今の萬屋では七輪・練炭を扱えない <C285>
ものの弾みで変なことを言ってしまうことがあります。理があるのなら、冷静になって説くのが有効、かも知れません。
■安永7年(1778年)3月11日 日本橋・炭屋本店・萬屋
萬屋本店の2階にあるお客様用の部屋で目を覚ました義兵衛は、真っ先に自身の持ち物を確認した。
頭陀袋の中のお金、手形、そして強火力練炭と小炭団。
あとは、俺・竹森様の知恵と義兵衛の才覚が武器なのだ。
昨夜、酔った勢いも手伝ったのか、お婆様の『知恵を萬屋に貸せ。芝居に一緒に乗って踊ってやろう』を思い起す。
昔のどんどん発展していった頃の郷愁からか、本音が出たのだろう。
この状況なら、内懐に入ればWin-Winの関係を結ぶのは容易に違いない。
同じ部屋で寝ていた中田さんも目覚めたようで、一緒に階下に降りる。
階段は中の間に繋がっており、大番頭の忠吉さんがもう起きて帳簿を確認していた。
「おはようございます。良く寝れましたかな」
挨拶を返す。
「あと少しで朝餉の時間ですぞ。丁稚共とは別に、奥座敷に用意させますので、支度ができたらおいでください」
中田さんに確認すると、普通は丁稚と同列での朝餉なので、やはり特別待遇のようだ。
朝餉を終えると、茶の間に案内された。
4畳ほどの部屋の真ん中に座卓が置かれており、その下座に義兵衛が座り、左右に忠吉さん、中田さんが座る。
脇に文机があり、墨まで擦られて準備万端といった様子になっている。
そこへ、千次郎さんが入ってきて上座に座り、話が始まる。
「昨夜は、突然に母が大変なことを言い始めて申し訳ございません。
もういい歳なのですが、未だに昔の賑わい振りが忘れられない様子で、なにかと祖父の七蔵を持ち出すのですよ。
しかし、往年の勢いが無いと言われてしまえばその通りで、これといった決め手がないまま商売を続けていると指摘されても仕方ありません。
このまま平穏に続けていてもジリ貧というところは、どうにかせねばという思いはあります。
母がどんな思いで今の萬屋を見ているのか、ということは伝わるのですが、どうすれば良いかがサッパリ判らないのですよ。
さて、この練炭の扱いについて今回協議させて頂きたくお越し頂いたのですが、率直に言ってどうされたいのでしょうか」
いきなり直球が飛んできた。
「今は、炭屋番頭の中田さんと協議し、お互いが納得の上この形に落ち着いている、という認識です。
委託販売では、店にとってはものを置くだけで手数料が入るという好条件ですし、すでにかなりの銭を入手できている状況なので、どのような風になさりたいのかは、萬屋さんから説明して頂かないと何とも申し上げられません」
やはりそうか、という表情をした。
「手前共としては、練炭についても木炭同様に萬屋だけに卸して頂きたい、と考えています」
「萬屋さんにしか卸さない、ということについての問題はご承知と思います。
村側から見た問題点をいくつか説明させてください。
まず、まだ七輪・練炭は一般に出回っていないものであるため、価格が決まらないという点です。
法外に安く値をつけられても困ります。
今では競り売りや店頭での委託販売の結果からそれらしい値の見当がつくようになってきましたが、それでも幾らが適切かははっきりしておりません。
この状態で、萬屋さんにだけしか卸せないという足枷をはめられると、村は得るはずの利益を最初から諦めることになります。
独占卸しとしたいならば、合理的な卸値を決めて頂かねばなりません」
最初に登戸の店を訪れ仁義を切っているので、この言い訳は有効なのだ。
「次に、この練炭を作るために金程村では銭が必要という点です。
練炭は木炭が主成分ですが、それ以外に混ぜているものがあります。
何をどれ位混ぜているかについては、類似品の登場を遅らせる意味もあり、秘密としています。
この材料を入手するために、銭を使っています。
今は、委託販売して得た銭を充てていますが、
掛売りに切り替えた場合、日銭が入らないため、練炭が作れなくなります」
これは作る側の勝手なので、萬屋にとって卸しを阻害する要因ではないが、一応言っておく必要があるところなのだ。
「そして、一番気にしている点を申し上げます。
