第236話 飼い犬を見くびらないこと
氷のような瞳に気圧され、ブレスト将軍は椅子から音を立てて崩れ落ちた。
「あ、アルミナ様......!! 違います! 今のはその......!」
が、アルミナの顔に敵意はなかった。
「慌てないでいい、私はあなたの味方。ブレスト将軍がウチでは珍しい講話派ということも理解している」
「えっ......?」
尻持ちをついていたブレスト将軍は、全く予想していなかった言葉に驚嘆する。
魔王軍の最高幹部と言えば、冷酷で残忍。鬼のような強さを持っていると聞く。
本来なら第7級将軍である自分なんかが、関わっていい存在ではない。
「アルミナ様は、私を敗北主義者として処罰しないんですか......?」
「えっ......、なにそれ。逆に引くんだけど」
「いや、なんでもありません!」
どこかドン引きしたような彼女の顔に、ブレスト将軍はようやくまともな知性を持つ者と出会えたことを確信する。
彼は、前回盗み見た天界と魔王軍の関係――――リーリス・ラインメタルの正体などを包み隠さず話した。
「なるほど、理解。そういう訳なら話は変わってくるわね」
「アルミナ様......我々は、魔王軍は一体どうすればよいのでしょう......」
「そうね、こうなるともはやわたしたちに取れる手段は数えるくらいしかない」
「っと、言いますと?」
アルミナは扉の外に誰もいないことを確認すると、ブレスト将軍の方を向いた。
「1つは連合国軍との講話......、あなたの言うとおりまだこちらに戦う余力があれば、無条件降伏まではやらずに済むかもしれない」
「はい、しかし......」
「そうね、魔王様は頼りにできないし下手をすればリーリスに感づかれる。かと言ってあの無能な将軍たちを講話派に持ってくのは難しいでしょうね」
魔王軍はもう限界だ。
かろうじてあと1決戦くらいならできるかもしれないが、そこまでが関の山だろう。
これを過ぎると無条件降伏という最悪の未来が見えるのだ。
「それではもう......」
「慌てないで、まだ助かる方法はある」
そう言うと、アルミナはキッと将軍を見つめた。
「わたしたちと一緒に王国へ亡命する......、という手があるわ」
「ぼ、亡命!?」
つい大声を出してしまい、慌てて口を塞ぐブレスト。
亡命――――すなわちそれは、魔王軍を見捨てて逃げるということだ。
「ど、どうやって......ですか?」
「わたしは開戦初期から王国軍の強さを身に沁みて思い知り、向こうと定期的に取引をしてきた。あとは連合国軍がネロスフィアに迫ったタイミングで亡命すれば、向こうが保護してくれる手筈になっている」
いつの間に......。
このアルミナという幹部は、早々に魔王軍は負けると確信した上で行動していたらしい。
それもそうだろう、将軍会議の体たらくぶりを見れば嫌でもそう思わざるをえない。
本来なら連合国軍の勇者や近代兵器に対策をしなければならないのに、将軍たちは既存の戦術に頼り切っている。
敗けるのは自明の理だったのだ。
「で、どうするブレスト将軍?」
問われたブレストは刹那の思考を巡らせたが、すぐに結論を出す。
「私も......一緒に亡命します、ですが――――」
「なに?」
意を決して口を開く。
「我々魔王軍を下請けとしか見なさない天界とやらに、一泡吹かせてから脱出したいと思います!!
ブレスト将軍の目は決意に染まっていた。
横暴な天界に対しての憤りが、穏健な将軍をブチギレさせたのだ。
「一泡吹かせる......ね、いいわ将軍」
アルミナの端正な顔に笑みがこぼれた。
「わたしたちを飼い犬としか見ていない奴らに、噛み付いてやるのもまた一興。ただでは逃げない。盛大な置き土産を用意しましょう!」