日本橋の店は小さい <C283>
江戸切絵図を参照しながら色々想像して執筆しています。
品川の大増屋の女将がチラッと登場します。
■安永7年(1778年)3月10日午後 品川 → 日本橋
江戸湾沿いで海を右手に北上していく。
東海道は五街道のうち一番ということもあり、道幅も広く、人の往来もすこぶる多い。
遠く伊勢詣り、金比羅詣りする人や、富士講・大山詣りする人だけでなく、大磯・鎌倉といった近郊へいく人、戻る人。
江戸へ商売をしにいく行商人、お武家様たちがひっきりなしに通る。
番頭の中田さんと話をしながら川崎宿から東海道を北上するうちに品川宿に差し掛かった。
品川宿は江戸の入り口と称されているが、目黒川を挟んで南品川と北品川に分かれている。
さらに、北品川より若干江戸よりに歩行新宿が設けられ、実際には3つの宿屋街が街道に沿って半里(2km)も連なっているのだ。
総戸数1600軒あり、食売旅籠屋100軒、水茶屋50軒を数える。
また、遊廓もあり、「北の吉原、南の品川」と呼ばれる地でもある。
南品川を過ぎ、目黒川の橋を渡ると北品川で、岡場所(色町、遊廓、飯盛旅籠)になっている。
まだ昼前ということで、女郎屋は客引きこそしていないが、板敷きの玄関奥からは琴や三味線の練習をする音や唄の声などが聞こえてくる。
一番旅行客が少ないと思われるこの時間帯でさえ、ザワザワとしているのだ。
岡場所を抜けると歩行新宿という場所に入る。
ここが、品川宿で一番江戸寄りの休憩所となる。
番頭の中田さんは慣れた様子でその中の一軒の茶屋・大増屋に入っていった。
義兵衛もあわててそれに続く。
茶屋の中では、前掛けをした女将が忙しく立ち回っている。
「奥座敷を借りるぜ、いつもの飯を2つ頼む」
中田さんは常連らしく、店の入り口からさらに奥の木戸をくぐり、庭の山側に設えてある座敷に腰を下ろす。
下女が盥に水を入れて持ってきて手ぬぐいを差し出す。
これで土埃を拭って上に上がるということらしい。
義兵衛は足を念入りに洗うと座敷に上がり込んだ。
「少し早いが飯にしよう。
昼過ぎには日本橋の本店に着くだろうが、主人がいつも暇している訳ではないので多分かなり待たされることになる。
夕食時にまでは、いや、夕食を一緒に取りながら話をするということもある。
せいぜい詰め込んでおけよ」
「はい、しかし加登屋さんがくれた握り飯もあるので、ここで開いちゃいますよ」
しばらくすると、箱膳が2つと湯呑が運ばれてきた。
一汁三菜に山盛りの白いご飯が載っている。
三菜は、芋と大根の醤油煮、海苔の佃煮、切干大根と油揚げの煮つけである。
米も精白して柔らかい。
二人は凄い勢いで食べ始めた。
しばらくすると、女将がお茶を入れた急須を持って現れる。
「おやおや、もうほとんど空じゃないか。
まだ昼前だし、もっとゆっくり食べて味わっておくれよ。
今回はやたら若い連れと一緒じゃないか」
湯呑に茶を注ぎながら話をしてくる。
「そういやぁ、七輪なんていう暖を採るのにもってこいの道具があると次の川崎宿で聞いたとかいう話を耳にしたんだが、なにか知ってなさるか」
「女将は耳が早いんだなぁ。
実は、ここにいる小僧が作って売り出そうとしているのさ。
おかげで、俺がこの小僧を本店のご主人のところへ連れて行くはめになっちまった」
「義兵衛と申します。
登戸から少し奥に入った村で七輪・練炭を作っています。
今は手持ちがありませんが、いずれ新しい道具をお買い上げ頂けるものと思っております。
これも何かのご縁でしょうから、今後ともよろしくお願いします」
「おや、私もその近くの出だよ。
溝の口村のちょいと北側にある久地村の出なんだよ。
嬉しいねぇ。
律儀な口ぶりは、こりゃ大物になると私は見たね。
中田さんと同じく、大増屋をひいきにしておくれよ」