この練炭は七輪という器があって効力が発揮できる代物です。
このため、従来の木炭とは違う売り方も考えられるのです。
また、用途を絞った特徴のある練炭も開発しようとしています。
これまた、従来と同じところへの売り込みではないと見ています。
それで、失礼ですが萬屋さん任せにはできないと思ったのです。
七輪と練炭を見て、何か感じませんでしたか。
昨夜、お婆様が知恵を貸せと言っていたことに、妙に符合するものを感じます」
ついに、言ってしまった。
座卓の周りを沈黙が囲み、千次郎さんがどう反応するか、その言葉を待っている。
しかし、声を発したのは、千次郎さんではなく大番頭の忠吉さんだった。
「いきなり核心を突くことを言われたので、いささか驚きます。
今の萬屋では、七輪と練炭があっても、それを使った商いができないということですか。
この暴言は、聞き捨てなりません。
よほどの策があって自信があるのでしょうな」
怒気を露わにして大番頭の忠吉さんの顔が迫ってくる。
『怒りに怒りで応えてはならない。怒りをそらし、千次郎さんに判りやすい話で誘導するのだ』
義兵衛さんに伝えた。
少しの間を取り、平然とした表情で、千次郎さんに向いてゆっくりと義兵衛は話し始める。
「大変失礼なもの言いをしたことはお詫び申し上げます。
しかし、少し落ち着いて想像して頂けませんか。
例えば蔵の中に、金程村が卸した七輪が500個あり、それに使う練炭が10000個積みあがっているとします。
その時、萬屋さんがどのような商いをするのでしょうか。
これだけでは、想像し難いので、銭で換算しましょう。
ちなみに、あくまでも例えばとしての値段ですが、金程村からの卸値は七輪が800文、練炭が160文です。
萬屋さんは、卸してもらった時点で金程村に対し金500両(=5000万円)の売掛けになっています。
どうやって500両を回収した上で、利益の125両を上げることができるのでしょうか。
この125両は、今登戸村で行っている販売委託のときの手数料に相当しています。
江戸本店では、500両の借金をかかえ、それを上回る販売額を得る方策をお持ちでしょうか」
いきなり具体的な数字を出してしまって、両番頭さんも千次郎さんも言葉に詰まっている。
もう少し別な例えをしたほうがよいのかも知れない。
「少し別な例えをしてよいですか。
七輪と練炭の状況とは真逆になりますが、今まで刀槍で闘っているところに、鉄砲が登場したという例えです。
武器商人は、新しく登場した鉄砲を売って儲けたいが、今まで刀槍しか扱ったことがなかった、という話です。
この話の要点は、一つの武器が、鉄砲本体という耐久財と、弾・火薬という消耗財に分かれているところです。
刀槍は良いものを作って売れば、若干の手入れはあるでしょうが、手離れが良い品物です。
しかし、鉄砲は買った後に、使うのにあわせて弾・火薬を継続的に買い入れる必要があります。
つまり、鉄砲の値段で多少損をしておいても、弾・火薬を売るときに益を乗せることができます。
この鉄砲で多少損が出ても良い、というような考え方ができるのか、ということです」
『木炭は必需品だから売れて当たり前』という固定観念に毒された商売をしていなければ、例え話の意味はわかるはずだ。
「なるほど、何を問題として言われているのか、判ったような気がします」
若造の義兵衛から、萬屋の商売の仕方について非難めいたことを言われてショックを受けているはずの千次郎さんが、ボソッと呟いた。
「木炭と同じように、単純に仕入れてきたものに若干の利益を乗せて売るだけでは物足りない、ということなのか。
練炭が弾・火薬で、七輪が鉄砲。
なるほど、鉄砲ならぬ七輪の売り方がキモということですね」
そこまで紐解けているなら、ホレ、もう一押しなのだ。
理解してもらえるよう、必死で説明をしようとする義兵衛です。ただ、実際にこんな風に話しが進むということはまず無いでしょうが、そこはお話ということで。
次回は、具体策で収拾を図ります。
1話で終わらせる予定のシーンに、3話もかかってしまっています。
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