第342話 大湊 美咲
「横須賀ー、横須賀ー。お降りの方はお忘れ物のないようご注意ください」
電車内に駅へ着いたことを示すアナウンスが流れた。
淡白な男性の声に合わさり、わたしはあまり多くない乗客と共にホームを踏んだ。
「ふー、着いた着いた。あっ、今日はイージス艦がいる」
横須賀駅を出て徒歩1分――――春の陽光の下、わたしは軍港を一望できる公園に来ていた。
身を包む制服に、まだ少し冷たい潮風が吹き付ける。
「どこか良いベンチは......ここでいいか」
ご老人や観光客を横目にストンと木製のベンチへ座った。
ふと手に持っていたカバンから、わたしは1枚の用紙を取り出す。
『進路希望調査』と日本語で書かれた紙には、まず一番上の欄にわたしの名前――――"大湊 美咲"という文字が並んでいた。
ついで下に、第1〜第3希望までを書けといった感じで枠が3つ設けられている。
「やっと高校入ったばかりなのに、いきなり進路だなんて急ぎすぎだよぉ......。まだ将来が確定したわけじゃないのに」
そう、わたしが今日ここへ来たのはこの空白の欄を埋めるためだ。
海と巨大な軍艦でも見ればなにか......と思ったけど。
「決まんないもんだなぁ......来週提出なのに」
このとおり、迷走中だ。
現実逃避をするように、わたしはスカートのポケットからスマートフォンを取り出した。
よく使うSNSの短文投稿アプリを開くと、トレンドのページにあるニュースが浮いていた。
『関東上空に現れた巨大鏡の謎! あれから半年――――某有名大学教授が政府を斬る!』
胡散臭いタイトルの記事だが、これを笑う人間はいない。
なにしろ、半年前の今日......関東上空に鏡のような物体が実際に現れたからだ。
当時の様子は動画や写真で残っているし、紛れもなく真実の現象だった。
結局すぐに消えてしまい、政府や気象庁は蜃気楼の一種だろうということで決着に落とし込んだ。
世間もみんな、今となっては過去のことだと口を揃える。
けれど――――
「そうか、もう半年なんだ......」
わたしにとってこれは、ただの異常現象なんかじゃない。
あの日――――この蜃気楼が現れた日、わたしは病院のベッドで昏睡状態から回復した。
医師いわく、コンビニに行く途中の交通事故によって3日間も眠っていたらしい。
けど、そんなことはどうでもよかった。
奇跡的な回復を遂げた今でも、わたしはあの出来事を――――あの世界での冒険を1日でも忘れたことはない。
わたしは、確かにこことは違う別の世界に行っていた。
憧れの魔法があって、でもやっぱり銃が強くて、だけど苦楽を共にしたかけがえのない人たちがいる世界。
そこでわたしは戦った、ご飯を食べた、確かに生きたんだ。
月日が経つごとに、それはまるで夢のように曖昧になっていく。
絶対に忘れまいと、毎日必死に生きている。
あの世界で得た経験は、決して忘れちゃいけないんだ。
「っ......」
膝上へ置いたカバンを下敷きにして、おもむろにペンを握る。
まだ空白で満ちたそこへ、わたしは取り憑かれたように黒いボールペンを走らせた。
書き上がった文字は――――――
『防衛大学校』
進路希望調査表の第1希望欄に、大きく刻まれた。
あっ、なんでシャーペンで書かなかったんだわたし......これじゃ消せないじゃん。
焦って思わず顔を上げると、ちょうど停泊中の護衛艦上で海上自衛隊員たちが仕事をしていた。
彼らは特殊国家公務員、別の国では兵士と呼ばれる存在だ。
「予備の紙......今ないしなぁ」
そうだ、わたしが見た人たち。
わたしをあの世界で最初に助けてくれたのは、兵士と呼ばれる人たちだった。
彼らみたいに、わたしもいつかは――――手を差し伸べる側の人間になりたい。
あの時の、そう......。
「エルド......さん」
口に出したその名は、向こうの世界での大恩人。
わたしが目指したい、志したい人間。
あぁ......なんだ、最初から全部決まってたんじゃん。
軍港が見えるこの場所にきたのも、用紙にふと書き込んでしまったこの文字も。
最初から決めてた、だからなにも不自然はない。
あの人たちみたいに、わたしもなるんだ!
「エルドさん、セリカさん、ラインメタル少佐。わたしいつか――――絶対追い付きますから!」
立ち上がった瞬間、一際強い"風"が吹いた。
まるで背中を押すように、海側とは反対の方向から流れる。
そうだよね、立ち止まってなんかいられない。
魔法はもう使えないけど、いつだって風は背を押してくれるのだ。
「よーし、勉強頑張るぞーっ! 待ってろ防衛大!! 待ってろ自衛隊!! この世界では――――――」
カバンに用紙を詰め入れ、わたしは風と一緒に地面を蹴った。
「わたしが主人公なんだから!!」