第158話 ミハイル連邦工作機関
アルト・ストラトス王国から遙か北西......、ユークシベリアの大地と母なる山脈を抜けた先にその文明はあった。
レーニンと呼ばれる男が革命を起こし、帝国から脱皮したこの国は純然たる人工国家であり、この世界初の共産主義国家である。
――――ミハイル連邦 首都モスカ。
アルト・ストラトス王国と魔王軍が開戦してから、連邦は常に日和見を決め込んでいた。
洗練されたスパイ網を使い、その諜報能力でもって情勢を最速で把握していたのである。
今日も大気の冷たいモスカの地下――――ミハイル連邦の工作機関はその活動を活発化させていた。
「っ! これはこれは同志バイカル大佐殿、今はご休憩中でありますか?」
一仕事終えた本部付きの少佐は、休憩室にいた自身の上司へ敬礼を行う。
「やあ同志少佐、仕事の方は順調かね?」
「はい! 概ね順調であります。ただ......1つ問題が......」
言いよどんだ部下へ、答礼していた手を下げながら促す。
「そんなためらったって既に私も把握しているぞ同志少佐、同志マルコフの件だろう?」
「はっ、はい! 彼が王国に捕まったことで、こちらの情報が漏れた可能性がありまして......」
マルコフとは、王国にアルナ教会王都支部長マルドーとして潜入していた連邦スパイの本名である。
彼は対王国用の貴重なチャンネルだっただけに、損失したのは痛手という他にない。
もっとも、そのマルコフが既にラインメタル少佐によってこの世から退場したことは彼らにとって知る由もない。
さらに言うと、連邦軍少佐はこれによる懸念も持っていた。
「王都地下に魔王軍と合同で造った『ホムンクルス製造工場』、その存在がバレたかもしれません......」
「あぁ......、あのよくわからん空間の意味不明な肉塊か。あんな物で王国をひっくり返せるとは思えんがね」
コーヒーカップを置くバイカル大佐。
「いずれにせよだ同志少佐、我々は決断しなくてはならないだろう」
バイカル大佐は少佐が来るまで見ていた地図をしまう。
それには連邦内でうごめく大量の軍勢――――数にして"200個師団"を優に超える部隊の近況が記されていた。
「ホムンクルス製造工場には連邦職員も何名かいる、彼らが王国に見つかれば好ましくないことになるな......」
「はい、同志大佐。現に王国側は数日前にルノアール学院長を拘束しています。突入作戦も近々行われると考えていいでしょう」
「相変わらず王国は動きが早くてかなわんな、現在動かせるコマンド部隊は?」
バイカル大佐は立ち上がる。
「今アルト・ストラトス王国内で唯一動かせる部隊は、第17施設大隊の――――"ウダロイ小隊"のみです」
「ウダロイ小隊か......、いい感じの精鋭じゃないか」
ウダロイ小隊とは、王国内に潜入させている連邦軍の少数精鋭部隊である。
万が一の際、敵国内部から行動を起こす工作機関の切り札だ。
「彼らに王国軍突入前に工場から連邦職員を逃がすよう命令する、証拠も決して残さないようにだ」
「それでは......、魔王軍を見捨てることになりませんか?」
連邦少佐の問いに、バイカル大佐は失笑した。
「我々は初めから魔王軍の仲間になるなんて一言も言ってないぞ同志少佐、勝手に信じた向こう側が悪いんだ。この世界――――騙された方が悪なのだよ」
連邦が王国にコミーと蔑みで呼ばれる由縁である。
ミハイル連邦にとって約束や条約など、1秒で破り捨てられる紙切れ同然なのだ。
魔王軍に誤算があるのだとしたら、連邦の性質を全く理解していなかったことであろう。
バイカル大佐の持つ地図に描かれていた200個師団は、着々と魔王軍との国境線に集まっていた。
「いずれ日和見もおしまいだろう、来たるべき王国からの要求なんて見え透いたもんだ」
カップに残っていたコーヒーをバイカル大佐は飲み干す。
「ウォストピアへの武器供与もあまりうまくいってないみたいだしね、第2次魔王戦争に乗じて王国を弱体化させられればと思ったが......そう世の中甘くないらしい」
「では同志大佐......」
「うむ」
椅子に掛けていたコートを引っ剥がしたバイカル大佐は、休憩室の出入口に歩を進めた。
「――――第17施設大隊 ウダロイ小隊に王国領からの連邦職員脱出、および工場内の連邦関与品の消去を命じろ。武装制限は設けない、外敵は全て排除させろ」
「はっ!」
彼らの見立てでは工場への突入作戦は最低2〜3日後であろうというものだった。
だが、共産主義者たちは履き違えていた......。
王国軍は国営ブラックである。
次の仕事への取り組み速度は異常のそれ、工場への突入作戦が開始されたのは、ウダロイ小隊が魔法学院に入った当日のことであった。