生産開始の初日 <C298>
世の中はGWが始まりました。「きただ」はストックを増やすべく鋭意努力の日々をおくります。
さて、お話の中では、いよいよ新人たちが主体での生産開始です。どんなトラブルが起きるのか早速見てください。
■安永7年(1778年)3月17日 金程村・工房
「助太郎!原料になるザク炭を黒川村で確保できたぞ。
とりあえず120俵(=1800kg)を若干高いが金9両(=90万円)で買い付けていて、今日から毎日40俵運んできてくれる。
銭がないので、それ以上は購入できなかったが、まだ360俵(=5.4t)はあって銭を渡せば同じように運んできてくれるそうだ。
自分たちで運ぶなら、人足相当分だけもう少し安くすることが出来るということだ。
ともかく480俵あれば、1カ月分にはなる」
「それは助かります。
初日から、1日15俵を粉炭にする予定だったので、今日細山村から持ってくる10俵を入れて114俵しかないので、8日保つかどうかと思っていました。
ただ、後の360俵には銭が必要だとすると、27両を入手する算段が必要ですね」
助太郎は痛い所を突いてきた。
今のままだと資金がショート状態になるのだ。
「実はそれが難しい。
炭屋へ小炭団を卸しても、掛売り扱いになるため現金収入は途絶える。
現状、まだ委託している分があるので、これの売上の8割はまだ受け取ることができる。
だからと言って、加登屋さんへ今以上売る訳にはいかない。
そこで、料理用の七輪と強火力練炭なのだ。
外枠付き七輪と強火力練炭16個で金1両の値段設定をして、加登屋さんから紹介された先へ売って回ることを考える」
「しかし、それだとせいぜい1日2軒程度しか回れませんよ。
どんと売れる方法は無いのでしょうか。
もっとも、七輪とその外側を27個、強火力練炭は432個も作らないと、売りにすら行けないのですよ」
「それは判ってはいるのだ。
だから、考えているのだ」
昨日の夕方とは逆の局面になってしまった。
「申し訳ない。
つい、声を大きくしてしまった。
まずは目先の問題を一つずつ片付けていこう」
寺子屋に通っていない面々が集まってきた。
金程村1名(男)、細山村3名(男)、万福寺村2名(女)、下菅村2名(男)の8人だ。
男手は、木炭を擦って粉炭にするのと、粉炭を布海苔を混ぜて捏ねる仕事を始める。
女手は、流れ作業ではない小炭団の作成を指導する。
米・梅は手が空いてしまうので、薄厚練炭の製造も並行して行っている。
左平治は一緒に粉炭を作る作業をしている。
種蔵は、乾燥室の製品を確認しながら合格品を製品収納庫へ移す作業を一人で黙々としている。
皆、新人に目が届いているようだ。
助太郎は、卓上焜炉を黙々と作り始めている。
義兵衛は、七輪の外側鉢(=外殻)の試作品を作り始めた。
高さ1尺(=30cm)、外周直径6尺(=18cm)で、上下それぞれ1寸の部分は空気穴が大きく空いている。
中には、七輪を支える突起が底と側面から出ている。
この中に七輪を入れるのだが、寸法精度は七輪ほど厳しくない。
厳しいのは、七輪を乗せるため底面から出ている突起で、乗せた七輪が水平になる所に精度が要求される。
『専用冶具が必要だな』と思った。
外側に金程謹製の印と、秋葉大権現様の印を押す。
『これは、卓上焜炉と一緒に大丸村へ報告しに行く必要があるな』と考えた。
午前中一杯で3個仕上げることができた。
一方、助太郎が作っていた卓上焜炉は15個出来上がっていた。
午前中は特に問題もなく、小炭団も384個出来ていた。
午後になると、寺子屋組3人+15人が大挙してやってきた。
全員で大休憩を取り、その間に流れ作業の担当割り振りを説明する。
「最初の何回かは、細かく説明するが、そこから後はまずはやって見るというやり方をする。
工房としても初めての試みなので、不都合が出るかもしれない。
その場合は、それぞれの作業を一旦止めることもあることを承知しておいてもらいたい」
そして、流れ作業による小炭団の生産が始まった。
欠点は直ぐにわかった。
問題が起きたのが、10匁の量を竹筒へ入れる作業が追いつかず、後の工程が止まってしまっていたのだ。