妖艶な香りを残して、表へ戻っていく。
女人の歳はとても判らないが、30位だろうか。
後でこっそり中田さんに聞いて、母親と同じ位の歳、50近いと判った時には魂消た。
接客業の女性は本当に怖い。
さて、ここで日本橋本店に着いた時の最終確認をする。
番頭の中田さんも、大番頭さんへの報告など漏れ・抜けがないか指折り確認している。
準備が出来ると、茶屋を出る。
「いってらっしゃい、またのご利用をお待ちしております」
女将が店先まで出て見送ってくれる。
日本橋まではあと2里だが、歩行新宿を出たところに江戸の入り口となる高輪大木戸がある。
夜間は閉じるこの大木戸を潜ると、いよいよ江戸市中になる。
道の両側に家が立ち並び、田畑は消える。
高輪を過ぎ金杉橋を渡ると、左手に大きな門と伽藍を持つ増上寺が見えてくる。
この辺りになると、右手側の海は姿を消し、大名屋敷が立ち並んでいる。
やがて新橋を渡り、京橋の町人街へ入り、更に京橋川を越えた直ぐのところに目指す店がある。
日本橋の南地域は、外堀と楓川、京橋川と日本橋川に挟まれた四角い土地である。
外堀に面しては、鍛冶橋御門・呉服橋御門の2橋が架けられている。
京橋川に面しては、比丘尼橋・中之橋・京橋・三年橋・白魚橋の5橋が架けられている。
また、この川の両側に沿って、薪炭問屋の並ぶ新河岸と白魚河岸、青物市場の大根河岸、竹河岸など河岸が続いており、物流拠点として賑わっている。
八丁掘りへ向う楓川に面しては、弾正橋・松幡橋・久安橋・新場橋・海運橋の5橋が架けられている。
日本橋川に面しては、一石橋・日本橋・江戸橋の3橋が架けられている。
店は京橋川に沿う竹河岸から一本奥に入った具足町の間で、間口の狭い倉庫の入り口と見間違うかのような感じで設けられていた。
間口はたった3間(5.4m)しかなく、左側の1間が店の入り口で、白地に紺で「萬」と大きく書かれた大風呂敷大の暖簾をデンとかけている。
正面からは中二階なのか、厨子二階部分が設けられている。
ただ、奥行きは深そうだ。
しかし、登戸が支店で、その本店と言うからにはそれなりの大きい店構えを想像していただけに、かなり落胆した。
さらに、木炭はここに置くのではなく、大部分を築地の東湊町の蔵に入れておくということも判明した。
さて、番頭さんを先頭に、日本橋萬屋の店先に入っていく。
「登戸の中田でございます。
大番頭さんはおられますか」
でっぷりとして貫禄十分の大番頭が二間四方の店間に現れた。
「おお、登戸の番頭か。それで、そちらはどなたかな」
鷹揚な声で問う。
「先に主人が連れて来いと言われた練炭をこさえた金程村の義兵衛さんですよ」
「なんと、そんな若造だったのか、これは驚いた」
「その若造の、伊藤義兵衛でございます。
萬屋のご主人が是非話をしたいと言われたとのことで、中田さんに案内してもらいました。
これから何かとお世話になるやも知れませんので、よろしくお願い申し上げます」
「これは大変失礼致しました。
この店の番頭をしております忠吉です。
よろしくお願い致します」
「中田さん、ここでは何であろうから、奥の座敷に上がっておれ。
ワシは主人に都合を伺ってくる。
誰ぞ、客人を奥座敷へ案内なされよ」
奥へ向って放たれた大声に応じて丁稚が現れ、案内をしてくれる。
番頭の中田さんは、店土間から奥土間へと入り半間幅の土間を進む。
そして、中間・茶間の次にある奥座敷の上框に腰を下ろして旅装を解いた。
京橋川を挟んで京橋地区と日本橋南地区に分かれている、とか、橋の名前・由来など面白くてついはまります。保存会の方たちが色々と手記を公開されているので助かります。
次回は、炭屋のキーパーソンの登場です。
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