焼印付き七輪の準備 <C273>
人柄が垣間見える会話を挟んだ関係で、4000文字越えと少し長めになっています。
■安永7年(1778年)3月6日 金程村
登戸村への対応は、それなりにすっきりした形でケリがついた。
残りのモヤモヤは大丸村だが、こちらも百太郎が同行してくれるので、加登屋さんのときのように頭を下げるだけでいい。
そう開き直ると、義兵衛の心への負担がずっと小さくなるのを感じた。
10日には江戸に向わねばならないので、明後日には大丸村へ行かねばならない。
そのためには、焼印入りの七輪を仕上げなければならない。
そして、10日の朝には登戸村の炭屋へ運ぶ練炭を揃えなければいけないのだ。
見通しを確認するために、まずは工房へ行く。
工房では、助太郎と米・梅でもう働き始めている。
工房に入っていくと、真っ先に梅が気づいた。
「おやぁ、義兵衛さん、今日はどういった御用ですかねぇ」
義兵衛がやって来ると助太郎が一段と忙しくなる、という図式に気づいたのか、どこかよそよそしい態度だ。
「助太郎に生産見込みの確認に来たのだよ。
気にせずに、粘土捏ねをしっかりお願いしますよ」
そう言って、工房の奥へ進む。
奥では助太郎が強火力練炭の試作品と、小炭団用小型コンロの設計を行っていた。
「義兵衛さん、まだ手一杯でコンロは目処が付いてないですよ」
助太郎がまず言い訳を一生懸命する。
「登戸村の売れ方を見て、今朝から普通練炭の生産数量を減らし、その分薄厚練炭を増やしています。
10日の朝には、普通練炭が60個、薄厚練炭が360個、炭団が3000個出来上がる予定です。
全部で120貫になりますが、全数運ぶのは無理です。
細山組の二人を入れて4人で運ぶのであれば、半分の60貫位、薄厚練炭を全部と、普通練炭を30個、炭団700個かな。
あと、強火力薄厚練炭と小炭団もできるだけ持っていきましょう。
この2種類は、江戸の本店にはまだ無いと思います。
売り込む良い機会ではないですか」
相変わらず、助太郎は工房をきちんと把握している。
「七輪はどうなっているのかな。焼印があるものを8日には大丸村に見せにいく必要があるのだ」
「乾燥が終わって焼く状態になっているものが9個あります。内、3個に焼印が付いています。
それ以外に、乾燥中のものが6個あります。これは全部焼印を付けています」
「今日、これから窯に入れると、明日夕方には焼きあがるかな」
「はい、大丈夫です。その代わり、コンロは登戸村には持っていけませんよ。
それから、焼きあがった七輪が全部大丈夫ということはありませんよ。
割れがあったり、内側の寸法が合わなかったりすると、不合格としています。
窯の中の置き方で、焼印のある3個が全損しないようにはしますが、9個のうち1~3個は不合格になりますよ」
なかなか厳しい数字だ。
「それから、水田の粘土と赤土を様々な比率で混合した試験片も一緒に入れます。
これで、収縮率や強度などを調べて、水田粘土の有用性を確認する予定です」
「前、七輪を焼くための薪なんか不足していると言っていたが、どうなっているのかな」
「あと数回は手当てできますが、本当に不足してきています」
「ならば、細山村から薪を購入するか、細山村で焼いてもらうかしかないな」
「まずは、薪を手当てする方向でお願いします。
成型も、出来上がった七輪の検査もこの工房で行うので、細山村に持っていくのでは手間がかかり過ぎます」
なるほどと思う。
「だが、細山村でも焼き物を作るのは、たぶん金程村の北側にある樵の在所だよな。
東に向って行く細山村の中心よりはよほど近いぞ。
薪についてはできるだけ早く手配するが、もう少し先を見て考えてみる。
あと、細山村のことを左平治に聞いてみることにしよう」
細山村との距離が近くなることに、助太郎は怪訝な表情を浮かべている。
「その方向に行くと、七輪や練炭を作る主力が金程村ではなく、細山村になってしまうのではないでしょうか」
「どうも、細山村の樵の在所は、細山村の中でも独立性が高いところになっているようだ。
ならば、金程村から直接樵の在所に働きかけを行うという手はあるのかと思っている。
名主の白井さんを経由しないで、焼き物の扱いを直接依頼できないかな。
その対価を金程村から直接支払うという道が、まずできればいいかと思う。
与忽右衛門さんが牛耳っている間は難しいかも知れないが、喜之助さんなら判ってくれる可能性もあるのじゃないかな」
人手不足・資源不足を解消するには、どこかで村の枠組を越えなくてはならないのだ。
それを助太郎に理解してもらうのは難しいし、下からの改革は困難なのだろうな。
義兵衛は家に戻ると、百太郎に報告した。
「大丸村には、あさっての8日に持って行く七輪の準備ができそうです。その七輪は、円照寺への献上品となります。
あと、芦川貫衛門さんへのお詫びについて、よろしくお願いします」
「その件は判った。芦川の爺様には昔いろいろ世話になっている。
何を言われるかは判らんが、銭を返却する分には問題あるまい。
だが、お前のことだ。何か余計なことを吹き込んでいないかが心配だ」
「実は、その余計なことをうっかり言ってしまっております。
