第1話 はじまり
代り映えのしない日常。仕事に忙殺されて、テレビを見て酒を飲んで寝る。
――ただそれだけの繰り返し。飽き飽きとする”普通”。どこまでも終わらない日常。うんざりして、けれど、変わる気力も変える気概も持ち合わせないためにそのまま流す。
それを折り合いをつけると言うのなら、その通り。
大切なものとか、何を捨ててもやり遂げることとか、そういう”特別”なことは起こらないのが人生だと決めつけて日々を過ごす。
そうした日々に流されるうち、あっけなく……何の前触れもなく異常に巻き込まれた。
「……」
目を開けた。間違いなくベッドにもぐりこんで寝たはずなのに、会議で居眠りしたかのようなバツの悪さを感じる。
人の気配がある。
自分が椅子に座っていた。飛び上がりそうになるのをかろうじて抑えた。
目に入ったのはどこかのホテルのエントランス。ごてごてとした、見た目は豪華な一人用の椅子に座って、12人がテーブルを囲んでいた。
あまり、座り心地は良くない。見た目だけは一級なそういう品は、中級のホテルにはよくあるものだ。
「なんなんだ、貴様らは!」
ガターン、と椅子が倒れる音。野太い悲鳴じみた、もしくは脅しじみた叫び声が上がった。
声を上げた主を見てみると、おっさんとしか言いようがない。上下のスーツを着ているが、パリッとした印象はない。
しかし、まあ人に命令するのに慣れた雰囲気からしてそこそこの地位におさまっているように見受けられる。
「あ、なんだテメエ。オレとやろうってのかあ? あん?」
軽薄そうな男が即座にガンをつけて反応した。
服はアロハシャツ。しかもボタンを全開にしたぴちぴちのシャツごしに、これ見よがしに大胸筋を見せつけている。しかもシルバーアクセサリーがギラギラ光っている上に鼻ピアスまでしている。
絵に書いたような半グレである。しかも、見間違えようのなく武闘派だ。
「待ちたまえ。いがみあっていてもしょうがないだろう。現状の確認をするべきだ」
自信に満ちた、ハリのある若い声。こちらも高校生だ。ただし制服はお手本になりそうなほどしっかり着こなしている。
一番上のボタンまで止めるなんてしたこと、式でもなければしなかった。彼はよほどまじめなのだろうと思う。
その生真面目さはこの半グレとはまったく合わないだろう。
「僕もその通りだと思う。まずは自己紹介から始めないかな? 僕は灰原雅暦、サラリーマンだ」
とりあえず、話し合う土台だけでも用意しようと思って発言した。
三者三様、個性だけで集めたのかと思う三人とは裏腹に、灰原は酷く地味な男だ。この異常事態を前にしても、なんとか場をなあなあにして誤魔化そうと考えている。
もう”主人公”になるのは諦めてしまった人間だ。
「ああ? テメ、何を勝手な……」
不良の男が噛みついてくる、が。
「私は枢木怒流、誠心館高校生徒会長だ」
意を汲んだ彼が場をつないでくれた。
やはり、真面目な気質のようだと灰原は頷く。
「私は神崎火乃です。ただし通っている高校までは言えません」
眼鏡をかけた女の子。
こちらも制服を着ているのだが、制服は全員が違うものを着ていた。
中学ならともかく、高校では通っている範囲は当てにならない。それでも、彼女の枢木へ向ける胡乱な視線からは近くにある高校であるとは思えない。
そして、灰原は近くにある高校など調べていないし、制服の見分け方は論外である。この誠心館高校の実在さえも定かではない。
つまりは、制服から何かを推測するのは不可能なわけだ。
「――けっ」
悪態をついたのは制服を着た男。
順番としては彼となるのだろうか。制服と背格好からある程度の推測は立つ。彼が高校生3名のうち、最後の一人。
不良はさっきの彼とこの男の二人だけだ。すくなくとも、見た目で判別できるのは。
