二.少女と御者
お久しぶりです。ひと月も間が空いてしまいまして申し訳ございません。
今回のお話はとある人物たちのやり取りがメインです。
それでは、お楽しみください。
二.少女と御者
交易路として馬車や荷役用の動物たちのために舗装されているとはいえ、元は岩石の荒野が広がる地はとても渇き、硬い地層が常に地上を掃き清めるように吹き晒す風に削られて、緩やかな凹凸がそこかしこに出来上がっていた。
荒野に広がる赤い路の上を、馬たちの蹄と馬車に取り付けられた、古く年を経た強度の高い木を削りだして作られた馬車の車輪が砂利を噛みしめる音と振動でガタガタと立てる音を響かせながら荒野を悠々と進んでいく。
快活な修道女の少女は幌から「よっこいしょ」とそろりと慎重に這い出ると、御者の男の傍の席に座った。
「お嬢さん、この旅というか、『赤羅の修道路』は初めてかね?」
御者の男は少女のウキウキした様子に面白そうに声を掛ける。
「ええ、何もかも見るものが初めてでワクワクしているの」
「そうか。間違ってたら済まないんだが、お嬢さんのその恰好からして、ララシャの街の修道院の修道女になりに行くのかい?」
「そうよ。私は自分のために修道女の道を歩くためにあそこに行くの」
「そうなのか、大層信心深いんだなあ」
御者の男はそれを聞くと、何度か深くうなずいていた。
「ああ……不躾にお嬢さんの身の上を聞いてしまって済まない」
「いいえ、良いのよ。おじ様とても良い方のようだし」
「まあ、客を目的地にちゃんと運ぶという仕事に忠実なだけだけどね」
「まあ!」
クスクスと緩く作ったこぶしを手に近づけて笑う少女におどけて見せ、次の瞬間にはいたずら小僧がいたずらを思いついたかの様に少女に告げた。
「だが、お嬢さんが今まで旅を知らなかったという事は、ここの『洗礼』は初めてってことだな」
「『洗礼』?」
少女が首を傾げると同時に、馬車が「ガタン!」と大きく揺れた。
一瞬少女と御者の男の身体が浮き上がり、そのままストンと座席に落とされる。
「これがこの道、『赤羅の修道路』が旅の初心者へ向けた『洗礼』ってやつさ」
衝撃で腰を痛めてないものの、顔を顰めて御者の男はそう告げた。
御者台全体へと地上から立て続けに襲ってくる振動は、なかなか腰に来る。
しかも酷い時は乗り物酔いとして揺れで体力を消耗した乗客に襲い掛かるし、小さい石でも馬車の車輪が障害物を踏んだ時は大きな音と共に一瞬の浮遊感を堪能し、直後に大きなショックが馬車全体、主に座席に座っている乗客たちに直撃する。
そのため、荒野を行く者は常に馬車の座席に座ったまま自然からの洗礼を受けては自分の腰を痛め、到着先の宿屋で腰を労わる……なんて光景が嬉しくない形で当たり前の光景となっていた。
「『赤羅の修道路』って、今、私たちが辿っている赤い交易路の名前よね?」
「ああ、そうさ。この交易路は馬かラクダもしくは馬車でしか通れないんだが、それがどうしてかわかるかい?」
意地悪そうな笑みを浮かべた御者の男に少女は自分が纏っているクリーム色の外套にそっと手を添えて口を開いた。
「この交易路が生身の人間が自分の足で歩くのには向いていないからかしら?」
「そうさ。この荒野の先にはララシャの街へ続いている。砂漠のオアシスの傍にバザールと修道院が立ち並ぶという、異様な町さ。その神の教えに仕える者が沢山いる場所にバザールがあるんだからね」
「あら、そこは私。が行く場所だわ」
「そこには砂漠の向こうの見知らぬ土地からいろんなものが流れてくる。人や物も」
「この地に住む私たちが知らなかったいろんなものが来るのね、素敵だわ」
少女がそこの言葉にまだ見ぬ物へ思いを馳せる様を尻目に言葉を続けた。
「あの町にはこちらの土地には無い宝が沢山集まる。だが、当時は修道院は無く、砂漠を越えてきた者たちが集う商人たちの街だったそうだ。だからその街を目指して誰もが荒野を突っ切ろうとした。」
「それは富のためね?」
「そう、当初は『こちらの領地に無断で立ち入った異教徒の街ならそこを占拠して富を独占してしまおう』と当時のお偉いさん達は考えていたそうだが……」
御者の男は一旦言葉を切ると、荒地の中を真っ直ぐな一本の太い線のような赤い交易路を指さした。
「あの街への道中は人が生身で踏破するにはとても過酷すぎる。なんせ土地は水の欠片も無い荒野だし、酷い風が吹き荒れているし、荒野のあちこちに岩の塔が並んでいるとはいえ、お互い離れて立っているから俺たちを厳しい風から守ってくれる衝立にもなりはしない。おまけに空ぶ浮かんでいるはずの雲は風に散らされて一かけらもない。だから日中はてっぺんから注いでくるお天道様の光のお陰でとても暑い」
道から太陽を指さした後、馬たちの方を指さして御者の男は言葉を繋いだ。
「そのお陰でこの道を踏破するには何かに乗って移動する必要があるのさ。主に荷馬やラクダ、馬車に荷物の他に食料や水といった日常生活品が積み込めるというメリットもあるが、殆どは自分の足で歩くよりも早く移動が出来るからな」
「そうねえ。確かに旅を知らない私の足では到底この厳しい土地を歩くなんて想像も付かないわ」
少女は辺りを一瞥して感嘆の声と共に頷いた。
