申し上げます。
この作品は「書く」ということに必死になり、
読んでくださる読者様まで配慮しきれていないほか同様に試験的な要素の強い作品でした。
ですが物語終盤から読んでくださる方に申し訳ないと心を入れ替え、
手直しを始め、ようやくこの物語の山場まで書くことができました。
完結まで遥遠いと思っておりましたが読者様に支えられ完結できそうです。
この試験的な物語を粘り強く読んでくださる読者様に感謝申し上げます。
そして誤字脱字を教えてくださる皆様にも心よりお礼申し上げます。
主人公お名前を間違えたり、タイトルを間違えたり、作者のとんでもない性格が垣間見れますが、
粘り強くお付き合い下さり本当にありがとうございます。
もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。
全ての方に感謝を込めて
ねここ