「何か、言えない理由でもあるのかね?」
枢木が詰問する。どうも、真面目過ぎて融通が効かないきらいがあるようだ。
暴力に訴えられたらどうしようとか、まったく考えていなさそうに見える。
「まあまあ、何もわかっていないんだ。ただ、名前がないと呼ぶときに困ってしまうだろう? 偽名でもいいから教えてくれないかな」
とりあえず取りなした。
何かの考えがあるわけではない。いつも、”そう”だ。問題なんてものは、時間が過ぎれば風化してしまうから棚上げにして消えるのを待てばいい。そうやって生きてきた。
「んじゃ、オメガでいいぜ」
ニヤニヤとしている。
「分かった。教えてくれてありがとう、オメガ」
中二病、と一瞬思わなくもなかったが流した。
別に友達になりたいわけでもない。場をうやむやにして険悪な雰囲気にならなければ灰原個人としてはどうでもいい。
こいつが中二的な名前で呼ばれようと。
「……チ。そういうスカした態度取られると俺がバカになったみたいじゃねえか。俺は烏丸狼牙。高校生だ」
そっぽを向いた。
そいつのことは置いて、きょときょとと不安げに辺りを見渡している女の子に水を向ける。
「じゃあ、次は君の名前を教えてくれるかな?」
「……?」
こくり、と首をかしげた。見るからに幼い女の子だ。身長からして小学生高学年ではあるだろう。
反応の鈍さと、ワンピースを着ていることから小学生だと推測するが。
「……」
その子は一瞬、宙を見て考えて。
「……!」
自分を指さした。
頷いて、先を促した。
「あ。ああ。ああの、ごめんなさい、アユだったんですね。アユは月宮亜優です。親不知小学校の6年生、12才です」
慌てて言った。いっそ、哀れなほどにうろたえている。
このような異常な場所に放り込まれた小学生としてはむしろ正常な反応かもしれない。とはいえ、少し反応が鈍い気もするが内気な子ならこんなものかもしれない。
「はん! オバカですのね、亜優。そのおじさんが小学6年生が大好きな変態さんだったらどうするんですの!? 私は千堂稀色。ベクターグループを牛耳る千堂家のお嬢様ですの。私様に逆らうやつはおじいさまに言って牢屋にぶちこんでやりますのよ!」
椅子の上に立って、偉そうに言い切った。見るからにいいところのお嬢様といった上等な服装をしている。
そしてその服は有名なデザイナーでも起用したのかおしゃれ風になっているが、どう見てもそれは中学生の制服だった。
とても偉そうな態度だが、まあいつの時代も貴種というのはそういうものだ。仕方ない、だって実際に偉いのだから。七光りと言えるだろうが、それも力には違いない。
「お嬢様なんだ! すごいね! アタシは新海疾風、元気が取り柄な中学2年生!」
固まりかけた空気をまったく読まずに中学生が割り込んできた。
千堂など忌々しそうな顔を向けているのだが、彼女は全く気づいていない。
天津満乱、こういう暗い空気を吹っ飛ばす救世主だ。
「……来栖氷夜。大学生。で、これは何の集まり? ちょーウゼーんですけど」
こちらは言葉の通り、とても面倒くさそうにしている。
スマホでも探しているのか、手はいつまでもポケットをまさぐっている。
年端もいかない少女たちと違って、こちらには大人の色香がある。それが大学生特有のこどもらしい幼さと混ざって……最初に叫んだ男、緒方真央などは鼻の下を伸ばしている。
確かに可愛らしくて美しい。灰原は惑わされるほど初心でもないが。
「これが何の集まり化は皆が分かってないから、とりあえず自己紹介でもと言ったんだよ。互いの名前を知らないと不便だろう? それで、あなたの名前もお聞かせ願いたいのだけどね」
そして、皆の視線は自己紹介をしていない彼に集まった。
「ふん」