捏ねた炭を手に取り、重さを確認して竹筒へ入れるだけなのだが、ここに時間が取られていた。
福太郎がやって見せると、ヒョイヒョイと終わるのだが、新人は重さを確認するところで増やしたり減らしたりを繰り返している。
「こうやって、指先を入れて、手の平近くまで入ったら掬い上げて手の平の中に転がす。
で、軽くふんわりと握って、これより軽いと駄目という皿に載せる。
下に下がらない時は取った量が少ないので、指先分取ってきて横に乗せる。
下に下がったら、今度はこれより重いと駄目という皿に乗せる。
この皿が下に下がったら、重すぎるので、取り分けた炭から爪の先分取る。
皿が下に下がらなくなったら、軽いと駄目の皿で再度測って、下がったら終了。
それを通ったら、軽く握って竹筒に入れる」
福太郎が普通にすると、足したり削ったりすることはないが、わざと軽すぎるものと重過ぎるものを取って操作を見せた。
重さを識別する簡易天秤は結構あるので、竹筒へ10匁の炭を入れる作業の人を6人増やし、型を使って成型する作業の4工程を1人で済ませる形に直した。
「炭を取り分ける作業は、慣れると福太郎のように一発で通るようになる。
それまでは、苦労するかもしれないが、頑張って欲しい。
では、作り始め!」
助太郎が号令すると、生産が再開した。
「米さん、滞留に注意して。
炭入り竹筒の滞留が目立つようになったら、春さんが成型工程を助けてくれ。
ある程度定量的になったら、今増やしたところから人を回して春さんは抜けるよう指示してくれ」
だいたい1刻ほど経過した時点で、一旦生産を停止する。
「梅さん、検査結果をまとめて報告して欲しい」
「はい、今の所768個作っていますが、重すぎるものが16個、軽すぎるものが43個あり、709個できています」
合格率92%なら、始めてにしては上出来なのかも知れない。
ただ、これだと日産3000個という水準でしかない。
しばしの休憩後、生産を再開する。
それから1刻後、特段の問題もなく生産を終わらせた。
この時の生産結果は1280個で、合格は1076個と84%と低調になっている。
ほとんどが軽すぎるものだった。
仕組みとしてどこかに問題があるのかも知れない。
この探求は梅に任せ、この日の工房での活動は終了した。
ちなみに、粉炭は予定通り15俵作られており、結果として粉炭は山のように積みあがったままとなった。
皆が帰った後、米と梅は工房でなにやら話し合っている。
義兵衛は助太郎に七輪の外殻を見せ説明をする。
助太郎は義兵衛に卓上焜炉を見せる。
外殻も焜炉も精度が必要な訳ではないので、誰でも作れるような感じだ。
また、今の様子では15俵分の粉炭が消費できる訳ではなさそうなので、粉炭作りの作業者から焜炉作りに異動させても良いかも知れない。
そこで、米と梅を呼び配置転換の相談をした。
米と梅も相談したいことがあるようで、4人で頭を付き合わせて話し合いを始める。
「どうも炭を少なめに入れる傾向があります。
炭を測る操作で、置いた勢いがある分大丈夫と見間違えることがあるのではないかと思います。
炭を10匁選り分けた後、筒に入れる段階でもう一回測るのが良いかと考えました」
今日一日で2169個の小炭団が生産できたのを上出来とするか、不満と思うのかは評価が分かれるところだ。
消費した木炭は約24貫(=90kg)で、6俵に過ぎない。
米と梅の提案を採用すると効率は一時的に下がるが、結果として不良率の低減になると信じる。
「いずれにせよ、配置を動かすしかないですね」
話し合いで新しい配置を決め、明日に望むことになった。
比較的簡単な事故に至らないトラブルですが、米と梅が一生懸命考えます。
「トラブルの内容と作業を良く見て、仮説をたて検証をする」が製品の歩留まり改善・品質改善の基本ですが、この仮説を立てるのが結構難しいのです。原因究明もできていないのに、闇雲に工程を変更するのはご法度ですよね。
次回は、それでも本格生産が始まったというお話です。
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