加登屋での夕餉と小炭団の披露 <C281>
最後の晩餐ではありません。
加登屋さんの料亭の一部に宿泊者向けの料理を出す卓がしつらえてある。
この卓に4人が座ると、女中さんが宿泊者であることを確認して遅昼に相当する夕飯を運んできた。
ここでの夕食の基本は一汁一菜である。
大根と麦を混ぜ柔らかく炊いた混ぜご飯を丼に一杯と、里芋の煮っ転がし、味噌汁に香の物として沢庵が数切れ付く。
そして、湯呑みが人数分とお茶が入った大きな急須がドンと卓に置かれている。
全員分の料理が揃うと、義兵衛の合掌して「いただきます」の声に唱和して食事が始まる。
旅籠で食事をするというのが初めてという左平治・種蔵は、普段とは全く違う環境でもガツガツと食べている。
「凄いご馳走だぁ」「これは美味い」を小さな声でやたらと連発している。
助太郎は、この新人を前に余裕の風を装っているが、ほんの少し前は同じようなものだったのである。
義兵衛も、つい25日程前にここへ泊まった時には同じように余裕もなく、父から見れば似たようなものだろう。
全部平らげるのに、さほど時間がかかったとも思えない。
どの器もピカピカになるまで綺麗に食べ終える。
「ご馳走様でした」と合掌して唱和して食事を終える。
急須から湯呑みに茶を注ぎ、雑談を始める。
「あの大金には吃驚仰天しました。
工房で作っている練炭が、あの炭屋さんのところで大金に変わっていたのですね。
今日皆で運んできた分が全部売れると、一体どれ位になるのですか」
左平治が尋ねると、助太郎は暗算を始める。
「もし、今のままの小売値で全部売れたとすると、57600文(=144万円)になるかな。
うち、2割が炭屋さんの委託手数料なので、46080文(=115万円)が村の取り分の銭になる。
小判だと11枚分かな。
米に換算すると、28俵を運んできて売ったのと同じになる」
助太郎があっさり言うと、種蔵は目を丸くした。
「左平治、種蔵。
だから、お殿様も注目しているし、炭屋さんでもお客様待遇だったのだ。
外はもちろん、家の中でも銭のことは決して言うなよ。
助太郎の工房で作っている練炭が、こんな高値で売れているなんてことが判ると、馬鹿げたことを考える大人が出てきてもおかしくない。
なぜこんなことをしているのかを理解できない大人達が、今得られる銭に目がくらんで工房に干渉すると、禄なことが起きないと思っている。
今していることは、理解できないかも知れないが、もっと大きな目的のために、助太郎も僕も動いているのだ。
今は解らないだろうが、その内きっと解る。
なので、ここで得ている銭のことは決して口外してはいけない。
いいな」
義兵衛の重たい言葉に、左平治と種蔵は少しシュンとなって頷いた。
しかし、多分何かの折に樵家で話してしまうだろう。
左平治はうっかり、種蔵は確信犯として広がるのだろうから、対応を考えておいたほうが良い。
一番懸念されるのが、噂を聞きつけた白井さんからの圧力だろうが、先回りして生産共同化の予定や見込みを伝えておくのが有効かもしれない。
そこへ、加登屋の主人がやってきた。
「お待たせしました」
「こちらは、今回から練炭を運んでもらう左平治と種蔵です。
これから何度もお邪魔することになりますので、よろしくお願いします」
助太郎が二人を紹介する。
「今回は強火力練炭を10個お持ちしました。
また、それ以外に、今回面白いものを持ってきましたよ」
義兵衛は、小炭団のことを匂わす。
「それは是非見たいですな。
とりあえず、強火力練炭の代金ですが、小売160文として、卸し8割として全部で1280文(=32000円)ですか。
準備しますが、まずはその面白いものを見せてください」
「2~3寸の高さの五徳と、小皿を貸して頂けますか。
それと、水を通さない厚手の油紙があれば、それを半紙分位ください。
あと、何か煮物、野菜屑なんかがあればそれもください」
義兵衛はそうお願いすると、自身も小炭団を取りに行った。
食事をした卓の上を綺麗に整理すると、小皿と五徳を置き、小炭団1個を皿の上に載せる。
