江戸顛末のご報告 <C295>
工房の大転換の開始にあたり、高い旗印・目標が宣言されます。
■安永7年(1778年)3月15日午前 途中から細山村・お館の東屋
「昨日、村の大人を集めて事情の説明をした。
今までに得た金のうち、小判が13枚もあるので、これを三方に載せて村の皆に見せた。
そして、練炭で得た金の一部がこの小判になっていて、毎年米で15石納めているのが、もうほとんど足りている状態になっているが、これから先も確実にこれを続けるために、皆の力が必要なのだ、と話をした。
また、白井さんにも協力をお願いしたので、結果は今日にも聞けるだろう。
明日の午後、協力してもらえる全員が工房に集まるよう言っている」
人手に関して、百太郎はちゃんと手を打ってくれたようだ。
「原料となる木炭について、炭屋に話をしましたが、どれだけの生産をすればいいかの話が決まっていないため、言いっぱなしになっています。
ところで、今日の甲三郎様への報告では、白井さんも同席されたほうが良いように思いますがどうでしょうか。
もう、金程村だけで進めることができないのが明らかなので、人口も資源も多い細山村の協力を得て進めていることは、この機会を利用して説明しておいたほうが良いように思います」
「直前だが、相談してみよう。
あと、西隣の古澤村にはザク炭がまだ60俵ほどあるそうだ。
明日には工房へ運んでもらうよう手配は済ませた。
まあ、銭は若干の上乗せをして小判4枚で支払った。
先方は、金程村に小判があることを驚いていたがな」
義兵衛は、卓上焜炉と小炭団、鉄皿と食材一式を持ち、竹筒に清水が入っていることを確認した。
半里の山道を歩き、白井家に着く。
挨拶もそこそこに、今日の報告で白井さんも同席して欲しい旨話すと、諸手を挙げて歓迎の意を示した。
「いよいよ、一緒に取り組むということですな。
この動きは歓迎しますよ。
特に、樵家の3軒は積極的に協力するよう伝えてありますぞ。
大きな声では言えませんが、年貢のことも同列によろしくお願いしますぞ」
年貢の実質的な軽減を図りたい意図がありありなのだ。
いったい、いつ向原構想を打ち出そうか、少し悩んでしまう事態になっている。
飢饉になったら、細山村がどう、金程村がどう、といったことは実は全く些細なことなのだが。
金を産み出す源泉となる向原の工房というくくりが、分割損を減らすために必要と俺は考えているのだ。
こうしてウダウダと悩んでいる間、百太郎・与忽右衛門はなごやかに話をしている。
時間が来て、裏庭からいつものお館の東屋へ向う。
甲三郎様が現れ、挨拶をする。
「今回、お殿様よりお許しを頂いた義兵衛が無事江戸より戻ってまいりました。
その首尾について、本人から直接報告させます」
義兵衛は、江戸で萬屋主人の千次郎やその母であるお婆様、大番頭と行った交渉を説明した。
・秋口に七輪と練炭を本格的に江戸市中で売り出す。
・その時点で七輪と練炭を供給できるのは、金程村しかない。
・金程村は、萬屋の要求に応じて独占的に卸しをするが、その対価は小売の七割か予め決められた価格の高い方とする。
・江戸市中以外であれば、村は独自に販売してよい。
・夏場に向け、卓上焜炉と小炭団の販売を行う。
この中で強調したのは、卓上焜炉と小炭団だ。
「江戸市中では、宴席で毎日6000もの膳が料亭で出されており、卓上焜炉はこの全ての膳に用いられても不思議はない、と大番頭は言うのです。
宴席の膳で、暖かい肴を出すと評判になりどこの料亭も横並びで採用するに違いない、と考えられるそうです。
これに使う小炭団を最初に用意できるのは、金程村しかありませんが、必要となる元の木炭は毎日15俵です。
実際この水準になるのには多少時間がかかるかも知れませんが、少なくとも他の村が同じようなものを安価に作り出すまでは、金程村がこの販売の恩恵を受けることになり、この機会を失わないようにするためには日産6000個が必要になるのです。
それで、細山村の白井様に相談し、全面的な協力を頂くことになりました」
ここで、白井さんがこれまでしてきた協力の経緯と今後を説明する。
「ところで、宴席の膳で出す暖かい肴とはどのようなものかな」
甲三郎様が予想していた通りの問いかけをしてきた。
「そうおっしゃると思い、湯豆腐という食材を用意してまいりました」
義兵衛は手早く卓上焜炉と小炭団、鉄皿を組むと、皿の中に食材を入れ清水で満たした。
「この豆腐は昨日夕方、登戸村で用意してきたものです。
今、膳はありませんが、膳の上に焜炉を置いて小炭団には火を点けずに宴席へ出します。
宴席にお客様が着席した時に、焜炉の中の小炭団にこうやって火をつけて回ります」
ここで、実際に火を点ける。
