萬屋で七輪・練炭を扱うとすれば <C286>
販売方法について、こうしたらどうかという説明をします。
日本橋の萬屋本店の茶の間で、主人の千次郎さん、大番頭の忠吉さん、登戸店番頭の中田さんを前に、七輪・練炭での商売の仕方を一緒に考える羽目になった。
「本店が木炭を卸しているお武家様や大店は、どのくらいあるのでしょうか」
「お武家様は全て武蔵国に知行地を持つ旗本の方になりますが、34家あります。
商家・料理屋・旅籠は、合わせて12家ほどです。
ただ、商家は他の炭屋とも勝ち合っており、こちらの言い分は必ず他の炭屋にも流れます」
大番頭の忠吉さんは澱みなく答える。
「では、こういった方法はどうでしょうか。
今ある七輪は、ご存知のように暖を取るための道具です。
特徴は、すでにご存知とは思いますが、練炭をゆっくり長時間燃やし続けるところにあります。
このため、これから夏場に向けては需要が見込めません。
従って秋口が勝負時になります。
そのための準備をこれから始めます」
売り出し時期を半年後に定め、それまでを準備期間とすることを告げる。
「寒くなりかけた時期に、この46家全部に七輪1個と練炭4個を無償で配りましょう。
その時、七輪は1000文、練炭は250文で追加購入できることを伝えます。
4個の練炭を使いきってしまい、その便利さに慣れてしまうと、多少高くても250文で購入してくれるでしょう。
七輪は1家に1個というのが味噌で、七輪の取り合いを避けるためには、七輪も追加購入するしかありません。
そして、七輪が増えるということは、使う練炭が増えるということです。
最初の無償の七輪と練炭は、2000文相当の値段ですが、これを呼び水にします。
金23両の損金は、それ以降の練炭で取り返します」
無償お試しセットでお客を囲い込むというのは、有りだろう。
「ただ、この方法が有効に使えるのは、安価な類似品が登場する前の最初の内だけです。
もし、同じような安い練炭が出回ると、最初の費用が回収できなくなります。
しかし、大量に出回る可能性があるのは2年目以降と思われます。
最初にどれだけのお客を掴んでおくのかが鍵になってきます。
一応、それなりに類似の七輪が出ることがないよう工夫を重ねていますが、練炭については消耗品だけに類似品が作られるのを防ぐのは難しいと見ています」
練炭は、寸法精度や底の模様、燃焼速度の均一性で差別化を図ってはいるが、安いものが出てくるのは避けられないだろう。
「また、七輪を購入されるお客様をご紹介頂けた場合には、紹介者と購入頂いたお客様にそれぞれ練炭1個を無償で提供する、という説明をします。
そうすると、練炭欲しさに七輪を買わせる客も出るだろうし、七輪を買う客は紹介者がいるだけで安く買えることになります。
両方のお客にとって喜ばしい状態ですし、紹介者の顔を立てることにもなります」
おまけ商法と紹介者商法の概要を説明した。
「七輪や練炭について、江戸市中の炭屋が手がけるなら、このような展開を考えていたのです。
もし最初から特定の値段で卸すことに同意していたら、同じようにできたのでしょうか。
この策は、時間との勝負でもあります。
他から安い類似品が大量に出てくる前に、金程印の七輪と、それに一番合う金程村の練炭という印象を植え付けねばなりません。
そのためには、必要とされる量を充分確保してから一気に売り出す必要があります。
以上、ちょっと考えた策の一端を説明しましたが、いかがでしょうか。
例えばで話させて頂きましたが、江戸市中を一気に攻め落とす位のつもりがあるのであれば、他の炭株仲間に卸す気は毛頭ありません。
ただ、こちらが思う拠点の方には七輪・練炭を卸し、そこから江戸市中以外のお客へ販売することを許して頂きたいと考えています。
それは、主に直接銭を得るための目的です」
結構ゆっくり話したつもりだが、どうだったのだろうか。
3人の表情を見ると、大番頭の忠吉さんが、一番驚いた顔をして仰け反っている。
それに対して、登戸店番頭の中田さんは『それ見たことか』と言わんばかりの顔をしている。
真っ赤な顔になった千次郎さんは、横にいる大番頭の忠吉さんに指示する。
「今、義兵衛さんが話した内容を、そこの紙にすぐ書き付けてくれ」
そして、こちらを向いて話し始めた。
「実は、委託販売の件を止めさせ、木炭と同じように卸し先を独占するのが今回の話の目的と考えていた。
しかし、今のような話しを聞いてしまっては、委託販売どころではない、と気づいた。
母は『芝居に一緒に乗って踊ってやろう』と言っていたが、戯れごとと思っていた。
だが、母にはなにかが見えていた、としか思えない。
少し母と相談してくるので、ここで待っていてもらいたい」
「それから、中田。
今義兵衛さんが言った話で、金銭のところで確かに採算が合うのかを検算しておいてくれ。
では、後を頼むぞ」
そう言い残して茶間を飛び出して行った。
中田さんが丁稚を呼び、茶のお代わりを頼んだ。
「やはり、とんでもない話を聞かせてくれましたね。
昨夜のお婆様の言葉を聞いたときには『人誑しの本領を発揮しおった。
主人にかかれば、今に化けの皮もはがれよるぞ』と思いましたが、見込み違いをしました。
多分、今頃お婆様に説教を喰らっていることと思いますよ。
一体どこからそんな知恵が出てくるのか、羨ましくてしょうがない。
これから検算しますが、わからなくなったら教えてくださいよ」
ぶつぶつと小言を吐きながら、中田さんは算盤を手に計算を始めた。
「ところで、こうなってしまうと昨夜のお婆様の『何か思いがある』という言葉が気になる。
その端っこでも教えてくれないか」
大番頭の忠吉さんが尋ねてくる。
「金程村はいつも餓えと背中合わせの生活をしています。
自分が頑張ることで、村人が餓えることがないようにしたい、というのが根幹となる思いです。
練炭や七輪は、この背中合わせから少しでも遠ざかるための手段です。
これで得た銭で、村人が食べる米を買うというのが目的です。
お分かり頂けますでしょうか。
中野島村のご出身ですよね。
多摩川が暴れて、水田が無茶苦茶になり、秋の収穫が見込めなくなった時の絶望感は覚えておいででしょうか。
相手が自然なら、どうしようもないという気もします。
しかし、自分ができる努力を怠った結果、村人が餓えるのであれば自分を決して許せないでしょうね」
あまり差し障りがない部分を、想いの一端を伝えた。
「そういうことか、やはりお婆様の目は確かだなあ。
おい、中田。
お前は薄々知っていたのだろう、さっきの奇妙な目つきで判ったぞ。
それにしても、大胆な取り組み構想だなあ。
実情に合わせた手直しが必要かも知れないが、大枠は義兵衛さんの言ったとおりで行けそうな感じだ。
まさかと思うが、七輪と練炭以外に何か隠してやいないか」
さて、どこまで見せようか。
とりあえず、千次郎さんが戻ってくるのを待とう。
書くにつれ、また話しが長くなってしまっていますが、ご容赦ください。
感想・コメント・アドバイスなどありましたらお寄せください。筆者の励みになります。