多分、多摩川沿いの河川敷を案内してもらうことになると思いますので、一緒に回って頂ければ助かります」
こう言って、堤防の洪水対策について話をした内容を伝えた。
「これも、ご神託だったのか」
「その通りです。つい、口が滑ってしまい、そこからどんどんと押し込まれてしまいました。
中におられる竹森様の暴走を止めるのが難しくこのような仕儀になってしまいました。
父が一緒だと、抑えやすいように思えますので、よろしくお願いします」
百太郎は困った顔をして天井を見上げている。
「まあ、しょうがないか。芦川の爺様にあわせていくしかないだろう」
尻拭いしてもらうことが増えて大変な思いをするのだろうな。
「あと、工房で七輪を焼く薪が不足し始めています。細山村の樵家から直接買い入れることはできませんか」
「打診はできるかも知れないが、白井さんに断ってから進めることになるだろう。
多分問題ないので、そのあたりは心配しなくて良い。
それより、江戸のお殿様のところで、そろそろ練炭が切れるころではないか。
確か、2月19日に10個献上しておろう。
その後、お館に献上した練炭を江戸に回したとしても、15日は経っている。
便利なものだけに当たり前になりやすく、切らすとお小言をくらう可能性があるぞ。
練炭を献上するとなると、明日にも渡せるよう準備しておく必要があるぞ」
その通りだ。うっかりしていた。
「はい、明日であれば、普通練炭を20個位は用意できます。
ちょっと工房へ行って準備をしてきます」
もう午後だが、工房にいくと、また梅に睨まれるかも知れないが、必要なことなのだ。
「ワシは今の薪の件と、明日献上品を持ち込む件を白井さんに相談してくる。
今ザク炭の俵を運んでいる二人組みが、薪を運ぶことになるだろう。
ところで、薪ではなくて木炭を燃料にするという考えはないのか」
「薪と木炭では勝手が違います。あと、同じ燃料として、薪のほうが値段が圧倒的に安いのです。
原価率を下げるには、薪が最適です」
「なに、原価率?って何だ」
しまった、また変な言葉を使ってしまった。
「ものを作る時にかかる費用を小売費用の割合で示したもので、これが小さいほど儲かるということを示しています」
「ははぁ、なるほどな。便利な言葉もあるものだ。
とりあえず、この説明は後にしてもらうことにして、やれることから片付けていこう」
工房へ行くと、助太郎は工房の裏手にある七輪を焼き上げる窯に付きっ切りになっていた。
「明日、お殿様に献上するための練炭を貰いにきた。20個出庫しておくので了解しておいてもらいたい。
それから、薪の件は、これから白井さんに話してくることになった」
「はい、判りました。米にも言っておいてください。それより、あちこち飛び回って大変ですね。
加登屋さんの所へ持って行く強火力練炭は、やはり個数を減らすしかなさそうですよ。
あれが作れるのは、今俺だけなんですから」
「しょうがないか。せめて七輪を焼くところは誰かに肩代わりできるようにするしかないなぁ」
「判ってはいるのですが、もう少し落ち着いてからでしょう」
助太郎との味気ない話は終わった。
工房に入ると、木炭粉を作っている種蔵が真っ先に気づいて声をかけてきた。
「義兵衛さん、こんにちは。助太郎さんは裏手の窯のところで七輪を焼いていますよ」
目的が助太郎との相談と思っているが、先に済ませていることまでは見当がついていない様子だ。
「種蔵、話はもう済ませている。ちょっと作業を中断して、荷作りを手伝ってくれ」
荷梯子の用意と練炭を載せる作業を、意外に細かい作業が出来る種蔵に依頼する。
そして、米を呼ぶ。
「米さん、献上用の練炭を20個持っていくことになった。準備してくれ」
米は、よい返事をすると、作りかけの七輪をそのまま置いて立ち上がり、製品置き場に向かい、2個ずつ普通練炭を持ってきた。
「献上用なら、全部を何かで包んだほうがいいでしょうか」
相変わらず気が利くいい娘だ。
「多分、引き渡す時には全部を見せた後もう一回包み直すことになるだろうから、今はいらない。
入り口で待っている種蔵に渡してくれ」
急いでいる様子が判ったのか、米は梅・近蔵・福太郎・春に声をかけ、皆で普通練炭を持ち出すよう指示をした。
5人で持ち出すと、2往復なので直ぐ終わる。
「米さん、助かったよ。七輪は作りかけで作業を止めさせて悪かったな」
「いえ、献上用と聞いて、気が引き締まりましたよ。
明日、持っていくのですよね」
「その通りだ。いろいろ立て込んでいて、順番を整理する人が欲しいくらいだ」
「夏になれば、お館に奉公勤めしている姉が奉公明けなのですよ。
特段、引き続きという話がなければ、工房のほうに奉公させるということもありますかね」
「そうか、僕より1歳上だけど千代さんがいたか。
まだ嫁に行っていなかったんだ。う~~ん、しかし、今はちょっと何とも言えないなぁ」
こんな少しの米との会話は楽しいが、後が建て込んでいる。
『荷作りは済んだぞ』という種蔵の声に引きずられるように工房を後にした。
そして、こうしたバタバタのうちにこの日は費やされてしまった。
人物像が平坦というご指摘対応で、いろいろと執筆内容を変えてきていますが、この改変が適切なのか少し悩んでいます。アドバイスを頂けると、本当に嬉しいです。




