放課後
チークを頬に軽くさし終え、アナスイのミラーをパチンと閉じた。
私達には役割分担がある。
私の武器は頭。ウイットの効いた会話や相手の弱点を見抜くことは私の役目だ。加えて、私達を貶ようとする敵共を排除するための知略を練るのも私の担当。私達を傷付けるなんて赦さない。レイラが傷付けば私も傷付く。私が傷付けばレイラも傷付いてしまう。そんなことはさせない。
あたしの武器は身体。品ある立ち居振る舞いに艶かしい仕草。役目は、男のみならず女も油断させること。隙を生じさせればこちらの思う壷。私達をいたぶらないよう予め牙を抜いておく。私達を傷付けるなんて赦さない。優子が傷付けばあたしも傷付く。あたしが傷付けば優子も傷付いてしまう。そんなことはさせない。
ブーブーブー
携帯が震える。どうやらお迎えが到着したらしい。雑誌の立ち読みを止め、外へ出ると白のクラウンが停まっており中には手招きする人間がいる。笑顔を作ると少し大袈裟に手を振り、楽しみにしてました、をアピールする。小走りで駆け寄ると優雅な動作で助手席に乗り込み、相手のほうに顔を向けた。
「どこに行きたい?」
と聞いてくるから、
「海がみたいな。」
はにかみながら答えた。
海岸沿いに車が停まるとすぐさま飛び降りドアを閉め、自分の身一つで砂浜へと下っていった。後ろからは呆れたような苦笑が聞こえた気がしたが、私達の評価を落とす結果となってはいないだろう。
ある程度海に近付いたところでヒールの留め金を外す。黒のレースのニーハイもするりと脱ぎ落とすと、素足で地面に触れる。細かい砂は足の爪の間に入り込み抜け出せなくなる。ずぶずぶ砂浜に足を埋めていくと、やがて海水の浸透した層へ到達した。見るとも無しに下を凝視している姿はさぞや奇妙であろう。大して多くもない冷点が感知出来るほどには冷たかった。
冷覚が鈍ってきたのを契機に渚から両の足を引き抜くと、波打ち際に向かい何かに引き寄せられるように歩いてゆく。ひたりひたり。足音は浜に吸収され、足首に白砂が舞う。ひたりひたり。撥ねる白砂と白い足首が西日で紅緋色に染まっていた。
ちゃぷん。右足が徐に潮と触れる。夕日に火照った身体に酷く心地よい。ちゃぷん、ちゃぷん。殊更ゆっくりと沖へ向かい海の中を進んでいく。海は安心する。藍鼠のくすんだ色合いが己の足を隠してしまうから。全てが見えているという恐怖は、己の全てが他者から見えているという恐怖に由来する。誰しも他者には知られたくない内面があるであろう。内面は少なからず外面に通じ、どんなに隠蔽しようと微細な漏洩は免れない。それは私達にも適応される。他者に理解を求めるにも関わらず、完全な把握に怯える人間。私達でさえ人間としての範疇を超えることは不可能なのだ。漣の規則的な音は低振幅だが、人間の声という雑音よりも遥かに私達に共鳴する。二人の世界に他者は不要。だって私達は他者であり自分だもの。ざぁーざぁーという優しい音にくるまれているだけで浄化されてゆくようだ。優子の顔が家庭では見れない穏やかさをたたえたことに、あたしも穏やかな気持ちになれた。
膝の上まで水に浸かったところで不意に現実へと引き戻された。
「おーい、せっかくの綺麗な服がぬれちゃうよぉ。」
折角二人の世界を堪能していたところで声を掛けられたことに対し苛立ちを禁じえなかったが、ふと足元を見るとスカートのかなり近くまで海水面が来ていたので
「ぬれたら素敵なの一緒に探しに行こう」
と首を捻り答えておいた。
ばしゃばしゃと水しぶきを飛ばしながら砂浜へと戻ると、靴を置いていたところまで彼がタオルを持ってきてくれていた。優しいしとてもよく気が付く人だと思う。今日の気晴らし相手を彼にして正解、といったところか。もちろん、白い歯をこぼしてのお礼も忘れない。バサバサとタオルに付いた砂を払い除けると、共に車へと戻った。
他愛ない会話をこなしながら、レストランへと車は進む。最近オープンしたばかりのそこは、落ち着いた雰囲気でゆったりと食事を楽しむにはぴったりだ。未成年ということでワインは飲ませてもらえなかったが、それを差し引いても十二分に満足のいくものであった。何より、レイラがおいしそうにピザを食べている姿が私を満たしてくれた。
「今日は本当にありがとう。また遊んで欲しいな♪」
上目使いでじっと見つめる。本心からの言葉だ。彼が付き合ってくれたおかげで優子はリフレッシュできていた。母親のプレッシャーから少しでも解放されていて本当に良かったと思う。レイラがおいしそうにご飯を食べたのは久しぶりだ。
私達から心を込めて、
「気を付けて帰ってね。」
車が発進したのを確認すると、私達もホームへ入り家路へついた。