油紙を折り2寸四方の箱を作ると、そこに少しの水と野菜屑を居れ、五徳の上に載せる。
実は、この小炭団を専用コンロ無しでどう使って見せるのかについては、助太郎にも説明をしていなかったので、助太郎も興味深々といった面持ちで見ている。
「この四角い炭団は何ですかな」
加登屋の主人が途中で尋ねてくる。
「炭団を小さくし、持ち運びや積み上げを考えこの形にしたもので、今は小炭団と言っています。
対角線は2寸と炭団の径と同じにしているので、炭団が使えるところにはこの小炭団を使うことができます。
炭団は大体22匁(=82g)で1個20文としましたが、小炭団は重さも9匁(=34g)で1個8文(=200円)程度と手の出やすい値段設定を考えています。
燃える時間は、状況によって変わりますがおおよそ8分の1刻(=15分)位です。
では、火をつけてみましょう」
義兵衛はこう説明して、小炭団に火をつけた。
「乗せているのは、油紙だぞ。そのままだと、燃えてしまうぞ」
小炭団についた火を見て、助太郎が大声を上げた。
「それが、大丈夫なんだよな。中に水が入っている限りは」
義兵衛は平気な顔をして、火の様子を見ている。
小炭団がかなり燃えて終わりも近いころ、油紙の中の水と野菜はグツグツと煮立ってきた。
「味付けするので、塩と醤油を少し掛けてください」
義兵衛がお願いすると、加登屋の主人が調味料を少し加え、箸で野菜を動かす。
小炭団の火が消える少し前に、義兵衛は「出来ました」と告げた。
「今、野菜を煮てみせましたが、目の前でこのように調理してそのまま熱いうちに食べることができます」
義兵衛の説明に、加登屋の主人は箸を伸ばして食べて見る。
「ふは、ふは、これはなかなかじゃ。
客のところで火ををつけて調理してもらうというのは、いやぁ面白い。
これなら、熱いものを熱いまま食べてもらうことができる。
こりゃ、上手いこと考えたのぉ」
「炭団だと、結構長い時間熱を出すので、このような使い方が難しいのです。
小炭団は、それと違って色々と使えそうな感じがしませんか。
もし、もっとこうしたらいいという意見があれば、腹蔵なく教えて欲しいのです。
小炭団・炭団用には専用のコンロを設計していて、これが出来次第お見せしたいのです。
そして、実は、強火力練炭や小炭団を、料理屋に向けて売り込みしたいと考えています。
そのため、料理するときにこの練炭や炭団を使う上で更にどういったものが必要なのかを、教えて頂きたいのです」
「解りました。協力させて頂きましょう。
今思ったことを、そのまま言います。
まず、小皿と五徳を組み合わせて見せて頂きましたが、これは専用のコンロにしたほうがいいです。
その専用コンロは、小炭団だけではなく今頂いている炭団も使えるようにしてもらいたいです。
そして、専用コンロは重ね置きでき、保管に場所をとらないことが重要です。
片付け、例えば灰を捨てることや、燃えさしを消せるのが簡単であることも重要です。
もう少し使ってみると、また何か判ることもあるかと思います。
小炭団は、どの程度お譲り頂けますかな」
「40個あったのですが、今1個使ったので39個あります。
専用のコンロですが、丁度考えているところです。
出来上がり次第、こちらに持ってきますので、使ったときの感触やこうしたほうが良いといった点をお教えいただきたいと思っています」
助太郎が今ある個数を説明し、コンロは設計中であることを話した。
「ご協力頂けるのであれば、残り全部を差し上げますよ。
ただ、僕がいない時は、助太郎に話して頂ければいいです。
よろしくお願いします」
それから、義兵衛ら一行の4人は宿泊場所へ引き上げ、明日に備えての眠りについた。
が、加登屋の主人は小炭団・炭団を使い、調理場でなにやら夜遅くまで試していたようだった。
卓上コンロのイメージは伝わりましたでしょうか。
次回はいよいよ江戸行きですが、品川宿(江戸手前)までとなります。
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