第140話 ウォストピア本土決戦開始
――――ウォストピア領内 穀倉地帯ウォストロード防衛線。
魔王軍第2軍団であるウォストピア軍は、国の食料自給率のおよそ半分を担うウォストロード周辺に防衛線を築いていた。
「遂に本土決戦か......、まさかウォストブレイドを破られるとはな......」
防衛大隊指揮官のクレンドルは、畑を切り裂いて伸びる線を見つめた。
その線の名は"塹壕"、王国軍と戦う上で最も有効とされる防御陣地であった。
「クレンドル隊長! 魔導砲全門の発射用意完了、突撃隊の指揮も十分です」
「よし、敵が射程に入り次第各個に撃たせろ。突撃隊は許可あるまで待機」
「......了解」
少し間を空いてからの返事が気になり、クレンドルは去ろうとした部下を引き止める。
「どうした? なにか思い詰めていることでもあるのか?」
「いえ......、小官の立場でこの発言は......」
「今なら全部聞かなかったことにしてやる、俺も上層部の連中は気に食わんからな――――忌憚なく言え」
「で、では......」
亜人の部下はゆっくりと口を開いた。
「我らが祖国は......、間違った選択をしたのではないでしょうか?」
「間違った?」
「はい、我々は王国の民間人を殺し、スイスラスト共和国のプリーストも痛めつけました。全ては我々ウォストピアが絶対であるという傲慢、魔王軍の命令からきた行動です」
部下は続けた。
「ですが、いざ戦争を始めてみたら本土決戦です。これでは前に人間に負けた時よりも悲惨になる気しかしません」
「なるほど、確かに貴官のその意見は言いにくいものだろう。だが安心したまえ」
クレンドルはあちこちに据えられた魔導砲を一瞥した。
「上の連中も気を利かせてくれたようでな、この防衛線には81門の魔導砲が設置してある。王国軍の部隊規模がどのくらいかは知らんが、これだけあれば十分戦えるだろう」
さらにと言わんばかりに、クレンドルは塹壕を指さした。
「東部軍の使える魔導士部隊もいる、彼らが塹壕から魔法を放てば戦闘は一方的だろう。魔導砲と魔法攻撃で削り切った敵を、最後に突撃隊が制圧する――――盤石だ」
「そう......ですね! すいません隊長、自分は少々自信をなくしていたようです......」
「戦闘の前なら誰だってそうなる、本土決戦なら決して王国軍の連中に負けはしな――――――」
言いかけたクレンドルの言葉は、しかし巨大な着弾音によってかき消された。
「なんだ!!?」
音の方を振り返ると、小麦畑の塹壕陣地から黄色の煙が上がっていた。
「てっ、敵の砲撃です!! 発砲位置不明!」
「バカなッ、こちらの塹壕位置をどうやって......」
ありえないと見上げた空に、答えはあった。
「総員!! 上空に攻撃を開始しろー!!」
防衛線の真上に、数騎の王国軍ワイバーンが飛んでいたのだ。
正確な砲撃も、ヤツらが上から弾着観測を行っているからなのだとクレンドルは気づく。
「ダメです! 高度があり過ぎて魔法が届きません!」
魔導士のファイアボールや電撃魔法は、虚しく空を穿つばかり。
敵のワイバーンは悠々と飛行していた。
「よもやここまで制空権を握られているとは......! 味方のワイバーンはどこへ行ったんだ!!」
そうこうしているうちに、塹壕内へ次々と砲弾が着弾する。
「クソっ、あの黄色い煙はなんだ!? 弾着観測用に色を付けているのか?」
もしそうなら、そろそろ敵の効力射が来るかもしれない。
だがその為の塹壕である、砲撃対策はバッチリのはずだった。
......そう、少なくとも榴弾に対してはバッチリだったのだ。
身構えていたクレンドルの耳に、塹壕陣地からの断末魔が刺さった。
「ひっ、皮膚が......! 皮膚が痛いッ!!」
「息......、息が、呼吸ができない!? 助けてくれー!!」
「なんだこの黄色い煙幕は! 目が見えない! みんなどこだ!」
「衛生魔導士! 衛生魔導士を――――――!!!」
塹壕内は阿鼻叫喚だった。
まさかという問いを解決する間もなく、次は魔導砲陣地が被弾した。
「これはただの煙幕じゃない! 毒ガス攻撃だ――――!!」
「敵は毒ガスを砲弾に詰めて撃ってきやがる!!」
雨のように砲弾は降り注ぎ、爆発を想定していたウォストロード防衛隊は毒ガスに包まれていった。
濡れた布をマスクにしようとする者もいたが、まったくもって意味をなさない。
ウォストピア本土へ侵攻したアルト・ストラトス王国軍は、黄十字ガスによる攻撃を開始した。
糜爛性のそれは皮膚など全身から被爆する恐ろしい化学兵器であり、通常のマスクや防護服など無意味なのだ。