そいつはそっぽを向いて鼻を鳴らした。
とても、悪い態度である。
年齢が下の者に指図されるなど気に喰わないと、顔にはっきり書いてあった。
「おっさんさあ、態度悪いよ? かまってちゃんでもやってるつもり?」
来栖が挑発した。
のみならず、呆れたような視線が方々から向けられる。現代では偉ぶるようなキャラは嫌われる。
「なんだと、貴様! 貴様のようなガキが、こ、この私に偉そうなことを――」
声がわなわなと震え始めた。
激発する兆候だ。
忍耐力もないというのは、口先だけで偉そうな男のテンプレだ。とはいえ、能無しならせめていつも怒って周囲を威圧しなければ偉そうにすることすらおぼつかない。
ただ、”偉ぶりたい”というのなら、怒鳴りまくるのは実はけっこう効果的であるのだから、笑えない。
「小学生でもできる自己紹介ができない大人が、偉そうに吠えるな」
枢木、真面目な彼にとっては許し難いのか、もはや凶眼となるほどにらみつけた。
灰原はその姿を見て若いな、と思う。
「貴様! 年上を相手になんて口の聞き様だ! 親の顔が見てみたいな! よほどのく――
男が立ち上がりかけるのを見て取って、たまらず止める。
そいつが若者を殴りつけるような事態になったら、いよいよ事態が収集できなくなってしまう。
灰原としては、若者の反撃を喰らって男が倒れたら胸がスカッとするな、と心の片隅で思っても、すぐに棚に放り投げる。
「まあまあ、あまり若者にカッカするものではありませんよ。落ち着いて」
彼はしばらく顔を真っ赤にしていたが、枢木のまっすぐな「これ以上の侮辱は暴力で返す」との意志ある視線を受けて。
「チ。仕方ない、これは貸しにしておくぞ、灰原」
何が貸しか分からなかったし、返すつもりもないが。
「ええ、もちろん」
と、だけ返しておいた。
彼は尊大に頷いて。
「わしの名は緒方真央だ。一度で覚えろよ。最近の若者は人の顔も覚えられんから困る」
と名乗った。
「――で、さあ。ちょっと見てきたんだけど」
そして、12人目。いつの間にかいなくなっていた彼女だ。
「あ、私は黒崎涼風ね。OLやってる。んで、ここホテルぽいから売店見てきたんだけどさあ……何もないのよね」
「どういうことだね?」
即座に反応したのは枢木だ。
とりあえず、議長の役割は灰原に来ているが、場のリーダーというなら枢木だろう。自然と彼の決断を待つような雰囲気が出来上がっていた。
「いや、だから何もないんだって。変なお菓子とかお土産とか食えるもんないかなって思ったんだけど、何もないの。もう、お引っ越しって感じ?」
身振り手振りを用いて話すが、どうも要領を得ない。
「なら、見に行こう。状況を確認したい」
「見たいなら貴様らで行けばいい」
緒方は偉そうに椅子でふんぞり返っている。
「分かりました。では、確認したい方だけこちらに」
彼と女子大生を残して売店の場所に行く。
当然、灰原もついていく。
「ね? 何もないっしょ」
頷いた。とりあえず、色々と物色する。棚の下や、レジなど。全員で、なにかないかと探ってみる。
とりあえず、何かヒントでも見つけなければ何をやっていいかもわからない。
「……あの、おじさん」
くいくい、と気の弱そうな子が袖を引っ張った。
月宮亜優だった。他の皆を真似して、とりあえず開きそうな扉だの、何かの裏を改めるなどやっていた。
「何かな?」
「あっちにね、鍵があったの」
「鍵? どこか教えてくれるか」
「うん、あのね……」
袖を引っ張って連れて行かれた先は売店のすぐ近くにある小規模なロッカールーム。
貴重品を入れておくアレだ。
「……あの、ここ」
鍵は開いている。どうやらがちゃがちゃ開こうとしているうちに、鍵がかかっていないロッカーにたどり着いたようだ。
開くと、鍵が入っていた。