「私、馬やラクダとかは一回も乗ったことは無いけれど、もし私が乗ろうとしたら色々と助けが必要になりそうね」
「まあな。騎乗生物に乗るにはそれ相応の訓練とガイドが必要だし、お嬢さんは修道女になるんだろう。その暇は無いと思うけれどな」
年相応のほわほわした甘い夢に対する厳しい現実を突きつけられた少女はちょっとしょげ返ったのであった。
目的地に着いたらラクダの背に揺られて優雅な散歩をしてみたかったたからだ。
その様子を見て内心ほっとした御者の男は街道が作られた経緯の続きを語り始めた。
かくいう御者の男も少年の頃は馬に乗って颯爽と荒野を駆けてみたいという願望はあった。
その時は乗り合い場所の御者を勤めていた父親の進めで馬に慣れる一環で騎馬体験をさせてもらったことがあった。
しかし、父親の仕事の相棒であった馬たちは若い少年の事を舐めてかかり、少年の言う事を馬耳東風という体で一切聞こうともせず、父親の助けを得て馬の背に乗せてもらったときは、広場内を駈ける馬の背にしがみつくのが精一杯であったのだ。
ようやく馬から降りられたときはふら付いてしまい、次の日は内股が筋肉痛になり一歩踏み出すだけでもなかなかの大事になってしまったのである。
今は遠い思い出を掘り返して遠い目をしたが、気を取り直して話の続きを始めた。
「とにかく、そのお陰で自分達が安心して歩くためには相応の時間と努力が必要だと感じた王様達は、交易路を作ることにした。行きて帰れるわかりやすい目印になる一本の道を」
少女が先ほど見まわした荒野は空を彩る青空は雲一つ無く、ぎらつく太陽の光に照らされた荒地の地表を今は穏やかな風が流れて行っているが、その穏やかな時間が荒々しいものへと豹変するかも分からない。この乾燥した大地で得られる餌や水場も限られた場所にしか無く、その箇所から離れた場所に交易路が作られているため、幸いにも肉食獣の目撃情報は無いが、自然の変貌によってその均衡が崩れないとも限らない。
そのために前もって厚手の服や外套を身に纏い、太陽光や熱から身を守るための準備もしっかりして来ているが、大変な嵐の前に投げ出されたら、それがちゃんと機能するかなんてとても怪しいものだろう。短い時間を生きただけのただの少女は外套に包まってただ嵐が過ぎるのをじっと待つしかないのだ。
「おっと。不安がらせて済まない。だが、その厳しい自然の壁を『神からの試練』と見なした昔の王様達が号令をかけて今の赤い交易路を作った。『我らの到来を待ち受けているであろう、数多の不足を潤う宝を知ろしめ給うた神より賜わりし、厳かなる試練の路』という意味を込めて『赤羅の修道路』と名前を付けたんだそうだ」
「神様のおわす地に宝が集まるってまるでおとぎ話のようね。けど、昔の王様達が訪れたそこの土地の人たちはどんな事情を抱えていたのかしらら」
「まあ、下手に攻め入って滅ぼすよりはうまく付き合っていく算段を付ける方が得だと考えた王様はそこに修道院を建てることにした。交易や神の教えを求める旅に行きて帰りし者たちを労わり、また、旅先から持ち帰った物を検分するために教会とも手を取り合い修道士たちを置いたそうだ。砂漠の向こうからやって来た商人たちと難しいお話をした末に、外から来たものを国内へと受け入れる算段を付けていいかどうか決めるためにね」
「国に関する重要なお話が絡んでいるだけに、なかなか厳しいのね。私も、ララシャの街については勉強してきたけれど、現実はもっとスケールが大きいお話ね」
御者の男は旅慣れぬ客向けの『名物』についての一通りの定番ガイド説明をそこで終えた。
次に、ニッコリと微笑んだ少女の方を横目で見やった。
少女は年若く、質素な身なりだが品はよく躾も行き届いているようで、年相応でありつつもしっかりした対応ができる事から良い所のお嬢様であるようだ。
また、付き添いの人間もいるらしく、幌の中からこちらへと向けてくる気配があった。
「まあ、お嬢さんは修道女になるんだろう。なら修道院で祈っている方が良いと思うぞ」
「やっぱり?」
「旅慣れていない女性がなんの守りも無く危険な地域へ行くのは、余程の事が無い限りはとてもお勧めできないからな」
「いつもとは違う目線で世界を眺めて見たかったのに、残念ね」
「まあ、大抵馬に乗って何かをするのは騎兵隊か危険な場所を旅慣れたモンくらいなものだからな」
少女を諫めつつ、御者の男は続けた。
「馬から見る光景は確かに素晴らしいと思うが、お嬢さんが連れているお付きの誰かを安心させるのもお嬢さんの仕事じゃないのかね?」
「まあ、見もしないでそれに気づくなんて、おじ様って忍びの者なのかしら!」
「いやあ、年の功さ。さて」
なだらかな荒野の地平の先に泉と黒く点在する建物の影が見えてきた。
「そろそろ目的地、ララシャの街が見えてきたぞ、お嬢さんだけでなく、お客さん達も下車の準備はキチンとしてくれ。くれぐれも忘れ物をして後で後悔しないように!」
御者の男はそう叫ぶと手綱を捌き、馬たちに道中の最後になるであろう最後の活を入れるのであった。
しばらくコロナの関係で色々とバタバタしておりましたが、ようやく今回のお話の投稿が出来ました。
次回からはお話が少しずつ展開していく予定です。
どうぞよろしくお願い致します。