第169話 かなぐり捨てた男と全てを捨てる覚悟を持った少女
オオミナトは、風剣をクロムの胸の奥深くまで刺し込む。
これで全てが終わった。
自分は人殺しと呼ばれるだろう、けれども後悔はなかった。
「はぁっ、はぁっ......」
心臓を貫いた、もうクロムの息は完全に絶えているはず。
安堵と疲労感の中、彼女は風剣を抜こうとして――――
「えっ......」
抜けなかった。
いや、よく見ればその状態はあまりに不自然過ぎた。
刺したのだから血が出てもおかしくないはず、なのにまるで綿人形をマチ針で貫いたかのような感覚だった。
「しまっ!」
慌てて身を引こうとするが、クロムの左手がオオミナトの上着を掴む。
「いい攻撃だった......、でも......それじゃ僕には届かないよ」
空だったクロムの右手に魔法陣が浮かぶ。
それは何もない空間から1本の筒のようなものを具現化していく。
筒のようなそれはとても見慣れた、絶対に向けられてはいけない武器――――
「僕はもう......ヒトじゃないんだから」
逃げられない、死んだような瞳のクロムと目が合う。
「ずっとこの瞬間を......待っていた、『開放』!」
「空間魔法!?」
上着を掴まれていたオオミナトは、なにかが自分の腹部に押し付けられたことを感じる。
すぐさま下を見れば、それが剣の類ではないことに気づいた。
「しまっ......!!」
――――ダァンッ――――!!
乾いた音が響く。
「......ぐはっ! あっ!?」
直後、今まで受けてきたどの攻撃よりも強い衝撃と痛みが走った。
硝煙のニオイが、鉄製の筒からゆっくりと立ち昇る。
「それ......は、銃......!? なんで、あんたが......!」
「そのとおり、さすがにすぐわかったようだね。痛いだろう? 君を今撃ったのはかつてあの男が僕に撃ってきた"非殺傷弾"と呼ばれるものだ。まぁ......非殺傷とは名ばかりに――――」
激痛に苦しむオオミナトは、込み上げてくる熱いものを感じた。
「ガハッ......、ゲホッ......!」
腹部への大ダメージから、たまらず胃液混じりの唾液を吐き出す。
粘度の高いそれはクロムの持つショットガンに掛かると、糸を引いて地面に落ちた。
「ウォーリアーのパンチより威力が高いんだ、僕を侮辱した女を殺さず戦闘不能にするにはちょうど良いんだよッ!!」
スライドを前後させると、クロムはさらに弾を先程と同じ部分に撃ち込んだ。
「ン"ア"ッ゛!?」
発射された弾はオオミナトの柔らかいお腹にめり込むと、勢いを失って地面へ落ちた。
「うぐっ......、あぁ......」
オオミナトの銀色だった瞳は輝きを失い、元の黒目へと戻ってしまう。
「『風神の衣』も解除されたか......、さすがに効いたようだね」
クロムが掴んでいた手を離すと、ボロボロになった少女は膝から崩れ落ち、そのまま仰向けに倒れた。
サラサラの黒髪は無造作に地面へ投げ出され、ズボンを締めていた紐は完全に解けてしまっていた。
「戦闘不能の君も人形みたいで可愛い......、銃は素晴らしいよ、僕を振った憎らしいほど強い女をこんな簡単に無力化できるんだから」
再びスライドを引く。
クロムは今までずっと、非殺傷弾を装填した銃を空間魔法で隠していたのだ。
彼女が剣を突き刺し勝利を確信した瞬間をずっと狙って。
「ヒューモラスに従って正解だったよ、僕はずっと......! ずっと君を愛していた。そしてやっと復讐することができるんだ」
完全に打ちのめされ、仰向けに倒れるオオミナトへ近づくとクロムは不気味に顔を歪ませた。
「美しいよオオミナトさん、しなやかで細い足のなんと素敵なことか」
手を伸ばし、ふともも部分で丈が切れたクオーターパンツの中へ指を忍ばせた。
ズボンの内側で無抵抗のまま足をまさぐられ、彼女は思わず声を上げる。
「んぐぁ......っ! くぅっ......」
「アッハッハ! 可愛い声で鳴くじゃないか。もっとだ――――もっと屈辱的な気分を! 僕が味わった敗北の味を思い知らせてやる!」
クロムはただ喘ぎ続けるだけの彼女に興奮を隠しきれなかった。
最高スペックと言っていい自分を振ったこの女を、忌々しいほどに可愛いらしい彼女を好き勝手に痛めつける喜びを味わっていたのだ。
「はぁっはぁっ......、バッカみたい。わたしなんかを倒すために人間やめて、女を銃で撃つなんて......」
「それも僕の選んだ選択だ、僕の中の理は君を負かすことをなによりとしているんだ」
「変態野郎......!」
「いくらでも言うといい、さーて、そろそろ時間か......続きはまた後でだな」
乱暴に足でオオミナトをうつ伏せに転がす。
「僕は僅かな可能性も潰す完璧主義でね、君が根性で反撃してきたらたまらないんだ」
体操着の背中部分を掴むと、強引に身体を持ち上げる。
彼女の上半身が地面から離れた。
「トドメを刺させてもらうよ......!」
持ち上げたオオミナトを、渾身の力で道路へ叩きつけた。
「アガッ......!?」
めりこんだ胸と腹がアスファルトを砕き、彼女を吐血させた。
休ませることなくもう一度持ち上げ、叩きつける。
「くぅっ......、ウ"ア"ッ"!?」
何度も何度も繰り返した。
道路が揺れ、やがて響いていたオオミナトの声が静まる。
陥没した地面にほぼ気絶した少女が横たわり、クロムはようやく手を服から離した。
「こんなもんか」
何度か足で踏みつけ、オオミナトの気絶を確かめる。
「残るは蒼玉の魔導士と勇者だけだな」
足音が離れる。だが、肝心の風魔導士の意識はまだあった。
「ッ......!!」
オオミナトは激痛で今にも意識が飛びそうなのを耐えながら、上着のポケットに手を突っ込む。
1つのケースが取り出された。
「ハァッ、......ハァッ!」
朦朧とした意識で壊れかけのケースを開ける。
中に入っていたのは3本の注射器。
突入前、ラインメタル少佐から預かった大隊の最終兵器――――『魔力ブースター』だった。
少佐の言葉が脳裏をよぎる。
『まだこれは試作品でね......1本使っただけでも尋常じゃない副作用が襲うらしい』
1本使うだけで強烈な副作用と引き換えに、魔力を爆発的に底上げする禁忌のアイテム。
「このまま......! このまま終わらせるかぁッ!!」
それを、オオミナトはなんのためらいも無く――――3本同時に腕へ突き刺した。
吹き上がった"風"に、背を向けていたクロムはすぐさま振り返る。
「なっ......! バカな!?」
傷口の塞がったクロムは、背後から立ち昇った竜巻に目を見開く。
ありえない魔力量――――魔王にすら匹敵するのではないかという力の渦の中心に彼女はいた。
「あなたの執念深さ、勝利への想いはわかった――――」
恐怖。
この2文字が不死身たるクロムを支配する。
「だけどそれはわたしも同じ、あなたが手段を講じるならこっちも限界を超えるだけ。あなたの理はわたしが叩き潰す」
竜巻から現れたのは、瞳だけでなくしなやかな髪すら銀色に輝かせた少女。
「もう二度と負けられないのよ、わたしの意地にかけて――――お前を倒す!」
圧倒的な魔力と風を纏った形態。
『風神龍の衣』を発動したオオミナトは、覇気のある顔でクロムを見据えた。
――――反撃の時間だ。