江戸での交渉状況を報告 <C292>
■安永7年(1778年)3月13日午前 金程村・自宅
江戸から金程村に帰り着いたのは結局夜になってしまった。
義兵衛は、江戸で使った費用が1400文でしかなく、最初の10000文は8600文残っていること、登戸から江戸へ行く前に売上から確保した8000文は手つかずで丸ごと残っていること、帰りに登戸へ寄った際に売上の金程村分37216文を受け取ったこと、を説明し、53816文(=約134.5万円)を手渡した。
それから、江戸での交渉の状況を説明した。
・江戸市中に店を持つ他の木炭株仲間へ、金程村の七輪と練炭は卸さない。
・ただし、金程村が卸したい数量を相当数引き取らない場合は、前項は無効となる。
・卸し価格は別途固定価格を定めるが、市価の7割が固定化価格を上回る場合、上回った値段を村へ還元する。
・卸す数量は、事前に都度交渉する。
・金程村以外で作成された七輪と練炭を取り扱うこともある。
・金程村が卸そうとする先について、登戸村支店番頭が株仲間か否かを調べ、江戸市中の株仲間である場合は取引しないよう助言する。
また、それ以外にお武家様への商売の仕方や、夏場は調理用練炭を売ることや小炭団の使い方の説明をしたことも話した。
炭屋本店が大変乗り気になっていることも合わせて伝えた。
父・百太郎からは、11日に助太郎が戻ってきて、炭屋の売上金の残額、新しい鍬5本とその残金を受け取ったことの説明があったが、夜も遅いことでもあり就寝することとなった。
翌朝、名主・百太郎の面前で今後の対応を協議するべき、という話になり、孝太郎が工房の助太郎を呼びに行った。
事前に義兵衛と助太郎の間で口裏合わせすることを避けようとしたに違いない。
やがて怪訝な顔をした助太郎がやってきて、百太郎と義兵衛が待つ書斎へ通された。
そこに義兵衛がいることに助太郎は驚いた。
「もう戻っていたのですか。
最低でも4~5日はかかると思っていたのですが、なにかあったのですか」
「今日は、義兵衛が江戸でしてきた話で、工房の生産がからむところもあるため、来てもらった。
夏場に向けた生産で、現状との差が大きいと思ったので、課題をここで一緒に確認しておいたほうがいいだろう」
義兵衛は、江戸本店での交渉内容を再度説明した。
「要は、炭屋が要求する数量を金程村が納期通りきちんと納めることができるか、という点にかかっている。
当初予定していた秋口の一斉販売に向けての件は、登戸村の蔵を借りることができているし、万一の場合は大丸村の蔵に積み上げた七輪と練炭を回すという手もある。
もっとも、蔵に積みあがっていればの前提なのだが。
最初の第一弾くらいはどうにかなると思っているが、どれだけ広範囲に江戸市中で受けるか判らないので、予想がつかない。
問題は料理用の小炭団なのだ」
義兵衛は、本店で見せた実演の後に語られた話をした。
「江戸市中でお武家様方で毎日のように行われている宴席について、概ね6000人ぐらいは出ていると推測している。
小炭団を使って膳の上で食べ物を温める工夫をした料理がどこかの宴席で出たら、どの料亭も一斉に右へ倣へするに違いないと言うのだ。
宴席に慣れている大番頭さんが思うのだから、この宴会の膳数にまず間違いないと思う。
すると、小炭団の消費量は一日6000個ということなのだ。
1個9匁だから、炭1俵から400個作れるが、6000個となると毎日15俵を使って小炭団を作らないと間に合わない。
本当にそんなに売れるのかというのは確かではないが、少なくとも炭屋は最初に数万の単位で小炭団を納めろと言ってくるに違いない。
まず、小炭団をそれだけ生産ができるのかが一番目の問題なのだ。
そこから、話が始まると考えてよい」
いきなり数量の問題が出て、助太郎は目を白黒させている。
「まず、材料の木炭の確保ができるかが重要な所です。
細山村にある木炭は織り込んでいますが、絶対数が不足しています。
今すぐ黒川村の木炭を押さえましょう。
それから、周辺の村の木炭も確保する必要があります。
