第311話 日本国
西暦2020年某日、日本国の首都東京では、あまりに非現実的な光景に多くの人間が目を丸くしていた。
東京23区内全域に、空とは違う別の光景が映し出されていたのだ。
都民たちは立ち止まり、各々が空だった場所を見上げていた。
「なに? あれー」
「空自のブルーインパルスがまたなんかイベントでもやったのか?」
「写真写真! 今最速でSNSに上げたら絶対バズるでしょ!」
世界中に普及しているスマートフォンを掲げ、大勢が写真を取る。
そして、インターネットの短文投稿サイト等へアップするのだ。
『なんか出た! 蜃気楼? すげーキレイ!!』
『鏡みたいだけど変な景色が映ってる! 異世界への扉!? #気のせいじゃない』
『日本政府の陰謀だ! 秘密結社による新世界創生が始まったのだ』
等など、感想から陰謀論......ハッシュタグまで付いての大盛り上がりとなった。
空の光景を見て、日本人の危機意識ではとても危険だとは思えなかったようだ。
しかし、それは一般国民に限っての話......。
――――東京都 千代田区 首相官邸。
「で、現状はどうなっている?」
同・首相官邸5階通路を内閣総理大臣とその一行が歩いていた。
「現在のところ、都民に目立ったパニック行動は確認されていません」
「重要なのは被害だ、死者は出ているのか?」
「空に目を奪われての交通事故が数件発生したようですが、いずれも軽傷です」
「ならいい、この件は下に任せてもいいんじゃないか?」
"下"とは、首相官邸における5階以下のこと。
重要度が低い案件ほど、階下の部署が担当するのだ。
「まだ情報が集まっておりません、範囲も広大です。最悪のケースも想定すべきでしょう。5分後にレクを開始します」
「わかった」
――――同・首相官邸 総理執務室。
「なんだ......これは?」
部屋に設けられたTVモニターに映る光景は、異常そのものだった。
関東平野から東京湾にかけて、巨大な鏡のようなものが蓋をしているのだ。
「えぇー現在、海上保安庁により東京湾全域の一般航行船舶入域制限がなされております。また、万が一に備えて羽田空港は全便欠航。羽田行き各便は他県の空港へ回されるとのことです」
ニュースキャスターの声に、日本政府の重鎮たちが椅子にもたれた。
「やはり蜃気楼の類ではないのかね? 現状ではなにも起きてないし、そのうち消えるだろう」
口開いたのは、農林水産大臣。
彼としては幻想的な景色なので嫌いじゃないが、こんなことで時間を取られたくないのが本音だった。
だが、その言葉に異を唱える者がいた。
「いえ、今回の異常現象......本省から申し上げたいことがございます」
日本国の安全保障を担う存在――――防衛省だった。
「本異常現象は、以前より確認されていた"内閣特務指定災害207号事案"に関係があると考えます」
「なんだそれは、なにを知ってるんだ防衛省?」
食い付いたのは、経産省大臣。
彼はどうやらその事案について知らないようだった。
「私から説明を」
資料を広げたのは、女性。
役職は防衛省運営政策統括官。
「内閣特務指定災害207号事案とは、以前より気象庁と合同で本省が調べていた特異災害です」
「概要は?」
「総理や官房長官の耳には何度か届いていると思われますが、去る2018年......領空侵犯対処でスクランブルした航空自衛隊 北部方面航空隊所属のF−15J戦闘機2機が、正体不明の航空機により攻撃を受けました」
執務室内がザワつく。
自衛隊への攻撃......、もし他国の仕業なら戦争も同然だったからだ。
「ですが、この件に関し周辺各国は関与を否定しております。さらに申し上げれば、この航空機は周辺国のどの兵器とも概要が一致しなかったのです」
「以前は詳しく聞いてなかったが、どういう外見だったんだ?」
総理の言葉に、統括官は短く答えた。
「当時のパイロットの証言によると......、ドラゴンのような姿をしていたと」
「バカバカしい! 防衛省はいつからマンガの設定を真に受けるようになったんだ」
内閣特命担当大臣が、両手を広げながら否定する。
が、傍にいた防衛大臣がすかさず反撃した。
「この事案において、我が自衛隊の戦闘機が現実に攻撃を受け1機が小破しております。また、当時の戦闘記録も残っております。絵空事ではありません」
「っ......! まぁいい、続きを」
促された女性統括官は、説明を続けた。
「領空侵犯をした国籍不明機に対し、当時の隊長機が20ミリバルカン砲による警告射撃を行ってすぐ......レーザーと思しき反撃が飛んできました」
「レーザーだと!?」
「はい、自衛隊機はこれをフレアというミサイル防衛装置を用いて回避、被弾を免れた1機がAAM−4中距離空対空誘導弾により、正当防衛に則って反撃しました」
特命担当大臣が叫んだ。
「自衛隊がミサイル攻撃だと!? それで......撃墜したのか!?」
「いえ、国籍不明機は突如として姿を消し......2発放った内の1発が外れました。その後極秘裏に海自が内浦湾を捜索しましたが、ミサイルの破片しか発見されませんでした」
ここで、1人の男が手を上げた。
「私から補足を」
気象庁だった。
「当時、北海道周辺の磁場は酷く乱れていました。航空無線や自衛隊機の火器管制レーダーにも大きく障害として出るほどでした」
「それとなんの関係があるんだ」
「今回の異常現象から、関東近郊の磁場は当時の北海道とよく似ているんです」
「「ッ!!」」
総務大臣がワナワナと動揺する。
「それは......つまり。自衛隊に攻撃したそのドラゴンみたいなのが、首都圏に現れる可能性があると?」
「そうなります」
統括官の言葉に、特命担当大臣が荒々しく割り込む。
「だったら今すぐにでもあの鏡を破壊すべきだ! そうだろう防衛省!?」
その言葉に、女性統括官は淡々と返答した。
「有害鳥獣駆除での自衛隊出撃例はあるものの、東京都、及び東京湾における空自と陸自、および海自の火器使用例は前列がありません」
「207号事案のことがありながら、自衛隊はなにもしないと?」
「既に横須賀基地より『ミサイル護衛艦まや』、並びに『護衛艦いかづち』を東京湾に展開させております。また、百里基地より『F−2戦闘機』が航空偵察を行っています」
これに、防衛大臣が付け加えた。
「東京都知事の要請を受け、練馬の第1普通科連隊も避難誘導に出ております。ここは火器使用も含めて、本省に時間を頂きたい」
ここまで言われれば、引き下がるしかなかった。
「諸君、我々にできることは全てこなそう。まずは都民の避難を最優先に行う」
内閣総理大臣の言葉で、会議は締め括られた。