小炭団の表面全体に赤い光がまとわりつくのを見て、甲三郎様は『ほう』という表情を見せる。
義兵衛は慣れたものではあるが、いつものように簡単に火が点いたことに安堵していた。
遠目に見ていた百太郎も焜炉の隙間から見える赤い光に見とれていた。
白井さんは、鉄皿と中の具材のことを考えているようで、クライマックスを見逃してしまったようだ。
しばらくすると、鉄皿の中から湯気が立ち上り、小炭団が燃え尽きる少し前になった。
「これで一番いい状態になっています。
取り皿とお箸をお願いします」
いつものように、どこからともなく椿井家の爺が、小皿4枚、箸4膳を盆に載せて現れた。
そして、爺様が鉄皿の中の豆腐を切り分け皿に載せて皆に配る。
小皿の上の湯気の立つ豆腐を毒見とばかりに百太郎が口に放り込む。
「熱ッ!熱ッ!」と小声で言いながらも、口を上に向けハフハフさせ、やがて飲み込む。
顔には笑みが浮かび、表情は一段と不気味さが増した感じだが、でも熱々の豆腐が美味かったということだけは伝わってくる。
甲三郎様も、箸で豆腐を切り、端から口へ放り込む。
「ハフハフ、こりゃ美味い。
豆腐そのものということでは、冷奴か味噌汁の具という印象しかないが、この湯で温めた豆腐というのも中々のものじゃ。
宴席で、熱々のものが一品あれば、それは確かに面白い。
どこぞの料亭がこのようなものを出したら、間違いなく真似をするだろうし、出せない料亭は評判を落すのは必見じゃ。
どうやって江戸を攻めると言うておった」
甲三郎様が下問する。
「萬屋がいつも懇意にしている2軒の料亭に実演して売り込みをかけます。
あとは放っておいても、その他の料亭から頭を下げてくると踏んでいるそうです。
卓上焜炉は金程村製は田舎臭いということで、華やかな膳に合う焜炉を江戸で作ると聞いています。
ただ、間に合わなければ金程製も売ると言っていました。
実際、実演した後に宴席を設けて頂いたのですが、同席した方は膳の上の仕出し料理を見て、卓上焜炉で暖かい料理が一品あれば、と嘆息していました。
その席では、準備不足のままで売り出せば、間違いなく焜炉も小炭団も奪い合いになる、という話も出ました。
なので、大量生産のための段取りをしています」
話の途中から、甲三郎様は大笑いしている。
「まあ、江戸から無事に帰れて何よりじゃった。
小炭団が奪い合いにならないようにするには、いろいろな手はずも必要じゃろう。
先日見せてもらったが、あれではとても手が足りまい。
寺子屋で学ぶ子供等で工房へ行けるもの、手が空いているものを手伝わせるのも良い。
椿井家の知行地である万福寺村や菅村の一部のものも動員して良い。
練炭や炭団、七輪や焜炉といった今回の取り組みで異を唱えるものがおったら、甲三郎の名を出してよい。
江戸の宴席で、兄もこの炭団を見れば大層嬉しく思うに違いない。
席の上で話の種にするには、格好じゃ。
なので、江戸市中を金程印の小炭団で埋め尽くして見せよ」
以上で報告を無事終えることができた。
東屋を出て、白井家の座敷で内輪の話が始まる。
「白井さんの所から、色々と人を出して頂いて本当に助かっています」
百太郎がそう言い始めるのを押えて白井さんが言う。
「甲三郎様の江戸市中を金程印の小炭団で埋め尽くせ、とは凄い意気込みの言葉をもらいましたな。
この期待に一体どうやって応えるのかですな」
「差し出がましいようですが、金程村・細山村というこだわりはもう捨てて、金程村の工房と細山村の樵家をひとまとめの工房地区にしてしまいませんか。
ただ、今まで米を作らず、出来た仕事を査定して米を渡しているという状況から、無尽蔵に金を産み出す地区になってしまい、その結果自分達が金程や細山の人を養っているのだ、という風になってしまうことを懸念します。
金程村は皆が工房の彦左衛門・助太郎を村の大事な一員として扱っており、人手が少ないという事情もありますが、炭焼きは村総出で行う行事という形で一体化しています。
細山村の樵家の扱いを、もっと村と一体化できませんかね」
「義兵衛さん、難しいことをおっしゃりますな。
そりゃ確かに、いろいろと懸念事項はありますよ。
まあ、発展していく分には不満が出ないでしょう。
問題は、発展が終わり停滞するときの時期と対応でしょうな。
そこさえ対応できれば、どうにでもできると思いますよ」
不発に終わり、白井さんの思いもまた少し違う、という何かやりきれない気持ちを抱いたまま、義兵衛は白井家を辞した。
甲三郎様の了解を得ました。これで大手を振って人集めができるようになりました。
しかし、それだけでは目標達成は難しいので知恵を出します、というのが次回です。
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