それも急いで手配しないといけません」
正気に戻った助太郎が、まず原材料の心配をする。
「しかし、材料があるとして毎日6000個も作れるのか。
毎日15俵の木炭を粉炭にするだけでも何人必要なのか検討がつくか。
今、細山組2人で2俵を粉にしているが、慣れてきているので、4俵くらいならいけるだろう。
それぐらいさせても、15俵なら8人がかりでないと粉にならないぞ」
義兵衛が一番きつそうな作業で問題が出そうだと指摘する。
「実は、粉炭を作るより、練る作業の方が重労働なのだ。
最近、ヘラを使えばよいという発案が梅からあり、やらせてみてなるほどと思ったが、女手で練るのは結構大変だったみたいだ。
竹炭を交ぜた時は、手に刺さるようなこともあり、それでも米は黙って耐えていたそうだ。
その点、梅はすぐ楽になろうとするが『道具を使って楽になるならそのほうがずっといい』と褒めたら有頂天になっていた。
しかし、1回捏ねることが出来る粉炭の量は、女子の力ではせいぜい2貫(=7.5kg)で、彼女達に1日に30回も捏ねるような真似はさせられない」
助太郎が練炭を捏ねる米と梅を気遣う。
百太郎が口を挟む。
「助太郎と義兵衛で漫才をするな。
人手が足りんとあてこすっているのだろう。
助太郎が16歳なので、それより下の歳で寺子屋以上の各家から1名ということを暗黙の条件で集めたのだが、この際、家に確たる用がなく居る子供等で子守など格段の務めがない者は工房に入るよう呼びかけをしよう。
あと、白井さんに諮って、細山村から寺子屋組で手伝いできる人材を募集しよう。
原料の炭は、登戸村炭屋番頭の中田さんに頼めばよい。
もともとこの近辺の木炭を買い集めるのが主務なのだろう。
この際、なり振り構っていられないのだろう。
登戸に行ったときに依頼すると良い」
その通りだ。
「まず、卓上焜炉の見本を渡そう。
どの程度できているのかな」
義兵衛が聞くと、助太郎は待ってましたとばかりに話しだす。
「ちゃんと出来上がっていますよ。
しかも12個も。
実は、秋葉大権現の焼印も入れてしまっています。
こちらは、七輪と違って寸法の許容範囲が広いので、失敗がありません」
「それは好都合だ。上出来だ。流石、助太郎だ。
焜炉と無印七輪とありったけの練炭を登戸へ持っていこう。
父上、明日にでも登戸へ持って行きたいと考えていますが、どうでしょうか。
実は、それ以外に鍬のことや鍋なんかで鍛冶屋さんと相談したいことがあるのです」
「それより、お殿様・甲三郎様への報告はどうする。
今回の江戸での中身は何もないではないか。
『赤唐辛子の種を持って帰りました』では治まらないぞ」
今回の江戸行きは、お殿様の一声でお許しが出たことをすっかり忘れていました。
「では、卓上焜炉を披露することで、報告に代えてはいかがでしょうか。
江戸の料亭ではやる可能性が高い村の特産品ということで紹介すると喜ばれると思います」
「それもそうだが、飢饉が迫っている話を切り出す方法をそろそろ考えておいた方がよいぞ。
あまりにも性急に進める裏を疑われてしまうと、何かとやりにくくなる。
どうせ、金程村の50人がどんなに頑張ってもできることは高が知れている。
この間の献上のときの様子からしても、甲三郎様を早めに引き入れて、相談しておいたほうが良いように感じるぞ」
確かにそうかも知れない。
「炭屋の日本橋・本店で本格的に焜炉と小炭団を扱う目途が立った時点で相談する方向にできませんか。
少なくとも、小炭団を10万個程度卸した後であれば、炭屋への売掛金が140両できます。
この後ろ盾があるのと無いのとでは、雲泥の差があると考えますがどうでしょう」
「よし、明日は登戸へ行ってこい。
そして、明後日は甲三郎様への報告だ。
主旨は卓上焜炉についての江戸での感触というお前の案でよい。
報告の段取りや、増員についての村の大人たちへの相談・白井さんへの相談はワシが明日までに済ませておいてやる。
それと、炭については隣の古澤村にどれだけの量があるかの打診もしておこう」




